衰える日本の政党・政治状況

衰える日本の政党・政治状況          羽原 清雅

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 二〇一一年は、第二次世界大戦の終結から六六年。自民・社会両党による五五
年体制が生まれて五六年。自民長期政権に代わった非自民の細川護煕・羽田孜・
村山富市政権の崩壊から一五年。そして民主党政権が生まれてほぼ一年半、とい
うことになります。
  昨今の政治状況は衰退気味で、国民の失望感を高めています。これをさかのぼ
って総括し、そのうえで今後の問題を考えてみましょう。
  政治記者として現場を見てきた立場なので、イデオロギーや利害を離れ、各政
党に距離を置きつつ、極力客観的な視点から考えていきたいと思います。


■■【戦後六六年を総括すると】


  まず、戦後の混乱期の状況から触れていきます。


■■<<戦後の改革>>■■


  一九四五年八月、戦争が終わり、やっと天皇制下の軍部・官僚支配から抜け出
して、先進国並みの民主主義が国民にあてがわれます。日本の新しい出発として、
新憲法が生まれます。その具体的に進められた制度改革の主なものは次の五点
といえるでしょう。
 
  一.女性の解放 女性も参政権を得て、女性下位の扱いから、やっと男女同権
    になります。
  二.労組の結成 弾圧を受けてきた労働組合の結成がうながされ、労働基準法、
    労働組合法などの三法が生まれます。
  三.教育の改革 天皇の赤子(せきし)として忠誠を尽くすという教育から、
    個人の尊重、自由と民主の視点に立つ教育制度(教育基本法、学校教育法
    など三法)に変わります。
  四.思想の解放 政治犯の釈放、戦前の治安維持法や思想統制の特高(秘密警
    察)などの廃止、戦争を遂行するなどした公職者の追放といった身柄や精
    神の拘束システムがなくなりました。
  五.経済民主化 戦争推進産業であった財閥の解体、自作農育成の農地解放、
    経済の自由競争による活性化などの方向が示されました。


■■<<保革の激突>>■■


  理想としては、この五大改革が民主化の基礎になりましたが、戦争で失われた
産業基盤や人的生活的環境はひどいもので、衣食住はボロと飢餓、掘っ立て小
屋、さらに失職、赤貧の日常でした。人心は乱れ、各種の犯罪も多発していまし
た。  
  当然、日本の将来の方向も定まらず、混迷のなかを模索するばかりで、しかも
戦後の貧窮のもとで、資本家経営者たちと労働者農民たちの対立がなにかにつけ
て激化しました。
  そんななかで、保守側では、戦前の名残をとどめつつ日本自由、日本協同、日
本進歩などの政党が生まれ、また革新側では戦前の官憲による弾圧で解体状態だ
った日本社会党が新結成され、また日本共産党も活動を始めました。


■■<<冷戦組み込まれ>>■■


  戦争が終わるとすぐに、アメリカとソ連を軸とする二つの陣営による対立、い
わゆる資本主義・自由主義圏と社会主義・共産主義圏との東西冷戦が始まります。
これは、一九八九年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧諸国の崩壊によって、
一応終息するまで続きました。
 
  その対立のなかで、日本は当初の戦争を放棄して平和主義の国づくりに向かお
うという方向を変えて、西側の基軸であるアメリカのカサの中に組み込まれてい
きます。冷戦が熱戦に発展したのが一九五〇年の朝鮮戦争で、この戦争は日本に
特需をもたらし、戦後の復興に大きく寄与しました。

 さらに、翌五一年には、西側に大きく接近していった日本は独立できることに
なりました。サンフランシスコ講和条約です。この条約と同時に、アメリカ軍の
日本受け入れを認める日米安全保障条約も締結することになります。そして、こ
の条約の存在が今日の沖縄基地問題の論拠になり、紛糾のタネになっているわけ
です。また、戦争遂行の東条内閣の閣僚であった岸信介(安倍晋三元首相の祖父)
をはじめ、戦争責任を問われたA級戦犯容疑者らが数多く公職などに復帰、戦争
の責任や反省がうやむやにされる、といった禍根を残すことにもなりました。


