【コラム】大原雄の『流儀』

選挙という『劇場』(2)

大原 雄


☆クロニクル:5月2日。東京の憲政記念館。改憲派の集会。大会決議では「今後いつでも改正作業に取りかかれる状況にあることを慶賀したい」、という。
 最近の各種世論調査を見ると、世上は「大局変動」の兆しが窺え始めたのか。それとも幻か。例えば、5月3日にNHKが公表した世論調査によると、「憲法を改正する必要があると思う」が27%で、「憲法を改正する必要はないと思う」が31%だった、という。去年の同じ時期に行なった同じ質問の調査と比べると、「憲法を改正する必要はないと思う」が増え、この10年間で、5回同じ質問をしているそうだが、「必要がない」と答えた人の割合が、今回、最も多くなった、という。9条については、「改正する必要がある」が、22%、「必要はない」が、40%ともっと差が開く。改憲派の認識と世論調査の動向との齟齬。

 今後の政治日程のチェックポイント。5月26、27日の伊勢志摩サミットのタイミングで、来年に予定されている消費税増税(10%へ)の先送りか、6月の衆院解散(6月1日で国会会期切れ、あるいは会期延長?)、7月の衆参同日選挙実施(参院の任期は、7月25日)か、あるいは、衆院の年内解散。来秋解散。衆院任期満了は、18年12月。憲法改定で与党が優先的に見込んでいる項目(例えば、熊本地震との絡みで声高に聞こえ始めた「緊急事態条項」「家族条項」など)から一部の改定提案へ、国民投票実施へ。そして憲法の一部改定に着手へ、というようなことを安倍首相は頭の中では考えているのだろうという説がある。

☆クロニクル:4月22日の昼前、高市早苗総務大臣は、春季例大祭が開かれている靖国神社に参拝した。安倍政権はマスメディアに介入する発言を続けているが、今年に入って夏の選挙を意識した発言は、高市発言から始まったのではないか。

◆◆ 世界からの懸念

 日本のジャーナリズムの公正さを巡っては、いま、世界から懸念されている。「世界報道自由ランキング(Worldwide press freedom index)」という国際的な指標がある。国際的なNGO「国境なき記者団」(本部パリ)が、4月20日、2016年の「報道自由ランキング」を発表した。対象となるのは、180の国と地域。日本は、72位。真ん中より、ちょっと上だが、6年前の2010年には、11位だった。その後、年々順位を下げている。2014年は、59位、2015年は、61位。因に1位など上位は、フィンランドなど北欧諸国、下の方には、北朝鮮、シリア、中国など。「国境なき記者団」では、2002年以降、毎年14の団体と130人の特派員、ジャーナリスト、調査員、法律専門家、人権活動家らが、それぞれの国の報道の自由のレベルを評価するため、50の質問に回答する形式で指標が作成されている。このNGOは1985年、フランスの元ラジオ局記者ロベール・メナール氏によってパリで設立された。現在は、海外に130の支局があり、それぞれの国のメディア規制の動きをウオッチングしている。このランキングに大きく影響を及ぼしたのが、日本では取材の仕方次第で取材者が処罰されかねない特定秘密保護法の施行だった。高市早苗総務大臣によるテレビ局の「停波」発言ほか安倍政権によるマスメディアへの恫喝、あるいは、安倍政権に対するマスメディアの「自主規制」というか、「忖度」というか、「萎縮」が順位を下げ続けさせている、という。

 もうひとつは、国連人権理事会の動きである。国連人権理事会が任命した特別報告者(「表現の自由」担当)のデビッド・ケイ氏(アメリカのカリフォルニア大アーバイン校の教授、国際人権法専攻)が4月19日、都内で記者会見をし、「日本の報道機関の独立性が深刻な脅威にさらされていることを憂慮する」という声明を発表した。ケイ氏は、数日間に亘って日本に滞在し、ジャーナリストやマスメディアなどの団体から日本の表現の自由について聞き取り調査をした結果、放送法や特定秘密保護法関連のマスメディアの報道実態を憂慮する、としたのだ。日本ペンクラブも聞き取り調査に協力した。国連人権理事会の表現の自由を担当する特別報告者の訪日調査は初めて。日本政府への正式な勧告は来年発表するという。記者会見で、ケイ氏は、(1)放送事業者に「政治的公平」を求めた放送法4条の規定を根拠に高市早苗総務大臣が放送局の電波停止(停波)について繰り返し言及した問題には「大いに懸念を抱いている。4条を廃止すべきだ」と言及した。日本は政府が放送免許を認可し、放送行政を監督していることに関し、政府ではなく独立行政機関が監督すべきだとも述べた。(2)特定秘密保護法については、「特定秘密」の定義があいまいで範囲が広がること、報道機関が萎縮する恐れがあることを挙げて、「法を根本的に変えるべきだ」などと語った。世界からの懸念を払拭するためには、日本のジャーナリストが気骨を持ち、権力の恫喝に萎縮せず、権力監視の大義に邁進し、』不適切な制度は変える必要がある、と思う。

