高度成長と社会党の経済政策(下)

■「高度成長と社会党の経済政策」(下)

                          宮下 忠安
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(10)減税論争と予算組み換え。

社会党は結党後2年ぐらいから毎年、ときによっては補正予算にまで、「修正案」、「組み替え案」を出していた。少数党だから実現しなかったが、もし、本当に国民が数を与えたら、これだけのことを自分達はやるという決意をきちんと示していたのである。

60年経って、今日の現状を見てみると何時予算が国会を通ったのか。野党の主張は何だったのかも余りわからなくなってしまっている。今は、何をやっても残るものは無い。  
この状態に比べて 私は、日本社会党が健在だった頃、仕事をさせて貰って非常に良かったと思う。
 
当時、修正案や組み換え案をつくるとき、二本の柱があり、一つは減税、他の一つは防衛費の削減であった。
まず、減税問題では前述した、パックン論で見ると、社会党が作った減税の修正案に政府・自民党は一度もその場でOKをいったことはない。しかし、一番すごいのは、原案をそのまま政府予算修正という形で政府が予算修正してしまって国会を通してしまうというパックンの最たるものがあったこと、二つ目は、予算修正ということは絶対に認めないでおいて、予算を通した翌日から減税の話をはじめて、補正予算になったら減税を入れてくるという形のパックンである。
三つ目は何も言わないでおいて、来年度の予算編成の段階で野党も言っていた減税の案をいれるというパックンの形である。
したがって、減税問題というのは、社会党が予算修正という形で上げたときには確かに実現しなかったが、だからあれは無意味だというように国民からは見られがちであった。
 
しかし、実際の財政運営の中では、それほど軽視されていたわけではなく、政府側も野党第一党の意見をまったく袖にしたのでもないが、実際に組み替えや修正の作業をする立場からすれば表向きは認められないから、毎年、毎年無駄な仕事を繰り返すという思いに駆られたことは否定できない。これが政治というもの
だと認識するようになったのは10年ぐらい経ってからであるが、個人的には、それでも今よりは仕事に充実感があったように思う。

減税について、忘れられないのは、社会党の提案で後年度についに減税させたという「戻し減税」を実現したことである。大体、大蔵省は税金が入ってくると自分の金だと思って国民から預かっている金だという意識はまったくないから、そんなものなんで戻すのかと反対である。こういうなかで戻し減税を実現したと言うことは特筆すべき減税論議であり、参議院ではこれを予算修正ということで5回やった。

社会保障費を増やし、防衛費を減らすということで組み替え動議は簡単にできるが一院を通ってきた予算を組み替えろというのは衆議院に対する非礼にあたるのだが参議院社会党は参議院も予算審議する権限を持っている以上、修正することはできると言う立場を考え出して修正案をつくるようにと指示してきた。

修正案ということになると、きちんとした予算書のスタイルにしなければならず、防衛費の何を削ってどうするか。削ったお金は歳入のどれを減らすかなど予算書の形に変えなければならないので衆議院よりも参議院の予算作り変えは何倍も苦労する。
とくに辛かったのは、防衛費を削るといっても、何を削ればよいのかがわからない。
たとえば戦車10台で100億というようになっていれば、1台10億円とわかるが、台数がでていないで、ただ戦車購入100億円となっているだけだから、それを削ったり、ふやしたりすることは非常に難しい。

30年来、こんな予算審議をいつまでもしていてよいのかと思い続けているが、今日でも変わっていないのである。仕方がないから、今年度計上する分は単価がわからないからというのでなく、新しいものは全部駄目という荒っぽいことでやらざるを得なかった。

それでは、古いものはいいのかといえば、そういうことはないのだが政府が材料を出さないからどうにもならなかったのである。

(11) 原発・エネルギー論争への疑問

私が30年、国会にいて、デモはものすごく力があるものだと実感したのは二つである。
一つは炭労がつぶされる時に国会を取り巻いたデモと安保闘争のデモだ。
安保闘争のデモについては触れるまでもないが、炭労の政策転換闘争のデモは帽子にカンテラをつけた炭鉱労働者が国会周辺を完全に取り巻いて、本館から外へなかなか出られない、すごく異様な雰囲気であったのを記憶している。

