【オルタの視点】

迫るフランス大統領選と左翼の混乱

鈴木 宏昌
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 メールマガジンオルタは私にとって貴重な存在です。フランスに住みながら、これは面白いなあという社会現象を選び、それに関する情報をインターネットを通じて集め、4、5ページくらいにまとめる作業を2ヶ月に1回くらいの頻度でやっています。私にとっても、フランスの社会・経済問題を勉強するよい機会になりますので、オルタは私の励みになっています。また、毎回の編集後記を読みながら、加藤編集長のフットワークの軽さにびっくりしています。毎日のように、いろいろなイベントに顔を出している加藤さんの情熱に脱帽です。

 簡単に自己紹介から始めたいと思います。私は、大学を卒業後、就職するのがいやだったので大学院に進み、修士の2年の時、フランス政府の給費生としてフランスに留学しました。1965年のことです。本当は2、3年で博士論文を書けるはずだったのですが、フランスでの学生生活が面白く、遊んだりしていたものですから、論文を書くのに4年半もかかってしまいました。その間に1968年の学生騒動とゼネストがあり、面白がって、毎日、カルチェ・ラタンに行っていました。一度は、野次馬として見物していたときに、警官に追いかけられ、地下鉄の駅にもぐりこんだところ催涙弾が投げ込まれ、泣きながら地下鉄で我が家に帰った記憶があります。

 その後、1970年から1986年までは、ILOの本部(ジュネーブ)で仕事をしました。主に、労使関係部で、賃金関係の報告書などを書いていました。国際機関の仕事に慣れた1986年に、ひょんなことから、早稲田大学に転職、25年間労働経済論と労使関係を教えました。2011年に大学を退職しましたが、そのとき、私の家内から、25年間日本に住んだのだから、今度はフランスに住む番だと宣告されてしまいました。そのため、私たちは5年前に、パリの近郊に引越しました。パリでは、ぶらぶらしていてもしょうがないので、私の友達に頼み、郊外の研究所に机を借り、そこに週に2度くらい顔を出します。小さな社会科学の研究所ですが、若手の研究者と話ができるのは良い刺激になります。フランスの若手研究者は、実にエネルギッシュで、食事のスピードも話のスピードも驚異的です。まあ、パリでは、こんな生活をしています。

◆◆ 大統領選挙

 さて、フランスは、大統領選挙が始まったばかりで、今は野党の共和党予備選挙の真っ只中です。本番の大統領選挙は、来年の4月23日(一次選挙)と5月7日(2人の候補による決選投票)ですが、最近のすべての世論調査は政権交代を予測しています。ですから、保守系の共和党の候補が誰になるか、ここでだいたい次の大統領が決まると言われています。6人の候補が予備選挙に立候補していますが、実際には2人の有力候補が競り合っているという状況のようです。来年の5月に新大統領が選ばれると、国民議会は解散され、新大統領はその勢いを借りて、国民議会で安定多数を獲得、5年間の長期安定政権を担当する見込みです(フランスは比例区なしの小選挙区制)。

 共和党の予備選挙では、有力候補は古株ばかりです。世論調査でトップを走っているのは、元首相でシラック大統領の懐刀といわれたアラン・ジュペ氏です。彼は、絵に描いたようなエリートの政治家で、秀才が集まることで有名な高等師範を卒業後、高級官僚や政治家の登竜門になっているENAを経て、早くから大臣官房の補佐官になりました。非常に弁舌爽やかで、なんでも知っているというタイプの人です。1995年から2年間、首相をやりましたが、年金改革・医療改革で組合などの強い反対を受け、首相の座を退いています。その後、不遇の時期もありましたが、保守党が政権をとってからは、大臣を歴任、最後はサルコジ大統領のときに、外務大臣を務めていました。穏健な保守政治家として、国民的な人気はありますが、71歳という年齢が一つのハンディキャップです。

 対する有力候補はサルコジ前大統領で、ものすごくエネルギッシュなタイプです。もともと弁護士の資格を持っていますが、エリートではありません。保守党の中での叩き上げの政治家で、早くから野心的な政治家という評判を得ていました。彼が内務大臣のときに、郊外でイミグレの若者たちの大規模な暴動が起こりました(2005年)。その際、高圧的な態度で暴動を抑え込み、硬派の政治家として保守層の人気を得ました。2007年に大統領に就任。2008年の金融危機では、EUレベルで大規模な財政出動を画策しました(フランスが現在悩んでいる財政赤字の原因でもある)。いつもスマートフォンを持ち、マスコミをにぎわす現実主義者で、いわゆる小泉さん型の劇場型の政治家です。ただ、最近のサルコジ氏の発言は、イスラム系社会を排斥したり、治安維持を優先させたりと極右に近い立場をとっています。対EUの関係では、サルコジ氏の出方は読めません。自己主張が強く、リーダシップを取りたがるサルコジ氏は、ドイツと喧嘩したり、フランスをEU内で孤立させる危険性はあるように思います。現在のところ、ジュペ氏の方が人気あると言われていますが、サルコジ氏は共和党の活動家の間では人気がありますので、勝敗の行方は分かりません。

