麦秋雑感

■ 【エッセー】

麦秋雑感             高沢 英子

───────────────────────────────────
         
  朝から雨が降っている。このところ天気が不安定で、昨夜は雲もなくからりと
していた空が、一夜明けるとうって変わり、重苦しい雲がひろがり、窓の外では
しめやかな雨音がする。

 麦の秋 さもなき雨にぬれにけり   久保田万太郎  

 麦の熟する季節は、梅雨の前触れで、気がつくと降りみ降らずみの雨が、若葉
を濡らしていたりする。「さもなき雨」と、さらりと言ってのけたところが粋で
ある。わたしの持っているポケット版の歳時記では、万太郎、となっているが、
俳号は暮雨というらしい。
  また、富田昌宏さんのオルタ掲載の

 金色の 風生みつぐや 麦の秋  

 の句に、栃木のひろびろした山野いちめんに広がる麦畑と、黄金色に熟した麦
の穂を波打たせながら吹き巡る六月の金色の風を眼に浮かべたことだった。

 話変わって、ここ多摩川沿いの大型マンション団地は、近辺だけでも数える
と、五つ六つではきかない。そしてそのそれぞれが、団地内に三棟ないし五棟く
らい分立し、芝の広場をめぐる並木道や、花壇の庭を配置した共通の庭を取り囲
むようにして建てられている。

 私たちが住む団地も、六棟がひとつの構内に集り、うち三棟は二十八階建ての
高層マンションで、このあたりでは規模が大きいほうである。聞くところによる
と、総戸数は九百六十二戸を数え、多分、単身居住者は殆どいないから、ちょっ
とした村なみの人口である。 

 しかも若い入居者が多く、子供が年々増えている状況で、プラタナスの若葉が
揺れるマンション並木通りを中心に、界隈はベビーカーと子供のはしゃぐ声と、
立ち話の若い母親で、一日中賑わっている。
  かつて京都、中京の街中に住んでいたとき、通りで出くわすのは、観光客以
外殆ど背をかがめた年寄りだったことを思うと、考えられない光景である。

 京都といえば今年も、祇園祭の季節が近づいた。例年、長刀鉾に従う一番の山
が、籤によって決められるが、ニュースによると、今年は「孟宗山」と決まっ
た、という。烏丸四条上がる、京都でも唯一の、オフィス街に位置する町内が
持っている山鉾である。孟宗が、病気の母に食べさせたいと、雪の寒中に筍を掘
る中国の故事に由来したしつらえの山鉾で、真っ白な雪と、竹と、孝子をあし
らった車が、しずしず進む趣向は、盛夏の都の清涼剤としての効果は十分である。

 裏の声によれば、「孟宗山」の町内は、銀行その他のビルが殆どで、既に町家
が三軒しかなく,重責を勤めるのはいいが、祭りの間の諸般の負担はかなりのも
の、と託つむきもあるとか、さもありなん、と察したりしていたが、しかし、今
朝の京都新聞では、「孟宗山」の町内では、一番の籤を引き当てて、有難い、と
喜んでいる、と報じられていた。長い歴史を生き抜いた京都人の、複雑な思惑が
にじみ出る話だと思った。

 それにしても、東京に五年住んで、知り合いになった人たちも殖えたが、その
ひとたちの大半が東京生れではなく、地方出身者であり、よし東京生れであって
も、その親の世代は、故郷を出てきた人たちが殆ど、というのが実情なのに今更
ながら驚いている。たまたまあるじの勤め先の事情で、東京に住むことになった
娘も、ついてきた私も、もちろん例外ではない。

 かつて東京の典型的な中流家庭のモデルとして、日本中の人に親しまれ、愛さ
れたサザエさんの磯野家も、地方から出てきて、東京に家庭を築いた一家で、隣
の作家、伊佐坂さんの奥さんは、磯野夫人と同郷で、女学校の同級生という設定。
いずれも静岡辺の女学校だったと思う。サザエさんの亭主のフグ田鱒男さんは
大阪出身ということになっている。

 これがすべてというわけではないが、東京という都市の中核をなす市民たちは、
ほぼ似たり寄ったりの境遇だと考えられるから、いわば東京は、巨大な寄り合
い所帯として形成されている街だ、ともいえると思う。

 いづれにしても、こうした家庭の2代目、3代目、または初代がおおむね住ん
でいる近頃の大型マンションの機能は、至れり尽くせりの快便さで、見てくれは
よいが、広さはほぼ100㎡以下という狭い居住空間、勿論庭などはない。にも
かかわらず、分譲価格は、日本人の平均年収から見ても、おいそれと手の届きそ
うにない高額である。

 ここ2,3年の間にも、こうしたマンションが、多摩川を挟んで、都内にも、
神奈川県にも、雨後の筍のようににょきにょき林立し、即日完売の文字が、織り
込みチラシの広告の中に躍り、購入する居住者の殆どは、中高年に達しない人た
ち、というのが、かえってこの国の社会が内蔵する危うさを、漠然と予感させる
のである。