■■<<五五年体制>>■■


  一九五五年、講和・安保問題で左右に分裂していた社会党が統一すると、これ
を追って保守合同による自由民主党が生まれます。いまの社会民主党と自民党で
す。この二大政党の対立時代は三八年間もの長きにわたりました。その間政権の
交代はありませんでしたが、この両党で政治が仕切られた時期を「五五年体制」
と言っています。
 
  この体制下で、自民党はスポンサーでもある財界の論理に走り、また官僚に政
策を全面的に依存するなどするうち、次第に汚職などの腐敗が進むようになり、
ロッキード、リクルートなど、多数の事件が表面化しました。一方の社会党は、
万年野党の経験不足や気楽さもあって、地に着いた政権構想や具体的な政策がで
きず、さらに資金、組織、人材といった本来政党として育てるべき基盤を労働組
合に依存、しかも党体質や政権構想などの論議を一元化できないままに、非日常
的なイデオロギーや派閥の対立を繰り返すなど、国民の支持を伸ばせませんでし
た。

 その間隙を縫って、民社党(一九六〇年)、公明党(一九六四年)、新自由ク
ラブ(一九七六年)、社会民主連合(一九七八年)などの中小の政党が台頭して
きました。この新党結成は、価値観が多様化するなかで、二大政党制では民意を
代表できない、ということでもありました。
  自社両党中心の時代(一九五五|八〇年)を五五年体制前期とすると、社会党
が弱まり、多党化していく過程については五五年体制後期といえるでしょう。


■■<<非自民政権>>■■


  一九八九年、米ソの東西冷戦が終わります。いつもこの対立を意識して動いて
いた内外の様相が変わっていきます。両大国の衝突の懸念はなくなりましたが、
宗教や民族的怨念などによる局地的な戦争、抗争が増えるなどしました。国内で
は、新たな対応策に十分な見通しが立てられないままに、外交は対米路線を踏襲、
国内ではリクルート事件の波紋が広がって首相や首相経験者などの政界、さら
に経済界、官界、報道界にまで波及、要人多数が関係していることが判明し、こ
のような腐敗政治に怒る国民の前に、宮澤喜一政権は身内の自民党内の反乱もあ
って倒閣されました。
 
  そこで登場したのが、非自民の社会党、公明党、細川の率いる日本新党、自民
離党の小沢一郎らの結成した新生党など八党派が推した細川内閣でした。三八年
ぶりに自民長期政治から離脱して、新しい政治をもたらすとの期待が膨らんでい
ました。ところが、最初に自民党との間で手掛けたのが衆院の小選挙区制導入な
どでした。

しかも政治資金の疑惑も出て九ヵ月弱(二六三日)で細川は退陣、つ
いで羽田首相も二ヵ月(六四日)で辞任。このあと登場した社会党の村山首相は、
自民党との連立によるものでした。村山は、今では修正されましたが、安保条約
の堅持を言うなど、政権維持のために社会党の年来の方針を変えざるを得ません
でした。この短期二代の非自民政権は三二七日、自民支持による村山社会党政権
は二年半足らずの五六一日で終わりました。


■■<<短命自民政権>> 


 一九九六年、自民党の橋本龍太郎が、社会党出身の村山から首相の座を取り戻
しますが、選挙に敗退して在任は一年半。ついで小渕恵三首相は急逝して二年弱。
密室談合で誕生したといわれた森喜朗首相は一年。ただ、このあとの小泉純一
郎首相の在任は独特の手法によって、五年半近く(一九八〇日)に及びました。そ
の功罪はあとで触れますが、久しぶりの長期政権でした。
 