 問題になっている放送法4条とは、以下の通り。
 第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当つては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 二 政治的に公平であること。
 三 報道は事実をまげないですること。
 四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 ケイ氏が指摘した高市発言については、「オルタ」(147号)に書いたが、ここでは、琉球新報に載った専修大学の山田健太教授(言論法専攻)の放送法4条の問題性に言及したコラムを紹介したい。*以下、引用。

*現在の放送法4条に定められている「政治的公平」規律は、放送法制定時の法案ではNHKの番組を規律する45条として用意されており、しかも主として選挙報道を念頭に置いていたものであることが分かる(注-引用者。1949年第7通常国会に提出された「放送法案」第45条(政治的公平)。(1)協会(注-引用者。NHK)の放送番組の編集は、政治的に公平でなければならない。(2)協会が公選による公職の候補者に政見放送その他選挙運動に関する放送をさせた場合において、その選挙における他の候補者の請求があったときは、同一の放送設備により、同等な条件の時刻において、同一時間の放送をさせなければならない。注—引用者。引用終わり)。さらに言えば、現行法で同じ条文の中にある「事実報道」や「多角的論点の提示」の規定は、一つ前の44条3項として定められていた内容である。
 これに対して修正が施され、45条にあった政治的公平の項が44条と合わさり、現在の放送番組準則と呼ばれる4条と同様の規定となるとともに、適用対象を一般放送事業者(民放)に対しても準用することが決まった経緯がある。
 これからすると、この解釈には二つの可能性があると考えられる。一つは、条文の出自を重く見て、選挙報道の場合などにおいて「数量公平」を求めるという考え方である。もう一つは、一般原則化した経緯を重く見て、多角的論点の提示との結び付きの中で「質的公正」を大切にするということになる。(略-引用者)一般的なのは質的公正さを求める考え方で、これはまさに「公共」放送の考え方とも通じる。すなわち、多様性の確保であり、多角的論点の提示と相まっての質的公正を求めるものである。 *以上、引用終わり。

 つまり、選挙報道(選挙についてのニュースや番組など)、特に、公職選挙法に基づいて放送される候補者個人及び政党政治団体の政見・経歴放送のような演出方式の番組での「数量公平」をイメージされると判り易いと思う。一つひとつの一般番組の中で政治がらみの報道についてはこうした形式的公平性優先で制作され、放送されたら、どうなるかと想像力を働かせたら宜しかろうと思う。視聴者が知りたいことをこのような演出の番組は伝えていると思われるだろうか。政見放送の演出方式を一般原則化する放送法制定の経緯を考えれば、山田教授が言うように、「政治的公平性」というのは、「多角的論点の提示と相まっての質的公正を求めるもの」であり、「多角的論点」、つまり、「多元的な情報」の提供こそが、求められているのであって、時の権力に都合の良い情報だけを、時の権力者の判断に従って提供すること、提供しないなら「停波」にするというような高市発言の判断とは、最も遠くかけ離れていることだと思う。「多元的な情報」提供を促すことで、与野党の対立点を明確にし、公共的な合意形成に資することこそ、真の政治的な公平性の確保ということだろう。高市発言を検証してみると、政権の政策批判は許さない、という安倍政権の真意が浮き上がって見えてくる。政権の政策批判を許さないとは、タイムトリップしてみれば判るが、江戸時代の徳川幕府のご政道批判を許さない、というのと同じではないか、ということだ。

 例えば、寛政の改革時代の江戸。寛政3(1791)年、山東京伝(さんとう きょうでん)が書いた洒落本などがご政道の勧める風俗を乱す本を取り締まる出版物取締令に違反したという理由で咎めを受け「手鎖50日」に処せられたのは、有名な話。手鎖、つまり、手錠をかけられたまま、50日間生活を余儀なくされた。山東京伝は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。宝暦11(1761)年、江戸・深川木場の質屋・岩瀬伝左衛門の長男として深川木場に生まれた。天明9・寛政元(1789)年、黄表紙本に描いた挿絵が咎めを受け過料処分となる。過料に処せられたことを理由に京伝は寛政2(1790)年、戯作執筆をやめようと考えるが、版元の蔦屋重三郎の懇請で思いとどまる。しかし、過料処分から2年後、寛政3(1791)年、再び咎めを受け「手鎖50日」に処せられたのは触れた通り。あわせて、版元の蔦屋重三郎は過料により「身上半減」、財産の半分を没収される。店の間口が半分になる。6年後、寛政9(1797)年、盟友・蔦屋重三郎が死去。山東京伝自身は、19年後、文化13(1816)年まで生きる。政策批判は、ご政道批判と同じ、というなら、権力者の意識は徳川幕府並、ということだろう。

