陳水扁政権の敗北とデモクラシー

■ 陳水扁政権の敗北とデモクラシー      吉田 勝次

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  陳水扁氏とは個人的にも因縁が深く、過去20年でおそらく10回以上も話し合う
機会があった。それだけに、彼の政権が国民党の馬英九氏によって打倒されるこ
とを見ることは辛い。大敗し過去の人物になったと考えられる陳水扁氏に対し、
追い討ちをかけて批判することは辛い。四半世紀、民進党の野党の時代からシ
ンパとして交流のあった私には、台湾の町や村の選挙の現場で真っ黒に日焼け
して駆け回っていた懐かしい顔ぶれが落胆している様子を想像すると、その敗
北について書くことは辛い。でもここは心を鬼にして、どうして敗北したかに
ついての原因の一端を、指導者の個性とデモクラシーという点にしぼって考え
てみたい。

 2000年の大統領選挙で陳水扁氏が当選した際、私は、これからは陳水扁氏の周
りには上手を言う人しか集まらないはずだから、せめて一人ぐらい彼の否定的な
側面をえぐり出し、よりよき政権運営にプラスになってもらいたいと考え、批判
的な文章を書いたことがあった。これから書く文章は、その時の論点を再確認す
るものである。80年代末、台北市会議員選挙で応援演説に立った弁護士陳水扁氏
を宣伝カーの下から見上げた。汗びっしょりになり、髪を振り、小さな宣伝カー
の屋根が抜けるのではないかと思うほどの激しい演説に驚いた。その時私は、彼
にポピュリズムの陰があると直感した。90年代の台北市長時代、市庁舎を巨大な
ポスターで派手に飾りあげた政治スタイルにあらためてポピュリズムを感じてい
た。90年代半ば、正義連線を率いる派閥のリーダー・立法委員としての陳水扁氏
にも何回かお目にかかった。あつかましくも台大交友クラブで開かれた派閥の会
合にまで出席した。

 ただ、彼の興奮質でネクラな性格、どこか開放的でなく溶けこめない性格には
どうしてもなじめなかった。話がいつも一方的に進行するのにも閉口した。陳水
扁氏にはスピーチ(演説)はあるがトーク(語り合い)はない。この印象を強め
たのは2000年大統領選挙前後の体験だった。民主党の衆議院議員仙谷由人氏と一
緒に選挙の終盤、当選直後、そして大統領就任式と3度陳水扁氏に会った。3回
が3回ともまったく形式的な会見に終始した。

 こうした会見は何回続けても無駄だと痛感した。彼は演説し、宣言し、訓戒し
、訴え、断罪する。しかし、彼は胸を開いてくつろいで語り合い、自分が今なに
を悩んでいるか、あれこれの問題についてどう考えているのか、どう感じている
のかということにはけっして言及しない。会見が終わっても彼との関係はどこか
よそよそしく外面的なままだった。人が心と心を交し合ったときに感じるぬくも
りがなく、彼は何か秘密のものをもっているのではないかという猜疑心すら生み
かねない要素があった。民進党の伝統的な党風は、じつに開けっぴろげで、脳天
気だった。戒厳令の時代には秘密主義などなかった。すべてがオープンだった。
どうぞ皆さん、私たちの党のはらわたでも脳みそでもご覧になって下さいといっ
てきた。黄信介委員長の時代がそうだった。建国北路の雑居ビルの上の狭い二部
屋時代の民進党の中央党部には、秘密などなにもなかった。いつ飛び込んでも黄
信介さんが四畳半もない狭い部屋で笑顔で迎えてくれた。
 
