遠足会

深センから

『遠足会』

                   佐藤 美和子


 もう10年も前のことで恐縮なのですが、最近ふと思い出した昔の思い出話をば。

 広東省東莞市のとある日系企業に勤めていた頃、社内現地従業員向けレクリエーションの遠足会に参加させて貰ったことがありました。朝、観光バスに乗って出発し、夕方には会社に戻らねばならないため、そんなに遠くへは行けません。その年は近郊の山が目的地で、ちょっとしたハイキングのようなものでした。

 私たち日本人は、誰もが小学校時代に遠足や修学旅行を経験していますよね。学校によっては、みんなで山登りをする健脚会や海での遠泳に社会科見学といった様々な行事もあり、集団活動としての遠出には子供の頃から慣れています。ところが中国でこの社内レクリエーションに参加してみて、中国の現地従業員にはそういった経験のない人が多いことを初めて知ったのでした。

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 まず朝の集合場所で、その日一度目のびっくり光景が目に飛び込んできました。一般的に、工場で就労している現地作業員は、8〜9割が二十歳前後の若い女の子で構成されています。集合場所に集まっていたその大勢の女の子たち、思わず二度見してしまうような、ずいぶん突飛ないでたちをした人だらけだったのです。

 今から山歩きをすることはみんな知っているはずなのに、山にはあまりにも場違いな、フリフリのワンピースに厚底靴というファッションの子。ちょっぴりセクシーに膝上タイトスカートをキメたはいいが、服にあわせて選んだパンプスが履き慣れないのか、朝の集合時ですでに歩きにくそうにしている子。林家ペー&パー子のごとく、なぜか全身ショッキングピンクで統一している子。女の子3人組で、服もバッグも何もかもをお揃いにしていて、まるで三つ子みたいな様子の子たち。何人かで色違いのスウェット上下に身を包み、なんだか特撮戦隊チームの隊員のようになっている子たち。みんながあまりにカラフルでちぐはぐで、目がくらくらしそうです。

 みんなの輪に入っていってまもなく、彼女らのびっくりファッションの訳をすぐに悟りました。私の知っている子も知らない子も、次々に自分のファッションを披露しに来てくれるのです。

 今日は久しぶりの遠出だから、嬉しくて普段工場では着用が禁止されているスカートにしてきたの。スカートって履き慣れていないから、ちょっぴり恥ずかしいんだけど。
 ねぇ見て見て、昨日退勤後に急いで町中に出て、新しい服を買ってきちゃった! 似合ってるかなぁ?
 私たちはどうせ服を新調するなら、仲良しの友達と同じのがいいと思って、3人で示し合わせてお揃いを買ったの、いいでしょ? サイズが無かったりして、全部を3つずつ揃えるのはすっごく大変だったのよ!

 この子たちは、この日の遠足をそれは楽しみにしていて、また普段は地味なお仕着せ作業服姿のため、ここぞとばかりに思い思いにオシャレをしてきていたのです。私はてっきり日本の若者と同じく、この子たちもこういった会社行事を面倒がっていて、ダラダラ参加してくるのだろうと勘違いしていました。

 よく考えてみれば、現地従業員の大半は、高卒で地方から出稼ぎにやってきた子たちです。最近の都市部の幼稚園や私立校、インターナショナルスクールでは遠足や修学旅行の行事もありますが、現地従業員の子たちが通っていたような地方の学校では、予算の問題からか、または教職員数や学校設備にも事欠くような学校も少なくなかったためか、少なくとも彼女らが子供の頃はそんな行事はなかったのだそうです。

 また、当時の現地従業員の多くは、給料の一部〜半分ほどを実家へ仕送りしていました。毎月給料日は必ず、会社周辺の銀行や郵便局では実家へ送金しようとする人で長蛇の列でした。実家への仕送りと、また将来自分が故郷へ帰って結婚するときのための蓄えもしなければならず、春節(旧正月)の長期休暇の帰省すら数年置きに我慢して、帰省交通費を節約している人もいました。そんな健気な子たちなので、普段はたまに工場近辺の雑貨屋やローカルスーパーをのぞく程度、東莞の隣の市にすら出かけた事がない子も多かったようです。

 そんな倹しい生活のなかの、めったにない遠出のチャンスです。そのうえ年頃の女の子たちですから、一番オシャレを楽しみたい頃でもあります。会社行事を素直に喜び、折角だからと少しの出費を自分に許して洋服やバッグを新調してきた子たち。そうと知ったら、どの子ももう可愛らしくて可愛らしくて(笑)。私が彼女らくらいの年頃のときは、この子たちのような素直さはかけらも持っていませんでしたし、随分だらけた人生を送っていたような……まぁ、今だにそうなんですけどね……。

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 観光バスに乗り込んで出発すると、会社が用意してくれたオヤツが配られます。クッキーにおせんべい、チョコとプチゼリーと飴玉、ヤクルトのパチモノのような乳酸飲料、どれも大手メーカー品ではない駄菓子だったものの、色んなジャンルのお菓子を少しずつ楽しめるようナカナカ良く考えられていて、一人分ずつきちんとビニール袋に詰めてくれてありました。そうすると、今度はそのお菓子をあちこちで交換してみたり、こっそり持参のお菓子を回りの友達に配ってみたり、キャアキャアとそれは楽しそうでした。

 激甘党の私ですが、正直、駄菓子はそんなに好きではありません。更に言うなら中国メーカーの駄菓子は、どうも日本人の嗜好とは違うようで、滅多に口に合わないのです。それでいくつか食べられそうな飴玉などを残し、ほかは周りの子たちにあげてしまいました。ホントにいいの?と少し遠慮しつつ、でも喜んで何人かで分け合っていたのですが、

 「こんなにたくさん私たちに配っちゃったら、あなたの手元にはもういくらも残っていないでしょう、あとでお腹空きますよ? そうだ、このお菓子、すっごく美味しくって私、大好きなんです。これだけでもいいから、ぜひ食べてみてください。きっとあなたも美味しいって思うはずだから!」

 却ってそんな風に私を気遣って、返してくれる子がいました。彼女が熱心に勧めてくれるお菓子は素直に返して貰って食べましたが、彼女の気持ちが美味しかったです。なんて優しくて可愛げのあるイイ子なんだ〜!

