辺野古新基地反対の記録 2016年3月

【沖縄の地鳴り】

辺野古新基地関連ブログ〜辺野古新基地反対の記録 2016年3月


<はしがき> 辺野古現地をはじめ、今や全国に辺野古反対の動きがひろがっている。それを象徴するのが、インターネット上に見るブログの数である。一見するだけで100以上のブログが存在する。すべてを見ることは不可能だが、今後、紙上で紹介していきたい。以下に沖縄県内と三重県などのブログを紹介する。 (編集部)

◆チョイさんの沖縄日記 2016年03月06日

 私は7年前に家族全員で沖縄に移住してきました。このブログは、辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録です。

<2016年03月06日|沖縄日記・辺野古>
和解条項の「工事中止」には、関連工事も全て含まれる! —来週からの生コンプラント建設工事を許さない!

 今回の国と県の「和解」により、翁長知事の埋立承認取消処分が再度有効となり、工事は中止されることとなった。しかし我々はゲート前での監視をゆるめるわけにはいかない。

 辺野古新基地建設事業では、埋立工事だけではなく、現在、飛行場部分に建っている米軍兵舎、施設等の建替え工事等が必要になる。計画では約60棟の米軍兵舎の建替工事が必要となり、防衛局は数年前からそのための工事を進めている。これらの建替工事は新基地建設事業が中止されれば当然必要がなくなるものだ。今回の「和解 」により、これらの建替工事も全て工事を中止しなければならない。

 また、防衛局は、今後の埋立工事で大量の生コンが必要となることから、当初の予定を変更し、シュワブ基地内に生コンプラントを建設する準備を進めている。

<2016年03月05日|沖縄日記・辺野古>
和解成立/工事中止を確認するため「平和丸1号」で大浦湾のフロートを超えた!

 3月5日(土)早朝、辺野古に出発。午前7時半からは海上行動のミーティング。波風が強く海上行動は中止となったが、和解成立の翌日なので防衛局の作業が本当に止まっているかを監視するため、「平和丸1号」に船長たちが乗り込み、大浦湾に出た。(和解が成立したこともあって、フロートの中に入っても海保の実力行使はない。)

 汀間漁港を出たところで、すぐにフロートを超えた。シュワブの浜から海上保安官たちのボートが2隻、急スピードで飛び出してきた。それでも、以前のような規制はせず横を並走するだけだ。和解が成立したこともあって、実力行使を控えているようだ。

 そのままどんどん進んで、シュワブの浜のすぐ近くまで行く。コンクリートブロックを積んだ台船や海上ボーリング調査のための大型台船が碇泊しているが、作業員の姿はない。海上保安庁のボートを泊めていた浮桟橋も昨日のうちに片付けられていた。いっさいの作業は止まっているようだ。(浮桟橋も片付けられて、浜に引き上げられていた。)

 作業が止まっていることは確認できたが、問題は工事の施工区域一帯に張り巡らされているフロートやコンクリートブロックだ。和解成立により、翁長知事の埋立承認取消の効力が復活したので、防衛局は、埋立事業に関する一切の構造物、仮設物等を全て撤去しなければならないのだ。「平和丸1号」での監視行動は1時間ほどで終えたが、フロートの中を自由に走り回ったのは久しぶりだ。早く全てのフロートを撤去させ、以前のような静かで澄み切った大浦湾を取り戻したい。 船を降り、ゲート前の座りこみに参加する。マイクを回されたので、今回の和解の経過と意義について話しをさせてもらった。

◆海鳴りの島から〜沖縄・ヤンバルより…目取真俊

沖縄のネット右翼の動き 5 —反対運動は金のため、というデマを拡散する手登根安則氏。 <2014-08-28 22:40:42|沖縄のネット右翼>

 オスプレイ・ファンクラブの中心メンバーである手登根安則氏が、自身のフェイスブックに以下の文章を載せている。沖縄のネット右翼の水準が分かる文章なので、全文を引用して紹介したい。

