自由権を有名無実化させる児童ポルノ規制法改正案

■ 緊急提言

自由権を有名無実化させる児童ポルノ規制法改正案(自公案)

                                   岡田 一郎
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 最近、誰にも反対出来ないような名称を掲げ、実際には当事者に苦しみを与え
るだけといった法案がよく政府から提出されるようになった。例えば、「障害者
自立支援法」である。「障害者の自立を支援する」素晴らしい言葉である。しか
し、実際は、ただでさえ収入が少ない障害者の自己負担を増大させ、障害を持つ
人びとが施設を利用する機会を奪う稀代の悪法である。そして、2009年6月26日
より衆議院法務委員会で審議が始まった「児童ポルノ規制法改正案」(本稿では
自由民主党(自民党)・公明党が提出した案を自公案、民主党が提出した改正案
を民主案と呼ぶ。日本共産党・社会民主党(社民党)は現行法で十分であり、改
正不要という立場をとっている)もそのような名前だけ美しく、内容は稀代の悪
法というパターンの一つである。

 児童ポルノ規制法は1999年に制定され、児童ポルノ画像の製造・提供やその目
的のために所持することを禁止している。しかし、自分の楽しみのために所持し
たり、画像をダウンロードしたりすることに対しては規制がおこなわれていない
ため、性的虐待を受けた児童の中には自分の画像が、自分の預かり知らないとこ
ろで、人目にさらされていないか、恐怖におののく者が多い。こういった被害者
の懸念を払拭するため、諸外国では児童ポルノの単純所持を禁止している国が多
く、日本もこれにならおうというのが法改正の趣旨である。

 確かに趣旨は立派である。だが、児童ポルノの単純所持を禁止するのであれば
、児童ポルノの定義を極度に厳密にしなければ、多くの冤罪を生み出す恐れがあ
ることに留意しなければいけない。そうでないと、自分もしくは自分の家族が子
どもの頃に撮った裸体写真を持っているだけで警察に逮捕・拘禁される者が出か
ねない。

 しかし、自公案は、児童ポルノの定義があまりにもあいまいである。6月26日
の衆議院法務委員会で、法案提出者である自民党の葉梨康弘議員は児童ポルノの
定義を「我々の考え方としては、児童のヌード、それから児童の性器等をさわる
、さわられる、あるいは性行為、性交類似行為等の姿態、こういったものについ
ては基本的に児童ポルノなんだろうというような考え方を持たせていただいたと
いうわけであります」と答弁している。(性器等とは現行法では「性器と肛門と
乳首」を指す)。このようなあいまいな定義では、上記のような自分や自分の家
族の子どもの頃の裸体写真を持っていたために逮捕されるといった事例を防止す
ることが出来ない。さらに付け加えるならば、児童ポルノ規制法では児童は18歳
に満たない者を指すため、上半身を露にする相撲を18歳に満たない者がおこなっ
た場合、放送することは不可能となり、相撲を録画したフィルムは児童ポルノと
なってしまう。(アメリカを除いて諸外国では児童は18歳より低年齢に定義され
ている)

 一方、民主案では児童ポルノを「児童性行為等姿態描写物」と呼び名を、より
具体的な内容を表すものに変更し、定義も「殊更に他人が児童の性器等を触り、
若しくは殊更に児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態又は殊更に児童
の性器等が露出され、若しくは強調されている児童の姿態」とより厳密なものと
している。民主党の枝野幸男議員は民主案では、少年タレントがライブ中に上着
を脱ぎ捨てて、上半身を露にする行為のように常識的な行為を撮影したものなど
は規制の対象とはならないと述べている。これに対して葉梨議員は民主案は児童
ポルノでないものの定義をアメーバのように無限に拡大させ、抜け道を作り出す
ものだと厳しく非難しているので、自公案では世間一般で常識的と言われている
行為の撮影もすべて不可となってしまう。また、葉梨議員は児童ポルノに芸術性
を認めないと述べているので、芸術的な写真も所持禁止となってしまう。(諸外
国では芸術的な写真等は児童ポルノの定義に含まれない)

 児童ポルノ単純所持罪は、政敵などに故意に児童ポルノを送りつけ、他人を罪
に陥れることも容易にする。このような指摘に対して葉梨議員は、銃や麻薬も鞄
の中に入れられて陥れられる可能性もあり、児童ポルノばかりをことさらに問題
にするべきではないと述べているが、銃や麻薬と児童ポルノでは入手の容易度が
全く異なる。さらに、添付ファイルによって児童ポルノが送りつけられ、単純所
持罪に陥れられる危険性について葉梨議員は、「このメールというのはもしかし
たら児童ポルノかもわからない、そういうような認識というのはやはり必要にな
ってくるだろうと思うんです」と答弁している。葉梨議員は添付ファイル付のメ
ールはすべて児童ポルノ付のメールだと判断して削除しろとでも言うのだろうか。

