鳩山新政権―その戦略課題を考える―

■ 鳩山新政権―その戦略課題を考えるー      船橋 成幸

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  総選挙の圧勝を受けて築かれた鳩山新政権は、発足後1ヶ月の今日、予想以上
に順調な足どりを続けている。いまや国民の大多数が、新政権による政治の歴史
的転換と新たな施策の展開に大きな関心を抱き、期待を寄せている。
 
新政権の閣僚は、不況、失業、インフルエンザなど当面の緊急課題に取り組む
と同時に、「脱官僚依存・政治主導」の旗のもと、民主党のマニフェストに掲げ
た新しい施策や方針の実現、具体化を懸命に進めている。だが、その多くはまだ
課題提起の段階であり、国民がいま果実を手にしているわけではない。新政権が
真価を問われるのはこれからである。さしあたり来年夏の参議院選挙までの業績
如何が、第一関門の試金石になると思われる。

 ところで、この政権交代をもたらした総選挙の評価については、民主党圧勝の
熱気とは異なる次元で、斜めに見るマスコミや論者たちも現われていた。それは、
(1)選挙結果は民主党の勝利というより、小泉内閣以来の負の遺産を克服できな
かった自公政権の自滅であった、(2)特徴とされた「マニフェスト選挙」は、与野
党とも財源の根拠があいまいで公約「ばら撒き」の様相となり、有権者は政策よ
りも政権交代そのものを求めて投票した、(3)しかもマニフェストは今日的なニー
ズや課題にばかり集中して、中長期の日本の展望・ビジョンの提示が欠けていた、
などの論評である。私は、それらの指摘が十分に適切とは言えないまでも、お
およそのところは的を射ているように思う。

 例えば、選挙に際してマスコミ各社が行った世論調査では、民主党が掲げた高
速道路の無料化、農家への戸別所得補償、さらに思い切った額の子ども手当など
「目玉政策」に対してさえ、予想外に低い支持率しか寄せられなかった。そのほ
かにも、民主党の公約をめぐっては財源に関する論争が目についたが、これは結
果を見るまで確かめるすべのない話であり、直ちに有権者の深い理解を得るには
無理があった。だが、それにもかかわらず民主党は圧勝したのである。有権者は、
余りにも長く続いて腐朽の極みに達していた自公政権への不信と憤激に燃えて
政権交代を選択した。民主党を圧勝させた主要な要因が、そこにあったことは確
かであろう。

 この総選挙には、もうひとつ重大な問題が問われていた。それは、米国主導の
グローバリゼーションが終焉に臨み、世界史的な「チェンジ」の幕が開きつつあ
るとき、日本はいったいどこに目標を定め、いかなる進路を選ぶのか、という根
本の問いかけである。
  選挙中、かならずしも熱い議論の的にはならなかったが、鳩山首相もマニフェ
ストも、それに答える方策の一端は打ち出している。曰く、2020年までに温
室効果ガスを1990年比で25%削減する。また曰く、東アジア共同体の構築
を進める。

 これらはいずれも今日の歴史的条件と要請にかなう緊要の課題である。そして
単に産業・経済・技術の部門だけでなく、社会全般の価値観、文化と生活様式の
画期的な変革を導く課題である。そうした深い認識で取り組まないかぎり、地球
温暖化への効果的な防塁を築くことは不可能といえる。また、東アジア共同体の
構築は、域内諸国・諸民族と未来志向の友好・連帯の絆〈鳩山首相の「友愛」?〉
をあらためて結び固めることを必須の要件とする。さらに言えば、およそ地球
的・国際的な課題は、それぞれの国や地域や社会のありようと不可分である。だ
から鳩山首相らの提起は、日本がいかなる国づくりをめざすか、新たな社会像を
どのように構想するか、という課題と分かちがたく連結するのである。私はその
観点から、民主党のマニフェストに関連させて以下、若干の問題提起を試みたい。

 第一に、鳩山新政権はいま、自公政権が残した850兆円に近い負債という厳
しいハードルに挑みつつ、マニフェストの公約実現をめざして奮闘を続けている。
そのため政治主導のもと行政システムの徹底した改革と節約を進め、事業仕分
けを柱に国の予算を組み替えて国民生活を守るのに必要な財源を調達するという。
当然、そこでは大幅な税制改革も避けられない課題となるに違いない。では、
それらの大仕事を経て、その先の日本の社会はどうなるのか。新政権は、近未来
日本の社会像をどのように描くのだろうか。