 与党の社会党の予備選挙は来年の1月の22日、27日に行われる模様です。党内左翼の人が何人か立候補するようですが、肝心の主流派から誰が出るのか皆目わからない状況です。ご存知だと思いますけれども、現大統領のオランド氏はまるで人気がありません。不思議なような気がするのですが、何をやっても彼の政策にはケチがついてしまいます。ヴァルス首相の立候補も噂されていますが、社会党内には、彼が推し進める社会民主系の政策(労働法改革など)にアレルギーを感じている人は多いようです。現在のところ、誰が社会党の代表として大統領選挙に出るのか、まったく見通しが付きません。

 来年の大統領選挙に出馬が予想されているその他の有力候補は、極右のマリーヌ・ルペン氏(FN)と左翼連合のジャン・リュック・メランション氏です。ルペン氏は、一昨年のEU議会選挙でFNが第1党に躍り出たことが示すように、不満を持つ層の受け皿として、勢力を伸ばしています。イスラム系移民の排斥と反EUのスローガンが多くの労働者、農民、年金生活者の支持を得ていると言われています。多くの世論調査は、ルペン氏は共和党の候補とトップ争いをすると予想しています。一方のメランション氏は共産党をバックとしていますが、個人的な人気もあるので、第一次投票で、10%前後の得票を獲得する見込みです。こうしてみると、社会党候補は決選投票に出られない公算が大きいです。なお、ルペン氏は、決選投票では勝つ見込みはないと言われています。極右に対する拒否反応は、共和党、社会党の支持者も共有していると思われます。

◆◆ 左翼政党の混乱

 次に、今のオランド政権が次の選挙の時に負けた後、左翼をどう立て直すのかという問題を考えてみたいと思います。現在のフランスの左翼勢力は、いくつもの流れからできています。一つは共産党です。共産党は、レジスタンスの時に一番の柱になったことから、戦後は共産党が圧倒的に強かった歴史があります。社会党が共産党を上回って国民議会で野党第一党になるのは1976年です。フランス共産党は、長い間、ソ連との協調路線を取り、労働者の政党と自負していました。最大の労働組合であるCGTとは、今でも共産党と緊密な関係を維持しています。

 CGTは、国有企業、すなわち電力、ガス、鉄道、運輸などで強い基盤を持ち、戦闘的な人が多いのが特徴です。また、教員とか看護師などにも支持層がありますので、決してブルーカラー労働者の組合ではありません。1981年にミッテランが大統領に選ばれた時には、共産党はしばらく政権に参加しましたが、ドロールの緊縮財政に反対し、在野しています。その後は、共産党は選挙の度に得票率を減らし、現在では、支持率は一桁をかなり下回るといわれています。昔は、大都市の周辺や工業地帯で幾つもの牙城を持っていましたが、地盤低下は顕著です。ただ、共産党の牙城である都市では、低所得者向けの住宅供給やいろいろなNGO活動を通じて、地域に根を張った活動の実績がありますので、根強い支持基盤をある程度確保しています。

 政権与党の社会党は、1905年にジャン・ジョレスが中心となり、革命政党として創立されます。1936年には、左翼連合のレオン・ブルーム内閣は、短期間に、年次有給休暇(2週間)や団体交渉の制度化を行なっています。戦後は、表舞台で活躍することはほとんどありませんでしたが、泥沼化したベトナム戦争に終止符を打った社会党のマンデス・フランスの功績が光ります。その後、ドゴール大統領が政権に復帰すると、社会党は分裂を繰り返し、次第に衰退します。1971年にミッテランが社会党の代表に選ばれて、ここでようやく社会党の再生が始まります。
 ミッテランは、実に息の長い政治家で、1940年代、1950年代に、すでに大臣を何回か経験しています。初めは中道より右の政治家でしたが、次第に左翼へ行った経歴を持っています。大統領の在任期間は、1981年から1995年までです。彼の功績として、EUの統合に大きく貢献したことが挙げられます。ドイツのヘルムート・コール首相と仲が良く、EU委員長だったドロール氏を助け、EU統合にこぎつけたことは大きく評価できます。ただし、ミッテラン大統領は経済政策の面で失敗もしています。1981年に新大統領に選ばれた直後、ケインズ型の財政出動を行い、貿易収支の悪化、フランの低下を招き、緊縮財政に転換せざるを得ませんでした。ミッテランは、言葉を選ぶ文人であり、一定の個人的な人気は保ち、再選を果たしています。
 その後、1997年から2002年までジョスパン氏が社会党の代表、そして首相を務めました(保革同棲 co-habitation の期間)。ジョスパン氏は、プロテスタントの家に生まれ、非常に謹厳な性格なので、あまり国民の受けはよくなかったようです。首相として在任期間中に、法定労働時間を35時間にする法改正(オーブリ法)を採択しています。しかし、2002年の大統領選挙の時に、極右のルペン氏に敗れ、決戦投票に残れず、政界を去ります。