 経済面ばかりでなく、人間関係、生活、子育て、全般にわたって、精一杯のエ
ネルギーは伝わってくるものの、ふと立ち止まることもしない、内面的な底の浅
さと貧しさが、ともすれば透けて見える。  
  一見活気と生活感溢れたこうした大集落の、雰囲気を作り出している中身とい
うか人間的空気は、逆にさびれ行く地方の、濃密で、息苦しい空気とは打って変
り、おそろしく希薄なのである。

 付き合いにしろ、生活習慣にしろ、何百年も、その土地に住み続けているのが
大半の、地方のコミュニティの事情 とは、当然全く違っている。
  欧米の都市の事情は知らないが、これが東京という都市のひとつの顔である。
  明治の開国以来、首都となったこの都市は、関東大震災と、戦災、という大き
な災害に見舞われ、立ち直る度に新しくなり、外観そのものはすっかり様変わり
してしまった。

 大正の昔、永井荷風は、嘉永版の江戸切図を懐に、蝙蝠傘を引きずり、日和下
駄を履いて、江戸の俤の見る影もなく蹂躙されてゆくのを慨嘆しつつ、それでも
まだいささか残るなごりを求めて、市中を徘徊することが出来たが、今はそれす
ら無理である。まさに、荷風の文中から孫引きすると、宝晋斎其角が『類柑子』
にいう「・・・江戸名所のうち唯ひとつ無疵の名作は快晴の富士ばかり」という
状況かもしれない。
  因みに大正3年に書かれた荷風の随筆は、今でも充分通用するばかりか、読む
ほどに胸に沁みる。

 古きよき江戸の俤を博捜しつつ市中を徘徊し、江戸文学を愛し、みずからも戯
作者の姿勢を押し通した荷風を懐旧の人、とよぶならば、瀬戸内海の豊かな町か
ら出てきた内田百閒は、あくまでも現実の人である。

 たとえば、あるエッセーに、冒頭、いきなり、「私というのは、文章上の私で
す。著者自身のことではありません」という断り書きが出てくるのがある。たし
か「蜻蛉玉」というエッセーで、これに続いて、文中の「私」の偏執的な癖、な
んでもまっすぐに並んでいないと気がすまない、だの、お札や銀貨の裏表を揃え
ないと我慢できない、などという、ごく日常の生活の癖に関する詳細な描写があ
り、やがてそれが身近の友人の偏執癖の描写にうつり、例によって独特の語り口
で、段々中身が妙な具合に非現実的に逸れてゆくわけだが、その前置きとして、
この言葉が、前もって布置されている。

 話自体は、他愛ないものだが、前置きのこの言葉は、実はあらゆる語りや文章
に登場する「私」というものの、実態をあばく、真実をついた言葉かもしれない。

 人は日記の中でも嘘をつく。告白の類においては尚更のこと、だからこそ、自
分の書いたものの中に、あらためて自分探しをし、確認する必要が生じてくる。
この場合の嘘は、事実そのものの描写ばかりでなく、記憶や思い込み、信じ込
み、あるいは無意識の虚飾願望による、作られた自分が混じているのが普通と考
えていい。
 
  だが、究極的には、神でなければ、この種の嘘の告発は難しいであろう。神に
続くものが、芸術とみてよければ、文章上の私は私ではない、とまず断った百閒
の宣言は、実にこの間の機微を、穿ったもの、といえるかも知れない。

 近代日本文学には、伝統的に、私小説というジャンルがある。これら私小説
が、ロマンとして成り立ち、文学として読ませる力を持っているのも、この「文
章上の私は私ではありません」、というからくりが、無意識に巧妙に働いて、読
者に共感と感動を与えることができる仕組みになっているからかもしれない。い
わば「虚構ではありません。ほんとの話です」、と思わせながら、実は玩具の積
み木を積むように、心の積み木を組み立ててみせているのだから、幸い積み木の
質が良ければ、積む技を磨くことで、人に充分感動を与えることができる。

 百閒先生は、何もかも振り捨てて、今、現在の内なるものに心ゆくまで沈潜し
「私は私ではありません」と読者を煙にまきながら、心の目で見聞きしたこと
を、言葉の積み木の世界で展開し、大好きな汽車に乗って日本中を旅してまわり
飛行機で空を飛び、「イヤダカライヤダ」を押し通して、楽しむことに専念し
た人だったようである。親友芥川龍之介をひそかに羨望せしめたのは、彼のこう
した天衣無縫さ、とある種の正直さ、だったのかもしれない。

 前号で紹介したメイ・サートンの、内なるリアルライフに対する強い拘泥の気
持は、実は逆に、「私は私であるか?」という、根源的な問いを、みずからに求
めるところから発している。

 そもそも西洋のエッセーの原点は、元はここから始まる、と思うのだが、日記
は、とくに内的なものであればあるほど、殊更、この種の厳密さを求めるところ
までつきつめられねばならないだろう。
  文芸評論家キャロリン・ハイルブランは、その著「女の書く自伝」のなかで、
女性による、この試みは、今世紀後半になって漸く始まったばかり、メイ・サー
トンは、女の自伝における分岐点とみなすことができる。と言っている。

          (筆者はエッセースト・東京都在住)
      

                                                    目次へ