誰が為に人を捕らえる?

【アメリカ報告】

誰が為に人を捕らえる?

— ポリスの残忍を許すアメリカの警察文化 —

武田 尚子


 現在アメリカで大きな政治問題になっていることの一つは、無謀で傲慢なアメリカの警察力をどう改革するかということである。といって、アメリカ警察の全てが傲慢なわけではないし、今に始まった話でもない。

 1991年のロスアンゼルスで、ロドニー・キングが自分の車の外の地面で、5人のポリスに頭をめちゃめちゃに打たれてもがいている情景が傍観者のヴィデオで捉えられて放映された時、人びとは怒った。ロドニー・キングは結局その為に死亡し、白人9名、黒人3名による大陪審が、ポリスたちに不起訴の判決を出した時、多数の黒人を含む市民による非常に大きなプロテストが起った。3日間続いた暴動で、少なくとも53人の市民が死に、警察政策改革への強烈な動機付けを生んだ。
 連邦検事がこの事件を取り上げ、4名のポリスの有罪判決を出したので、これらのポリスは結局罪に服した。そしてロスアンジェルス警察は続く20年間にはある程度変った。

 これは全米のほとんどあらゆるコミュニティで起っている体系的な問題である。ロドニー・キング事件だけではない。ポリスによる、市民にたいする大小の暴行事件が、アメリカでは再三起こっていたのである。

 ロスアンジェルス警察はロドニー・キング事件後に、幾つかの改革を試みたが、その中で最も効果のあったものの一つに、警察長官の生涯留任を認めなくなったことがある。警察の軍隊化が進んでいた、当時のロス警察の長官ダリル・ゲイツは、辞職を余儀なくされた。そしてその後長官の生涯在任はなくなった。とりあえずは5年任期で、新しい長官を迎える。それぞれがなんらかの改善策を取り入れるが、長年の警察文化を変えることは容易でない。しかしビル・ブラットンがチーフになった2002年、彼はコミュニティポリシングと呼ばれる方法を導入した。このアプローチの底にあるのはポリスだけで公共安全を守ることはできない。だから警察力だけでなく、コミュニティの知恵と力を借りようというのである。ドマニックによると「ブラットンは占領軍体質の警察力にへこみを作ろうとした」のである。

 そして彼はさまざまの関係者に、解決のアイデアを要請した。キングの死の5年後に、ロスアンジェルスは警察部門をチェックする独立した検査官を創設する推薦をした。1994年に、ポリスの非行を、もっと体系的に調査するゼネラル検査官を設けた。ある条項は司法部門に、過分な力または憲法違反《パタンと実施》を行使した地方警察を訴えても良いことにした。非行ポリスを出した地方警察は、司法部門と交渉して訴訟の代わりに、連邦警察の監視や改善策に従うという同意をする。その挙句、警官の非道な実力行使は直ちに減り始めたという報告が、まずペンシルバニアから来たという。
 これは警官の非行に、当該警察の行政部門全体が責任を問われることになった大きな改革であった。そしてこの同意契約のおかげで、司法部門の目指す改革に、警察全体が協力するようになる。ブラットンはこうして、市の同意法令を通して、ロスアンジェルス警察を改革した。

 2001年にロス警察の監視役に雇われたジェフ・シュランガーはNBCニュースで語っている。“まるで夜と昼の違いです。ロス市の騒乱の後で失われたものは‘警官の適法性’に対する市民の信頼でした。つまりポリスの仕事に対するコミュニティの信頼です。ブラットンは、コミュニティリーダーとポリスの間のコミュニケーションを作り出した。それまでなかったことですが、若干のポリスの責任を問いさえしました。2007年のマッカーサー公園での移民大会の時のポリスの暴力的な反動行為に対して、数人の警官は直ちに首を切られさえしたのです。”

 “事態は大幅に好転はしましたが、今後ポリスの非道がなくなるとは思いません。しかし、変化は、その数が減ったことにあらわれました。そして事件が起こると、ポリスにも現場で使う道具や訓練が授けられたので、こうした問題をどう話し合うかの相互理解ができました。だから2001年当時のような赤熱した騒ぎにならないで、より速やかに解決に向かうようになったことです。”