 2002年から2012年まで、社会党は野党となり、党内は再び分裂様相を呈します。たとえば、EU統合に反対する人がいる一方、EU統合の促進を唱える人が党内に共存することになります。基幹産業の国有化を夢見るグループがいる一方、社会民主系の路線を主張する右派が対立します。2007年の大統領選挙では、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル候補は、接戦でサルコジ候補に敗れます。そして、まとまりのない社会党の書記長として、何とか党をまとめてきたオランド氏が2012年に大統領選挙に立候補し、勝利します。ただ、これもオランド氏が人気あったと言うより、サルコジ嫌いの人が多かったからと言われています。不満層の期待を集めたオランド政権はすぐにEUとの関係でつまずきます。

 オランド政権の希望はイタリア、スペインと組み、EUの経済政策を大きく変え、景気浮揚政策を採ろうとしたのですが、保守系のドイツやオランダに押し切られ、フランスはEUから財政規律基準の遵守を迫られます。2012年にフランスの財政赤字は、GDP比で4.8%でしたので、3%以内にというEUの財政規律の基準には程遠く、増税を含む緊縮財政を取らざるを得なくなりました。この緊縮財政に社会党内の左派とエコロジストが強く反対し、与党の社会党は党内に野党をかかえることになります。緊縮財政を余儀なくされたフランスでは、その後、低成長が続き、最重要目標としていた失業率が慢性的に10%を超え、雇用の回復どころか、雇用情勢は悪化するとみられます。そのため、オランド政権の人気は長く低迷します。
 2015年1月にはイスラム系過激派によるシャルリ・エブド(風刺週刊誌)襲撃事件が起こり、非常事態宣言を出しています。イスラム過激派のテロ事件は、2015年11月、そして2016年7月(ニースの花火大会での暴走トラックと神父暗殺事件)と連続して発生しました。回復の兆しの見えない失業問題、イスラム過激派によるテロの脅威と明るい話題に乏しい中で、社会党は中間選挙で連戦連敗の状況が続いているわけです。

 中間選挙の結果をみると、社会党は、その昔基盤であった労働者の支持をまったく失っています。たとえば、鉄鋼や石炭、繊維産業などの中心であったリールやロレーヌ地方では、現政権に失望した労働者は極右のFN支持に回っていると言われています。また、社会党の伝統的な地盤だった大都市郊外でも、社会党は勝てなくなっています。もともと社会党は、統一された思想で集まった集団ではなく、様々な潮流に分かれています。いちばんの主流(オランド派)は、ドイツ・北欧流の社会民主主義を目指し、グローバル経済の行き過ぎを修正し、所得の再分配で平等を実現しようとしているのに対し、左派グループは、マルクス主義の影響を受け、基幹産業の保護とケインズ型の景気浮揚政策を主張しています。テロ対策、イスラム系社会との共存のあり方、EUとの関係といった諸問題でも左右のグループ間の意見対立がみられ、党の統一綱領すら採択できない状態です。

◆◆ 社会党の再建の道筋

 今後、社会党をどう再構築するかとなると、やはり党の今後の路線をしっかり考えておく必要があると思います。そして、理想と現実との乖離をどう乗り越えるのか、今回の社会党政権が反省材料になるはずです。オランド大統領が最初からつまずいたのも、現実を無視した理想論の公約が多すぎたことにあります(この点、日本の民主党政権が同じような失敗を犯し、無残な結果になったのと似ている?)。その中でも個人的に重要と考えている4つの問題があります。

