野中尚人著『自民党政治の終わり』(ちくま新書、2008年)

【書評】

■野中尚人著『自民党政治の終わり』(ちくま新書、2008年)      

                         岡田 一郎
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 本書は5章から成り立っている。第1・2章で、自民党による統治システムを破
壊した小沢一郎と小泉純一郎について述べ、第3章で著者の言う「自民党システ
ム」の仕組みについて説明している。第4章で自民党システムがどのような歴史
的遺産を基にして作られたか、そして国際的に比較してどのような特色があるの
かを説明し、最後の第5章でこれまでの記述のまとめをしながら、自民党システ
ムが崩壊せざるを得ない運命にあると結論づけている。
 
  以上の5章のうち、本書の内容で最も興味深く、おそらく著者自身も読者に最
も訴えたかった部分は第3章以下であると思われる。一方、第1・2章は全くの蛇
足である。第1・2章は、小沢・小泉の政治的軌跡をただなぞっているだけであり
、リアルタイムで2人の政治的軌跡を目撃してきた読者にとっては退屈な内容で
しかない。

 本来ならば、これらの章では、小沢・小泉がなぜ自民党の統治システムの破壊
につながる小選挙区制の導入や郵政民営化に乗り出したのかを掘り下げる必要が
あったであろう。しかし、著者は小沢に関しては小沢が学者やジャーナリストを
相手に話したことをただ鵜呑みにするばかりで、その言葉の裏側に隠された真意
を読み解こうともしない。小泉に関しては、彼が執拗までに郵政民営化にこだわ
った理由を分析しようとすらしていない。これでは、読者は小沢・小泉が権力中
枢にいながら自民党システムを破壊した稀有な政治家であったということが理解
できても、なぜ彼らがそのようなことをおこなおうとしたのか全く理解できない
であろう。はっきり言えば、著者の政治家分析は表面的なものであり、個々の政
治家の内面に全く迫っていないのである。
 
  おそらく、著者は第3章以下の内容をまとめて、自民党システムとはどのよう
なものであったかを説明する本の出版を企画していたのではないだろうか。とこ
ろが、2007年参議院議員選挙における自民党の大敗を見て、自分が分析してきた
自民党システムが近いうちに崩壊するという危機感を持ち、急遽第1・2章を付け
加えて、出版を急いだのではないだろうか。「あとがき」を読むと、著者は編集
者から自民党について本を書くよう勧められたが、なかなか執筆に取り掛からな
かった。しかし、2007年参議院議員選挙の結果を見て、「編集者との約束を果た
す前に、自民党がなくなってしまう」と慌てて本書を執筆したという内容のこと
が書いてあり、私の予測があながち外れてはいないことをうかがわせる。
 
  自民党主導の政権が末期的な様相を呈している今、『自民党政治の終わり』と
いうタイトルは読者の興味をそそるものであり、それがこの本を商業的に成功さ
せた理由だと思うが、第1・2章のあまりに退屈な記述は今後、著者の本を読もう
という読者の意欲を削ぐ結果となるのではないかと私は懸念している。
  一方、第3章以降の記述は読者の興味を大いにそそるものである。第3章は、目
新しい視点はないものの、自民党政治というものがどういうものであったのか、
これまでの研究成果を要領よくまとめている。

 本書の白眉は第4章にある。第4章では、中世から現在に至る日本とヨーロッパ
の政治システムの変遷を歴史的に比較し、日本においてなぜ全国的な議会が発達
しなかったのかを考察している。著者によれば、江戸時代の日本は外国との戦争
をおこなわなかったため、幕府は国民や大名の支持をとりつけて国論をまとめる
必要がなく、また幕府は各藩や末端の農村の政治に介入する意思を持たなかった
ため、中央の決定を末端まで徹底させる必要がなかった。一方、農村は農民たち
の自治に任され、武士の土地所有権は名目的なものとされて早くからサラリーマ
ン化したから、農民や武士が自分たちの利益を守るために代表を選んで幕府に対
抗する必要も感じられなかった。一方、貨幣経済の発展は、米中心の経済を前提
する幕府財政を早くから窮乏化させ、悪化する財政をうまくやりくりする能吏の
存在を必要とした。