 ポリスの責任は最も厄介な問題の一つである。2008年のシンシナティ・レヴューによると、20年間に35人のポリスが解雇されたが、判決に対して控訴した25人のうち19人は、ポリスユニオンの強い後押しで彼らの職をとり戻している。そのほかの多数は犯罪者とはされなかったが、職を取り戻すことはできなかった。

◆ファーガソンの場合
 2014年8月9日。ミズリー州ファーガソンの18歳のマイケル・ブラウンは市中で買い物をしたあと、車にストップをかけたポリス、ダレン・ウイルソンと口論のあげく、ガンも持たないのに、ウイルソンに射殺された。白人9名、黒人3名からなる州の大陪審がポリス、ウイルソンを無罪としたことが報道されると、ファーガソン警察の外に集まっていたプロテスターの怒りが火をふいた。少なくとも12のビルが焼かれ、商店は品物を略奪された。プロテスターは、ポリスや彼らの車に石やら空き瓶やらを投げ、ポリスは催涙ガスや煙幕でプロテスターを追っ払おうとした。
 これほどの人種上の緊張がここファガーソンで起こったのはなぜだろう?

 かつて黒人はこの市で少数派だったが、この10年ほどの間に、白人家庭はほとんど郊外に移り、市街は主として黒人のものになった。その結果、多数派の黒人市民が、ほとんど白人が構成する警察力と取り組むことになった。
 マイケル・ブラウンの死は、数を頼む黒人の力が、それまでは問題にされなかった黒人に対する警察力の不合理を明るみに出した。しかし非道な警察の問題はその何年も前から存在しており、ポリスの訓練と彼らの人種差別意識を問題にしていた。ファーガソンの事件は警察改革への必要を市民に意識させるようになった。ファーガソンはその意味で、この問題の論じられるとき、必ずと言ってよいほど引き合いに出される。

 ではこのファーガソンの事件後の改革はどう行われただろう? ファーガソンでは市議会がすでにポリスの行動審査会を設立し、ブラウンの死後明らかになった過剰な罰金や法定費用を限定する議案をパスしていた。もしも過去の事例が参考になるなら、警察部門改革は多くの年数と多くの闘争を経て、実現するだろう。
 しかし、全国的には、問題は引き続いて起こるだろう。なぜならオハイオのALCUの政策理事ブリックナーの言う“全米のほとんどあらゆるコミュニティに共通する組織的な問題の解決は、一夜にしてはならないからである。”

 実現された改革の数にみあう、多くの未だ塞がれない穴が存在するし、発見もされる。その一つの穴は、信じられないほど困難な、ポリスの責任問題である。ポリスのユニオンはポリスが職を保持できるかどうかを決定する多くの地方議会に、大きな影響力を持つ。陪審員はポリスの肩を持ちたがる。そして法はまた、圧倒的にポリスの味方である。UCアーヴィング大の法学部長は、この問題を追跡して、“マイケルを射撃したポリスも、ファーガソンの市も、決して有罪にはならないだろう、なぜなら最高裁判所以下、警官の罪をなるべく問わないという原則があるからだ”と語っている。

 もう一つの困難は、ガンを偏愛する文化である。一般市民が、他の方法がありそうなものを、と思うときでも、ポリスは致死を招くガンを使いたがる。CNNのマーク・オマラがいったように「ポリスは我々がやれといったことをやっている」のである。
 ファーガソンの抵抗騒ぎはまた、警察力の極端な軍事化がすすんでいることをアメリカ人に知らせた。さらに、以前より多くの白人が、人種偏見はアメリカの裁判制度にはもはや存在しないといっていても、偏見は歴然と、あるいは隠然と存在することをも自覚させた。
 しかしそれでもなお、希望を持つべき理由がある。司法−裁判制度が次第に超党派的になってきたのだ。共和党の大統領候補ポールライアンは共和党議員の中に、裁判制度の改革を提唱するものが増えていることを挙げている。もう一つ、かつては存在しなかったボディカメラを警官が着用し始めたことがある。事実、最近はモバイルによる記録写真が、警官の言い逃れや虚偽を暴露することが多くなり、効果をあげつつあるのだ。それはどちらの側に取っても、客観的な事実を提供しうる。