〈大山ゲートの反対派は、午前7時30分に活動を終了します。以前は7時45分まで罵声を浴びせかけておりましたが、最近は15分早上がりです。理由は、「辺野古」へ移動するから。ここでの日当¥3000に加え、辺野古へ移動し夕方までボケーッと座っていれば更に¥5000追加、合計の実入りが¥8000/1日、となります。このような連中に給金を支払える資金力には驚きですね。我々はこれを、「辺野古バブル」と呼んでおります。辺野古の反対集会のTV報道を見ましたが、数百人が新しい同一のプラカードを掲げていました。それを見て思い出したのが、シナの官製デモ。政府がプラカードやお揃いのベストを支給し反日デモを繰り返す。プラカードや横断幕はお金がかかります。参加者に負担を求めているのでしょうか、いやそれはないでしょう。手当を払い、大量の機材を購入し無償配布する「ヘイワ運動」。それをさも「正義」であり、「沖縄県民の意思」だと報道する側が、実は反対派の一部そのものであること。はっきり言わせていただきます。日本の政府、そして政治家は、この状況にもっと危機意識を持つべきです。沖縄が失われてからは、二度と取り戻せません。〉

 上記は「辺野古バブル」という題で8月24日に掲載されたものだ。手登根氏は8月11日にもフェイスブックに同様の文章を載せている。

 反戦・反基地運動や反原発運動などに参加している人たちに対し、日当をもらってやっている「プロ市民」、というデマをまき散らすのは、ネット右翼の使い古された手法だ。手登根氏もその本領を発揮しているわけだが、それにしてもだ、大山ゲートの抗議行動に参加すると3000円、辺野古の抗議行動に参加すると5000円の日当がもらえるんだそうだ。私は一度ももらったことがないんだが、どこに行ったらもらえるんだろうか? いったいだれが日当を払っているんだろうか? 数字は具体的なのに、それ以外は何も具体的に示さない。手登根氏はよくもまー、こういう嘘を平然とまき散らせるものだ。

 8月23日(土)に開かれた「止めよう辺野古新基地建設! 8・23県民大集会」では、主催者発表で3600人がキャンプ・シュワブのゲート前に集まった。手登根氏の主張に基づくなら、参加者への日当だけで18,000,000円かかったことになる。いったいどこからそんな高額の金をもってくるというのだろうか。参加者の中で5000円の日当をもらった人はいるのか? それはどこで支払われたのだ? 振り込みのために全員の口座番号を掌握できるわけもないから、その場で払ったというのか? どこにそういう場面があったのだ? 手登根氏は自らの主張が正しいというなら、具体的な事実を持って証明すべきだ。

 県民大集会の参加者は、手登根氏のデマを読んで呆れ、失笑し、怒りを覚えるはずだ。人間はすべて金で動く。これが手登根氏の人間観らしい。だが、米軍基地に反対することは、沖縄県民にとってごく当たり前にやってきたことだ。基地を容認している県民にしても、生活があるから…、基地で働いている人がいるから…、という消極的容認論が多い。辺野古新基地建設に関しては、自民党や保守層、経済界の中にも反対の声を上げる人が増えている。手登根氏のように積極的推進派は県内ではまったくの少数で、そのフェイスブックからは焦りと孤立感、危機感が滲み出ている。だからこそ手段を選ばずにデマを拡散しているのだろう。

 こういうことを書くと手登根氏をはじめとしたネット右翼グループは、日当をもらっているのはいつも参加している常連組で、県民大集会では支払われなかった、と言い出すかもしれない。もしもらっていたら、それなりの収入になっているはずで、当然確定申告をしなければならない。しかし、もらっていないのだから申告をするはずがない。私もそうだ。もし手登根氏が日当をもらっていると言い張るなら、辺野古の活動家が脱税行為をしていると税務署に訴えればいい。おそらく、事実の証明を求められるだろうが、手登根氏はそれを示せるだろうか。示せるはずもない。