 また、葉梨議員は、女優・宮沢りえさんのヌード写真集『Santa Fe』(1991年
発行)など、これまで所持が合法とされてきた書物等も規制の対象とし、1年間
の猶予中に児童ポルノの疑いを持たれるものはすべて廃棄するよう国民に求め、
猶予期間を過ぎても所持している場合は単純所持罪を適用するとしている。そし
て、児童ポルノか否か不明なものについては政府が問い合わせサービスを設ける
であろうと答弁している。このような葉梨議員の考え方は日本国憲法第39条「何
人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事
上の責任を問はれない」に明らかに反するものである。また、児童ポルノか否か
を判断する権限を政府に委ねることは政府に事実上の検閲を許すことになり、表
現の自由を有名無実化するものである。

 また、自公案では、3年以内の期間を設け、漫画・アニメなど絵にも規制を拡
大することを検討する附則も盛り込んでいる。もし、葉梨議員の定義が絵にまで
拡大されれば、ほとんどの漫画・アニメは廃棄処分となるのは確実であり、裸婦
像など芸術的作品も廃棄の対象となってしまう。自公案の附則には、規制対象と
して検討するものの中に「外見上児童の姿態であると認められる児童以外の者の
姿態を描写した写真等であって児童ポルノに類するもの」を含んでいるが、この
ような広義の定義では、あらゆる表現作品を規制することが可能となり、日本に
おいて創造的な表現活動はほとんど死滅してしまうことになりかねない。そもそ
も被害児童が存在する写真・映像と異なり、絵には被害児童が存在しない。被害
児童の保護を第一の目的とするならば、被害児童が存在しない絵を規制対象にす
る必然性は存在しないはずである。

 自公案が絵をも規制の対象にしているのは、絵が人びとの性欲を引き起こし、
性的犯罪を誘発しているという前提にたっているのかもしれない。しかし、その
ようなことを立証する研究成果が発表されたという話を筆者は寡聞にも耳にした
ことがない。また、自公両党も何ら、絵を規制する必要性を立証する数的根拠を
挙げていない。
  児童ポルノ改正案の審議において、唯一、数的根拠を示したのは、規制慎重派
の保坂展人議員(社民党)だけであった。保坂議員はイタリアの児童保護団体「
テレフォノ・アルコバレーノ」が作成した統計を用いて、国別の児童ポルノサイ
ト数において、日本は他国と比べ圧倒的に少なく、規制強化の必要はないと主張
した。さらに、審議後、保坂議員の下に一般市民から寄せられた情報によれば、
テレフォノ・アルコバレーノの最新調査でも、国別の児童ポルノ利用者数の割合
において、日本は2004年の3.59%から2007年には1.74%へと割合を半減させており
、日本が規制強化をおこなう必要性は認められなかったという。逆に単純所持の
禁止を導入したイギリス・ドイツの利用者が急増している。(注1)
 
  児童ポルノ規制法改正案を提出した自民・公明・民主の三党は今後も修正協議
を続けていくことで合意し、修正協議が続けられたが、7月21日の衆議院解散ま
で野党が審議拒否をおこなうことを決定したため、児童ポルノ規制法改正案は審
議未了・廃案となることが確実となった。総選挙後、児童ポルノ規制法改正の動
きが再燃するものと思われるが、筆者は、民主党は改正案の成立を急ぎ、安易な
合意を自公側とおこなうべきではないと考える。これまで見てきたように、自公
案は児童ポルノの定義をあいまいにしているために、日本国憲法が国民に保証す
る自由権を有名無実化する怖れが高く、自公案の主張の一部でも盛り込まれた改
正案が可決された場合、児童ポルノ規制の名の下にあらゆる表現活動が規制され
、冤罪が多発する危険性があるからである。
 
  民主党案では単純所持罪に代わり、「児童性行為等姿態描写物」を有償または
反復して取得した者を罰する「取得罪」を設けることを盛り込んでいる。しかし
、取得罪もまた、領収書を偽造したり、一方的に何度も「児童性行為等姿態描写
物」を送りつけたりして他人を冤罪に陥れる人物が多数現れる可能性を払拭する
ことは出来ないという問題点を抱えている。もし、仮に自公両党が民主案の丸呑
みを申し入れたとしても、民主党は安易にそれに乗ることなく、もう一度、党内
で児童ポルノ規制法の改正が必要なのかという点からさかのぼって検討する必要
があるのではないだろうか。
 