 アメリカの司法長官エリック・ホールダーは、ブラウン事件の調査の他に、ファーガソン市の「パターンと実行」の習俗を、別件で調査する計画を持っている。ホルダーはアメリカの、偏見に満ち、過剰な刑罰を与える裁判制度に対して、新しい姿勢で向き合おうとしているのである。

 こうして、この全ての底流にあるものが偏見と抑圧であることがファーガソンの事件で一般市民にも明らかになりつつある。ファーガソンと同様の事件のあった市の一つシンシナティでは、改革が行われたにもかかわらず、問題は続いているとワシントンポストが報じていて、シンシナティの黒人警察署長さえ、彼の息子がポリスと出会うことを心配しているという。
 マイケルの死後、シンシナティの黒人警察主任ジェフリー・ブラックウェルは、ワシントンポストにこう語った。
 “文化の断絶はまことにリアルだ。あなた方の直面しているのは何世代もの黒人虐待の重さなのですよ”と。

 “白人の意識傾向は、ゲットーに住むものなんぞに値打ちはないということなんです。”と語るのはドマニック氏。“取締りと暴力はこのより大きな問題の小さな徴候にすぎません。だが少なくとも我々は、短期間または長期間の犯罪の解決をどうすればよいかを学び始めたし、コミュニティに対する警察のやり方や、よい関係をコミュニティと持つことについても、理解し始めました。”

◆バルチモアのプロテスト
 改革の道を歩み始めたかに見えるファーガソンが成功すれば、アメリカの何百という、警察の横暴に苦しむコミュニティが立ち上がるだろう。事実、ほどなくバルチモアの警察暴力に対する大きなプロテストが全米の話題をさらった。

 メリーランド州のバルチモアを北部とみなすアメリカ人は少くないが、住民の意識構造はまことに南部的だという。ここはかつてユダヤ人と黒人の居住を拒否した土地であり、アメリカきっての差別主義者ジョージ・ウォーレスの出身地でもある。

◆2015年8月12日:
 バルチモアのプロテストと、それに伴う騒乱は、25歳の黒人青年フレディ・グレイと警官の目が出会った事に始まったという。街角に自転車を止め、友達と喋っていたフレディは、街の若者の『おおいポリだぞ』という言葉で走りだし、同じく自転車に乗った警官に追いつかれて逮捕された。ポリスのヴァンに運び込まれ、警察の規定どおりシートベルトで固定もされず、ヴァンの振動をもろに受けながら、両手を縛られて病院〜医療障害センターに着いた。なぜ病院へつれて行ったのか、警察側からは明らかにされない。喘息持ちのグレイは走行中、吸入器をと頼んだが耳は貸されなかった。医療障害センターに着くまでに、一度は警察、二度目は別の容疑者をヴァンに乗せるために2度の停車をしているが、要するに病院へ急行はしなかった。センターは、彼の背骨が損傷していると診断した。彼をヴァンに引き摺り込むときに、相当の荒っぽい扱いがあったとしか考えられないと、多くの声があった。家族の話では、背骨が首の部分で80%分離し、脊椎が3箇所、喉が損傷しているという事であった。ポリスにストップをかけられるまで、元気に自転車を乗り回していた若者とは信じられないようだ。

 大手術が行われたが、グレイは2015年4月18日に死んだ。取り調べの結果、バルチモアの6名のポリスが、給与付きで、職務停止を命じられた。警察はグレイの逮捕容疑を、スイッチナイフを所有していたためというが、事実は普通の折り畳みナイフで、メリーランド州では合法である。しかも逮捕が、彼のナイフ所有を確かめる以前になされたことは明らかである。