  しかし、そのあとを継いで二〇〇六年九月に就任した安倍晋三(病気退陣、三
六六日)から三代にわたって、福田康夫(突然の辞任、三六五日)、麻生太郎(
選挙敗退、三五八日)のいずれも一年間ずつで交代しています。そのあとの二〇
〇九年九月に、民主党が政権を握り、鳩山由紀夫が首相になりますが、これも二
六六日で退任、現在の菅直人に代わりました。橋本以来の一四年間に九人の首相
が、小泉以来では五年余で五人の首相が出ては消えていきました。
  それでは、ここから小泉政治以来の政治状況を解析していきましょう。


■■【自民党凋落の背景】


 相次ぐ自民党政権の交代の背景はなんだったのでしょうか。また、一時的にピ
ークを築いた小泉政権の功罪はどう考えたらいいのでしょうか。 

 小泉時代を懐かしむ声がいまも残っています。それまでの橋本、小渕、森三代
の復活自民政権が、明らかな衰退傾向を示していたところに、「聖域なき構造改
革」「改革なくして成長なし」という意外な人材が登場しました。小泉のキャラ
クターと手法は、古い自民党の密室的政治をオープンな政治に切り換えたように
演出したり、上から目線の政治を対等目線に変えて見せたり、たしかに新鮮な印
象を与えました。

 大衆的なテレビになじむような小泉劇場型、政策などの説明や論拠の明示を避
け、ひとことで印象のみを残すワンフレーズ・ポリティックス型、人事では週刊
誌の話題になるような面白がられる人材の起用、複雑な課題には「人生いろいろ」
といった切り返し、それにブッシュ大統領夫妻の前でプレスリーもどきの戯れ事
を演じて恥じない神経・・・・そのパフォーマンスは、ミーハー的な若返りもあ
って、これまでにない人気を集めました。また、イエスかノーか、是か非か、正
か邪か、といった二者択一型の単純化した、つまりわかりやすい選択を迫る手法
で支持を集めました。
 
  長期に及んだ小泉政治は一見、自民党中興の役割を果たしたかに見えました。
しかし、こうした政治はともすれば衆愚的な状況を招きます。現に、小泉時代最
大のイベントとなった「郵政選挙」です。この二〇〇五年の衆院選で、自民党は
圧勝しましたが、問題は憲法、外交、財政再建、地方自治など多くの問題を抱え
ながら、それらはほとんど問題とせず、郵政改革のシングルイシューの選挙にし
ました。また、メディアは愚かにも、小泉チルドレンや「刺客」擁立に目を奪わ
れ、政策のあり方などに論議を向けませんでした。この選挙自体、郵政改革関連
法案が参院で否決されたというだけの理由で、しかも閣僚を罷免して衆院を解散
するという疑問を残すものでした。
  
  それでも、こうした強引なやり方によって多数を占めた自民党は久々に勢いづ
きました。
  「骨太の方針」として進めた経済財政改革は、民営化と規制緩和に取り組んで、
新自由主義的な発想による「小さな政府」路線を取りました。それが郵政民営
化、道路公団民営化、経済特区設定、市町村合併、社会保障制度見直しなどに向
かわせました。一面では、景気の拡大、国債発行の削減、消費者物価や完全失業
率の改善などのメリットも生み出しましたが、しかしその後、貧富や格差拡大や
非正規労働者の増大、金融不安などの大きなひずみとして国民生活にはね返って
来ました。そうしたことが、今日も大きな社会問題として響いていることはご承
知の通りです。
 
外交政策では、拉致問題に踏み込むピョンヤン宣言に決断を見せたものの、相
手のあることでもあって凍結状態にとどまりました。また、イラク戦争を支持す
るという、対米関係のみに気を使って協議不十分なままの方針を打ち出しまし
た。靖国参拝にも内外から厳しい非難が向けられました。
 