  陳水扁政権の敗北の、同氏個人にかかわる原因はなんといっても彼の興奮質な
ネクラさにある。語り合う相手に真理の断片を見つけ、自分のもつ真理の断片を
つなぎ合わせ、よりよい真理の連鎖を語り合いのなかで見つけようとしないなら
ば、大きな力を統合することは絶対にできない。李登輝氏は台湾の民主化に大き
な貢献をしたが、その貢献とは、政局の節目節目に巨大政党国民党から、あると
きには中国人保守派を新党として放り出し、またあるときには最大のライバルを
親民党として離脱させたところにある。陳水扁氏は諸派閥の連合体にすぎない民
進党から、戒厳令解除から結党までの最も困難な時代に最大の役割を演じた美麗
島派を、また、美麗島派の歴戦の勇士とでもいうべき活動家を周辺化し、党から
排除し、気がつけばいつのまにか陳水扁氏を支える派閥は、原理主義の独立建国
連盟と擬似レーニン主義の派閥とでもいうべき邱義人氏率いる新潮流派だけにな
っていた。それどころか今年の春の大統領選挙では、国民党側は新党も親民党も
糾合して馬英九氏をかついだ。これでは闘う前から勝敗は明らかだった。
 
  彼はなぜ語り合うことができないのだろうか。彼はデモクラシーの政治とは理
想の政治を実現することだと錯覚している。デモクラシーの政治とは理想社会を
つくることを目的とするものではなく、よりよい生活を一歩一歩築き上げていく
知恵だということを理解していない。独立は大切な価値だ。台湾人が自由にその
将来を決定することは重要なことだ。だが、いかに重要であれ、それは台湾の国
民が幸せに生きるための手段にすぎない。目的は国民の幸せであって、独立や自
決は手段でしかない。彼が政治家として90年代の初めに国政のなかで重要な役割
を演じていたときには、このことを理解していたかにみえる。

 彼は謝長廷氏と組んで、独立は目的でなく、「最後の手段」にすぎないという
「四つのもし」決議や、台湾の国家主権は「事実主権」という政治的なもので、
動きのとれない古典的な国家主権ではないという柔軟な提案で、台湾独立論の選
択肢を拡げ、無数の政治的妥協の余地をさぐるという点で手腕を発揮してきた。
だが過去8年間、陳水扁自身、あるいは周辺の独立原理派に原因があったのか、
彼が90年代初期に見せたこうした「隙間を見いだす能力」を発揮することなく時
間を空費してきたことはまちがいない。その間、中国の経済成長は進み、数十万
人の台湾ビジネスマンが大陸で仕事をし、数百億ドルの台湾資本が大陸に投資さ
れている。彼らがべつに中国との政治的統一を願っているものでないことは明ら
かである。しかし、上海のオフィスに香港やソウル経由でなければ行けないとい
った、

 時間と経費からみて無駄な現実に腹を立てていたことはまちがいない。台湾の
ビジネスマンたちは中国大陸との安定した発展を心から望んでいる。この現実に
、イデオロギーではなく政策で具体的に解答を与えることが求められていた。陳
水扁氏の側近から「烽火外交」と称してたえず中国との紛糾を求めるかのような
主張が飛び出したことは愚かだ。陳水扁氏には堅い台湾独立論はあるが、中台関
係についていえば、「建設的なあいまいさ」しかなかった。政治において、「あ
いまいさ」や「不確定さ」で相手の信頼を得ることはできない。台湾にとってい
かに辛いことであれ、「一つの中国」でなんらかの合意ができなければ、中台交
渉でいったい何を話すのか。言葉のうえでもなんらかのシンボリックな合意は必
要なのだ。

 90年代の初めに一度合意したことのある「双方が解釈する一つの中国」あるい
は、「文化的には一つ」だけではない。まだまだ無数の政治的妥協の余地は存在
しているにちがいない。そうした妥協の余地はくみつくされていない。アジアの
政治経済的統合のもとでの中台の新しい関係は多くの可能性を示唆させるものに
ちがいない。もちろん、こうした統合論のなかでは大部分の論者が初めから台湾
など国家として存在しないかのように扱っているということに対する台湾人の怒
りも理解できる。だがである。中台関係を平和的で安定的なものにするためには
、独立論一辺倒ではやっていけないという厳しい現実を踏まえなければならない

