【オルタの視点】<フランス便り(23)>

順調に出発したマクロン政権

鈴木 宏昌
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 長かった選挙期間が終わり、人々の関心はいかに夏休みを過ごすかに移っている。私が机を借りているパリ郊外の小さな研究所では、若手研究者はほぼ姿を消し、図書室も1ヶ月閉まってしまう。Bessy 所長も明日から1ヶ月休暇をとる予定である。久しぶりにパリの街を横切りながら研究所まで行ったが、乗った電車とメトロはラッシュアワーにもかかわらず空いていた。観光客がパリ中央部をかっ歩し、パン屋さんも閉まる店が増えるパリの夏になった。

 前回のフランス便りは、大統領選挙が終った直後で、引き続く国民議会選挙があったので、思わず「難しい国民議会選挙」と副題に書いてしまった。その選挙結果は、日本の新聞でも報道された通り、マクロンの与党(REM:共和国を進める党と命名された)の圧勝に終った。
 今回の一連の選挙(共和党・社会党の予備選挙、大統領選挙、国民議会選挙)はハプニングの連続で、マスコミの多くの予測(30近くあったと言われる)はことごとく外れることになった。私の報告は、主に、ル・モンド紙、ル・フィガロ紙を情報源としていたので、連戦・連敗だった(昔から応援している横浜ベイスターズ病が現れたのかも知れない)。

 今稿では、まず国民議会選挙の経緯とマクロン・フィリップ政権の横顔を紹介する。そして、これまで順調に滑り出したマクロン大統領の政治スタイルに言及して見る。そして、優先課題として議会に法案が出されている労働法改革の行方にすこし触れてみたい。

◆◆ 1.新内閣の発足から国民議会選挙へ

 大統領選挙でルペン候補に勝ったマクロン新大統領は、すぐに組閣を行なった。新首相に任命したのは無名に近い共和党(保守・中道)のエドワール・フィリップ氏(46歳)だった。フィリップ氏は、国民議会議員だったが、議員と首長との兼職禁止でルアーブル(ノルマンディ地方の港町)市長を選び、今回の選挙には出ていなかった。共和党の中ではジュぺ候補に近く、共和党の予備選挙中はジュぺ氏のスポークスマンを務めていた。
 マクロン氏のREMの中心はむしろ社会党の右派と見られているので、野党からの見事な一本釣りである。もっとも、経済政策の面では、もともとジュぺ氏の路線とマクロン氏の路線は近いものだったので、フィリップ氏が変節して首相になった訳でもない。また、彼は共和党内でサルコジ嫌いで知られていた。フィリップ首相はマクロン大統領に似た経歴を持ち、名門パリ政治学院およびENA出身のエリートで、法律関係の高級公務員職を経た後、しばらく民間の原子力発電のAREVAで勤務した経験を持つ。ジャズが好きで、文学も好み、ひげがシンボルで背が高い。

 次に、フィリップ内閣の組閣では、マクロン大統領とフィリップ首相は見事なバランス感覚を示した。主要ポストである経済・財政大臣に共和党の若手で穏健派のブルーノ・メール氏を選び、その一方、旧社会党からは、穏健派で国民的人気があったドリアン前防衛大臣を外務大臣にし、内務大臣には、旧社会党の最右翼だったベテランのコロン元リヨン市長を配した。この外のポストには、政治家ではなくその道の専門家を配置した。たとえば、懸案をかかえる労働大臣のポストには、労働行政の専門家でダノン・グループ(食品関連の大企業)の人事のトップを担当をしていたペニコー女史を抜擢した。大部分の新大臣は専門家で、政治家としての経験を持たず、今回の国民議会選挙に出馬していなかった。

 新内閣の発足まもなく国民議会選挙が行なわれた。マクロンの与党は新政党なので、その大部分の候補は公募で選ばれ、政治的な素人だった。候補者の経歴は多彩で、NGO幹部、地方議員、経営者、教員などが含まれる。中には変った経歴として、高名な数学者や果ては失業中の者(ただし、一定の職歴は持つ)などもいた。少数ながら、くら替えを希望した社会党の前議員(穏健派のみ)や中道の前議員も含まれていた。REMの候補は、新大統領体制を進めるということのみをスローガンとして、短い選挙戦を戦った。
 結果は、与党REMが350議席、共和党(中道を含む)136議席、社会党45議席、左翼連合27議席、そして極右のFN8議席となった。昔から確実な地盤を持つといわれていた多くの共和党、社会党の候補は、無名のマクロン派の新人に敗れることになった。有権者の多くは、新大統領が選ばれた以上、マクロン体制で選挙公約が実行されることを願ったのだろう。