日本のエネルギーが石炭から油に換わるという、長く厳しい交渉が始まり、その後、三池闘争などが起きるのがいわゆる「油主炭従」への変化です。
敗戦当時は「水主油従」といい、水力発電を主力にしていたのが「油主水従」に変わっていく。一時期、炭鉱が日本のエネルギーの大部分をまかなったが、産業が大きくなって間に合わなくなり油に変わる。
 
こういう状況の中で、社会党のエネルギー政策は、炭労の闘争以来既存のエネルギーを大事にしようという姿勢が強すぎて、前を向くことができなかったのではないかと思う。
この姿勢が本当に日本経済の明日のエネルギーを賄うのに大丈夫であるのかどうかという政策的検討が十分になされて油主炭従とか原子力利用とかに対応する政策であったかということは非常に疑問を感じた。

その後、原子力問題では、原子力発電反対という闘争が大分長いことつづくが、確かに原子力が十分な安全性を持っているかといえば、今日でも問題にされてい
るのだから社会党の批判と政策が全く間違いであったとは言わないが、石炭から油に切り替えないで、その後の日本のエネルギーは賄えたか。原子力を利用しないで本当にエネルギーを賄えたかということを考えると既存エネルギー擁護が強よすぎて後ろ向きだという批判をうけたのである。

社会党が安全性の追求は徹頭徹尾やりながら、エネルギー政策の切り替えについては、いま少し柔軟であれば、この政党のエネルギー政策は非常に見事であったと思う。
労働組合は、ともすれば既存のものに軸足を置きがちで技術革新などにも、ちゃんとした理屈じゃないのに声の大きいほうに引きずられる傾向があるが原子力発電についても、それがあったのではないか。

(12)財政投融資と還元融資

財政投融資制度は政府が敗戦後の金融政策としてつくったシステムで年金
の掛け金とか郵便貯金を使って政府関係の公団とか公社とかに、税金と違った領域の大きな金貸しをやるのであるが、最初はこれが国会に殆どその内容が示されなかった。
社会党の佐多忠隆参議院議員が初めて財政投融資というものを国会に出せと主張した。
佐多氏はいまでいう金融庁的なところにいた社会党では数少ないメンバーで、立派な国会活動をされた方ですが、この結果、昭和30年代にある程度きちんと形を整えて出してくるようになったのである。

それからしばらくたった1970年ごろ、社会党の田中寿美子議員が財政投融資について質問すると、中身は答えられないと逃げた。ところが神田の古本屋に大蔵省が出した「国の予算」という丸秘扱いの分厚い本が堂々と売られていて、そこには政府が答えない財政投融資の資料が詳しく載っていた。そこから切込みが始まって財政投融資の厳しい批判をした。これが口火になって衆議院の高沢寅男氏、参議院の松永忠二氏などが追及して大いに盛り上がったが、けしからんぞということで終わってしまった。

これは、議論の目標が無かったからで、田中寿美子議員は目標をきちんと持っていた。
財政投融資の資金を郵政省や厚生省に集めさせ「あなた集める人、私使う人」というので大蔵省が勝手に使うのを阻止しようとしたのである。
「シーザーのものはシーザー」へという名セリフで始まった呼びかけで大蔵省が全部握っていた財政投融資を、お金を集めている郵政省や厚生省にお金を融資することをさせなさいということで還元融資制度を提案し、やがて「あなた集める人、私使う人」というシステムを崩したのである。

勿論、その場ですぐ崩れたわけではなく、法案がしっかりでて還元融資制度が実現して行くことになるのだが、社会党田中議員の見識による大きな仕事であった。ところが、役人というもの度し難いもので、今度は「私使う人」にしてもらった郵政省や厚生省が何をやったかといえば、簡保会館だ何だと大蔵省がやっていたのと変わらないものにしてしまう。