 手登根氏は、〈私のところに入った情報では、動員に大人子供の区別はなく、一人当たり¥5000の手当とお弁当がつくとのことです〉と書いている。もし、子どもに5000円の手当てを支給しているなら、児童の労働を制限した労働基準法や児童福祉法に違反している可能性がある。手登根氏は自分の書いたことが事実であるというなら、労働基準監督署や児童相談所、警察などに告発したらどうだろうか。かつて手登根氏は、那覇西高校のPTA会長時代に、課外講座の講師費用が高すぎるとして告発し、社会的問題となった。手登根氏ほどの行動力があるなら、ぜひやってほしいものだ。そこでも事実の証明を求められるだろうが、手登根氏はどう対処するだろうか。

 7、8月のキャンプ・シュワブ・ゲート前には、夏休みということもあって両親、祖父母に連れられた小中学生や、取材に来た高校生の姿がよく見られた。親からすれば、沖縄の現実を子どもたちに見せて、自分なりに考えてほしかったのだろう。かつて自分も親に連れられてデモや県民集会に参加したという人は、沖縄には少なくないはずだ。基地と隣り合って暮らさざるを得ない沖縄では、日常生活の中に基地問題が組み込まれている悲しい現実がある。嫌でも基地問題に巻き込まれ、考えざるを得ないのだ。そういう社会環境にあって、基地反対のデモや集会に親子連れの姿が見えるのは、沖縄では珍しいことではない。23日の県民大集会にも、多くの子どもたちの姿があった。

 そういう現実を沖縄で生まれ育った手登根氏は、よく知っているはずだ。手登根氏は本気で子どもにも〈5000円の手当てと弁当〉が支給されていると信じているのだろうか。信じているなら、すべてを金に換算してしか考えきれない思考の有り様が哀れである。信じていないにもかかわらず平気で嘘をまき散らしているなら、愚劣としか言いようがない。

◆ヤマヒデの沖縄便り

憲法9条をめぐるある違和感

 先日、あるところで(多分、シュワブゲート前)こんなものをもらった。何気にいただいたのだが、帰宅してじっくり見た。なにやら違和感ありありなのだ。

 大きさは6cm×4cmほどで、かばんにつけたり、携帯などのストラップにということなのだろう。表面(?)はこうだ。「この国は、2度と戦争をしないと誓った。」 さらに裏面は「私たちは 自衛隊員の皆さんが戦死するのを見たくありません。」

 私が最初に違和感を持ったのは、裏面だったが、表面も何だかしっくりこない。表面について、日本国憲法の成立史について紐解かなければ、十分に検証できないが、それ以前に「この国は、2度と戦争をしないと誓った」と言っても、この国(正確に言えばこの国を引っ張ってきた自民党などの政権)が戦後史の中で一貫して、其の「誓い」を蹴破り、この地平から遠ざかってきた。1950年警察予備隊から1954年自衛隊が発足し、1992年PKO法、2003年武力攻撃事態法等の戦時法制が既にできあがっているのだ。海外での戦争にも後方支援(兵站)という役割に限定しながら参戦してきた。

 2度と戦争をしないと誓うのは私たちだ。主権者は私たちだから。私達がこの国の政権に誓わせなければならないのだ。

 あらためて日本国憲法を引く。《憲法前文》「(1)日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(後略)(2)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(3)略 (4)日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげて、この崇高な理想と目的を達成することを誓う。」

 実に誇り高い憲法だと、私は改めて思う。しかしこれらの言葉(誓い)の主語は「日本国民」であり、「日本国」(「この国」)ではない。
 憲法第9条もそうだ。《憲法第9条》 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する。(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 日本国民が主語なのだ。しかし今や、「正当に選挙された国会における代表者」(93年の小選挙区制の導入により、正当か否かに疑問符がつくが)らがこの誓いを捻じ曲げ、戦争に向かっているのだ。それを止められるのか否かが現在の局面だ。
 だから私が標語を書くならば、「私たちは、2度と戦争をしないと誓う。この国に戦争をしないことを履行させる(守らせる)。」と書く。