  このような小泉政治はいまも尾を引いていることが多く、民主党政権の改革を
はばむ壁の一因にもなっています。民主党の非力もありますが、長期政権のあと
の変革はそう簡単に進むものではないことを示しました。
 
  そこで、「カオ」のすげ替えとなります。それが、安倍、福田、麻生三代の一
年交代の政権です。交代の早い政権は一からのスタートになるので、どうしても
もたつきの時間を要し、加速するかと思う間に退陣です。時間のかかる課題や政
策は進まず、緊張感、継続性、安定性、政治的成熟は望めません。長期的には政
治への信頼、関心を失わせます。国外からも政権を見極めているうちの退陣です
から、信頼関係は生まれず、それが三代も続けば、相手国の陣容も変わって、落
ち着いた外交関係など生まれません。

 安倍の病気を理由とする退陣劇は、状況からすれば明らかに政権の重みに耐え
切れない責任放棄による引退でした。次の福田も突然の放棄で、国民をあ然とさ
せるものでした。「次」へのバトンタッチを早めに試みたことが失策でした。麻
生は自信満々、吉田茂首相の孫として政権の座についたものの、上から目線の政
治を嫌われ、また国語力不十分の能力にも国民の不信を買うことになりました。
こうした結果、二〇〇九年八月の衆院選での自民党敗退の事態になるのですが、
これは麻生一人の責任というよりも、自民党政権への決別を意味するものでした。

 小泉政治の不安定さ、続く三政権の心もとなさ・・・・これはとりもなおさ
ず、自民党保守政治の行き詰まりを示すものでした。小泉時代のひずみが国民生
活にのしかかり、その後に改善の措置はとられず、「首のすげ替え」による政権
交代のからくりとデメリットは国民に見抜かれました。
  その反動が民主党政権の台頭につながりました。しかし、・・・・これについ
ては次項で触れていきます。そのまえに、自民党の問題点を見ておきましょう。


■■【自民党の「負」を抱えた民主政権】■■


  第一は、自民党内の人材の枯渇です。
  安倍、福田、麻生と相次いで自民党が推戴した首相が、このように短期しか持
たなかったこと自体、人材の払底を物語っています。自民党は小選挙区制導入以
前には、たとえば三角大福中の時代(佐藤栄作後の、田中角栄、三木武夫、福田
赳夫、大平正芳、そして中曽根康弘の各政権)、どの首相候補も派閥やカネによ
る、えげつない多数派工作に走りはしたものの、一方ではそれぞれに政権目標を
練り、ブレーンを擁し、ともあれ日本の将来について準備を続ける姿勢がありま
した。各派閥には、その人物を擁立し、そのために役割分担で支えようとする態
勢がありました。
 
  そのような気迫は、いまの自民党には見受けられません。小選挙区制の導入
で、確かに党の発言力が増して、派閥の力は衰えています。しかし、問題なのは
この小選挙区制度です。この点はあとで触れるとして、かつての中選挙区制度に
も問題はありましたが、一区から三|五人の当選者が出ると、その中には強い個
性や統率力があったり、党の方針に反してでも自らの主張を展開したりする人物
が国会の場に臨むことができました。一人のみの当選という現行制度では、自分
の考えを強く訴えると、過半数の票が取りにくく、円満で、抽象的で無難な物言
いの人物ばかりが出てしまいます。
 
  良い政治家、という概念は説明しにくいのですが、少なくとも政党にあって
も、幹部や多数にただ従順に従うのではなく、不利不遇はあっても、基本的に自
らの信条に基づいて発言、行動することが求められます。そのような風潮が失わ
れたところに、民主党も含めて、人材の払底と衰退の状況が広がっています。

