高齢者駆除法その他

■ 【横丁茶話】

高齢者駆除法その他                    西村 徹

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  膝を痛めてヒアルロン酸注射というのをしてもらうために都合5回5週にわた
って医者に通った。診察室の前の壁に新式の超音波のポスターが貼ってあった。
注射終わって医者にポスターのことを訊こうと思ったが、どうしても超音波とい
う単語が出てこない。高画質高精細とあったのは覚えている。やむなく「高画質
高精細のポスター」と言ったら医者は「エコー?」と言い、「それそれ!」と話
を進めたが「超音波」なる単語は診察室を出てポスターそのものに再会するまで
出てこなかった。

 いよいよ認知症が始まったのかと医者の確認を求めたが「ちがいます」と医者
は強く首を横に振った。つまるところ「血のめぐりが悪くなっているだけ」であ
るらしい。強く首を横に振ったのと、それに続くコメントは、どうも整合性があ
るようなないようなで、それじゃやっぱりと思うしだいである。

 「血のめぐりが悪い」などと文字通りに医者は言ったわけではない。そんな無
神経なことを医者はけっして口にしない。町医者がそんなことを言ったらたちま
ち客は来なくなる。病院医でもそんなこと言ったらすぐさまメールの投書で攻撃
される。そんなことを言う医者は軍医にもなれまい。戦場の兵士ほど心に傷を負
いやすい人間はいない。戦場の兵士は人間であることを辞めることを強制されて
いる存在だからだ。

 「血のめぐりが悪い」は「頭が悪い」の、小意地が悪くて毒を含んだ表現だ。
医者は「加齢とともにどうしても動脈硬化が進むので血流が滞って」とかなんと
か言ったのだったと思う。しかしやっぱりありていは「血のめぐりが悪くなった」
のであり、「頭が悪くなった」のであり、認知症が始まったのであり、つまりボ
ケたということになる。

 朝日新聞(大阪)11月10日の生活面に46歳のときに認知症と診断された
オーストラリアのクリスティーン・ブライデンさん(63)が語っている。「室
内や庭で作業しながら、ふと覚えておきたいことを思いつくと、あわてて繰り返
し声に出して掲示板に走って行ったり、メモに書き留めたりしています。今思い
ついたことを話そうとした瞬間、完全に頭から消えてしまう」と。

 いや、まったく私の現況とそっくりだ。そう思ったところで虚構新聞ニュース
15号というポッドキャスト配信のラジオを聴いた。こんな風だった。「高齢者
駆除法が制定されました。74歳以上の高齢者を捕獲したばあいは警察または市
役所にお知らせください。直ちに回収にうかがいます。捕獲した高齢者一人につ
き1万円の報奨金が支払われます。以上厚生労働省の通達でした。」

 もちろんパロディーではあるが、それにしてもリアルではないか。世間一般の
暗黙の認識はまさにこれだろうと納得した。後期高齢者保険制度が始まった時点
で高齢者駆除法は始まっていた。高齢者には医療費が多くかかってそのぶん財政
負担が増える。市場にとってマイナスだというので、高齢者の自己負担分を増や
そうとしたものだ。長生きは損、いやなら早く死ねというものだった。

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●中学生のいたずら

 近くに中学校がある。校庭の北には池があって、その間を東西に一本道が走っ
ている。私の散歩道のひとつであるが、日ごろはあまり中学を意識しない。北側
の池の日ごとに見せる表情の変化を私はおもしろく思う。道は車を通さず人通り
も少ないので、犬の散歩も多い。以前は犬の糞が多かったが、こころもち世間の
目がきびしくなっただけでいつの間にかそれは消えた。ニッポン人、そんなに鈍
感でない。

 しかし中学校のほうにも、ときにちょっとしたおもしろい出来事が起こる。秋
のことだから運動会とか行事は多い。あるとき校庭でブラスバンドが演奏してい
た。校門の前に立っていた先生に「なかなか上手ですな」と言ったら先生ははし
ゃいで「明日は本番だから是非きてくれ」と力を込めて言った。和顔施、言辞施
である。と勝手に思っている。

 今回は「ふれあい芸術芸能なんとか祭」という看板が校門に出ていて生徒の親
らしき大人の女連れが目立った。生徒ももちろんあちこち走り回っていた。校庭
と道路を隔てるフェンスの道路側に3人の男子中学生が貼り付いていた。オーバ
ーフェンスというやつである。エネルギー計算をすれば周って正門から入るのと
大差ないだろう。

 校舎の2階窓から女先生の顔が覗いていた。若い大きな目の美人らしき先生で
あった。もっとも今はツケまつげをすると目は3倍大きくなると田嶋陽子とかい
う人がオオタケマコトのラジオで言っていた。ツケマ(ツゲ)に目張りを加えれ
ばもっと大きくなるだろう。だから正味はわからないが、遠目もあって見かけは
見かけどおりに見えた。

 先生が声を発した。「登ったらあかん。こーら!正門から周って入っといで」。
子どもらは聞こえたし見えたが笑っていた。そしてさらに上に登ろうとした。す
かさず先生は声を張り上げた。「アカン言うたら!」漫才などなら「ほんまにも
う」が続くところだ。子どもらはぴたっと止まってスルスルと降りた。先生の、
その突っ込みの呼吸はみごとなものだった。プロの技だった。

 なんだか映画の一コマでも見るような、一種の芸を見ているような、そんな感
慨を抱いて私は大いに興じた。子どもらは思い出を持つだろう。あるいは直ぐに
も物語をつくるだろう。そしてその女先生をめぐる神話を編み上げ、伝説に新し
い一章を加えるだろう。しかし私がその女先生の立場にいたとしたら、どうした
ろうか。たぶん子どもらのましらのような敏捷さを鑑賞するにとどまったような
気がする。

 誰にも害のおよばぬこと、子どもらに何の危険もないことに私は何らの倫理的
関心を払わなかったろうように思う。昔学校の寮などで門限があって遅れると門
が閉ざされていた。よじ登って超えるのがちょっとしたアヴァンチュールだった。
他愛ないアヴァンチュールではあるが浩然の気を養うような気分だったと覚えて
いる。

 いつかテレビで京都御所(仙洞御所)を映す番組にゲストとして出ていた猪熊
兼勝という考古学者が、御所とおなじ町内に住んでいたので子どもの頃は門でな
くて、わざわざ石垣をよじ登って出入りして遊んだと言っていた。どの石に足を
かけるかもきまっていたという。子供はみんな登れるところは登っていたものだ
と同席の夢枕漠氏が同調していた。

 しかし中学の女先生は、その日は親たちが多勢来ている日だったから、子ども
の冒険を黙認したところを親たちが目撃でもしようものなら親たちの集団リンチ
に会うかもしれない。先生も防衛的にならざるをえないのだろう。窮屈なのは中
学だけでなくて、大学も休講すると補講をしなければならないと荒川洋治という
詩人が嘆いていた。一週一度の出勤ですむのは東京都知事ぐらいらしい。

 ときどき男の先生が門の外でタバコを吸う。タバコ飲みも肩身は狭くなったも
のだと気の毒に思うが、大阪市役所では外に出てタバコを吸った職員は、その間
職務を離れたとかで大阪市長から譴責されたという。そのうち公務員はトイレの
時間も制約されるだろう。大便は自宅ですませてこいといわれるだろう。世知辛
い世の中になったものだ。             (2012/11/11)

 (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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