 日本のいまの最も深刻な社会的矛盾は、自公政権下で極度にひろがった各分野
〈階層間、産業・企業間、中央と地方間、地方・地域の相互間など〉の格差であ
り、それを緩和し是正することが新政権の重大な任務であることに異論はあるま
い。ここで私は階層間格差の問題に限って言及するが、この場合、めざす目標は、
かつて高度経済成長と同時進行で形成されていた「中流社会」を再構築するこ
とである。
 
そのためのキメ手は、新政権が所得や資産の再配分の権能を力強く発揮するこ
とにある。平たく言えば、下流の階層を底上げして上流を削り、中流の階層を厚
くする方策を選ぶことである。民主党のマニフェストは、この「底上げ」につい
てセーフティネットの整備・拡充など多くの積極的な施策を掲げているが、「上
流を削る」施策は、かならずしも鮮明とは言えないように思う。

 現実を見てみよう。例えば税制では、かつて70年代に75%だった所得税の
最高税率が相次いで軽減され、2007年以降は40%にまで下がっている。住
民税の最高も18%〈最低5%〉だったのがいまは一律10%である。また、1
0年前には有価証券取引税が廃止され、株や土地取引などのキャピタルゲインに
浮かれたマネーゲームの狂乱状態も経験した。そのほか各種特措法などを通じて
大企業優遇の施策があいついできている。

03年以降5年間の好況期に大企業の利益剰余金〈内部留保〉が17兆円も増
えたのに、従業員給与が逆に1兆円の減額となったことは象徴的な矛盾であ
る。新政権が「上流を削る」べき根拠はこれだけ明確であるのに、例えば与野
党間やマスコミの間では、財源と税制をめぐる議論がいきなり消費税引き上げ
の話題だけに飛んでしまうのはどうしたことか。
 
民主党は最近、新しい政府税調に一本化する体制を整えたが、いまこそ「中流
社会再構築」の戦略目標を掲げ、そのビジョンを鮮明にして、公正な税制改革な
どによる再配分の方策を積極的に進めるべきである。私はそれによって、階層間
格差を緩和・縮小し、社会の安定を導くと同時に、財政の健全化にも役立てるこ
とができるに違いないと思う。

 第2は、日本の経済戦略についてである。民主党はすでに「コンクリートより
人間へ」を合言葉に国の予算と施策の大幅な編成替えを進めるとしており、多く
の国民がそれを強く支持し、成果を期待している。こうして国民の生活を第一と
し、それを基礎に内需拡大の方策を選択することは全く正しいと言えよう

 ただ、戦後日本経済の成長が基本的に外需頼みであったことから、あらためて
内需にベクトルを向け直して新たな成長の道を探るのは容易なことではない。鳩
山首相による「25%削減」目標は新しい産業・技術の開発を導くだろうが、そ
れとて当分は試行錯誤の困難な道程を辿らねばなるまい。現に財界からは「とて
もコストが引き合わない」と、反発の声も生じている。また、前項で示したよう
な再配分の方策も、「それをやれば外資を含めて有力な資本が海外に逃散し、結
果として国際競争力が低下、経済の衰退を招く」といった議論に妨げられている
。だが、こうした主張は世界の現実を見ていない。

 例えば昨年10月に発表された世界経済フォーラム(WEF)の「国際競争力ラ
ンキング」によれば、先進諸国の中で日本の競争力は9位だが、再配分が徹底し
て高福祉・高負担とされる北欧3国〈デンマーク、スウェーデン、フィンランド
〉はそれぞれ3,4,6位を占めている。今年6月の国際経営開発研究所(IMD
)の調査でも、北欧3国の競争力はいずれもベストテン、日本は17位である。

そのうえ、GDP世界第2位を誇ってきた日本はまもなく中国に抜かれるが、国民
経済の内実はひどいもので、OECDの調査によれば相対的貧困率〈年収が平均の半
分以下〉は加盟30か国中アメリカについで4番目であり、所得の不平等度を示
すジニ係数を見ても、日本は年を追って悪化の傾向を辿っている。 他方、地球
温暖化など環境問題への取り組みでは、例示した北欧の国々が1969年に国連
環境会議の設立を提唱し、以来これを主宰してきた最も熱心な環境先進国である
ことは注目すべき事実である。こうして、どの角度から見ても、地球温暖化対策
や再配分政策の強化が経済成長の足かせになるというのは、まったく虚構の論に
過ぎない。