 
  馬英九大統領就任演説の中台関係の部分について、民進党の新潮流派はこう述
べている。「台湾と中国の関係に関して善意を示した馬英九の主張はひとりよが
りだ。台湾は中国の横にある小国であり、台湾が弱者で中国が強者なのは事実だ
。善意を示すべきは強者の側で弱者ではない。ところが就任演説はまるで虎に食
われようとしている兎が虎の前で歌って踊って、虎に食われないように懇願して
いるあさましい姿でしかない」。このたとえ話は根本的にまちがっている。台湾
がカリフォルニアの沖に引越しできるならばこの主張も可能だろう。しかし、ジ
ェット機なら数分で台湾海峡を越えることができるのだ。大陸には数百発のミサ
イルが台湾に照準を合わせている。これは冷厳な事実である。台湾の国家安全保
障には堅固な基礎がない。国際法的にも残念ながら台湾は国家として承認されて
いない。

 台湾海峡で戦火が予想されるとき、アメリカは国内法である台湾関係法によっ
て台湾を防衛するという。だがこれも約束されたものではない。アメリカの大統
領が台湾海峡で数万人のアメリカの青年の命を奪うことを決断できるかどうかは
確かなことではない。もちろん、有事の際に日本の自衛隊が駆けつけるなどとい
うシナリオは独立建国連盟と日本の一握りの右翼政治家のイリュージョンにすぎ
ない。台湾の国家安全を確実にする道は一貫した外交政策以外にありえない。相
手が誰であれ、相手の安全保障上の利益を考慮し、挑発することはけっしてあり
えないという主張を根気よく相手に説得する以外に道はない。

 超大国ソ連に睨みつけられた小国フィンランドは、属国(フィンランド化)な
どと右翼の政治家から批判されてきたものの、東西冷戦の厳しい最前線のなかで
50年間中立的地位を保ちぬき、しかも、自由と議会制民主主義の旗を掲げ続けた
。そのために必要ならば、ソ連との間で友好協力条約という政治軍事的色彩をも
つ条約にまで手を染めた。その結果どうだったか。ソ連はすでに崩壊した。フィ
ンランド化というのは、小国の生きぬく知恵を意味する言葉に変わった。台湾の
将来を考えるとき、北欧諸国の小国の知恵に満ちた対外政策に学ぶ必要がある。

安全と独立を守るためには外交政策に代わるものはない。根気よく相手の信頼を
獲得するまで語り合う能力、国家間の関係が即座に好転しない場合には市民社会
のネットワークを拡大することによって下から相手国に世論による揺さぶりをか
ける能力である。ひいては国際世論を大きく味方に引き込む技をみがく。北欧だ
けではない。チベット亡命政府もそうだ。彼らは独立を主張するのではなく、高
度の自治を要求している。彼らは暴力闘争ではなく政治闘争を主張している。そ
のうえで彼らは中国政府のチベットに対する文化的皆殺し政策を強く糾弾する。

その結果、国際世論のなかでは亡命政府に対する支持が日増しに強まってい
る。
  政治家陳水扁氏がポピュリズムに傾斜しやすい個性をもっていたことが敗北の
もうひとつの原因であろう。90年代に台北の市長選挙でも馬英九氏と争い、陳水
扁氏が敗北した理由の一つは、交通渋滞解消のために強引にバス専用レーンをつ
くり、伝統的に民進党の強力な地盤であったタクシー運転手の総スカンをくった
こと、強引にセックス産業の取締りをすすめ、水商売関係者の反発を呼び起こし
たことにあった。夜の歓楽街で高校生に帰宅を呼びかけるパフォーマンスも気に
なった。社会問題は、社会開発によってしか解決できず、政治はせいぜい最悪な
形態をコントロールするにすぎない。今回の大統領選挙と併せて、国民投票が一
つの争点となった。国民党と民進党の国民投票に対する違いは、前者が台湾名義
で、後者が中華民国名義で国連加盟を求めるか否かという点にある。