 第二は、国際状況や国内の社会の様相は大きく変わっていますが、いまだに五
五年体制的な、東西冷戦的な枠組み思考から離れられないことです。
 
  中国の軍事力増強を懸念するのは理解するとして、即 敵対的な物言いが出た
り、反発しようとしたりします。むしろ、その懸念あり、とするならば、なぜ官
民それぞれの力量において外交関係や交流を強化して、日本の懸念を伝えつつ、
牽制したり、中国の真意をつかんだりの努力をしないのでしょうか。日本も、中
国も、地理的に引っ越せない以上、政治姿勢としてもっと率直な自己主張と相互
理解の努力が必要です。

尖閣諸島問題にしても、日本の固有の領土であることを国際的に認知される努
力を重ねるとともに、中国をしてこれ以上実効支配に移らせないようにするため
には、長期的な相互信頼の外交努力以外に手はないと思われます。中国には、人
権問題、貧富の格差問題など多くの課題があり、国際的な民主国家となるとすれ
ばそれまでに時間を要するし、日本としても共有できる価値観に至るまでの努力
が必要です。
 
  対米関係についても、同じことが言えます。普天間問題にしても、戦後のアメ
リカ追随型の発想では打開できません。沖縄の基地集中の状態が固定化している
のは、アメリカが日本の平和と安全を守ってくれるという前提に始まっています
が、だからといってアメリカの求めるすべてを受け入れればいいのではなく、沖
縄という狭い地域に基地を集中するというムリな実態を、アメリカ側にもっと強
く主張すべきなのです。

普天間移転問題は、その代替地確保が沖縄と本土双方とも心理的、物理的にむ
りである以上、あとはアメリカ政府に対して、日本の実態をもとに「削減」ない
し「国外」を強く主張するしかありません。論議もせずに日米合意を打ち出すと
ころに、根源的な誤りがあります。   

 安保条約を自動延長化することで両国間の摩擦を避けてすでに五〇年。アメリ
カにもの申せぬ形がすっかり定着してしまい、はなはだしい不平等条約である日
米地位協定の改定もまったく要求できないでいます。

もともと「日米同盟」という発想自体、いわばまやかしで、アメリカは弱りつ
つあるとはいえ、国際政治、経済全般、軍事態勢、そして資源などの国力におい
て世界全体にとっての存在であり、これに対して日本は経済こそグローバルな力
を持つとしても、国力、軍事力、政治的影響力などの各面ではアジア型規模の国
家であって、決して「対等な同盟」などありえません。現に、アメリカの核のカ
サの中にあることを前提に、日本の安全保障が想定されています。また「小」な
りとはいえ、日本も主権国家であり、自己主張が必要です。

 冷戦構造の枠組みにとどまって発想を変えず、日米同盟の深化、共同防衛の強
化ばかりをうたい、アメリカに「距離」を置けずに追随するのみでは、基地問題
など日本の立場、日本の主権のもとに打開、前進するわけもありません。まさに
これが、冷戦思考から抜け出せない今日の日本外交の実像です。

 第三は、野党になった自民党に「政権復帰」の気構えが極めて薄いことです。
  長期低落傾向にあった自民党は、かねて政権保持の延命策として小選挙区制度
の導入を願っていました。でも、五五年体制最後の宮澤自民党政権までには成し
遂げられませんでした。皮肉なことに、リクルート事件など相次ぐ政治腐敗が続
発、国民の強い批判のなかで、政治とカネなどの問題を改革する必要に迫られ、
この際とばかりに小選挙区制度の導入もひっくるめて動き出したのです。それも
具体化したのは、非自民の細川政権になってからでした。

小選挙区制度の生成自体に問題があるわけですが、ここでは触れません。
 
自民党延命の策であったこの選挙制度は、二大政党を作り出すことによって政
権交代を可能にする、というのがうたい文句でした。たしかに、その可能性はあ
ります。だから、「麻生後」に民主党が政権の座につきました。自民党の再起
は、小選挙区制度下の小泉政権で果たせたかに思われましたが、むしろ自民党政
権の行き詰まりを見せて、退化したことは前段で述べたとおりです。