 保守系の共和党はどうにか野党第1党という体面を保つことはできたが、その内実は大変である。2016年末の時点では、政権獲得が間違いなしと見られていた共和党のフィヨン候補は、家族の架空雇用のスキャンダルで人気を落とし、決選投票に残れなかった。共和党内は、サルコジ派とジュぺ派の確執が続く中で、またも国民議会選挙で大敗し、内部の混乱がひどく、次の党の顔になる人の名前すら出てこない。
 オランド政権の与党だった社会党にいたっては悲惨である。議員数は10分の1に減り、党解体が噂されている。ヴァルス元首相、大統領選挙に出馬したアモン候補は、すでに党から脱退している。伝統的な社会党支持層は、マクロン支持者と反体制派の左翼支持に回ったものと思われる。決選投票に出たルペン氏のFNは、わずか8議席しか獲得できず、その路線をめぐり党内で派閥争いが始まっている。

 このように、マクロン大統領は古い政治家が支配し、保革で政権を担当した時代からの決別を旗印にして、国民議会で絶対多数を獲得した。まだ、その政治力や政策実行能力は未知数だが、これまでの選挙、組閣のやり方をみると、マクロン大統領の手腕には目を見張るものがある。少なくとも現時点で指摘できることは、フランス政治の世代交代が見事に実現したことである。30代、40代の大統領、首相がでてくると、昔からいたサルコジ、オランド前大統領とその周囲の政治家が過去のヒトと見えてくる。マクロンの新しい風がもたらしたすばらしい成果だろう。

◆◆ 2.マクロン新大統領の統治スタイル

 新大統領は、その経験不足から、果たして大統領職を十分に遂行できるか、懸念する声も聞かれていたが、見事な滑り出しである。当選するとすぐにベルリンに行き、考え方の近いメルケル首相と会談し、EUの活性化目標を確認した後、パリで次々と、プーチン大統領、トランプ大統領と意見交換を行なった。無名だったマクロン氏が大統領戦に勝利したことで、世界の指導者が好奇心を持って、マクロン氏の招待に応じたのだろうが、その対応振りは若さを感じさせない堂々たる態度だったと報じられた。

 どうして、政治経験の浅いマクロン氏が、これほど見事に大統領の役割を演じることができるのだろうか? どうもその鍵はそれぞれ2年間ほど勤めたオランド前大統領の官房事務局長補佐(実質的な経済政策のアドバイザー)とヴァルス内閣の経済相の時代に、オランド大統領の行動を近くから、しかも距離を置いて観察したことにあるようだ。

 オランド氏は、自分で「普通の大統領」と称し、マスコミを通じて、国民に近づこうとした。そのため、フランス国内で事件があるたびに、自分が先頭に立ち、対処しようとした。その結果、様々な不満がオランド氏に向けられ、人気を落としていった。マクロン氏は、反対に、明らかにマスコミと距離を置き、情報管理を徹底しようとしている。そして、メディアで報道される事件にすぐに動くことを警戒している。そのためもあり、大統領の側近は、前から信頼している参謀や補佐官に絞られる。
 また、オランド氏が多くの改革案を打ち上げながら、結局なんら大きな改革ができなかったのは、党内野党(左派)に配慮しすぎたと分析したものと思われる。したがって、国民議会でも、与党を一つにまとめ上げることを優先目標とするのではなかろうか? たとえば、経済路線では、全体的に市場経済の活性化によるフランス経済の再建を推し進めると思われるが、NGO出身議員には、別の意見を持つ者もいるはずである。だが、今度の指導体制では、個別の投票行動をすることは許されないだろう。

 また、マクロン氏の経歴で注目されるのは、20代の頃、有名な哲学者ポール・リカール氏の助手を務め、哲学に興味を強く持っていることである。多分、多少のことにぶれない性格は、彼が一定の自分の哲学を持っているお陰だろう。大統領は政治・政策の大枠を定め、内閣が実行に移すと再三強調したのも、この哲学から来るのだろう。そういえば、フランスのバッカロレアの必須科目は哲学でその比重も高い。
 付け加えれば、高校の頃に演劇に興味を持っていた(ブリジット夫人との出会い)こともあり、新大統領は与えられた役を演じるのに長けていると思われる。その上、前任者たちと比べると英語に堪能なので、各国首脳と直接話せる点も新大統領にプラスに働いている。

