訳の限界(続)を読んで

■ 【オルタのこだま】

翻訳の限界(続)を読んで           由布市市民

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西村 徹 様 
  オルタ8月号より感想等のメールを差し上げている由布市民です。
いつも丁重で詳しい返信メールを賜り、有難く感謝しています。
今回もオルタ10月号~翻訳の限界(続)~―ふたたび市井訳ラッセル『西洋哲
学史』についての執筆寄稿有難う御座います。片道1時間の列車通勤の折に読ん
でいます。それと平行して、市井訳のラッセル「西洋哲学史」第4章 聖アウグ
スティヌスの哲学と神学 を関心を持って読んでいます。十代から還暦前の現在
に至るまで聖書を熱心に読んで来つつも、マルクスやレーニンの思想に強い関心
を持って来た者として、第4章の聖アウグスティヌスの哲学と神学 の著者ラッ
セルの書きぶりはとても関心を惹かれました。マクルスの思想とアウグスティヌ
スの基督教の思想を同じ枠組みで提示しているのにはびっくりしました。
 
共通項は「抑圧され不運にさらされた人々」ということのようですが、ナチス
も類似したものが作れるとラッセルは記載していますが、共通項にあたるものは
、ナチスでは第一次大戦で敗れ、惨めな状態に置かれたドイツ民族ということな
のだろうかと思いましたが、ナチスはドイツ民族は優秀な民族で、対置されるの
がユダヤ民族・病者・障害者ということで、彼らを抹殺しようとしたように私は
理解していますので、マルクスが資本家に対して労働者の立場から活動したり、
アウグスティヌスやパウロが罪人の立場から宣教したこととはナチスの活動はあ
わないように感じていますが。いずれにしても、ラッセルの西洋哲学史は私には
興味深い本であることを「翻訳の限界」で学ぶことができました。予定説は、聖
書を読みながら実生活のなかで信仰を学んでいく内に受け止め方が変わってきて
います。
  超越神であるヤーウェよる予定説と思われる信仰の内容は、人からみれば、エ
レミヤ書10:13

ヤーウェよ、わたしは知る、

人の歩む道はおのがものでなく、

その歩みを決める力は

人にはないことを。

と感じられるのが基督教信仰ではと思っています。
  それ故、「神が任意に とか 惑う」をいうのは人がそのように神を感じてい
るに過ぎなく、我ら人間には超越神のヤーウェのことは理解できないのが実態と
理解しています。
市井訳でもおおよその理解はできるように思いましたが、更に正確な訳がでれば
意義深いと私も思います。

 西村さまが丁寧に吟味しながら翻訳することで、ラッセルの文意が明確になり
、浮かび上がる感じがしました。この感じは、最近、読んでいる田川建三訳のマ
ルコ福音書・マタイ福音書を読んだときと同じような感じでした。
  翻訳の限界(続)市井訳のラッセル「西洋哲学史」第4章 聖アウグスティヌ
スの哲学と神学を読んだ感想等まで。
                      (筆者は由布市民)

※(この文章は「オルタ」の執筆者と読者の交流を示すものとして
西村徹氏の了解を得て掲載したものです)
                       

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