 振り返ってみると、資源のない日本が敗戦の廃墟から立ち上がって驚異的な速
度で世界有数の先進国に成長したのは、何よりも教育の成果であり、高レベル労
働力の再生産に成功したからである。この、経済成長の中核的支えである労働力
が、いまは非正規労働の氾濫に見られるようにばらばらに引き裂かれ、能力を開
花させる機会も奪われて無残に使い棄てられている。この状態と仕組みの抜本的
な改善を急がなければならない。子育て支援から始める教育の再興、正規雇用の
普遍化をめざす労働法規の改革、年金・医療・社会保障の拡充などなど、民主党
マニフェストの公約実現が強く期待されるところである。

 第3に、鳩山新政権が目標に掲げている「東アジア共同体の構築」に触れてお
きたい。この課題の推進は、内需拡大の方策と並んで21世紀における日本の成
長戦略の要になると同時に、東アジア諸国の平和共存を保障し、それぞれの国と
地域が持続的に発展するための大道を選ぶことになる。日米同盟やグローバルな
課題はもちろん重要だが、それもアジア・リージョナリズムの土台を固めてはじ
めて、前向きの対応が可能となるのである。
 
しかもこの東アジア共同体の構築は、中国をはじめ域内諸国のほとんどすべて
が賛意を示し、共通の課題としている。だが厳しく見れば、表向きの建前は一致
してもそれぞれの国の思惑とホンネは別である。だから、この課題を決して安易
に捉えるのでなく、むしろ困難な壁を意識し、それを乗り越えていく決意と努力
の積み重ねが必要である。

 「壁」というのは、東アジア域内の各国ごとに歴史も文化も、経済・社会・政
治の状況や制度も異なり、しかも大国と小国、先進国と途上国それぞれが国益第
一の立場に立つのだから、そこに矛盾があり食い違いが生ずるのは当然というこ
とである。また、共同体推進の過程でどの国が主導するのか、ヘゲモニーをめぐ
る競合も避けられないであろう。  
 
だがそうであっても、東アジア共同体の構築は、域内の諸国・諸国民が、21
世紀の世界に展開している困難な歴史的条件〈温暖化・砂漠化など環境の危機、
市場経済の混迷、国家・民族間の格差拡大、食糧・水・各種資源の枯渇傾向、「
核の傘」依存体制の存続など〉に立ち向かって共に生き抜くための不可欠の課題
である。この課題を成功的に推進することは、相互に自主性尊重・平等互恵、平
和・友好の関係を保ち、協力協働して国際間のネガティブな諸関係を克服、人類
社会の持続的発展に寄与する道を拓くことである。

 日本の新政権はそのことを確認して中国、韓国、インドをはじめ東アジア諸国
との相互信頼を深め、共同体の構築と発展に大きく貢献すべきである。そのため
具体的には、今日なお日本が先進性を保持している経営資源〈蓄積された経験、
高水準の技術と労働力、効率的な経営ノウハウ、豊富な資金力など〉は、環境対
策、インフラ整備、技術支援、市民・農民のためのODAなど、アジア共同体のニ
ーズに向けて積極的に活用すべきである。域内諸国民の労働市場を相互に開放し
、文化・教育・研究活動の交流を強めることも極めて重要である。また、その最
悪の障碍となる偏狭なナショナリズムを排し、「アジア市民」の育成という教育
の目標を押し立てることにも目を向けるべきである。

 終わりに二つのことを加えたい。一つは、すでに民主党がマニフェストに掲げ
た「企業・団体献金の全面禁止」について、「3年後」などといわず直ちに、抜け
道のない法制化を急ぐべきである。それによって民主党も自民党もすべての政治
勢力が、財・業界や労組を含む諸団体との不明朗なしがらみを断ち、いかなる圧
力も受けることなく、完全に自立した政治の展開条件を確保できるからである。

それによって最も深刻なダメージを受ける自民党側からは強烈な抵抗も予想され
るが、政治への国民の信頼を深め、民主主義の健全性を確保するために急ぐべき
課題である。また、もう一つ大事なことは、民主党と新政権がマニフェストを金
科玉条とするあまり「抱え込んでしまう」のではなく、総選挙で圧勝を支えてく
れた国民の意見を広く求め、開かれた議論を起こすことである。

 私はこの小論で、近未来を含め、鳩山新政権に期待される課題について気づい
たことを並べたが、もちろんこれは「ほんの一端」に過ぎない。国民が新しい政治
に問いかけ、切実に訴え、熱い話し合いを求める課題はまだまだ山積している。
それに応え、鳩山政権のもと、政治的民主主義の花をみごとに咲かそうではない
か。
                     (筆者は元社会党中央執行委員)

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