華人社会を支える三教複合宗教

【宗教・民族から見た同時代世界】        

華人社会を支える三教複合宗教

                        荒木 重雄

 近年、合理主義的無宗教やキリスト教の広がりが著しいといわれる香港、台湾、東南アジアの華人社会であるが、中国の伝統に連なる宗教文化は、現地の固有文化と融合しながら、依然、濃厚に息づいている。異邦人にはなかなか内部まで入り込めないその実態を、シンガポールを例に、アラン・エリオットの著作(『シンガポールのシャーマニズム』春秋社刊)の手引きも借りて瞥見してみよう。

 中国大陸を離れた華人の宗教は一般に、儒・道・仏が習合した「三教複合宗教」とよばれている。すなわち、儒教の「廟」でも道教の「観」でも仏教の「寺」でも、重きの置かれ方にいささかの差はあれ、いずれの寺廟にも、儒教の孔子像と道教の関帝や媽祖の像と仏教の観音や地蔵の像がともに祀られ、ともに「現世利益」が願われているのである。

 ということはよく知られるところだが、もう少し、それぞれの事情に立ち入ってみよう。

 儒教は、大陸を離れた華人社会では道・仏に比べて影が薄く、廟も少ない。というのは、祖先崇拝を軸とする儒教は、故郷の親族組織から外れてきた移住者には疎遠のものとなり、また「礼」を宗旨とするような上流階級が移住者には少なかったからである。しかし、人間関係を主とする日常的道徳体系としては大衆に深く浸透している。
道教も老荘の深遠な哲学からは隔たっているが、宇宙の諸力のバランスによって人生の禍福にかかわる技術を具えるとされるところから、住民には最も大きな影響力をもつ。道観では多くは兼業の道士が折々の儀礼に参加して賃金を得ている。
仏教では、業や輪廻の教義に中国的な観念やイメージが色濃く加わった地獄・極楽が強調される。寺院内で僧侶たちは僧堂組織を形成し、裕福な商人などのパトロンから後援を受けるほか、多分に道教的要素を含む儀礼を行って布施を得ている。

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◇◇ 暦と祭りと占い
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シンガポールで人々に宗教を尋ねると、儒教はほとんど皆無で道教も少なく、多くの人たちが仏教徒と答える。しかしその内容は、エリオットなどにいわせると、「わたしは拝神(パイシェン)している」すなわち、ときに寺廟を訪れて、対象がなんであれ、運命を司るなにかへ崇敬のしるしとして胸の高さで合掌した両手を上下させ、燈火に油を加え、線香を焚き、呪符や紙人形を燃やす習慣をもつ者というほどの意味だという。
こうした華人の宗教意識を支えているのが、一つには暦と祭り、もう一つは占いである。

社会生活の表面は西洋暦(陽暦)で営まれているが、時間の流れを宇宙の力に関連づけて華人の精神生活と慣習を規定するのは中国暦(陰暦)である。ほとんどすべての華人が祭る春節、清明祭、竜舟祭、中元祭(鬼節)、中秋節などをはじめ、毎日のようにこまごまある各家庭や地域、寺廟単位の祭りも中国暦に則って行われる。暦にはまたさまざまな易断法や吉凶の読み取り方が満載され、その道の教養ある華人には神秘的な知識の宝庫である。

寺廟で行われる最も一般的な占卜は竹籤と聖杯(シェンポエ)である。竹籤占いは、祭壇の前に並べて置かれた願い事別の籤筒の一つを取って、神(仏)像に跪き、胸の前で前方に傾けて上下に揺する。すると百本ほど入った竹籤から数本が突き出るが、振り続けるうちに一本に定まる。寺廟の管理人が手渡してくれるその竹籤の番号に相応する紙に、吉凶や指針が謎めいた言葉で記されているのである。

聖杯は、片面が平らで片面が丸い、長さ数センチほどの木片で、二枚で一組になっている。祈願者は神に伺いを立ててこれを地面に落とし、片方が丸い面、片方が平らな面で上に向いていれば、神の答えは肯定的、両方が同じ面を向けて落ちれば否定的、と占うのである。

竹籤と聖杯を組み合わせた複雑な占卜もあるが、さらに詳しく神の意志を聞くには、神の言葉を語る霊媒が求められる。そこで華人社会では「童乩(タンキー)」とよばれるシャーマンが重要な役割を占めるが、これは次号のトピックとしたい。

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◇◇ 寺廟経営の成否は役員の集金力
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 シンガポールの寺廟は、一族の祖廟にはじまるものや、同姓集団や方言集団(同出身地集団)が運営するものもあるが、多くは近隣地域の地縁共同体(協会)によって建立され、地域住民の手で維持されている。具体的には、地域の名士や資産家、十数人が役員に選ばれて運営に当たるので、寺廟経営の成否は、その役員のなかに、いかに地域社会に人望があって寄付を集める力がある人物がいるかや、不足が生じたときいかに気前よく自腹を切れる人物がいるかにかかっている。
 僧侶や道士、童乩がいるのは特別な時に限られる寺廟が多く、普段の管理は住込みの管理人に任されていて、寺廟の規模によっては何人かの常雇いもしくは兼業の助手が置かれている。

 役員会の活動のハイライトは毎年の祭りである。祭りには寺廟が丸ごと色とりどりの旗や幟で飾られ、神像や童乩の輿を仕立てた行列が繰り出され、旅回りの劇団がよばれて『三国志』や『西遊記』の英雄たちが活躍する芝居がかけられる。祭りに備えてどれほど寄付を集め、どれほど祭りを盛り上げて多くの人を集めて多くの布施を得られるかが、赤字の補填を含めて役員会の腕の見せどころだが、それはまた野心ある役員が地域で顔を売り、地位を高める機会ともなっている。

 そしてもう一つ寺廟経営の成否がかかるのは、いかにして多くの信者を惹きつける霊力をもった職能者すなわち童乩を確保できるかである。
 この童乩にまつわる実態を次回に述べる。
       (筆者は元桜美林大学教授)


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