初めの出発時は、積立金をしている労働者の住宅に限定的に貸していたのが次第に金が増えてくるにつれて小型大蔵省、理財局のまねをして、自治体がつくる焼却場にまで貸すようになり、それでも余るというので保養施設にまで広げていくのである。

本来ならば、社会党の狙いが初めからきちんとしていれば、あれは俺達が作った制度だから中身を変えろという要求をしていくべきなのにしない。個人の議員が少しよい提案をして実現しても党としてしっかりフォローする体制がない。もったいない話である。
たしかに、出発点はよかった。それまで労働者から集めた金を大企業中心に使わせていたのを止めさせる方向を探って、それを実現したところまでは見事な政策だったが、残念ながら後が何もなかった。

(13)「予算空白」の回避

明治憲法では前年度予算施行といって、もし3月31日までに予算が通らなければ、前年度の予算をそのまま使っていいという制度だったが、新憲法では、どんなに短くても暫定予算を出せということで、1週間、10日、1カ月でもある程度の暫定期間を出すべしということになっている。

衆議院の予算審議で1週間ぐらい遅れて場合は、暫定予算を出すと、又日数を食うからと、大蔵省や政府は悪知恵を働かせて暫定予算を出さずに「予算がない」のだから、「参議院は早く上げろ・上げろ」と尻を叩く。

 ところが、参議院は30日の審議期間はきちんと保障されている。30日以上になれば衆議院のとおりになるけれど、30日の範囲内で審議している分には文句はないはずというのが社会党の立場であるが何が何でも30日間やらなくてはならないというものでもない。

「予算の空白」のときはどうするか。たとえば、囚人が4月3日に出所するといったら、その人に囚人として働いた間に積み立てたお金を持たせて出さなければならない。お金がないから補正予算が出来るまで、あと1週間入っていてください。というわけにはいかない。どういうことをやったかといえば看守さんたちが積み立ている共済の金を借りてきて、囚人が出る時渡していた。
こういうように法律的にも問題のあるようなことを各省庁が勝手に出たら目をやっていたのである。

これに対して参議院社会党は、国会にある質問主意書という制度を活用して、この予算空白期間に各省庁は何をしたかを個別に報告させたのです。政府としてもこれは可笑しいからから暫定予算を出さないではやりませんといいながら出さないでやることを繰り返す。
そのつど、社会党は質問主意書を出しては積み重ねていった。あまりにも同じことをやるので最後の段階では予算を通さないで自然成立にすると頑張ってよ
うやく自民党も委員長見解をまとめ、以後は暫定予算をきちんと出してやるということになり予算の空白というものがなくなった。

なお、最近、質問主意書の乱発が問題になっている記事が出ていたが、答弁書は閣議決定するので、乱用も抑制も間違いであってこの制度は大切にしていきたいものである。

(14)消費税廃止法案の成立

社会党は平成元年の選挙で大勝して自民党が少数派に落ちる。それで参議院の社会党を中心とした野党が一致して消費税廃止法案を提出し成立させて公約を実現するという画期的なことをやった。

政党の公約とは五月の鯉のぼりの吹流しと同じで、中は空洞でかぜが吹き抜けているといわれているもの実現したのだからこれには驚いた。
この消費税廃止法案をまとめるのは後に社会党からただ一人大蔵大臣になった久保亘議員があたるのですが、まとめるに当たって参議院の事務局、とくに調査室は大変な苦労をした。
なぜなら、調査室は委員長の直属部隊なので大蔵委員会、予算委員会とも委員長は与党ですからその指揮下で動く、廃止法案自体は法制局でつくるが、質疑応答は、今までのように野党が突っかって、与党ないし政府が答弁するのでなく、その逆ですから全く経験がない。委員長の直属部隊なので委員長の許可をとろうにも大蔵委員会は許可しないので、やっと予算委員会の許可が取れた。