◆◆ 3.第一の関門 労働法改革

 労働法改革は、前オランド政権が最後の大きな改革と位置づけたものだったが、結果としては、昨年の春から夏にかけて、急進的労働組合のストライキとそれに呼応した党内左派の徹底的な抵抗により、社会的混乱が起こった。政権の統治能力の不足をさらし、初期の意気込みには程遠い労働法の小修正に終った。
 労働法改革のもともとの意図は、1936年から原則とされてきた産業別団体交渉から、実態に即して、企業レベル協定の重視を狙ったものであった(それまでの制度では、企業協定が変更できる労働条件は労働者に有利なものしか認められなかった)。この企業協定で産別協約の適用除外できる項目は、最初の法案では、労働時間に限られていた。

 ところが、当時の政府は、同時に、経営者側が昔から問題としていた解雇補償の上限額を法律で定めようと試みた(結局、法案には盛り込まれなかった)。これらの動きに反発した急進的組合連合(CGT、FOなど)が連日ストを打つことになった。議会に出された法案は複雑な構造で、多様な条項が含まれ、とても一般の人が理解できるものではなかったが(議会に提出された報告書は600ページを超えた)、労働組合は労働法の抹殺の第一歩と位置づけ、抗議運動を盛り上げた。結局、議会内外での圧力から、採択された法案は、団体交渉制度にも、また解雇手当にしてもわずかな手直しでしかなかった。

 マクロン大統領は経済相の時代から、労働市場改革をフランス経済再建の鍵と見ていた模様で、大統領選挙中から、労働市場改革の必要を強調していた。そして、大統領選出後、最初の優先課題として選んだのが、労働法改正という政治的な危険の伴う改革である。政権発足後、首相と労働大臣ペニクー氏はタンデムを組み、労使の主要団体(5の労働組合と3の経営者団体)と連日のように個別会談を行なっている。現在、枠組みを定める法案が議会にかけられているが、詳細はまだ明らかではない。
 手法の上で前政権と大きく異なるのは、徹底的に労使との対話を重視していることのようだ。前内閣では、法案の要旨を決定した後、主要労働組合との会談に臨んだのに対し、現内閣は、今のところ、聞き手に徹し、中間的組合(FOなど)との正面からの対立を避ける意向と思われる。多分、団体交渉制度の変更を最小限にし、解雇の際の金銭補償の上限目安を示すのではないかと推測されている。選挙で国民の圧倒的な信任を得たという大義があるので、この秋に予定されている急進的組合の抗議活動も昨年のような広がりはないと思われる。

 最後に、今度の大統領選挙と国民議会選挙を簡単に総括してみよう。やはり特筆すべきことは、1年前には政治的に無名だったマクロン氏が大統領に選ばれたことだろう。大統領制では、個人の人柄や資質に国民の関心が集まり、新しいヒトが出易い。オバマ前大統領やトランプ大統領はその典型的な例だが、フランスではまったく珍しい。フランス国民のなかに、旧体制の保革の政治家に対する幻滅や不信から政治離れが蔓延していたので、それまでとは次元の違う新大統領が誕生したとも言えるだろう(1次の大統領選挙では、極右および極左の反体制派の得票は合計すると過半数を超えていた)。
 マクロン体制の出発はしたばかりだが、いま言えることは、若く颯爽とした大統領、首相の出現で、昔からの政治家は政治の表舞台から去ってゆくことである。ここ30年、ミテラン、シラック、サルコジ、オランド(いずれも過去の大統領)、ジュぺ、フィヨン(過去の首相)という古い体質の政党政治家によりフランス政治は動かされてきたが、若く政治に染まっていない新大統領の出現で、彼らは舞台から消えざるを得ない。思いもかけずフランス政治の世代交代が実現した。とかく、フランス人は、フランスの将来に悲観的な人が多かったが、若い指導者の出現で、その雰囲気も明るくなるのではなかろうか?

 ところで、わが国ではいつ政治の世代交代が行なわれるのだろうか? 遠くから心配している。もっとも、日本の世代交代は2世、3世へのバトンタッチという危険も付きまとう。まだ、儒教精神とか「家」の伝統が残っているのだろうか?
  (2017年7月16日 パリ郊外にて)

 (早稲田大学名誉教授)

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