 安倍政権の下、新聞、出版に続いて放送でも、ご政道批判は許さないという権力の恫喝や風潮が蔓延している、という。これこそ、政治的に不公正という見本のような話ではないか。

◆◆ 隠蔽と先送り

 4月23日配信の毎日新聞記事によると、熊本地震発生を受けてNHKが組織内で開いた「災害対策本部会議」で、本部長を務める籾井勝人NHK会長が「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していた、という。以下、この記事をベースにして、私見を書く。

 22日、会議の内容は関係者の話で分かった、という。会議は20日朝、東京のNHK放送センターで開かれた。関係者によると、籾井会長は会議の最後に発言した、という。「食料などは地元自治体に配分の力が伴わないなどの問題があったが、自衛隊が入ってきて届くようになってきているので、そうした状況も含めて物資の供給などをきめ細かく報じてもらいたい」、「原発については、住民の不安をいたずらにかき立てないよう、公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」とも述べた、という。公式発表だけで良い、というのは、報道機関の長として、報道機関たることを否定し、そこで働くジャーナリストのプライドを否定している。現場で独自取材の結果、記者らが原発のスクープ情報を取ってきても、「隠蔽」する気なのだろうか。そういえば、NHK番組で九州の地震報道を見ていても、鹿児島の情報が少なすぎないか。川内原発があるからなのか。

 さて、記事によれば、NHKの会議に出席した理事や局長らから会長の意向に異論は出なかったというから、お粗末。会長の恫喝にハナから萎縮している報道局長らの表情が浮かぶ。報道機関の長として不適切な会長は、辞めてもらうしかない。NHK理事、特に記者出身が理事の中に何人かいるが、こちらの萎縮ぶりの方が、私には大問題だと思える。記者時代の報道人としての矜持はどこへ行ってしまったのか。ジャーナリストの矜持を棄てて理事業に邁進するのか。会議の議事録はインナー(局内の)ネット回線を通じて職員に共有されているので、NHK内には「会長の個人的見解を放送に反映させようとする指示だ」という反発も聞かれる、とか。ならば、報道人としての矜持を貫いて報道の自由を実践して欲しい。これでは、専門家も含めて世上懸念されているような川内原発の事故が起きても、NHKの独自取材による前向きの報道など期待できない、のではないか。グロテスクな会長でも強い人事権を持っていると、NHKの報道現場もなびいてしまうのか。以前は気骨のある人がNHKにも記者として入り込んできた。あるいは、権力の監視をする記者という生業(なりわい)を続けるうちに骨っぽくなる記者もいたが、今はいないのだろうか。NHK内部にジャーナリストはいないのか。今回の人事で理事になった後輩たちは何人か顔なじみだが、こういう会長に引揚げられて理事になったのでは、来年1月の現会長任期切れ以降、会長交代ということになればどういう対応をするつもりなのか。私には、確認が取れないので、噂によるとということにするが、来年度の予算編成を前に、つまり、今秋頃、任期満了を前にNHK会長を替えるという政治筋の話もあれば、現会長は夏過ぎに「受信料値下げ」と「NHKグループ経営改革の断行」をぶち上げて再任をめざす、ご本人も再任に意欲満々のようだとかいう話も聞こえてくる。NHK会長人事は、秋の陣。

 辺野古訴訟では、国と沖縄県が和解したが、「和解」という言葉が誤解を生んだのではと懸念している。選挙期間中を含めて工事の一時中断となるが、最終的には高裁の決定に国・県とも従う、ということで国側が有利ではないのか、というのは懸念で済むのか。選挙向けの先送りか。私には、国側の対応方針の本質(辺野古「唯一」移設論)は変わっていないのだから、これは選挙向けの一時棚上げ論、つまり選挙での争点隠しの一つだという側面もあるだろうと思う。「代執行訴訟における国側の敗訴を避けるための方便」という法廷戦術論もあるかもしれないが…。