 そのため、江戸時代の日本には近代的な官僚制が早くから発達することとなっ
た。明治以後、議会制が導入されても議会の経験がない日本はそれをうまく運用
することが出来ず、江戸時代以降、行政のノウハウを磨いてきた官僚が議会制の
不備を補うこととなった。日本国憲法は他の議院内閣制の国々と比較しても強大
な権限を国会に与えたが、それゆえに国会議員はその権限を持て余し、官僚と自
民党が国会の機能を補完することとなったと説明するのである。このような個々
の国の歴史的経緯からその国のデモクラシーのあり方を明らかにしようという研
究方法はかなりユニークなものであり、興味深い。特に昨今の政治学の研究が単
なる「数字いじり」と化し、政治危機を前にして政治のあり方を模索しようとす
る国民の関心にほとんど答えていない中、過去の歴史の分析から日本人に合った
、政治的危機を打開する処方箋を真摯に見出していこうという著者の姿勢は好感
が持てる。

 しかし、そうした歴史的な分析から導きだされた結論はいささか陳腐ではない
かという印象を持った。著者はグローバリゼーションの進展の結果、急激な世界
情勢の変化に対応していくため、早急な決断を下すことが出来る指導者のリーダ
ーシップが必要であると説く。そのため、下から議論を積み上げていく自民党シ
ステムは終わりを告げたというのだが、冷戦終結後、グローバリゼーションが進
展したという前提自体が陳腐な捉え方といえないだろうか。それでは、逆に冷戦
期においては、世界は完全に米ソ両陣営に分裂し、日本はアメリカの傘の下で思
考停止したまま、安穏としていたとでも言うのか。

冷戦期、世界は完全に米ソ両陣営に分裂したわけではなく、そのどちらにも属
さない第三世界が台頭した。日本はそうした動きの中で、アメリカと対立する
キューバやイランとも良好な関係を維持するなど、アメリカだけでなく第三世
界とも太いパイプを持つ巧みな外交を展開してはこなかっただろうか。むし
ろ、冷戦後、日本はグローバリゼーションの名の下で、アメリカ一辺倒の外交
に傾斜し、アメリカ以外の世界の動きから取り残されているのではないだろう
か。産業革命が各地で起こった19世紀の方が現在と比較してもよほどグローバ
ル化が進んでおり、現在の世界情勢はグローバリゼーションの名に値しないと
いう意見もあり、冷戦後、グローバリゼーションが進んでそれが自民党の統治
システムに影響を与えたと考えるのはいささか単純な物の見方ではないだろう
か。

 また、アメリカにおける新自由主義の成功が小さな政府への指向を世界的に生
み、経済のグローバル化によって人や資金が国境を越えて移動するようになった
。その結果、様々な階層に利益を分配し、国内産業を保護する自民党システムが
行き詰まったとも著者は述べている。著者が本書を執筆していた頃にはサブプラ
イムローンの失敗を引き金とするアメリカ発の金融恐慌発生の懸念が既に世界中
で語られていた頃だと思うが、それにしては随分楽観的な物の見方である。アメ
リカ発の金融恐慌は今や、各国政府に国内産業保護の必要性を痛感させている。

 新自由主義の中心・アメリカですら、破綻寸前のビッグ3の救済に頭を悩まし
、オバマ次期大統領は本稿執筆時(2008年12月)に、ニューディール政策を彷彿
させる産業再生政策を打ち出している。EU諸国もまた国内産業の保護に乗り出
している。そうでなくても、金融恐慌以前から、アメリカもEUもグローバリゼ
ーションの掛け声とは裏腹に莫大な補助金で、日本の自民党以上に農業を育成・
保護してきた。著者が想定する、成功した新自由主義・完全なる競争を前提にし
た市場経済なるものは世界のどこに存在するのか。

仮に一時的に新自由主義がうまくいっているように見えたために自民党システ
ムが追い込まれたとしても、現在では新自由主義自体の行き詰まりが誰の目に
も明らかになっている。著者の論理でいくならば自民党システムはアメリカ発
の金融恐慌をきっかけに息を吹き返すはずだが、その兆候は一向に見えてこな
い。

 新自由主義の台頭やグローバリゼーションの進展が自民党システムを崩壊に導
いたのではない。新自由主義やグローバリゼ―ションに対応するために、弱者救
済を放棄し、国内産業を保護しなくても良いという単純な思考しか出来なくなっ
たからこそ、自民党システムは崩壊しつつあるのではないか。現に、自民党シス
テムを破壊した2007年参議院議員選挙において、民主党は、新自由主義・グロー
バリゼーションの名の下に切り捨てられた地方や弱者の声を拾い上げることで勝
利を得た。民主党が自民党とどちらが新自由主義的か不毛な争いをしていたころ
には決して得られなかった勝利である。
 