 二大政党の政権交代を言うなら、野党に下った自民党のあるべき姿は、国民が
自民党を見限った理由、長期政権下でマンネリ化した問題点、政治運営システム
の可否などを十分に見直し、反省を示したうえで、その教訓に学びつつ、具体的
な改革案、新しいビジョン、将来展望など、民主党政治に勝る具体策を示して、
政権復帰を目指すべきなのです。そうすれば、自民党にはともあれ政治経験があ
り、人材も擁しているので、国民の支持も取り戻せるはずです。

しかし、谷垣総裁はじめ幹部たちの言動を見ている限り、長期政権の反省、将
来の政権像などを示すことはなく、その発言は民主党のアラ捜し的批判や中傷ば
かりになっています。五五年体制下での社会党的体質を踏襲しているかの印象を
受けます。

 「ねじれ国会」での自民党の対応をみても、駄々をこねる子どものように、説
得力を欠き、国民世論への配慮なく、応じうるかどうかの与野党協議さえ不十分
に映っています。
  この点は、支持率がどんどん落ち込む民主党政権に対して、伸びるはずの自民
党の支持率までが低迷している点に実証されています。
  考えてみれば、二大政党制に幻惑された国民はまことに不幸だ、ということに
なります。


■■【民主党、おまえもか】■■


  折角の政権を確保できた民主党ですが、一年半たってその期待は凋落するばか
りです。
  第一には、自民政治への失望が野党民主党への過大な期待になったこと。確か
に、脱マンネリ、政策の変容、テアカのつかない新人事、などは魅力を感じさせ
ました。その期待のリアクションとしての失望感はかえって大きく跳ね返ってき
ました。

 第二に、政権担当の構想や準備が不十分だったことが、時間が経つにつれて、
はっきり見えてきたこと。あいまいマニフェストは、財源のあてのないバラ色の
ばらまき策を示した結果、実質的な変更を迫られています。事業仕分けや諸改革
による制度的ムダに切込む力の弱さ。財源見通しの悪さ。鳩山首相自身が漏らし
た「沖縄問題の不勉強」ぶり。菅首相自身の「消費税増税」の唐突発言。有能な
官僚群の排除の誤りと統率力のなさ。寄り合い所帯による党内の温度差。党を一
元化するための論議の不足。いろいろ挙げられるでしょう。

 第三に、自民党体質への類似というか、回帰していることも問題です。まず小
沢問題の根源は自民党的なカネの扱いを民主党に持ち込んだことにあります。政
倫審に出るか出ないかの対応などは、かつての自民党内での派閥の駆け引きを見
ているようです。鳩山前首相の親がからむカネの問題も自民党所属のころからの
ことで、彼ら幹部のあいだで新党の基盤つくりとなる政治資金の考え方が欠落し
ていたことを物語っています。また、普天間問題などに見られるように、次第に
かつての自民党の流れに回帰しているように思われます。
 
これは、確固とした姿勢で政権を担う準備していなければ、それまでの現実路
線を踏襲したほうがやりやすく、いきおい古きに戻りがちであることを示してい
ます。それは結局、不幸は国民に、ということになってきます。

 第四に、新政権として変革を目指す以上、既得権益や馴れてきた既成のシステ
ムを変えるには、そのメリット、デメリットを説明する必要があります。どちら
が望ましいか、どの点を我慢しなければいけないか、といった理解を得るには、
議論をオープンにしつつ繰り返すことで、納得してもらわなければなりません。
現状では、そうした説明が不十分です。短視的で表面的なメディア自体のあり方
に問題もありますが、本来は政党としての責任が問われます。
 
民主党が新たな政策を推進するには、まず自民党政権下の制度や政策、手順や
運用など、いろいろな壁を越える必要があります。はじめての政権担当ですか
ら、多少の混乱や時間の経過はやむを得ないでしょう。ただ、こうした点に十分
な目配りがないと、結局は自民政治の延長に過ぎなくなり、「民主党、おまえも
か」ということになってきます。
  こうした問題点は、各党の分析のなかで触れられるでしょうから、詳述は避け
ます。