 遠足メインのハイキングになっても、彼女らのテンションはまったく下がらず、随所で友達との記念写真を撮りまくりのハシャギまくり、そりゃもう一日中パワフルでした。私、この日は随分たくさんの子たちと一緒の写真を撮ってもらいましたよ。私が相手を知らなくても、彼女たちはみんな、私が社内唯一の日本人女性だということを知っています。日本人の女の人としゃべるの初めて〜と、はにかみながら話しかけてくれる子が何人もいたので、記念写真好きな中国人、きっと日本人とも一緒にお出掛けした記念に、私との写真を撮りたがったのだと思います。もし私が欧米人のように、ひと目で“ガイコクジン”とわかるような容貌だったら、もっともっと引っ張りだこだったことでしょう(笑)。

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次のびっくりは、トイレ休憩のときに起こりました。
ハイキングの途中、公衆トイレのある広場で休憩する事になったのですが、みんながいっせいにトイレに殺到するので大混雑です。トイレに並ぶ時間が長いと、広場で写真撮ったり遊んだりする時間が減っちゃうー!と、みんな長い待ち時間にイライラし始めました。すると一人の女の子、そうだ!いいこと思いついた!と、みんなにある提案をしました。どんなアイデアだと思います??? なんと、二人一組で一つの個室に入って同時に用を足せば、待ち時間が半分になる、というのですよ!

 中国のトイレは和式の場合、日本の和式便器と違っていわゆる「金隠し」がついていません。フラットになっています。そのためどちらが前で後ろなのか分かりにくいのですが、たぶん多くの日本人は中国では間違った方向にしゃがんでいると思います。

 というのも、日本と中国、トイレの座る向きが逆なのです。中国では、個室に入ったらくるりとドアのほうに向き直ってからしゃがむのが一般的なのですよ。かく言う私も、随分長いことこの事を知らず、ずっと反対向きに使っていました(恥)。たまーにトイレットペーパーが備え付けられている場合、随分後方の取りにくい位置にあるなぁと長年疑問に思っていましたが、単に自分が方向を間違えて座っていただけのことでした。もっと早くに気づけよ〜、自分!

 つまり彼女のアイデアは、友達同士、二人一組で同時に個室に入り、背中合わせ?お尻合わせ?で、前後にしゃがんで一緒に用を足そう!というぶっ飛んだものでした。金隠しがない、フラットな中国式トイレならではのアイデア……なのかな(笑)? さすがにこのアイデアは、二人の用足しの時間がぴったり同じとは限らないじゃん、そんなのちっとも時間の節約になんかなんないよ!と、あまり支持を得られず、実行していたのはわずか数組だけだったようです(いや、言いだしっぺを含め、実行者が数組いただけでもスゴイですかね)。日本では、観光地の公衆トイレが混雑したとき、中年女性がドドッと男子トイレに押しかけ男性を押しのけて、女性が占拠しちゃうことがありますが、どちらの解決方法がよりぶっ飛んでますかね〜(笑)?

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 実はこの現地従業員向けレクリエーション、本当はこのときのようなハイキングより、例えば東莞市の北隣りの広州市や南隣の深セン市のような、大都会にあるテーマパーク行きのほうがはるかに要望が多かったそうです。それはそうですよね、大型遊園地やテーマパークといった行楽地は彼らの出身地の地方にはないものですし、往復のバス移動中、大都会の様子だって垣間見られるのです。

 しかもその頃は、地方の農村戸籍の人が深セン市に行くには、なんと許可証が必要でした。当時の深セン市と東莞市の境には第二国境と呼ばれるボーダーがあり、深セン市の経済特区エリア内は地方出身者が気軽に行けるところではありませんでした。当時の彼らにとって、深セン行きは海外へ出かけるのと大差ない感覚だったと思います。

 ただ、会社にしてみれば、従業員全員の許可証を揃えるのは、手間もお金もずいぶん余分にかかってしまいます。それにもし、誰かが深セン市内で行方をくらましてしまったら、非常に面倒なことにもなります。みんなの希望はわかっていても、実現はなかなか難しいことでした。2013年の今も第二国境建築物などは残っていますが、ボーダーや許可制が撤廃され、深セン市への出入りに一切の制限が無くなってもう3年です。実はこの記事を書いていて、私もついさっき第二国境があったことを思い出したばかりなのです。

 わずか3年ぽっちで、それほど大きな変革もすっかり忘れ去られ風化してしまう中国なので、当時の私が見聞した現地従業員たちの生活や彼らの考え方など、10年も経ってしまえばもうほとんど昔話に近いと思われます。今の若い子達は、わざわざ出稼ぎなどに出てきません。沿岸地域より多少収入が低くても、生まれ育った出身地の両親の元で、ぬくぬくと生活することを望む若者が増えたため、かつて大勢の出稼ぎ労働者に支えられてきた東莞市の工場は、いまや慢性的に人手不足に陥っているのだそうです。十年一昔という言葉を、しみじみとかみ締めています。

 (筆者は中国・深セン在住・日本語教師)


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