 おそらくこの8年間、じつに大きな政治的エネルギーがこの国民投票の問題に
投入された。ポピュリストは民主主義を単純に「人民の統治」すなわち直接選挙
にあると理解している。だがこの民主主義理解は邪教である。民主主義を単純に
国民投票と同一視する傾向は民主主義とは無縁のものだ。民主主義とは、「イン
グランドに生きる人々の魂は一つとして同じものはなく、その魂はよき統治に向
けてそれぞれ独自の貢献ができる」という原理である。民主主義とは、直接選挙
・国民投票だけではない。市民のさまざまな貢献を可能にするイニシアチブが制
度的に複雑に組み合わせられる土壌が必要なのである。民主主義とは独裁者が法
の下になければならないというだけではなく、時に暴走することもある有権者も
法の下になければならず、いずれもけっして甘やかしてはならないという深い知
恵なのである。

 民主主義を多数の市民の支配、国民投票の結果による支配と理解することは民
主主義の邪教なのである。権力の分割と相互牽制、市民社会の中間組織の活性化
などを通じて、市民が無数の新たな政治的イニシアチブを可能にすることこそ、
民主主義本来の姿なのである。こう考えれば、国民投票は決定的重要性をもたな
い。ところが、陳水扁氏は国民投票に大きな政治的エネルギーを浪費した。あろ
うことか、アメリカ政府の再三の国民投票に対する批判的見解をも無視して強行
した。その結果陳水扁政権は中国と敵対するだけではなく、最大の友好国アメリ
カからもトラブルメーカー視されるに至った。
 
日本では十分に指摘されていない事実がある。それは、陳水扁政権の下で台湾
の国会の選挙制度が中選挙区から小選挙区に改められたことである。政権交代が
デモクラシーであるというやや単純な主張から陳水扁氏自身がこうした主張を推
進した形跡がある。ここにもポピュリズムがひそむ。選挙区が小さくなれば、有
権者は候補者をより正しく判断し、より賢明な選択をするというのは真実なのだ
ろうか。実生活はイデオロギーで考えるよりはるかに複雑である。実生活は政治
家が考えるよりもはるかに神秘的な豊かさに満ちている。台湾の現実の地方政治
というのは―このことを言うことは辛いことなのだが―日本人が想像するよりも
はるかに金権政治であり、マフィア(黒道)が跳梁している。国民党がこの春の
立法院選挙で圧勝したが、台湾大学の趙教授によれば、国民党の国会議員の8割
近くが黒道と濃密な関係をもっていると言われる。半世紀にわたる戒厳令の下で
司法の独立がなく、行政が恣意的な台湾において、あらゆる民間の紛争に黒道が
介入しこの国を黒道天下にしたことは周知のことである。それだけではない。90
年代に李登輝大統領が国民党中央を占拠する外省人保守派と闘うために、地方の
国民党の派閥と提携した。

 その結果、地方の国民党の金権と黒道が台湾の中央政界に進出してきた。これ
が李登輝時代の裏の一面だった。こうした下で小選挙区で選挙を行うならば、中
選挙区に比べ、すべての票を買収するほど効果的に金権選挙ができる。2000年代
に入って台湾の選挙における金権の度合いはいっそう進んだ。選挙では歩留まり
という言葉が日常的に使われる状態だった。買収資金を有権者に配布する実行部
隊である黒道に1000万台湾元を渡せば何割が有権者に渡るかと大真面目に論議す
るありさまであった。こうした環境のもとで小選挙区制度を導入し、その結果選
挙で大敗した。指導者は愚かである。だが、有権者も指導者と同じように粗野で
愚かである。この真実を見抜いたうえでよりよい制度的設計をすることがステイ
ツマンの仕事である。少なくともこの点では陳水扁氏は策を弄し、策におぼれた