それから消費税廃止法案を出した野党側が与党から質問された時どう答えるかという想定門答150位をつくって委員に御進講して審議に対応した。一番警戒したのは与党の宮沢弘議員でした地方税法については触れられなくて助かった。
ただ、沖縄の税法特例というのが見落とされていて、大騒ぎになったのですが何とか補足で収めて修正案を通したわけです。勿論、衆院は与党が多数ですからあっけなく否決されますが参議院としては責任を果たせたわけです。

(15)機能しない両院協議会

選挙で自民党が少数になり、そういう中で補正予算も本予算も4,―5年にわたって否決されてしまう。すると、憲法の規定によって必ず両院協議会を開かなくてはならない。そして両院協議会で一致すればそれに従うし、一致しなければ衆議院の議決が予算の議決となって成立することになっている。
毎年繰り返した経験からいえば、この両院協議会ほど無意味なものはなかったと思う。
野党側は予算を否決した理由、予算を修正する理由などを説明するのだが、防衛費の削減、福祉関係の経費増などの二本柱くらいで、あとは各議員が勝手に質問などしてしまい、とても衆議院側にまとまって予算修正を求めるような体をなさない。衆院側も否決すればよいのだから形だけやれば済むことだという姿勢で臨むから、衆議院の議運委員長の部屋で1時間ほど、形ばかりの言い合いをして終わるわけです。

なぜこのようなことを私が指摘するのか言えば、参議院の憲法調査会が二院制の維持を主張していますが、60年間やってきたことを検証して二院制の何を残し何を改めるべきなのか、そしてよりよい二院制にするためにはどうすべきかが
議論されていないように思われるからです。
憲法改正のなかで二院制を維持するなら、少なくとも予算に関する限りは、この両院協議会制度は廃止するなど、運営の経験をふまえた議論でなければならないと考える。
一歩踏み込めば、アメリカの上院のように、何らかの権限はきちんと持つ代わりに、そのほかのことは下院に譲るなどを審議すべきだ。
これは、衆議院側は参議院を半分馬鹿にする。参議院はあいつら何だと、互いに確執している現状を脱却するには一案であると思う。

(16)単価不明の予算審議

予算審議には単価も数量も一切出てこないのだと言えば国民は誰でも驚くに違いない。
まさに国会の予算審議では単価も数量もない予算書で「審議」されている。各省や大蔵省は機密的に単価など当然持っているのだろうが議会には出さないで「審議」してくださいという。衆議院は予算を、参議院は決算を重視すると言うがいずれも単価も数量もなくて何が審議できるのだろうか。かって社会党の竹田四郎議員がこの問題を徹底的に追及したことがあった際、防衛庁だけに絞って単価を出せとと要求したが出さなかった。そこで「それでは戦闘機10機買うのにいくらカネを払ったか、その数量と総額だけだせ、それをこちらで割って単価にするから」といったら大蔵省も会計検査院もひどいもので「それは割った数字で単価とは言いません」という。役人の悪知恵、能力はたいしたもので結局いまだに、単価も数量も予算書のどこにもない。

さらに、恐ろしいことは、自衛隊がイラクに派遣されている経費はどうなっているのか。
 日本人は誰も知らないのです。海上給油なども一切予算書にははっきりしないであるのは自衛隊の4兆円の予算だけです。だから北海道の演習場でやっている演習費用もイラク派兵の経費も予算書の上では同じである。

これを追求しても、しぶしぶ出してくるのが各目明細の参考ということで、1枚の紙ッペラが入っているだけだ。 これが、現在の予算審議の実態で情けない限りである。したがってアメリカだったら戦費がいくらになったから、これ以上税金をつぎ込む意味があるとかないとかの議論にもなるが、日本には出来ない。これが財政民主主義をはじめて60年たつ、日本の議会制民主主義の実情である。

(筆者は明海大学経済学部客員教授・元参議院立法調査部専門委員)

※この論稿は「戦後期社会党史研究会」での報告を編集部が要約したもので文
責は編集部にあります。

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