 裏面。「私たちは 自衛隊員の皆さんが 戦死するのを見たくありません。」これには呆れた。もろに他人事の感覚。日本国民が戦争に向かう流れを作ってきた(容認・黙認)中で、いよいよ戦禍が起こりそうになり、「見たくない」との責任のがれの態度。見なければいいのか。責任感覚がなさすぎる。私なら、「私たちは 自衛隊員の皆さんが 殺すのも殺されるのも 認めません。」と書く。

 7月の参議院選挙(また衆議院選挙もあるかもしれない)の中で私たち主権者が如何なる判断を行なうのか。現場の闘いで如何なる意思を籠めるのか。ここが問われているのだ。
 私達が留意すべきことは、(1)私の世代とこれからの世代(より若い世代とこれから生まれてくる世代)の運命がかかっており、(2)諸国民との協和(友愛)を大切に、(3)反テロ戦争の時代は、また高度の科学技術による戦争の時代の人々は、いつどこに戦禍が発生するかわからず、平時から不安・恐怖を余儀なくされるのだ。

 1947年に私たちが掲げた理想は、世界的に見てもぼろぼろだ(これほどの難民を生み出している。誰が?)。ぼろぼろだから時代にあわなくなったのではない。私達がこうした結果を容認してきたからこうなってしまったのだ。「現実主義」なる言葉が跋扈しているが、権力が行なっている現状を容認してはならない。極一部の人間が儲かるだけの現状を変えなければ、私たちの生は全うできない。私達はこうした現実に切り込んでいくのだ。

 それにしても私達が掲げたはずのこの理想をここまでずたずたにしたのは、沖縄を軍事植民地として切り離し、いまだに軍事植民地たることを沖縄に押し付けていることが大きく作用しているのだろう。ここを問わずに私たちは前に進めない。

◆辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会 BLOG

「ケーソン」とは、52m×22m×24m 総重量7400トンもある鉄筋コンクリート製の巨大な箱で、海上基地の土台になります。

▽「県民の会」の3月行動予定  <2016-02-27 16:10:28|最新情報>

 「辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会」です。
 昼の日差しが春らしい陽気になってきました。
 「県民の会」の3月の行動予定をお知らせします。ぜひご参加ください。

 ☆3月2日(水)18時30分〜「県民の会」打ち合わせ会 アスト津3階
 ☆3月16日(水)17時30分〜 ケーソンチラシ配り 近鉄四日市駅北口通路

 4月30日(土) には、「沖縄のこころを聴く会」を行います。山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)を招いて、辺野古の現状報告を行います。
 13時30分開場、参加費500円。場所はアストホール(津駅前アスト津4階)です。こちらもぜひご参加を。

▽寒風の中津駅前で宣伝行動!「沖縄・辺野古基地を許さない」連帯集会決まる!  <2016-02-16 19:00:16|最新情報>

 「辺野古のケーソンをつくらせない三重県民の会」です。
 2月15日(月)夕方五時半から定例の宣伝署名行動を行いました。この日は、前日の暖かさがウソのような気温5℃という寒さで、しかも風が強い中用意した横断幕の看板が飛びそうになるのを押さえながら、津駅前を通行する市民のみなさんに、「辺野古新基地の土台となるケーソンをつくらせるな」とチラシを配布しながら訴えました。

 学校帰りの学生さんをはじめ、大きな看板も目を引き、「ケーソンて何やな?」と問いかけてくる方もいらっしゃいました。また、寒さと強風で署名を取るのを半ばあきらめていましたが、看板のところへ駆け寄り、「署名します」と自らおっしゃっていただく方もあり、寒さにも負けず元気の出る行動となり、チラシも用意した分がほとんどなくなりました。