■■【政党のあり方と今後の課題】■■


  以上、自民党と民主党の問題点をおおまかに見てきました。それでは、ほかの
政党はどうでしょうか。

 まず、公明党。自民党と民主党の狭間で、その去就が注目されていますが、や
はりかつての連立仲間の自民党寄りのスタンスをとっているようです。しかし、
期待されるとすれば、キャスティングボートを駆使して、民主党政権に対して是
々非々で臨み、政策の修正を求めつつ、自党の主張を具体化させていくことでし
ょう。

公明党は、地方議会の主力である自民党に接近し、与党化することによっ
て、行政当局とも関係を強めてきた経緯から、国政レベルでも政権党に歩調を合
わせつつ伸びてきました。したがって、簡単には自民党との関わりを切り捨てら
れないでしょうが、政党の原点に立ち返れば、どのような施策を国民に還元する
か、が問われます。民主党の不安定が続く限り接近できないでしょうが、いつま
でも自民党の「下駄の雪」では、党としての伸張は図れないというジレンマもあ
ります。

 共産党。政党助成金を蹴り、日常活動もねばり、地方議会で地道に活動するな
ど、個性ある行動をとっている点で評価はされているのでしょうが、いっこうに
伸びません。共産党アレルギーは、若い層には薄いはずながら、共感が得票に現
れません。他党との協調がなく、党の政策に実現性が低く、「どうせ」「マンネ
リ」ということになってしまうのか、むずかしいところです。
 
機関紙「赤旗」には、かつてのような社会改革的な特ダネや内部告発が乏し
く、党内向け新聞の色合いが濃くなっています。政党資金確保の手段としての機
関紙にしては、裾野を広げるという点で工夫が足りないように思われます。

 そして、社民党。沖縄問題をめぐる党首の閣僚罷免という事態があって注目さ
れましたが、これは好転にもマイナスにも向けられず、支持か不支持か、判断に
迷う状態です。沖縄問題の矛先がいつも政府にのみ向けられ、アメリカにもの申
そうという主張が出てこないなど、視野の狭さが抜けません。

 この党は、こうした当面する課題への取り組みにも問題がありますが、それ以
上に社民党のたそがれをいかに克服するか、という基本的な取り組みを問われて
います。かつての社会党時代の遺産を食いつないでいる現状を打開して、将来的
な発展にどのようにつなげるか、という問題です。

 たとえば、今春の統一地方選挙に向けて党員の高齢化に悩んでいるように、若
返りへの取り組みの問題があります。社会党時代のひところ、社会新報を拡張す
ることによって、党の資金的基盤を労組依存から一般の有権者に裾野を広げるよ
う態勢を切り換え、機関紙収入によって地方活動家の生活基盤を築いて、その数
を確保しながら人材育成につなげ、国民へのアピールを強めようと試みたことが
ありました。

これはきわめて重要で新たな方向だったのですが、急成長した社会主義協会勢
力の背伸びが先輩党員、議員たちの反発を買い、その後の成長の芽も摘み取って
しまいました。この教訓は大切で、地方の若い人たちが地道な活動を続けること
によって、その経験と時間のなかで足場から党を築き直すカギを示しています。
短期に追われ、長期を構えない社会党時代からの社民党。この脱皮がかかってい
るわけで、日常の活動とともに、歴史の反省に学ぶことも必要でしょう。

 そのほか、自民党のあがきの中から離脱して行った小党。彼らの狙いは、小さ
いながらも、当然政治的主張の実現に近づくことです。しかし、今の力量ではみ
ずから状況を動かすことはできません。基本的には保守勢力の再編成が念頭にあ
り、その時期を待つ、というのが本音です。