 TPPも先送り。政府・与党は、環太平洋経済連携協定(TPP)の承認案と関連法案について、今国会での成立を見送ることになった、という。激しく抵抗する野党を押し切って採決に踏み切れば、参院選への悪影響が避けられないと判断したのか。一旦見送った上、秋の臨時国会での成立を目指す方針だろう。法案の参院送付をせず、衆院で継続審議にする方向だ、という。

 これらそれぞれ別件のような情報は、根底には選挙対策という太い「棒の如きもの」が貫かれているようにも見える。

◆◆ 北海道衆院5区補選の結果が及ぼすもの

 歌舞伎なら、4月の北海道衆院5区補選は、「みどり狂言」。夏の参院選挙は、「通し狂言」ということになる。この上、同日選挙にでもなったら、選挙の演目は「スーパー歌舞伎」というところか。

☆クロニクル:いわば、一幕ものの北海道5区衆院補選結果。和田義明(自公ほか):135,842。池田真紀(野党共闘):123,517(いずれも確定票)。12,000票の差は、どういう意味を持つのか。コンパクトに分析をしておきたい。池田(以下、敬称略)が負けたのは、千歳市、恵庭市という一部の都市部に加えて、当別町、新篠津村という郡部だけ。いずれも自衛隊基地か、故・町村陣営に関連のある地域。特に、千歳で11,000票、恵庭で6,000票という和田-池田の差が、和田を当選ラインに滑り込ませた。自衛隊票が選挙結果を左右した、と言える。ほかの都市部は、池田がリード。各種出口調査を見ると有権者のほぼ3割の無党派層のうち、7割が池田へ。残る3割は、和田へ。出口調査の有権者の4割以上が自公、3割弱が野党の支持。公明も自民も支持者の9割。野党の方は、8割(民か)から9割(共か)。野党は、母体が少ない上、固めも弱い。無党派層への浸透も、7割では、もうひとつか。補選の投票率は、57・63%(前回の本選:58・43%から4,000票減)。補選なのに、ほぼ前回の本選並みだった、というのは高い部類だろう。無効票は、前回8,511、今回3,015。5,500票減る。投票率の低かった分を埋める票数。

 当日投票では野党共闘が競り勝っていたのに、期日前投票では自公が票を積み上げた、という。期日前投票の公正さを疑う声も聞こえるが、いかがなものか。名簿のある組織票の強み。さらに熊本地震以降、自公は災害対応優先と自衛隊貢献を強調し、自公有利になった、という説があるが、本当か。知名度の低い新人の和田は、知名度の高い前回の義父・町村票を4,000票程も上回った。弔い合戦の上、義父票を上回る自公の党派的な組織票の勝利なのか。一方、野党の無党派層の浮動票対策・棄権防止対策は、もうひとつ更に要工夫だろう。千歳、恵庭での低投票率は、自衛隊基地という地域の特性が、ここの無党派層を棄権に呼び込んだか。戦争法施行で危機感を持っている自衛官の投票行動は、どうだったのか。厚別区と千歳の投票率を見ると、いつも低い傾向にある千歳は、前回は、厚別区より5%減が、今回は、10%減と落ち込みの幅が大きい。解析し切れていない、焦燥感が私には残る。

 それにしても、野党共闘、特に共産の統一候補方式はマイナスよりプラスだったのではないか。民と共は、前回の合算より、3,000票少ない程度で済んだ。ただし、前回は、鈴木宗男の「大地」が民に選挙協力していたが、今回は、自民への協力に変わったので、それを考えると、民と共は、むしろ票を増やしているのではないか。ならば、共産アレルギーは、あまりなかった、政権時代の民への失望感も薄れたのか、ということになる。安倍批判票は多い。政権交代に失敗した民だけでは、批判票の受け皿になりにくい。野党統一候補ゆえに、受け皿になりうる。池田候補は、確かに、いわゆる「タマ」が抜群に良かった。無党派層向けに「電話勝手連」が早くから機能していれば、投票率も上がり、結果は逆転したかもしれない。野党共闘、若者を前面に出した市民の勝手連戦術は、千歳など自衛隊基地の街以外の一般の無党派層には効果あったのではないか。野党共闘は、小異を捨てて大同に向けさせた。共闘は、まずまずだったのではなかろうか。投票率を上げるような共闘の「運営」の仕方を具体的にどうするかが今後の課題、ということだろう。各地の野党統一候補陣営は、これらの共通の課題とそれぞれの特有の課題をどう改善して、「安倍政治を許さない」、安倍政権のストップに結びつけられるだろうか。