 宣伝行動のあと、アスト津で打ち合わせ会を行いました。盛りだくさんの議題の中で、沖縄・辺野古新基地建設反対のたたかいに連帯し、現地報告集会を行うことを決めました。日時は4月30日(土)午後、山城博治沖縄平和運動センター議長を招いて、アスト津4階のアストホールにて開催します。

 また、辺野古新基地建設中止をもとめて21日に開催される「国会包囲実行委員会」と「総がかり行動実行委員会」共催による「止めよう!辺野古埋め立て」国会包囲行動と全国での「同時アクション」の提起も受けて、緊急に2月20日(土)午後1時より津駅前(東口)で宣伝行動を行うことも決めました。
ぜひ、ご参加ください。

◆ラムサール・ネットワーク日本

辺野古土砂搬出反対運動の広がり  <2015年11月22日>
「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会 共同代表 阿部悦子

 私が辺野古の埋め立てで、瀬戸内海の土砂を搬出する計画があるのを知ったのは、2013年の3月のことです。たまたま沖縄を訪問して戦跡などをめぐり、辺野古にも立ち寄った翌日のことでした。
 3月27日付けの「琉球新報」の記事では、「土砂調達1300億円相当」「防衛局の内部資料」「採取場所として瀬戸内など9箇所から」というものでした。私が辺野古への土砂搬出問題に関わったきっかけです。「本土」にいたのでは知り得ない内容でした。

 私は、1990年に発足した環境団体、環瀬戸内海会議の代表を務めてきましたが、辺野古の海の破壊が瀬戸内の破壊を伴うという記事に驚きを禁じえませんでした。
 2013年5月、環瀬戸内海会議の「第25回総会」が、兵庫県姫路で開催され、瀬戸内海からの土砂搬出問題が情報共有され、阻止に向けて行動していくことが確認されました。
 同年、12月27日には、前沖縄県知事の仲井真弘多知事が、「埋め立て承認」を、表明するのですが、当会はその数日前の12月24日に、沖縄県知事、環境省、防衛省に対して「反対の申し入れ」を同時並行的に行いました。
 翌2014年は、名護市長選、県知事選、衆院選が相次いで行われ、「新基地反対」を公約した候補が、全ての選挙区を制したのでした。

 こんなときに奄美大島から行動が起こされました。2014年秋のことです。私は招かれて今年1月に奄美を訪れ、辺野古土砂問題で奄美と瀬戸内海がつながったのでした。その後、2月には、「自然と文化を守る奄美会議」と「環瀬戸内海会議」が連名で環境省、防衛省に申し入れました。
 次いで、奄美会議は、5月の終わりに次なる集会を企画。土砂採取によって、1本しかない町への道が分断されてきた「市集落」で潜水調査を行い、山と海の汚染がつながっていることを確認、公表してくださったのは、北海道大学の向井宏名誉教授と日本自然保護協会の安部真理子さんでした。かつての豊穣の海が土砂採取によって「死の海」となっていたことは、大きな衝撃でした。このときに参加した西日本の7団体が、「辺野古土砂搬出反対」全国連絡協議会を、立ち上げたのです。同時に沖縄県議会から与党会派の7人の議員がオブザーバー参加をされて、生物多様性の観点から「県外の土砂搬入時の規制」についての条例作成の準備が行われていることが報告され、7月には条例が制定されました。

 発足から4カ月余り、10月3日には、長崎県で第2回総会が行われましたが、鹿児島県奄美大島、福岡県門司区、熊本県天草、長崎県五島、香川県小豆島などからも参加があり、ネットワークが広がっています。
 5月から始めた「搬出反対署名」は、5万2千筆を越えて、10月15日には総理大臣宛提出し、環境省と防衛省にも申し入れを行いました。
 「ふるさとの土を一粒たりとも戦争に使わせない」という、私たち「本土」の共通認識をさらに広げて、辺野古の新基地を阻止していきたいと思います。

(ラムネットJニュースレターVol.21より転載)


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