著者はボトムアップ式の自民党システムの崩壊の後に、トップダウン式の政治
的指導者を中心としたシステムの登場を想定している。その前提として、テレビ
・メディア政治の発達をあげている。テレビを通じて国民の支持を集めたリーダ
ーが国民的人気を背景に、大統領的に権力を振るうようになる傾向が世界的に見
られるというのである。このような見方も時代遅れとしか言いようがない。世界
中でテレビの影響力は急速に衰えており、日本もその例外ではない。テレビニュ
ースの論調はかつてほどの影響力は持たない。安倍晋三内閣のときに、消えた年
金問題が起こったが、そのとき安倍首相の秘書官は知人の有名タレントに頼み、
朝のニュース番組で毎日のように安倍首相を擁護させた。

 しかし、2007年参議院議員選挙で自民党は惨敗し、安倍首相は退陣に追い込ま
れた。福田康夫内閣のときに、民主党の抵抗によって一時的にガソリン税が廃止
されたことがあった。各テレビ局はこぞって民主党を非難し、ガソリン税の廃止
によって大混乱が起こると訴えたが、ガソリン税廃止後も民主党の支持率は下が
らず、大混乱も起きなかった。最近ではテレビ局の利益が急減し、番組制作費が
削られたり、局員の給与の引き下げなどがおこなわれるところも出てきている。

今や、テレビに代わってインターネットが人々の情報源や意見の発信源になって
きている。そのインターネット上で、テレビは「政府権力・財界の犬」「御用機
関」と日夜馬鹿にされ、「テレビの予測と逆の方向に政治が進む」と嘲笑される
ほど、テレビの権威は失墜しているのである。テレビはもはやインターネット上
の論調を追いかけているに過ぎない。

 発足時にオタクを中心に人気があると麻生内閣を持ち上げたテレビキャスター
や評論家たちは麻生内閣の支持率が急低下すると掌を返したように麻生たたきを
始めたが、インターネット上では自民党総裁選挙中から麻生の人気低下もテレビ
人がやがて麻生に対して掌をかえすことも既に予測されていた。

 テレビと異なり情報の発信源が無数にあるため、インターネットを通じて世論
を1つの方向に誘導するのは至難の技である。もはや、2005年の郵政選挙を再現
させることが出来る政治指導者は現れないであろう。2005年はテレビが影響力を
誇示することが出来る最後の年であった。小泉退陣後、自民党が小泉ブームの再
現を狙って何度も総裁選挙を仕掛け、テレビ局がその度に郵政選挙の反省もなし
に、お祭り騒ぎをしてみせても、自民党の支持が伸び悩むのは、小泉ほどの役者
が存在しなくなったからだけではない。

人びとの情報源が多様化したため、人々の意識に対するテレビの影響力が相対
的に低下したからである。どんなにテレビが自民党支持をあおっても、自民党
に対して否定的な情報をインターネットなどで人々は同時に得てしまうため、
総裁選挙のお祭り騒ぎが人びとの目にはかえって白々しく映ったのである。

 著者が言うように自民党システムは崩壊した。その崩壊には冷戦後の国際情勢
の変化が大きく与っていたであろう。しかし、それは国際情勢の変化に自民党シ
ステムがついていけなかったということではなく、ソ連の崩壊とそれに伴う日本
国内における社会主義勢力の失墜によって、積極的に自民党システムを支える必
要を保護者であるアメリカが失ったということなのである。自民党がアメリカの
保護を失うまいと躍起になった結果、アメリカ一辺倒の外交を推進し、日本外交
はかえって柔軟性を失った。

 また、著者が言うように自民党のボトムアップシステムは行き詰まりを見せた
。しかし、それは決定の遅れが社会情勢の変化に追いつけていないということで
はない。そのボトムにはもともと輸出関連企業と自営業者(農民を含む)しか含
まれておらず、それ以外のグループの利益はほとんど無視されていたため、自民
党に声を拾ってもらえない人びとの割合が増加した結果、自民党の支持基盤が徐
々に縮小したということなのである。自民党は競争の激化によって、誰もが上昇
する可能性が持てるという幻想をばらまくことで無党派層の支持を集めようとし
た。
しかし、競争の勝者はあらかじめ決まっており、それ以外の者は競争の結果
かえって困窮するという現実に気がついたとき、無党派層と社会の敗者の陣営に
新たに組み入れられた自営業者は自民党支持を止め、自民党システムは崩壊した
、と私は考える。

 このように著者の総論には私も賛成だが、各論には私は全く賛同出来ないので
ある。見解の相違を別にしても、時代認識のあり方など著者には多々問題がある
ように思われる。著者は現状分析より歴史分析のほうが得意なようであり、私個
人の見解を言わせていただければ、本書の出版をあせらず、自民党政権が崩壊し
た後、「自民党とは一体どのような政党であったのか」を振り返る歴史的分析の
書として著者自身の見解をまとめた方が良かったのではないだろうか。
(小山工業高等専門学校・日本大学・東京成徳大学非常勤講師)

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