落穂拾記落穂拾記(31)

茨城県の「農民映画」からTPPを見ると

羽原 清雅

 先日、かつての勤務地である茨城県に出かけた。水戸駅周辺の大きな変貌振りには驚かされた。ただ、バスで郊外に出ると、広がった農地の様子などにあまり変化はなく、懐かしさが戻ってくるようだった。

 在勤中の1986(昭和61)年秋、「水戸映画祭」が初めて開かれた。ここでは、「蒲田行進曲」などが上映され、これを作った水戸出身の深作欣二監督が挨拶したことがあった。瀬谷龍群さんという映画好きの率いる「映評会」なる集団が始めたもので、筆者も少しばかりお手伝いをした。
 この稿を書くに当って調べてみると、ことし2月に第28回水戸映画祭が開催されるというから、ずっと続いていたことになる。主催者が「NPO法人シネマパンチ」に変わってはいたが。街興しの一環としてのイベントだったが、長続きしていたのは、なつかしく、うれしい。

 この稿で書こうと思ったのは、農業県いばらきの映画に見たこの地の農村の変容についてである。
 水戸在勤中、長らく続けていた政治記者の日々から解放されて、久々の地方生活、季節感ある日々、異なる方言の人々とその生活リズムが面白くて、新聞の地方版つくりの仕事以上に終日が愉快であった。
 そんななかで当時、たまたま茨城周辺を舞台にした農村の映画を、何本か見ることができた。以前に見たものもあったが、都会の映画館ではなく、映画に密着した風土のなかで見ると、はるかに新鮮で、心に迫るものがあった。

 それは時系列でいうと———

㈰「土」(日活・1939年)内田吐夢監督/小杉勇、風見章子、山本嘉一
㈪「野菊の如き君なりき」(松竹・1955年)木下恵介監督/有田紀子、田中晋二、杉村春子、笠智衆、田村高広、小林トシ子
㈫「米」(東映・1957年)今井正監督/望月優子、中村雅子、江原真二郎、南原宏治、中原ひとみ、木村功、加藤嘉、原泉
㈬「さらば愛しき大地」(プロダクション群狼・1982年)柳町光男監督/秋吉久美子、根津甚八、山口美也子、佐々木すみ江 

 これらの映画を見て感じるのは、農業、農家の大きな変貌である。生きることだけがやっとの貧困状態、土地にしがみつくように生きなければならない土着の世界、狭い集落や家族単位の「社会」内の軋轢やしがらみ・・・・そのような事情がドキュメントタッチで、リアルに描かれている。製作年を追ってみていくと、農業の変化が浮き彫りになる。
 ちなみに、いずれの映画も優れた作品として高い評価を得ている。戦前の「土」は別として、「野菊〜」はキネマ旬報ベストテン3位、「米」は同ベストワン、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞、いずれも監督賞をとり、「さらば〜」は同2位、日本アカデミー賞優秀監督賞、ベルリン、カンヌ両国際映画祭出品などの実績を示した。

 映画「野菊〜」のできたのは1955年だが、時代は20世紀初めの明治の後半。歌人の伊藤左千夫(1864−1913)の小説「野菊の墓」(1906年発表)の映画化である。茨城県に接した、今の松戸市矢切の渡し付近を舞台に、15歳の「竜胆(りんどう)のような」少年と17歳の「野菊のような」少女の淡い恋を描く。
 その内容は、農村の出口のない重い枷をはめられたような封建社会を活写する。閉鎖的な田舎の、底意地の悪い人間関係。寄宿舎に入る旧家の二男である政夫と、手伝いに入っていた旧家から実家に帰される民子の別れ。結婚を許さない政夫の母。実家の親の決めた結婚を迫られ嫁ぐ民子。民子の流産と、実家に帰されて病死する民子。その手にあったのは政夫の手紙と竜胆の花・・・・かつての日本的な悲劇が、自然豊かな牧歌的な田園風景のなかで静かに展開する。叙情的な恋を描きながらも、底流には江戸時代以来の農村の姿があった。

 映画ではなく、テレビドラマ(1962年NTV/長門裕之、信欣三)だが、田山花袋(1872−1930)の小説「田舎教師」も同じころの作品で、日露戦争後の1909年に発表されている。埼玉県北東の行田市、羽生市が舞台で、茨城県の古河市を流れる利根川にも近い。文学、恋愛の道を閉ざされ、田舎の教師に押しとどめられ、受験にも失敗、田舎での教師として再出発を試みながらも病の床に就き、この世を去っていく青年の姿を描く中に、地方の日々が浮き彫りにされている。都会での向学の機会を得られず、田舎に留め置かれる若者の姿は、土地に縛られ、身動きのできない当時の農民と同じである。

 戦前の「土」については、じつは残念ながら見ていない。日本にはなく、ドイツに93分、ロシアに115分のフィルムが見付かったといわれるが、いま見ることができるものか、わからない。
 この映画のできた時代は、日中戦争の発端となる盧溝橋事件(1937年)が勃発、翌年には国家総動員法が公布され、翌々年9月には第二次世界大戦が始まって国民の生活は経済的にも、国家の規制の面でも次第に厳しくなっていった。「土」が公開された1939年4月には、初の文化規制法である映画法が公布され、シナリオの事前検閲が始まっているので、タッチの差での上映だった。好評で3週間の続映だったという。
 内田吐夢監督のもとには、不足がちのフィルムが持ち寄られ、撮影所ぐるみのひそやかな便宜が図られたという。
 内容は、父娘の稲を育てる重労働、養子となった舅との不仲、舅の借金返済のための自作地の売却、そして小作だけの貧農化、小作人としての収穫の半分もの地主による収奪、あげくに失火による自宅の全焼・・・・当時の社会構造は農業中心だったが、その貧農の苦しみ、家族のしがらみが浮き彫りにされ、これが共感を誘ったといわれる。このような暗い映画が公開を許されたのは、当時、食糧増産という国策があったからではなかったか。