 グレイの死は2015年のバルチモアのプロテストを引き起こした。これはバルチモア商業地区における主要な抵抗事件となった。34名の逮捕者と負傷警官15名を出した4月27日のグレイの葬儀に続いて、不穏な空気は高まり、略奪や地元のビジネス、CVSの店の焼き討ちなどが起こり、州知事ラリー・ホーガンはメリーランドのナショナルガード(州兵)をバルチモアに召集し、戒厳令を宣言した。

 最初のポリスへの投石は高校生から始まったらしい。75〜100人の高校生が続いてレンガや空き瓶を投げ、ポリスも同様に応酬した。CVSの店は略奪され、火をつけられたが、従業員は無事だった。

 4月28日にはメリーランドのナショナルガードがポリスのサポートに到着した。市長は144台の車が焼かれ、19件の構造火災があったことを発表した。
 バルチモアのテレビは、後片付けに忙しいなん百人ものボランチア市民たち、中でも多くの黒人が、昨夜来のプロテストの後始末をしているのを報道した。
 テレビ報道で視聴者の印象に残ったのは、一人の母親が、ポリスに投石する息子をひったくり、力任せに打擲して、フレディ・グレイのような顛末にさせてはならないと必死だった姿である。

 この日12時55分ごろ、オバマ大統領の談話があった。「昨日我々が見たような暴力には、どんな弁解も許されない。あれでは全く逆効果だ。バールでドアをこじ開け、略奪するなど、プロテストではない。なんらかの主張を声明しているのではなく、盗んでいるだけだ。彼ら自身のコミュニティのビジネスと機会を自ら破壊して、仕事や機会を他の人々から奪っているに過ぎない。」オバマは平和な抗議者をこそ評価して、この国が集団として、彼の言う‘危機’に油を注いでいる窮乏と司法の問題を解決すべきだと訴えた。

 オバマと市長のローリング・ブレークは、ソーシャルメディア他で、彼らがプロテスターを‘暴漢’とよんだことを批判された。この黒人女性市長は『時々私の怒りの小さな通訳者は、私の良き部分を乗っ取ってしまうのです。』と弁解した。

 4月29日までに、200件以上の商店主たちは店を開くことが出来なかった。年齢を問わず、男女の別にも、人種にも宗教にも関わりなく、住民はバルチモアの街路の清掃に精出した。店々は紙袋やほうきなどを寄贈し、市の従業員はトラックで大小のゴミを集めて走り回った。

 5月1日には、グレイの死は殺人と定められ、前記6名の警官が告発されたが、中の一人は第2級の殺人罪に問われた。これは、30年間入牢の可能性を含む。

 この街がひどい人種差別の街だという定評はすでに述べた。具体的に言うと20世紀の初めに、州政府の立法部は州憲法の補則として、黒人の選挙権を認めないことにした。有権者はこんな補足を退けたが、それは黒人の市民権を認めるためでなく、政治マシンが、選挙権問題で州政治を締め付けるのを防ぐためだった。

 その後間もなく、エール大学卒の黒人が、バルチモアの高級住宅地で家を買った。程なく白人間で起こった大反対が、市を白人地区と黒人地区に分ける布告になった。黒人は白人が半数以上を占める地区に入れない、白人は黒人が半数以上を占める地区には入れない、NYタイムズは、これは最も明白な人種差別法ジムクロー法そのものだと評した。1910年のことである。

 法廷がこの布告を覆したとき、バルチモア市は、すでにシカゴで成功していた戦術に訴えた。建設部と健康部の調査官が、黒人にたいする人種差別政策(アパーサイド)を無視する家屋の所有者は、法令違反だと決めつけたのである。市のリーダーたちはそこで、黒人が自分の地区に入ってくるのを妨害する契約を市民に押し付けた。