 第1は、対EUとの関係です。1980年代から1990年代にかけて、EU統合は大きく進みますが、これは主に独仏が協調した結果です。今では、ドイツの経済力とフランスの経済力で大きな差がついている現実があります。多分、イギリスがEUから離れれば、ますますEU内におけるドイツの影響力が増すはずです。現実を見据えて上で、対ドイツ、対EU関係を考える必要があります。

 2番目は経済のグローバル化をどう考えるのか? フランスの左翼政治家には、多国籍企業に不信を持ち、政治介入しても自国の雇用を守ろうとする左派の風土があります。最近では、TGVを製造しているアルストーム社の工場閉鎖を避けるために、国が直接TGVを注文するこっけいな状況も生まれています。つまり、雇用を守るという保護主義の政策と経済のグローバル化、ここらの整理が未だに社会党にはついていません。

 第3の問題は社会保障とその財政の健全化です。年金にしても医療保険にしても失業保険にしても、恒常的に赤字の体質を持っています。国からの補填と借金(長期債券)で、現在の寛容な社会保障制度を維持していると言えます。たとえば、年金の受給年齢は、ミッテラン大統領のときに、60歳と決めた経過から、社会党はその看板を下ろすことができないでいます。この間に、保守党の時代に、実質的に年金受給年齢は63歳から64歳に引き上げられていますが、社会党の内部からは、年金財政の健全化のための抜本的な発言はありません。野党であるときはそれでも良いのかも知れませんが、政権政党になると、建設的な青写真を持っている必要があります。

 最後のポイントは、個人の自由と治安維持(テロ対策)という深刻な問題です。テロの場合、事件が起こる前に、容疑者を厳しい監視の下に置く必要があります。とすると、それはどうしても個人の自由を制限することになります。これまでのところ、社会党の左派は個人の自由を根拠にして、オランド大統領の非常事態宣言に反対してきました。同じことは、政教分離でも言えます。イスラム教の信仰者は、スカーフの着用、ラマダン(断食)の尊重、豚肉を食べないなどの戒律がありますが、学校や職場でどこまでその戒律を持ち込めるかは結構難しい問題です。現在の法律では、公の場所では、宗教色のあるものは認められないことになっています。しかし、学校での給食とか水着(ブルキニ)となると、公私が混同せざるを得なくなります。現在の社会党は、この問題に関して、統一見解はなく、現政権の政策に雑音ばかりが聞こえてきます。

 これらは、難しい問題ばかりで、今後、フランス社会党の再建には、かなり時間がかかると思います。

<追記>
 「10月29日に私がこの主題で講演したオルタ・オープンセミナーから2ヶ月経ち、思いもかけぬことの連続である。アメリカの大統領選挙で反エスタブリシュメントのトランプ氏が勝つというショッキングなことがあったが、フランスでも意外な展開となっている。共和党の予備選挙は、ジュぺ氏とサルコジ氏の一騎打ちという大方の予想がまったくはずれ、フィヨン元首相が共和党の予備選挙で圧勝した。フィヨン氏は、まじめなベテラン政治家で、市場原理に基づく保守的な公約を行なっていた。第3の候補と見られていたフィヨン氏がなぜ最後になって支持層を拡大したのかは明確ではない。彼の経済・社会政策が受けたというより、フィヨン氏が熱心なカソリック信者で、イスラム系社会に厳しい態度をとっていることが、保守層の一部に受け、彼らが水面下で活動したことが今回の結果につながったようだ。また、多くの高齢者はカソリックの神父がイスラム過激派によって殺害されたショックを引きずり、予備選挙に参加したのではなかろうか? ただし、本番の大統領選挙では、フィヨン氏は、保守層以外に、中道の人たちの支持を得なければ勝つことは難しいだろう。今後、難しい舵取りが求められそうである。

 社会党の予備選挙は混迷が続いている。オランド氏は、結局、再選をあきらめ、ヴァルス首相が出馬することになった。党内の左翼グループを中心として、ヴァルス嫌いの人が多いので、彼が予備戦で勝てるか見通しがつかない。また、国民的人気がある38歳のエマニュエル・マクロン氏(最近まで経済相をつとめ、改革路線を引っ張っていた)は、社会党の予備選挙を経ずに、大統領戦に立候補するとしている。政治経験がないことを買われて、社会党の右派の大物がバックにいると言われ、中道左派を巻き込もうとする戦略のようだ。社会党の予備選挙の結果が、そのまま社会党の候補になるのかすら分からなくなっている。実に混沌たる状況である。」

 (パリ在住・早稲田大学名誉教授)


最新号トップ掲載号トップ直前のページへ戻るページのトップバックナンバー執筆者一覧