 こうした戦時下の困窮は戦後も続く。そこに登場したのが「米」だった。
監督は旧制水戸高時代にマルクス主義に走った今井正。1957年の作品だが、戦後10年余を経て朝鮮戦争による特需景気と復興の機運、講和条約による独立、政界の保守合同など、戦後の混乱期を抜け出そうとする時代だったが、農村はまだまだ貧しかった。経済の主力は農業から工業に替わろうとする時期でもあった。
 舞台は今井監督に土地鑑があったからか、茨城県霞ヶ浦湖畔。財産も職もなく、将来も見えない次三男坊たち。娯楽といえば村の娘たちを冷やかしに出かける夜遊び。貧しい小作農の母娘は病弱の父を抱え、地主からは借地の返還を迫られ、重労働の米つくりの傍ら、唯一の現金収入であるうなぎ漁を続けるが、それもわかさぎ漁の帆曳き船に漁場を荒されて不漁に。そのため、望月優子演じる母親は禁止された刺し網漁をするが、見つかって網は没収、警察沙汰となり、ついに命を断つ。その帆曳き船は禁止区域に入って事故を起して若者が死傷。晩秋、豊作を祝う太鼓が流れ、棺を送る娘と若い恋人・・・・抜け出せない農村の貧しさをリアルにとことん追うカメラである。

 そして「さらば愛しき大地」。
 1982年の「米」から四半世紀を経た茨城の大地は様変わりである。場所は今の茨城県潮来市、かつての牛堀町で霞ヶ浦の水郷に近い農村地帯である。ここは水戸一高卒の柳町監督の郷里であり、強いこだわりがあっただろう。  
 一種のドキュメンタリー作品である。農業をやめて土地を手放した農民たちの姿がどのように変わっていったか、という深刻な社会状況を描いている。
 政府や茨城県が工業団地化政策を進めて、鹿島工業地帯が生まれるのだが、農民たちは土地を半分残して売り、そのカネで車を買い運送業などを始める。弟は成功するが、兄はふたりの子どもを溺死させたこともあり、身重の妻にあたりちらしたうえ、弟のかつての恋人と同棲、突然手にした現金で女や覚せい剤に溺れる。弟への嫉妬と劣等感にさいなまれる兄の喧嘩。幻覚からの殺人・・・・暗い、救いがたいストーリーだが、それは農村、そして農業の崩壊を意味している。
 かつて労使の激突した三池紛争の背景には、石炭から石油への転換のもたらした構造的な一面があったように、茨城などの田園地帯にも農業から工業への社会構造の変化があった。そこに生じる激動が、長く続いた農民の生活を一変させ、狂わせていく。

 映画はそのような姿を、ドラマタッチで描き、観客の心を揺さぶる。ストーリーの裏にある社会と人間だけではなく、構造的な矛盾を指摘する。

 いま、農業の世界はどうか。
 戦後の占領米軍の政策によって、地主への高率の貢納を義務づけた小作制度は崩壊したが、農地の零細化を招いた。そのことは、機械化による大規模農法を受け入れにくくした。狭い国土のなかの農地を効率的に使いにくい、という課題が今も悩ませている。
 戦後の農業政策は「猫の目」行政といわれたように、大方針がなく、短期間にくるくる変わり、農家を戸惑わせてきた。現金収入を求めて兼業農家が次第に増え続け、専業ではやっていけなくなると、農業政策はいっそう心細いものになっていく。

 そこに、いまだ正体のつかめないTPP(環太平洋経済協定)の結論が迫りつつある。中身はまだはっきりしないが、農業については分野によるが影響は少なくないようだ。明治以来の戦前農業の仕組みは戦後大きく変わり、このTPPはもうひとつの大きな転機になるかもしれない。
 この時期に、農業団体、つまりJT農協組織はどんな取り組みを見せるのだろうか。この図体の大きな全国組織は、過去の動向を見る限り、必ずしも先導的な役割を果たしてきたように思えない。農業の長期的な将来像を示し、その方向に地域の単位農協をリードしてきたようには思えない。農政がしっかりした姿勢を示さないままに続けてきたのも、現場を握るJTの弱さではなかったか。金融や販売面に力を入れたが、全体的な企画や構想の面で劣ってはいなかったか。中核のもろさが地域農協に及ばず、その日暮らし的な機能にとどめてきたのではないか。そんなイメージがある。
 「連合」が大手企業の労組組織に固まり、労働者総体の中核としての役割を果たしていない現実と同様な、根幹の誤りがあるように思われる。

 TPPを迎える日本農業が気がかりでならない。外交的な読みのまずさなども出てくることもあろうが、農業現場をリードしうる母体がいくつものシミュレーションを用意して、長期的に生き残る道を示せるのか。
 食糧を海外、とくに中国に依存する日本は、この狭い島国のなかで生産農地をもっと確保しておく必要がある。

 TPPによる農家への大きな影響を思うとき、映画に見た苦境を考えざるをえない。映画は創造的なものだが、現実を踏まえた、象徴的な一面を描写する。映像がものの見方を刺戟し、心のありようを広げる。
 そんなことを考えながら、もういちど、農業の現場から、この政策の変貌期を見守りたい。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