  また、衆議院TVなどで審議の様子を知ったネット・ユーザーたちが児童ポルノ
規制法の改正に強く反対しており、規制慎重派の民主党や社民党に対する支持が
急速に広まっているという事情(注2)も、私が民主党に安易な妥協を勧めない
要因の一つである。児童ポルノ規制法改正の危険性を訴える動きはかなり以前か
ら存在していたが、筆者自身も含めて、児童ポルノの定義が厳密におこなわれ、
一部の作品のみが規制されるだけであろうと事態を楽観視していた者がほとんど
であった。しかし、いざ、実際に審議が始まると、自公案は児童保護をなおざり
にし、表現の規制ありきで、政府の判断によって、どんなものでも規制の対象と
なり、最悪の場合、単純所持罪で逮捕されたり、他人から罪に陥れられたりする
危険性があることがわかり、インターネットを通じて急速に反対運動が広がった。

(注3)
この動きはそれまで自民党を盲信していた、いわゆるネット右翼にまで広がっ
ている。このような中で民主党が安易に自公側との妥協に動けば、多くのネット・
ユーザーたちは、民主党に対して「裏切られた」という感情を強く残すであろう。

(注4)
これまで「オルタ」において筆者が述べてきたように、インターネットが世論に
与える影響力は大きなものがある。(注5)仮に政権交代が成ったとしても、
国民の支持を集め、維持しなければならない政権交代直後という大事な時期に、
民主党がネット・ユーザーを敵に回すのは得策ではない。ネット・ユーザーが一
般の有権者から見て理不尽なことを言っているならば、民主党が彼らの訴えに耳
を傾ける必要はないが、今回は自公側の主張が明らかに荒唐無稽で、ネット・
ユーザーの言い分の方に理があるのである。

 民主党は早期の児童ポルノ法改正を諦め、総選挙において協力関係を結ぶ予定
の社民党・国民新党とも総選挙後に十分協議した後、児童ポルノ改正案の取り扱
いについて改めて決定するべきではないか。この改正案は特に緊急を要するもの
ではなく、焦って早期成立を目指す必要性は少しも存在しないのである。

参考
自公案
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g16901032.htm

民主案
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g17101012.htm

2009年6月26日の衆議院法務委員会の議事録は、
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000417120090626012.htm
で見ることが出来る。

注1:http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/387dacc42be8cfcc29d4c0eec7f4d8de
(2009年7月2日)

注2:規制慎重派の枝野議員や保坂議員を応援したり、安易な妥協をしないよ
うに民主党本部などに請願のメールや手紙を送ろうという動きがおこっている。
保坂議員は自身のブログで、児童ポルノ法の審議の後、応援のメールや後援会へ
の入会が実際に多くあったと述べている。(注1であげたサイトを参照)また、
規制慎重派の匿名の市民が各党の担当者に児童ポルノ規制法改正案について問い
合わせる電話をおこなった際のやりとりを公開しているが、社民党の担当者が最
も知識が豊富で対応も親切であったことも社民党の支持を高める結果となってい
る。http://www.nicovideo.jp/watch/sm7509546参照。
  匿名の市民と社民党担当者との主なやり取りを文字におこしたものはここで見
ることが出来る。→http://www28.atwiki.jp/erogekisei/pages/35.html
(2009年7月3日)

 注3:一般社団法人インターネットユーザー協会は2009年7月10日に審議中の児
童ポルノ規制法改正案への懸念を発表している。「児童買春・児童ポルノ規制法
改正についての緊急声明」(2009年7月10日)http://miau.jp/1247203823.phtml

 注4:一部マスコミが、「自公民3党が単純所持で合意した」などという記事を
掲載したり、放送したりしているが、保坂展人議員は民主党担当者から聞いた話
として、そのような事実はないと自身のブログで述べている。このようないわゆ
る「飛ばし記事」が出現する背景として保坂議員は与党議員のリークの可能性を
あげている。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/8fe6ba919f8078904b3931b63d6b9b54
(2009年7月10日)

<注5>
拙稿「政治としてのインターネット-掲示板とブログから見えるもの-」 (2006年4月20日)
拙稿「メディア対策から見た2007参議院選挙」 (2007年8月20日)

 (小山高専・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)

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