若手研究者支援制度の確立を

≪連載≫中国単信(13)

若手研究者支援制度の確立を

趙 慶春


 理化学研究所・発生再生科学総合研究センター・副センター長、笹井芳樹先生がみずから命を絶たれたというニュースは大きな衝撃だった。STAP細胞を巡る一連の騒動の渦中にあった笹井氏にとって、その心労は想像を絶するものだったにちがいない。孤立無援の報われない死はあまりにも悲しい。

 マスコミは事件直後から興味本位に笹井氏の自殺要因をあれこれ詮索、追求していたようだが、まるで死者を冒涜しているようで、大変不愉快だった。
 それにしても、なぜこのような事態に立ち至ってしまったのだろうか。少し角度を変えて考えてみたい。文系の論文と理系の論文ではかなり異なる点があるかもしれないが、みずからの研鑽を文章にして公表するという意味では、何ら変わりはないと考える。

 そもそも不正論文の出現は今に始まったことではないし、誤解を恐れずに言えば、剽窃論文などはさほど珍しくなく、あらゆる国で起きている。それには著しいコンピューターの普及も関わっていると思われる。単なるワープロ機能だけでないこの優れものは、ネット情報を通して、いとも簡単に他人の文章や論文の一部をコピーして自分の文に貼り付けることができるからである。この行為は他の研究者の文章や図表を引用して持論を補強したりするのとは大きく異なる。なぜなら引用ではないので、引用文献名や筆者名が明記されないからである。

 いとも簡単に他人の文章を切り取って自分の論文にコピーできてしまう「お手軽さ」が、やがてそうした行為が不正であることをも忘れさせてしまいがちになる。こうした文章執筆環境を考えると、おそらく不正論文は今後も根絶されることはないだろう。
 さらに言えば、研究者ゆえに優れた倫理観を持っているというわけではないし、職業柄、自分の研究成果が他人の研究よりいち早く世に認められたいと希求する気持ちは、むしろ研究者だからこそかなり強いのではないだろうか。

 またある精神科医の「最近、論文が書けないという悩みを訴えてくる大学や研究所の方が増えている」という言葉は、少なからぬ研究者たちが論文を書かなければならないという強迫観念にとりつかれている現状があることを教えている。
 現在、日本の大学では教員を採用する場合、学歴、教歴、職歴、業績などから審査されるが、たいていは著書や論文が重視される。また昇格人事でもやはり「業績」と称して著書や論文が重視される。おのずと大学教員は論文の本数を増やそうと躍起になる。しかし、さまざまな理由で論文が書けずに、焦燥感に襲われ、追い詰められていく研究者の数は決して少数ではない。ここにこそ不正論文が根絶されないと述べた大きな理由がある。

 一方、iPS細胞でノーベル賞を獲得した山中伸弥氏の「私は手が不器用で手術に向いていないので、研究に転向した」という言葉は、業績を作らなければならないという強迫観念を和らげる可能性のある一つの道筋を示しているようにも思う。山中氏は患者と日々接し手術もこなせる「先生」と、研究室で研究に打ち込む「先生」の存在を言っているわけで、大学も教員評価にこの発想を大胆に取り入れたらどうだろうか。

 近年、文科省は大学が教員の教学面の能力を重視するよう求め、大学もそれを実施しようとしている。にもかかわらず教師力はあまり評価面で重視されていないのが現状で、相変わらず研究者としての著書や論文に評価の重きが置かれている。
 教師力は超一流、論文執筆力は劣るという教師の存在は否定できない。それならば今こそ大学は「教育部門評価教員」と「研究部門評価教員」と二分割して、それぞれで評価基準を設定する試みを始めてもいいのではないだろうか。

 不正論文が減らないもう一つの理由がある。
 今述べた事柄とも関連するのだが、まだ定職に就くことができない若手研究者や院生が多数、存在していることである。彼らが不正論文に手を染めてしまったとしても、無論、許されない行為なのだが、心理的には理解できないわけではない。

 推測するに、かりに不正論文を書いてしまったとすれば、それはひとえに業績を増やして、できれば専任教員や研究員への道が開かれ、生活の窮状から脱出したいという一念に抗しきれなかったからだと思われる。
 たとえ博士号を持っていても、非常勤であるかぎり月収は微々たるもので、専任教員とはプロ野球の二軍選手とスーパースター選手ほどの収入差がある。
 専任職を得られない限り、たとえ五〇歳代になっても安定した収入は望めず、臨時雇用労働者として働きながら、時間をこじ開けて業績作りに励まなければならない。精神的なゆとりなどあるはずもなく、常に焦燥感に襲われ続けることになる。これに家族が伴えば、精神的な苦痛はより増大するにちがいない。

 また18歳人口の減少で経営が苦しくなりつつある大学も増え、専任教員はもちろん非常勤教員さえも、採用を極力抑えるようになってきている。それだけに非常勤教員にもなれず、自分の研究とは関係ないアルバイトをしながら研究業績作りをして、一刻も早く専任教員採用に結びつけたいと必死になっている研究者はむしろ増加傾向にある。

 こうした尋常でない心理状態に追い込まれ、それが常態化してくれば、つい業績を増やそうとして、不正な論文執筆に手を染めてしまうことにもなるのである。

 このような定職に就けずに経済的に苦しんでいる研究者を支援するため、中国では院生になると、生活保護費よりやや多めの補助費が国から支給されている。日本では奨学金があるが、これはすべて貸与であるため、いずれは返さなければならない。最近では返還できない貸与者が増加して、訴訟にまで発展しているケースもある。
 国は本気になって優れた研究者を育成するつもりがあるならば、不正論文の批判、追求以前に定職に就いていない研究者に対する特別の生活保障制度を設けてはどうだろうか。

 STAP細胞を巡って小保方氏に成果を早く出したいという焦りはなかったのだろうか。また彼女の周辺が早い成果を期待し過ぎてはいなかっただろうか。
 もう少しじっくり思考し、足を地につけたどっしりとした研究姿勢は小保方氏に限らず、多くの領域で求められるし、またそのような環境を整えるべきだと考える。そうでないと不正研究や不幸な事件が再び起きないという保証はないだろう。

 今の日本はあらゆる職場で過剰なほどの「成果主義」が横行しているように思える。特に研究と名のつく領域には、それなりの時間が必要だし、いたずらに成果を求めるのはかえって逆効果である。その意味では大学や研究機関での研究者評価制度の改革や、定職に就けない研究者が研究に打ち込めるような支援制度などにもっと目が向けられてもいいように思うのだが・・・。

 (筆者は大妻女子大学・教員)


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