都市戸籍を得て失ったもの—日本の大学の国際化を考える—

中国単信(3)

都市戸籍を得て失ったもの
—日本の大学の国際化を考える—

                     徳泉 方庵


 中国の重慶市は先頃、新政策を打ち出した。重慶市で不動産を購入すれば「市民戸籍」を与えるというのである。そもそも中国では、「戸籍」は「市民戸籍」と「農民戸籍」に分けられていて、原則的にその戸籍を自由に変更、移動できない。しかも「市民戸籍」の方が就労、子供の就学、老後保険など多くの面で優遇されている。

 変えたくても変えられなかった戸籍だけに、重慶市の新政策に農民たちが飛びつき、脱「農民戸籍」に動くのは目に見えていた。案の定、重慶市の思惑通り、不動産の売れ行きは好調だった。ところが、不動産を購入して脱「農民戸籍」に成功した少なからずの農民たちが、都市生活に馴染めず、孤独感に襲われ、都市孤立者群となってしまっているという。
 また数年前だが、カナダ政府がカナダにそれなりの金額を投資した外国人に永住権を与えるという移民政策を始めると、中国からも相当数の「投資移民」が現れ、カナダとしては外国人誘致に成功したといえる。だが、移住した新移民者の多くが現地の生活習慣にとけ込めず、地域住民との間に軋轢が生じて、「反中」感までが醸成されていったという。

 日本でも似たような事が起きている。埼玉県の蕨や川口のいくつかの団地には多くの中国人就労者が集中し、場所によっては日本人がほとんど住んでいなくて、中国語が共通語のようになっていた。それだけに親族訪問の名目で来日した多くの親たちは、かえって安心して、団地内で中国将棋を楽しみ、おしゃべりに興ずる風景が日常的になってしまった。なんのことはない、中国国内の団地とあまり変わらない新チャイナタウンの誕生というわけである。

 しかし、この地域で事業を展開している中小企業の社長の何人かは、自分の会社で働く中国人社員に「あのような日本人があまりいない居住区に住まないように」と注意していたようである。「日本語を含めて、日本の生活になかなか馴染めない」というのが、その理由だった。そして、こうした社長たちの注意は残念ながら的中してしまった。東日本大震災後、仕事を放り出して、そのまま国に逃げ帰った外国人は少なくなかったが、このような地域に住んでいた人が多かったと言われている。

 重慶市やカナダの例を見ても明らかなように、不動産売買も投資移民政策も一時的に好調だとしても、長期的には続かない例が多い。その大きな理由は新住人と旧住人との融和や新住人への心のケアが図られないからである。
 不動産販売や投資誘致もそうだが、本格的な国外からの人材誘致は、文化的な連帯意識と心のケアをより必要とする。人間は経済的な豊かさだけ得られれば、どこででも快適な生活ができるわけではない。共通の文化的帰属感や心の安らぎが得られてこそ、新たな土地になじめる。これは人材誘致での最重要課題だろう。

 「技術立国」を謳ってきた日本にとって多くの優秀な外国人誘致の必要性は今後ますます増えてくることは疑う余地がない。だが残念ながら日本の現状はこうした必要性に対応できる体制からはほど遠い。例えば、厚生年金など老後年金の支給には25年間納付の壁があるし、強制加入の国民年金は社会保障協定を結んでいる14カ国を除けば、中途で帰国してしまえば掛け捨てになってしまう。ちなみに中国とは協定を結んでいない。これでは中年以降に来日した外国人にとって、老齢年金受給はほとんど不可能に近く、老後の不安がぬぐえないのでは、結局は長く日本に住もうとはしないだろう。

 国の政策面で優秀な外国人誘致への施策が欠けていると言わざるを得ないが、文化的帰属感といった面ではどうだろうか? 一例として、大学における国際交流政策、留学生政策を見てみよう。

 今後、さらに18歳人口が減る日本の大学経営では長期的、継続的、安定的に、しかも量的にも外国人留学生の確保は不可欠となってくる。それは当然、日本の社会における優秀な外国人の確保にもつながっていくはずである。大学の国際化の過程には、初期段階は情報の交換と共有、イベントの共同開催など。第二段階は海外の機関と提携し、教師及び学生の相互派遣などの人的交流。第三段階は海外での学生募集活動。第四段階は国内外の企業、機関と連携し、卒業する留学生の就職を含めた、その後の進路とケアという四段階があると考えている。

 では日本の大学の現状は?
 私の言う第三、四段階まで達している大学はかなりの数にのぼっている。しかし内実を見ると、優秀な留学生を入学させ、育てている大学は何校あるのだろうか? 日本政府は2008年に留学生30万人計画をぶち挙げ、2020年までに現在の14万人から30万人に引き上げようとしているが、その達成は可能なのだろうか。

 留学生を30万人誘致しようとしている日本の目的はまさか30万人の学納金を稼ぐためではないだろう。文科省が大学の評価基準に「国際化」を盛り込むのも、大きく言えば国益のためにほかならない。しかし「国際化」の評価を上げるために、口先だけのグローバル化を唱え、表面的な「国際交流」を行う大学も少なくない。

 つまり、たとえ30万人留学生誘致に成功したとしても、大学は将来的に日本に残り、日本の発展に寄与できる人材を育てていかなければ誘致の意味を失う。せっかく留学してきた若い外国人に何を学ばせ、さらには日本の文化等を知ってもらうか。そしていかに日本を好きになってもらうか。これに成功してこそ日本の真のグローバル化が進むはずである。

 少子化が進む日本の大学は留学生誘致によって経営難改善を図ることだけに目が向いてはいないだろうか。留学生用のカリキュラムを消化させるだけで終わってはいないだろうか。 日本を、日本人をより深く理解してもらう教育の実践と、留学生たちの心のケアが行き届かない限り、重慶市の不動産販売やカナダの投資移民と同じ結果になってしまうに違いない。

 (筆者は大妻女子大学准教授)


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