■■【政治のハード、ソフト両面の改革を】■■


 政局はこれから、大きく揺れようとしています。
  通常国会での予算審議と予算関連法案をめぐる野党自民党との攻防はどうなる
のか。その結果の菅政権の責任はどう問われるのか。春の統一地方選挙での民主
党退潮は必至とされ、その責任をめぐる党内の紛糾はどう展開するのか。新スタ
ートした内閣・党人事の成否はどうか。ひいては菅政権倒壊を招くとすれば、こ
れを機に政党再編の動きは進むのか・・・・こうした動向が注目されています。

それに先立つ小沢問題の行方と国民の反応も、民主党政権のイメージダウンを
誘うもので、党内の亀裂ばかりでなく、国民との亀裂にもなります。自民党に
とっては、敵失のチャンス、保守再編成が動き出す好機の到来、といったところ
です。

 ただ、見落としてはならないのは、そうした事態は日本政治の衰えから来てい
るもので、政治本来の改革を目指すようなレベルのものではないということで
す。そして、このような政治状況の衰えの原因はどこから生じているのか、を考
えておきたいものです。

 つまり、そのひとつは、政治家を生み出すシステムの問題、小選挙区制度にあ
ります。いわば、政治のハードの部分、です。この改廃抜きに政治の進展は望め
ません。価値観が多様化しているにもかかわらず、二つの大政党だけに有利に票
が集中して、民意を示す数値をはるかに超えた多数の議席が配分される矛盾をす
でに五回の衆院選で許してきています。それは、政治の劣化と同じテンポで進ん
できました。   

 そして、一区一人という選挙では、中選挙区制のように、個性の強い人材が出
てくることがむずかしいことは前述しましたが、テレビ映りのいいイケメンや弁
舌で当選するだけでは、実力者の言いなりになるようなチルドレンが出るばかり
です。

 小沢問題を見るとき、小沢の師であった田中角栄と同じように「政治は力、そ
の根源は数と金」という姿勢が読み取れます。小沢邸の新年は、チルドレンを集
め、数を誇示して菅政権を威嚇することで幕を開けました。一、二年生議員が馳
せ参じ、また党大会でも競って政権批判をしました。

 菅首相への批判は置くとして、チルドレンたちは小沢のカネの問題が解明され
ないことへの国民の不満や批判をどう考えているのでしょうか。民主党の伸びた
理由のひとつは、明らかに政治とカネの問題を明確にし、清潔といえる方向に一
歩でも進めることにありました。それが、自分らのつくった政権を自らけなし、
対立するはずの自民党などを喜ばせている構図は、いかにも不可解です。

 この程度の議員が「風」を受けて国会に登場してくるのが、いまの選挙制度で
す。テレビの国会審議などを見ていて感じるのは、自民党もまた、幹部たちの発
言ですら、かつて政権を担当したことがないかのように品位を欠く攻撃や言動に
終始し、説得力の乏しい理由をもって国会審議を妨げ、与野党協議を遠ざける姿
勢に堕しているように見受けられます。この実態も、議員としての資質を欠きな
がら当選してきている現実を示すもの、といえましょう。

 さらに、「死に票」が圧倒的に多いという民主主義の根幹の問題も生じていま
す。一区一人ですから、当選者以外の票は国政に反映しないことになります。候
補者の多い選挙区によっては過半数の票が黙殺されています。これも、選挙制度
の過誤と言わざるを得ません。

 もう一点は、すでに参院選挙で違憲状態という判決が出ているとおり、「一票
の格差」是正の問題です。鳥取県の有権者には五票分の発言力がありますが、東
京、大阪など大都市部の有権者は一票だけ、ということになります。都市部有権
者の政治的意思はないがしろにされているわけです。本来、有権者はすべて対等
平等というのが憲法上の理念です。
  このような制度的なハードの部分の矛盾を改廃して、さらにソフトの部分であ
る政党の運営や活動、政策などについて、ぜひ目を向けて行きたいものです。

             (帝京平成大学教授・元朝日新聞政治部長)