◆◆ 「在任中」改憲という意味

 3月2日、安倍首相は、憲法改定を自分の「在任中」に成し遂げたい、参院選挙は「自公対民共」の対決だ、と強調した。その後も、この路線は変えていないようだ。「在任中」とは、何時を目標としているのだろうか。自民党総裁としての任期である2018年9月末なのか、衆院議員としての任期である2018年12月末なのか、不詳だ。

 熊本地震以降、自民党の幹部が相次いで同日選挙「無し」、地震対応優先とぶち上げた。有権者に判り易い考えであろう。しかし、気になる。安倍政権は、なぜ、地震が終息しそうもないのに川内原発を停めないのか。意地でも停めないという頑なささえ感じる。菅官房長官は、なぜ、熊本地震を大震災級と認めないのか。「平時」とでも言うつもりか。一方で、地震に絡めて、「緊急事態条項」をちらつかせ始めた真意は?

 マスメディアのなかで、同日選挙予測に慎重だった朝日も同日選挙避けるという観測記事をその後載せた。ほかのメディアと同じく、当面は熊本地震対応優先説。しかし、まだ、判らない。今の政治状況は安部改憲にとって、「希有のチャンス」なのではないのか。安倍をいわば「身内」として支えているように見える「日本会議」の意向は、見えにくい。安倍政権には、日本会議のメンバーが多い、というか、日本会議に入らないと大臣になれない。4月末に刊行された菅野完(すがのたもつ)『日本会議の研究』という新著が興味深い。それによると日本会議の武器は、マネージメント能力に裏打ちされた動員力、つまり、集票能力(組織選挙力)にある、という。政治家が垂涎するはずだ! 日本会議系では、憲法改定のポイントを優先順位順に3つに絞っている、という。1)「緊急事態条項」=「三権分立」や「基本的人権」の一時的な凍結→首相に独裁権。2)「家族保護条項」=13条、24条の「個人」の削除、「家族保護」というより「家」意識の追加。個人<家<国家が、透けて見える。3)「自衛隊の国軍化」=9条2項の見直しなど。自民党の政治家たちは、これを代弁しているに過ぎないように見える。日本会議は、もっと、正体を解明されなければならない。表現の自由とメディアを疎外する要因は、この団体の憲法観(大日本帝国憲法復活)にあるのではないか、と思う。

 安倍の同日選挙へのこだわりは、改憲のロードマップの早期スケジュール化ではないのか。「任期中の改憲」の「任期」とは、任期の実質的な延長を目論んでいはしないか。任期延長のひとつは、18年9月の総裁任期延長。これは、自民党内の一強他弱状況では、実現可能。もうひとつは、同じ18年12月満了の衆院任期。前回14年12月の衆院選挙から、既に1年半。安倍首相が「任期中」に拘るなら、今夏に衆院選挙が実施できれば、新しい衆院任期は、20年7月まで「延長」できることになる。「任期中に改憲」という安倍首相の拘りを優先すれば、今が希有の機会なのだろう。「改憲の千載一遇のチャンス」という声も聞こえてくる。彼らの真意は衆院に加えて参院も憲法改定発議が出来る3分の2議席体制を目論む。3分の2という議席数だけなら、菅官房長官が言うように、既に与党で3分の2確保している衆院は温存し、チャンスもリスクも両面ある同日選挙をせずに、参院選挙だけで数を狙うのが、常識だろう。

 しかし、安倍首相の胸中に次の言葉がないだろうか。中曽根流の「死んだふり解散」。ふたりは、日本会議で、共同歩調を取っている。1986年、史上、2回目の同日選挙が実施された。当時の中曽根首相は、「正月からやろうと考えていた。定数是正の周知期間があるから解散は無理だと思わせた。死んだふりをした」と述べ、早期解散はできないと思わせたことを「死んだふり」と表現したことから、「死んだふり解散」という解散名が定着した。政界とは、実は、実は、の「騙し騙され芝居」の世界同様で、魑魅魍魎が住む。

 「改憲のためにやろうとずうっと考えていた。熊本地震があったから無理だと思わせた。死んだふりをしていた」とでも、安倍首相が、ある日突然、言う可能性はないのか。あれよあれよという間に同日選挙に突っ込む、ようなことはないのか。北海道衆院5区補選の自公の組織選挙は、強力だった。同日選挙の真意は、任期中に拘る首相の任期「延長」ではないのか。死んだふりかどうか、いずれにせよ、回答は間もなく出る。「劇場」としての政治は、一寸先が闇である。

 (筆者は、ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事。元NHK社会部記者。オルタ編集委員)


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