被災したネパールの人々の宗教:仏教編

【コラム】宗教・民族から見た同時代世界

被災したネパールの人々の宗教:仏教編

荒木 重雄


 4月末に襲われた大地震の傷が癒えぬまま雨期を迎えたネパールの状況が思い遣られる。住まいを失った人たち、生業を失った人たち、医療や教育の機会を失った人たちへの支援がいまだ緊急の課題だが、一方で、人々の心を支える宗教儀礼の復旧も、欠かせない課題である。

 そこでこの機会に、ネパールの宗教を、仏教とヒンドゥー教の2回に分けて、見ておこう。
 ネパールの宗教は、ヒンドゥー教と仏教と精霊・祖霊崇拝が多かれ少なかれ混淆していて、さほど截然と分けられるものではないが、まず今号は仏教編。ネパール仏教に詳しい高岡秀暢氏の著述から教示を受けながら、その一端をスケッチしてみよう。

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◇◇ 往時のインド仏教を継承か
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 現在、首都があるカトマンズ盆地は、かつて大きな湖であり、文殊菩薩が聖なる剣で周囲の山の一角を切り開いて湖の水を外へ流し、ネワール族(ネワール語ではネワー)が住む土地が創られた、というのはネワール族が語る伝承である。
 この伝承にも示されるように、彼らは古来、仏教を信奉してきたが、早くからヒンドゥー教も受容し、商業を基盤に豊かな都市文明を築いてきた。
 18世紀にはゴルカ地方からきたシャハ朝に政治権力を奪われるが、征服民族ゴルカも、盆地社会で、文化的にはネワール化がすすんだ。ネパール仏教とは、このカトマンズ盆地でネワールの人たちによって育まれた仏教である。

 ネパール仏教は、日本の真言宗やチベット仏教にも近い密教系の大乗仏教であるが、独自の側面をもつ。以下、その特徴を幾つか挙げてみよう。

 まず一つは、般若経、法華経、無量寿経など多くの大乗経典をサンスクリット(梵語)で継承していることである。本来サンスクリットで書かれた経典は、故地インドでは失われ、世界で唯一、ネワール人の手で書写が繰り返されてきたものだけが伝えられていて、仏教学上も、極めて貴重な存在である。実際の儀礼もサンスクリットで行われている。

 次に、仏教徒の社会にも、ヒンドゥーの制度であるカーストが存在し、僧籍に入れるのはヴァジュラーチャールヤという仏教徒最上位カーストに属する者のみである。

 密教は秘儀を重視することから、供犠や護摩を伴うある種の儀礼や入門式の一部などは外部者に見せてはならず、また、教義の中にも秘儀的に伝授されるものがある。

 ところが僧侶は、剃髪・出家することなく、妻帯・飲酒・肉食が許される在家僧で、彼らが通常行うプジャとよばれる儀礼は、地面に赤土と牛糞を混ぜた聖水を塗って結界した一画で、法具を駆使し、灯明や花の献供を軸に展開するもので、ヒンドゥーの儀礼に酷似している。

 これらのことから、ネパール仏教に、今は失われた往時のインド仏教の一面のありさまが窺い知れるとの見解もある。

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◇◇ 観音菩薩に篤い信仰
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 大乗仏教では多様な諸仏・諸菩薩が重要な役割を果たしているが、ネワールの人たちがとりわけ篤く信仰するのが、彼らの間では阿弥陀如来の息子と信じられている観世音菩薩である。

 日本でも人気の高い観音経(法華経普門品)がもちろん中心だが、他にも多くの観音信仰にかかわるサンスクリット経典がある。また、我が国では百八観音が最多だが、ネパールでは三百六十観音は普通で、その360尊の観音に各々固有の名称があり、なかには700尊以上の観音名を記した著述もある。

 このように無数に近い観音とそれを祀る観音寺・観音霊場がある中で、最も代表的なのが、カトマンズ盆地の東南西北を押さえる四観音霊場である。その四観音とは、白い身体で「子授け」を功徳とするナラディオ観音、赤い身体で「五穀豊穣」を功徳とするブンガディオ観音、同じく赤い身体で「無病息災」を功徳とするチョーバーディオ観音、そして、白い身体で「不慮の死を滅す」の功徳をもつジャンバーディオ観音である。

 いずれも、煌びやかな衣装に金銀・宝石類の宝冠・瓔珞・臂釧・腕釧などで全身を飾り、左手に蓮華を持ち、右手で与願印を結ぶ、蓮華手観音である。
 それぞれ時期や規模は違うが、沐浴祭と山車巡行祭を年に二つの大祭とするところも共通している。

 沐浴祭は、観音像から魂を抜くことから始まり、清浄戒を守った阿闍梨(密教の伝授を受けた僧侶)が五甘露(牛乳・ギー・ヨーグルト・蜂蜜・糖)の入った聖水を尊像に流しかけて沐浴を行なう。その後、8日間をかけて絵師と阿闍梨が化粧を施し、8日後の満月の日、新しく美しくなった観音像の開眼法要が行われる。
 この法要では、観音が母胎に宿って誕生し成人するまでの、10段階の通過儀礼を行なうが、興味深いことに、成長する過程で男性の儀礼も女性の儀礼も併せて施される。観音菩薩は両性具有なのである。

 山車巡行祭は、4輪のついた大きな山車に観音像を載せて、地域々々の人々に受け渡されながら大勢の人に曳かれて、数日から長いところでは2、3か月もかけて、観音の母親の観音に逢いに行く祭りである。その間に、ココナツの実を山車の頂上から投げてそれを得た人は子を授かるとか、女性だけ、あるいは子どもだけで山車を曳くとか、米でつくった供物をぶつけ合う祭りとか、さまざまな行事・儀礼が盛り込まれる。そして、母親の寺院に着くと、その周りを3巡して帰路に就くのである。

 これらの観音像は、仏教徒にとっては確かに観音菩薩だが、ヒンドゥー教徒からは、ヴィシュヌ神の10の化身の第一番目の魚の化身に因むマチェンドラナータ(魚明王)とされ、彼らからも篤い信仰を受けているのである。

 (筆者は元桜美林大学教授)


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