身辺雑常(3)

【エッセー】

身辺雑常(3)                     高沢 英子

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 リュウマチという病気について、前号に身辺の状況を含めて見聞きしているこ
とを書いたのも、わたしとしては、ときたま新聞などに紹介されているリュウマ
チに関する医学的な記事や、患者さんたちの日常の戦いの記録を見て、メディア
に登場する情報が、リュウマチに関する場合、どちらかといえば、少し不正確な
気がしたり、実際の患者の病状や、心理とずれていると、強く思うことが多かっ
たからである。

 それというのも、おおむね患者を代表する形で紹介されているひとびとの病歴
などが、頑張ればこんなことも出来る、これもしてきた、あんなこともやった、
という肯定的明るい局面ばかりを大きく取り上げ、現実を正直に見詰めて対応し
ていないことに、違和感を感じてきたからである。

 さらに不思議なことに、リュウマチ友の会が、主として会員に情報を提供した
り、さまざまな角度から啓蒙的役割を果す目的で配布している「流れ」などの機
関誌でも、この種の手記が多く、病気の怖さを知っているものからみれば、とん
でもない話や、首を傾げる体験記を披露して、頑張り屋のお手本みたいに紹介さ
れていることが多い。

 たしかに、現在も不治の病とされているだけに、不幸にしてこの病気にかかっ
た同病者に、なんらかの希望を持たせ、激励し、健常者には、惨めな顔をみせた
くない、という気持ちは分かるけれども、やはり、きびしい現実は正直に告知し、
理解してもらおうと働きかける努力はするべきである、と思うのである。

 これは、紹介リポートを書く側ばかりでなく、患者自体の姿勢にも責任がある
という気がする。命に別条ない病い(本当はそうでもないのだが)、痛みさえ我
慢すれば何でもある程度できる、わがままは言わずがまんするべきだ、という暗
黙の声に衝き動かされて頑張ってしまう。

 無理と分かっていても、誰もがやっていることを、出来るだけしようとして、
決してあきらめないことを美徳のように思い込む。リポートは、その健気な姿に
喝采を送る。そして、大抵の場合、期待に背かぬよう無理を重ね、安易な記事に
励まされ、うかうか過ごしているうちに結果的に骨はぼろぼろになり、体は歪み、
命を縮めてしまう。

 これまで多くの患者たちとの長いお付き合いで、さまざまな境遇のなかで、あ
きらめと、辛い我慢と、踏ん張り、さらには焦りなど、人知れぬ苦悩にこもごも
翻弄された揚句、結局みすみす、大切に扱っていればもった体をどんどん駄目に
していったケースを数多く見てきた。

 実際に日々細心の注意を払って無理をせず、痛みはある程度受け入れながら、
適切な薬剤投与で辛い日常をコントロールし、したいことは抑制しつつ、周囲の
理解を求め、適応して生きてゆくことは難しい。しかしそれこそがこの病気にか
かった場合最も大切なことなのである。

 事情はさまざまあるにせよ、病気に関する限り、安易な精神主義や、他人の迷
惑を慮っての遠慮、隠蔽が危険であることは、最低限認識するべきで、現実に
「リュウマチ」という言葉が、単に老人性の手指の疼痛と一緒くたに受取られて
いるような状況下で、メディアも患者も、より正確な情報を伝え、一般の理解を
得るような方向を目指さないかぎり、いつまで経っても社会全体の理解が得られ
ず、公共機関の冷たい対応は一向に改善されず、これはリュウマチに限ったこと
ではないが、見せ掛けの対策は不備だらけということになる。

 政府も社会も、常に前を向いて忙しく走っているようなこの国で、難病や、障
害や、貧困で苦しんでいる人々に、自助努力を押し付けるだけでなく、ちょっと
立ち止まって、検討し、誰もが人間らしく動けるような配慮を、もっと積極的に
していただけないものか、と思うことが多い。

 障害者と、病気で障害を抱えている体とは違うことも、まだまだわかってもら
えない。同じ車椅子でも、両手で力いっぱい漕ぎながらグランド狭しと走り廻れ
るパラリンピック選手と、手も足も骨が砕けてゆき、無理な動きをすると、首の
骨までずらしてしまう病人とでは、互いに、出来ることと出来ないことの事情が
違う。

 それを障害者、とひと括りにして、比較して、心ない批判の目を向けたり、駐
車場などで「車椅子の方専用」などと掲げて、松葉杖を突いているだけなのは、
障害が軽いと、勝手に決め付けて駐車禁止にしたりする。しかし、手足はあって
も車椅子は操れず、松葉杖で肩の関節が駄目になってゆくとわかっていながら、
やっとのことで歩いている、というケースも存在することまでは、大抵理解して
もらえない。

 かつて娘が入院した温泉病院では、五階に最も重症の患者たちが、家族から見
放されるようにして入院していた。あるとき老いた一人の患者が泣きながら訴え
たという「死にたくても、舌も噛めない!」。関節という関節が全部冒されて、
すでに顎関節も駄目になっているのだった。

 医学の進歩で、今はそんな状況はほとんどなくなったが、免疫力は人間が生き
て行くうえで、最も大切な機能の一つなのに、この機能を叩き潰さなければ治療
にならない、というのは、いずれにしても厄介な病気にちがいない。

 (筆者は東京都在住・エッセーイスト)
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