 1934年に創設された連邦家屋管理局(仮訳)は、アメリカの差別政策の伝統に従って、家屋における黒白差別を主張し、中産階級や富裕な黒人にさえも、人種差別に従わない家屋所有を認めなかった。黒人は猛烈に高値の分割払いで家を買い、支払いが1ヶ月でも遅れると取り上げられるので、買った家を分割して部屋を貸す。借り手も貧しいので、修繕の手を入れないために、家屋は急速に質を下げる。家主はまたそれを売りに出し、それを反復して富を得ようとする。こうしたシステムは都市黒人家族の衰微とゲットー化を招いた。それはまた何世代ものアメリカ人が家屋の売買を重ねて得る富の蓄積からも、黒人を除外した。超党派のシンクタンクのリチャード・ロスシュタイン(ECONOMIC POLICY INSTITUTE)は、バルチモアについての著述の中でいっている、「メリーランド最大の市バルチモアそのほかでの黒人の窮状は、ほとんど完全に連邦政府の政策の結果であり、黒人家族が、1930年から60年の郊外ブームの間に、家屋の売買による富の蓄積をし、白人家族のように、子供や孫たちにその富を残してやれなかったことにある」と。

 黒人を危険で退廃した地区に住まわせているバルチモアの差別主義は、これからも問題になるだろう。しかし2012年に、米国メリーランドの地方裁判所では、長い間かかっていたシンプソン対HUD事件に判決を下した。
 これはバルチモアにおける100年にわたる政府支援の差別主義を抹消するために、黒人居住者が、人種統合のある、窮乏度の低い地区とその周辺に移動して住めるよう、家屋移動プログラムを拡大することを命じるものであった。これはたとえ小さな一歩であったとしても、バルチモアの未来に希望を抱かせるひとつの橋にちがいない。

 何れにしても、こうした背景を知ると、バルチモアに住む貧しい人々の生活向上の機会がどんなに大きく限られてきたかに驚くことはできなくなる。人種差別と集中した窮乏は、多くの都市を不穏で危険なものにしている。しかしバルチモアの差別の極端さ〜さらにそれをかくも長期にわたって継続せしめた政治的な諸手段は、この国の人種偏見の歴史に消し難い印を残し、バルチモアに特異な場所を与えているのである。

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 さて、こうしてバルチモアのプロテストは終わり、平和な日常が戻ってきたかに見える。しかしこれで、プロテストを生んだ多くの問題が解決され、バルチモアは平和に暮らして行けるのだろうか。

 まず、常識では受け入れがたい不思議な事実がある。バルチモアの人口は63%が黒人であり、37%の白人を数の上では圧倒している。その上市長は黒人女性であり、警察長官も黒人なのである。ではなぜ、人種偏見に根をもつという、これほどの抵抗が生まれたのだろう?
 筆者にも確実にはわからないが、こうしたトップの人選はどうしてなされたのだろう? おそらくバルチモアの深刻な差別主義への緩和の試みだったのではないかと想像する。評論家の言うように、差別の根が深すぎて、トップを黒人にするくらいではおさまらないのかもしれない。興味ある宿題である。

 次に、事件後のオバマの、プロテスターたちの行為への批判は、果たして当を得ていたのだろうか。彼自身もソーシャルメディアで批判されたらしいが、上品なプロテストでは何も起らない。現状維持がつづくとしか思えない。これだけの大暴れがあったからこそ、まことに珍しく、少なくとも6名のポリスが責任を取らされるのではないだろうか。一国の大統領が、過激な行動を認める言動を許されないとしても、プロテスターたちへの、ほんの少しは思いやりのある片言隻句でも聞きたかったと、大概はオバマびいきの筆者は思うのである。

 何れにしても、ここには収録しなかったが、クリーブランドの警官が、玩具のピストルを持った少年をさっさと射撃して死なせる事件が、バルチモア・プロテストの後、すでに起こっている。その後にも幾つかは必ず起こるだろう。しかし、警察の横暴に対する抵抗が大きく広く扱われるようになって初めて、人種偏見について考え始める人、その災害の大きさに目を開く人が増えるのではないだろうか。

 (筆者は米国ニュージャージー州在住・翻訳家)


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