 他人の意見に耳を傾け、柔軟に態度を改め、変化する現実に能動的に適応する
資質を欠くことは陳水扁氏の性格の大きな欠点だった。このことによって彼は、
政治家として大成することに失敗したといえる。だが彼は、頑固なまでに強烈に
台湾独立と台湾人意識を主張し続けたというタフな姿勢を貫き通すことによって
、荒波にも暴風雨にもたじろがずに自らの信念を訴え続けた予言者的気質をもつ
人物であることはまちがいない。一国の指導者としては適任でなかったかもしれ
ないが、セクトのリーダーとして社会の一隅において人々に襟を正させる存在と
して価値ある仕事をしたのであり、また今後もそれを続けるものと期待している
。娘婿の腐敗事件によって今のところは家族ぐるみ利権に走っていたなどと国民
党のメディアは執拗に批判している。だが、私が思うに、彼はこれからもあの甲
高い声で勇気ある主張を訴え、台湾社会に警鐘を鳴らしてくれるものと期待する
。こうした勇気ある独立原理主義者たちによって台湾にはなんびとも否定するこ
とのできない大きな社会意識の変化が生まれていることは事実だ。戒厳令の時代
を思い出せばよい。

 台湾独立、台湾意識など口に出すことすらテロルによって弾圧された時代だっ
た。だが今日、台湾独立、台湾人意識など台湾社会の大半の人がごく当然のよう
に認め、語り合う価値観に転化している。馬英九新大統領といえども、中国国民
党の右翼からの圧力に屈してこの台湾社会の主流の社会意識を踏みにじることに
なるならば、予想もできない激しい反発が社会の深部から爆発するにちがいない
。こうした台湾市民社会の台湾独自のものにたいする誇り、自分たちの築き上げ
た価値観にたいする誇り、台湾の未来は台湾住民によって決定しなければならな
いという強い願いは、大国の圧力のなかで紆余曲折はあるかもしれないが台湾の
進路をたえず台湾を自立、自救の方向に復元させていく深部の力なのである。こ
の力を築き上げた功績はまさに陳水扁氏もその一員である勇気ある党外時代から
の民進党の戦士たちとそれに理解をよせた国民党の良質な部分によるものなので
ある。陳水扁氏の政治家としての資質についてあれこれ批判がましいことを述べ
たものの、彼の果たした大きな役割を簡単に忘れることはできない。

 台湾と民進党の未来をどう考えるか。もちろん簡単な答はない。一シンパとし
て希望的意見を述べさせていただく。民進党から飛び出した人たち、民進党にい
たたまれなくなった人たち、要するに出た人を戻してほしい。元のように穏健な
美麗島派から原理主義の独立建国連盟まで諸派の連合体ののびのびした姿を再現
してほしい。そうでなければけっして国民党に勝利することはできない。選挙後
、にわかに選ばれた蔡英文委員長がこの仕事に適任かどうかはわからない。ただ
、この人事を新潮流派が牛耳っているとすれば不安は残る。勝利した国民党にし
ろ、舞台裏は相当激しい派閥抗争の渦にちがいない。大統領祝賀会においても馬
英九新大統領のすぐ後ろに、李登輝元大統領夫妻と連戦元大統領候補夫妻が隣り
合わせに着席していた。

 このことは同党の内部における派閥抗争のすさまじさを如実に示すものとして
メディアは大々的に報道していた。そのうちゴリゴリの外省人保守派で占められ
る中国国民党派と台湾の土着の本省人政治家から構成される台湾国民党派との亀
裂が露呈してくる。そのとき、民進党がより危険なゴリゴリの保守派を孤立させ
、それ以外の勢力と柔軟に提携する姿勢を維持できるかどうかが台湾の未来を決
する。もちろん、民進党が昔のように開けっぴろげでのびのびとした党風を生き
返らせるならばこのことは可能である。だってそうではないか。国民党とは時代
遅れの中央集権的なファッショ政党という旧いかびの匂いがしみこんだ政党なの
だ。国民党の会議に出席してみるとわかる。幹部が入室してくると一同が機械人
形のようにビシッと起立する文化がある。独裁者蒋介石と蒋経国の肖像画に向か
って直立不動の姿勢で立ち、敬礼して涙を流す文化がある。こうした政党文化が
民主主義の味を知った台湾の有権者、台湾の若者たちにいつまでも受け入れられ
るとは信じがたい。こう考えてみると、国民党政権の復活は歴史のなかではやは
り一つの茶番であり、エピソードにすぎない。

         (筆者は前兵庫大学教授・歴史学博士・A.P.LINC姫路代表)

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