花から中国と日本の文化を見る

■花から中国と日本の文化を見る     王 鉄橋

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◇花から中国と日本の文化を見る。


 和歌(《古今和歌集》905年)の中の五本の指に入っている花は、花(特定の対
象のない花)、桜、梅の花、女郎花、菊の花の五種類である。唐詩の中ではあれ
ほど多かった桃の花も、和歌の中にはどこにもない。特に説明したいのは和歌の
中の特定対象のない花は、ほとんど桜の花を指している。例証は次の如くになる。

   駒なめて いざ見にゆかむ ふるさとは 雪とのみこそ 花は散るらめ
                    詠人知らず(春歌下:百十一)

   山高み つねに嵐の吹く里は 匂ひもあへず 花ぞ散りける
                     紀利貞(物名:四百十六)

 桜は日本では群芳に追いかけられない、「鶏群の一鶴」のような地位を占めて
いるからこそ、日本の昔の人達はこのような断言をした。「櫻之千我国也、不日
櫻花面日花、如洛之牡丹、蜀之海堂、蓋所以貴之也。」《般若盛百首》

そのほか、もう一つ注意すべきところがある。「桜の花の歌」の中で「桜は散
る」というような和歌は半分以上も占めていて圧倒的な優勢になるが、桜の盛り
を賛美する和歌は13%しかない。これを通して日本人の考え方の特徴及び美学
意識を伺うことが出来る。

   残りなく 散るぞめでたき 桜花ありて世の中はての憂ければ
                    詠人知らず(春歌下:七十一)

 この和歌は明らかに「残りなく 散るぞめでたき」の桜の花を世の中の最高の美
徳のシンボルとしている。桃の花と同じく日本文化の中で特別な意味を持ってい
る桜にも、十分な単語群がある。

 桜雨、桜いか、桜煎り、桜狩、桜会、桜魚、桜川、桜衣、桜酒、桜前線、桜吹
雪、桜鯛、桜月、桜干、桜蒸し、桜餅、桜山、桜湯、桜肉、桜麻、桜鱒・・・・・

 一つの単語群としての充実は、桃の花と遜色はない。「花」で現した中日文化
の差は、桃の花と桜の花だけではない。中国で上品の花として扱われている梨の
花も、同じようなことが言える。

 唐詩の中で、梨の花は相当重要な素材なので、大勢の詩人に使われている。例
えば、
        「忽如一夜春風来、千樹万樹梨花弁」(?参)
        「砌下梨花一堆雪、明年賄淮凭?千?」(杜牧)
などがある。

 白居易氏が絶世の美女の楊貴妃の容姿を形容していた「玉容寂寞泪闌干、梨花
一枝春帯雨。」は中日両国の人々に知られている名句絶唱である。早くも平安時
代日本の女流作家の清少納言が《枕草子》の中で、これにたいして透徹した評価
をしている。

 その意味は「日本では梨の花を卑しくて不吉なものとされているので、たとえ
簡単に得られても絶対に詩歌には使わない。しかし、中国ではそれをすごく上品
なもののシンボルとしている。だからこそ「梨花一枝春帯雨」で楊貴妃が皇帝様
のお使いに会ってからの喜びを抑え切れなく、悲しそうに見える時の美しさを形
容している。」

 しかし、わたしはそうではないと思う。日本人が梨の花を好まない理由の一つ
は、多分発音と関係があると思う。「梨」は日本語の「なし」と同音でローマ字
で表すと「NASHI」である。

 このほかに、中日両国は花を雪に比喩して、雪を花に比喩する習慣があるが、
よく見ると、中国と日本での違いも明らかにある。

 花を雪に比喩する時、唐詩では梅の花、楊花、柳花、菊の花、杏の花、蕎麦の
花などをよく使うが、和歌の中では、白梅、桜などえをよく使う。

 雪を花に比喩する時、唐詩では梨の花、柳花等を主として使っているが、和歌
では特定しない「花」を圧倒的に多く使っている。

 最後に、蛇足を加えるかも知れないが、強調したいのは日本の「花」の王座は、
最初から桜でなければならないとは限らない思う。《大和本草》の中で指し示し
ているように、「日本は昔梅を花と言う。中世以来桜を花と言うようになった。
日本で花を観賞するにはこれが第一だ。」江戸時代国語学者本居宣長も、その著
作《玉勝間》で指摘しているが『古今和歌集』までは、桜を花と称した例はなか
ったと言うことである。

 《万葉集》時代には、日本人は中国文化の影響を受けて、梅花を「百花の頭」、
「花兄貴」、「花一番」等と呼んでいたので、庭さえあれば梅の木を植えなけれ
ばならなかった。1254年に世に問うた《古今著聞集》の中にも、当時の有名
人たちが花の頭は一体梅の花か、桜の花かについて熱烈な争いがあったことが記
載されている。梅の地位が、どうして桜に取ってかわられたのかという問題につ
いて、次のように言われている。

 桜も梅も種類が多いが、梅の場合はだんだんその実を採ることを主な目的とす
る人が多くなってきた一方、花を目的にする人が少なくなってきた。しかし、桜
を植える人はその花を観賞することを主な目的としていた。というわけで、昔の
人は梅を花を花としていたが、近代の人は桜を花としている。《古今和歌集》を
みてもわかるが、学者たちもそれぞれの見解を持っていた。しかし、植物の本の
《草木六部耕植法》の中では、

