【本を読む】

金正勲著『戦争と文学』を読む

 『戦争と文学 韓国から考える』 金正勲/著  かんよう出版/刊

高沢 英子

 最近、韓国在住で多年にわたる夏目漱石の作品研究でかずかずの実績をあげてきた韓国光州市の全南科学大学教授金正勲から近著『戦争と文学』が筆者に送られてきた。彼とは一九八〇年代、彼が日本に留学していた時からの長い付き合いである。
 最近の厳しい出版事情で、ソフトカバーにせざるを得なかったというが、260ページ余の格調高い日本語で書かれた気鋭の論叢で、「韓国から考える」という副題が添えられている。
 日韓問題が冷え切っている今、夏目漱石の人間思想を充分咀嚼して来た韓国の一人の真摯な知識人が、歴史的な真実探究を基底にして思想を積み重ねた論説に耳をかたむけることは、日本人にとっても重要な課題のひとつではないだろうか。

 全七章からなる内容は、冒頭と二章で漱石最晩年の未完に終わった「明暗」及び「点頭録」を取り上げていて、漱石の戦争観、死生観、並びに彼が終生貫いた個人主義思想の本質を、当時の世界大戦などの時代背景を下敷きに、広範な視野で丹念に検証してみせる。とくに二章の「点頭録」論において、漱石の主張に寄り添いながら、帝国日本の政治家の無思想な戦争傾斜を分析して見せる論調は、韓国側の立場をわきまえ尽くした筆者の視点だけに、緻密で鋭く深いものがある。

 第三章は、先年九十九歳で物故した、才能豊かで優れた作家にもかかわらず、日本では一般にひろく知られていない松田解子を取り上げ、彼女の戦前の花岡鉱山の朝鮮人労働者および中国人労働者の処遇をめぐってのレポートを紹介解析した論説である。
 第四章は荒川鉱山を舞台にした松田解子の長編小税「地底の人々」を翻訳し韓国に紹介した著者金正勲による作家及び作品の解説が中心になっている。

 そして第五章は ―新見南吉を社会的視座から読み直す― というテーマのユニークな内容となっている。
 第六章は一九三四年生まれて二○一五年に物故した韓国の民衆詩人、文炳蘭の反戦及び統一を願った生涯及びその作家精神の解説に割かれている。 
 第七章は二〇〇九年に日本の出版社から刊行され話題となった韓水山著『軍艦島』を、独自の観点から読み解いて、作品の持つ歴史的意義を論じたものである。

 ―本章の理解を深めるために― として「植民地の記憶と戦争の痛みを繰り返さないために、その時代の残酷な歴史を復元したテキストの意味は、正常な韓日関係の成立と、悲劇を生み出した主体の省察を要求する。他方(中略)まだ解決されていない韓日間の懸案について考えさせ、日本の国民国家形成と戦争遂行に賛同した勢力とその追随者たちの犯した歴史的過ちをも厳しい目で見つめ直す」という付記が添えられている。筆者自身まだ詳細に読んでいない駆け足の紹介となったが、興味深い内容だと思うので、是非広く読まれることを期待している。

 (エッセイスト)

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