   花の香を 風のたよりにたくへてぞ 鶯さそふしるべにはやる
                         紀友則(春上:十三)

 これは明らかに桜ではなく、梅を賛美している。花の事は時期によって移り変
わるから、花の頭も月日の経過によって変わる。日本の花王は梅から桜に変化し
た事実から、中日文化の発育から成熟の過程の中に残されていた跡が垣間見える。
いつまでもこんもりとした文化の木、いつまでも散らない文化の花を受け継いで
いるように思われる。

 これらの宝のような歴史的な年輪は、現在中日文化を研究しているわたしども
には、多くの啓発とインスピレーションを与えてくれる。


◇花から中国文化を見る


 特定の対象とされている花の中で、「桃の花」は一番目の地位になっています。
唐詩を多少勉強している中国の人なら多分、催護の《七絶・題都城南庄》はしっ
ているはずです。

        去年今日此門中、人面桃花相映紅。

        人面不知何処去、桃花依旧笑春風。

 照りつけている桃の花の下でしとやかな少女の姿、その内容が見える、淡々た
る中に濃厚にある心情、依然とした情景に佳人がいなくなった寂しさ、筆で描く
ことは出来ない意境は、この詩を千古絶唱の宝座まで押し上がってきました。そ
れに対して唐の時代の名人、政治改革派の劉寓錫さんが、「桃の花」を借りて都
の政治家たちを批判する次の七絶を書きました。

        紫陌紅塵払面來、無人不道看花回。
        玄都観里桃千樹、尽是劉郎去後栽。                                               

                   『玄都観桃花』    劉寓錫

 それは元和十年に郎州から都に帰る時、花を見る諸君子に贈る言葉です。

 しかし、この詩で皇帝様まで驚かしたため、また左遷させられました。十四年
後、劉寓錫さんがもう一度勢いを盛り返してやり直す時、硬骨漢の新七絶を書き
ました。

        百畝庭中半是苔、桃花浄尽菜花開。
        種桃道士帰何処、前度劉郎今亦來。

                 『再遊玄都観』    劉寓錫

 唐詩の中でのこのような「桃の花」の詠み方は、和歌の中にはどこも見当た
らないだろうと思います。「桃の花」は中国文化の中ではその独特の地位を占
めているため、中国語の中にも多くの単語群があります。桃印、桃桔、桃弓、
桃板、桃符、桃唇、桃花顔、桃花酒、桃花粥、桃月、桃花運等があります。

 このような言葉は一つの側面から桃の花と中国文化との関係を表しています。


◇中国の「風花雪月」と日本


 中国東方文化には東方の独特の美しさがあります。中国と日本両国の「風花雪
月」という自然の風物を描くとき、東方式に共通した美学的な鑑賞方法がありま
す。それこそ白居易氏の「琴詩酒伴皆室拠我、雪月花時最億君」という詩句は、
東隣国の日本でも心からの共鳴を得ることができました。

 雪月花という唐詩の中の言葉は、平安時代(西暦 794~1192)日本の文化人に
受入れられ、室町時代(1333~1573)、江戸時代(1603~1867)には、もう完全
に日本文化の中に浸透していました。中国と日本文化のこのような親縁関係は、
両国文化の間に多くの共通した源があることを表していると同時に、中国と日本
共通の大切な文化遺産になることと思います。

 しかし、中国南方の蜜柑を黄河の北側に植えても蜜柑にならないとの如く、中
国の古い詩人に賛美されていた「雪月花」は日本の解釈になると、実は違うとこ
ろがたくさんあると思います。その違いのところさえ分かれば、中国と日本の文
化を研究されている皆さんには有益なことだと言えるでしょう。

 唐詩でもいいし、和歌(日本の詩歌)でもいいのだが「雪」、「月」、「花」
をテーマにしている作品のなかに、「花」という言葉は圧倒的な多数になってい
ます。それらを比較するために、著作者は上海辞書出版社で出版されていた《唐
詩鑑賞辞典》および、日本の小学館で出版されていた《古今和歌集》を参考に「花
詩」、「花歌」を一通り調べてみました。

 その結果によれば、唐詩の中で五本の指に入っている花は、花(特定対象の
ない花)、桃の花、落花、梅の花(楊花、杏花と梅花は並んで四番目)、菊の
花です。日本の国花とされている桜は、唐詩の中で一番少なく詠われている


●王鉄橋教授、略歴

1953年中国鄭州市に生まれ,1990年東京国際大学大学院修了(国際学修士)
鄭州大学講師、東京大学外国人研究員、文教大学講師、研究員
東京国際大学客員研究員を経て
現在洛陽外国語学院大学教授・博士指導教授

 ○中国大学日語教学研究会副会長
 ○河南省高等院校日語教学研究会会長
 ○同会中日文化交流センター理事長。

●主要著作
『日語詞義辨析』(合著)上海外語教育出版社、1991年
『中日文化差異趣談』(主編)香港国際交流出版社、1998年
『儒教文化とその変容』軍事誼文出版社、2002年など

●論文
『現代中国語の敬語表現-日本語との比較』、1989年
『中日両国の敬語表現と儒教文化』、1990年
『中日儒教文化の構造と変容』1991年など30点
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