<おかしくないか>昨今の社会状況

■ <おかしくないか>作今の社会状況        羽原  清雅

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 2009年が始まった。やっとの衆院選挙があり、変革期待のオバマ大統領が就任
、派遣非正規雇用に新たな波紋を呼びそうな2009年問題などの新事態があり、ま
た引き続いての内外の問題も多く、厳しさが重なっていくようだ。
  この2,3年の社会状況を見ていると、基本や原則からすると本末転倒や逆転、
惰性、誤操作などの事象が目立つ。問題あり、と分かっていながら、改善の意欲
、努力が欠けすぎていることも少なくない。そんな<おかしくないか>について
触れてみたい。


<1> おかしな政権担当能力


  変人政権といわれた小泉時代以前にも、問題はあったが、この政権の変革志向
は長い自民党統治を変えることになった。だが、郵政改革に見られるように、改
革遂行に重点を置いたばかりに、変革に伴う犠牲・ダメージ・デメリットに対す
るフォローの読みと対応策を欠いて、今日に至る格差問題などを引き起こした。
しかも、郵政改革のみを争点とする異様なシングルイシュー選挙を打ち、その圧
勝に甘えて驕りと強引な政治手法に走った結果、その後に禍根を残した。いまも
、シングルイシューで民意を問う<いかがわしさ>と、そのような政治行動にク
レームをつけずに追随する自民党体質に<おかしさ>を感じざるを得ない。政治
に必要な毅然とした姿勢や説得の取り組みが感じ取れない。
 
   そのツケは、小泉政治の踏襲を試みたものの、延長線上での失政と自らの健
康管理の不調の前に倒れた安倍政権、さらに穏やかな修正路線を求めつつ自信を
喪失したか絶望したか、とにかく一方的に政権放棄に踏み切った福田政権、と二
代にわたる短期政権を生んだ。これはやはり、小泉政権のもたらした失政、とい
わざるを得ない。
  さらに、麻生政権である。マンガ脳とか、庶民の生活感覚を欠くとかいわれ、
一皮めくったらすぐ現われる薄さ弱さが指摘され、政権担当数ヶ月足らずにして
支持率20%に下落、すでに党内からも余命が懸念されている。そんな人物を「選
挙のカオ」として据えようとする前任者。その流れになだれを打つように乗って
しまう自民党議員や地方政治家たち。その判断力は、政治に携わる者として、お
かしくないか。
 
  四代に及ぶ、このような政権のありようは、自民党長期政権の自壊段階に入っ
たこと、政権を担当しうるリーダー的人材が払底したこと、そうした人材発掘・
育成する機能や環境が衰えたこと、状況を読み、見抜く力のある参謀格の政治家
が消えたことなどを、明快に示しているといえよう。これは、自民党ばかりの現
象でもないのだが。
  しかも、そのような長期的に政権を担ってきた政党でありながら、この事態を
是として、自らの改革に向かおうとせず、危機感も出てこない体質は、おかしく
ないか。


<2> 政権交代で変わるか


  9月10日に任期切れを迎える衆院議員なので、年内には総選挙が行われる。す
でに、自民党から民主党への政権交代が視野に入りつつあるような見方も一般化
してきている。かりに、民主党主体の政権が出来れば、衆参両院ともに民主党が
多数を制するので、いわゆる「ねじれ国会」は解消して、現状の自公政権よりは
安定するかもしれない。
  だが、そうなるだろうか。まず、自民党が下野するとしても、最大野党になる
ことは間違いあるまい。また、民主党が過半数の議席を確保するという保障もな
い。とすれば、こちらも連立になる。自民党に協力する公明党のように、譲歩的
、追従的な連立政党が出てくるだろうか。自党の公約に忠実な政党は少数党とは
いえ、そう簡単には民主党に従わないだろう。そうなると、民主党政権自体の運
営に手間ひまがかかって、政策遂行にも有権者の失望を招き、政権交代にかけた
期待も急速にしぼむだろう。
 
  そればかりか、自民野党ないし、自公野党は、審議拒否、修正拒否、対案提出
による玉砕戦法など徹底抗戦の挙に出てもおかしくはない。現状のような民主党
の「ねじれ対応」に学んで、これまでの怨念と憂さを晴らそうとするかもしれな
い。自民党が賢明とはいえない対応をする可能性は決して低いとはいえない。
  そうなると、政権は変わっても、国民生活は犠牲にされたまま、ということに
もなりかねない。まさに、国民はダブルパンチを食らうことになる。国民は主権
者であり、選挙での一票を行使しながら、なんらのメリットも享受できそうにな
い、とすれば、それは極めておかしくないか。
 
   民主党は、民意を問おうとしない自民党に対して、とにかくあらゆる手段で
解散・総選挙を勝ち取ろうとしたのだ、と野党としての正当性を主張するだろう
。だが、その程度の理屈なら、自民党がいずれ野党となった暁には、もっと豊富
な経験をもってあれやこれやの理屈を編み出して抗戦する、と見たほうがいい。
  仮にそのような状況になったとすれば、それはかなりおかしくないか。


<3> 小選挙区制度の矛盾


・価値観の多様化する中で、善悪・可否・正邪など二者択一を迫るだけで、第
三の選択肢や少数意見、弱者の存在に眼を向けない政治を作り出す多数党万能の
小選挙区制度。
・得票率51%の過半数による当選の一方で、民意の49%を取っても落選して、
その民意は「死に票」になる小選挙区制度。
・51%確保のためには、強い個性的な主張はできず、アイマイ・抽象的・妥協

・おおまかな主張が必要とならざるを得ないその結果、没個性的で、大勢順応
の政治家を台頭させがちな小選挙区制度。
・小さなエリアである選挙地盤を固めることが有利なため、県議レベルや、名ば
かりの世襲政治家たちが温存される小選挙区制度。
・1対1の戦いが多いことで、選挙区から眼を離せず、国政全般、あるいは中長期
の歴史<過去>、中長期の展望<未来>に思い及ばず、地元優先の現実主義にと
どまりがちな政治家群を増殖する小選挙区制度。

 すでに、こうした問題点を抱えた選挙制度のもとで、1996年の第41回以来5回
目の衆院選を迎えようとしている。派閥の弱小化、政党執行部の権限強化など所
期の目的を果たした一面もあるが、一方で広い範囲での民意を吸収しそこね、政
治家の小型化を招いた。また、二大政党による政権交代はこれまでの十数年間は
行われておらず、むしろ長期化した与党・野党のマイナス面が目立ってきている

だが、いちど制度に慣れた政治家・政党は見直しを嫌って、既得権益にしがみつ
く。立法府が自らの足場を崩すような改革を試みるはずもないのだが、このまま
では国民の声は生かしにくい。この状態を続けていいのか。今日の政治に対する
不信がこのような制度欠陥から生じているにもかかわらず、黙従していて、おか
しくないか。


<4>欠ける中長期課題と戦略


  目先のゴタゴタ続きと攻防に眼を取られるうちに、政治が本来取り組むべき問
題は手付かずのままだ。あるいは、遅々として進まないでいる。
  年金、医療の問題などは、全体としての仕切り直しが必要になっている。行政
の手に余ることも多く、政治のリーダーシップが求められながら、それが機能し
ない。年金支給作業の人為的ミスや欺瞞によって必要となった調査に、膨大な経
費をかけて、本来なら不要なはずだった当面の作業に追われているばかりだ。

雇用問題も、参院で決議はしても、実効性がなく、長期的な労働の権利を保障で
きるような法的措置は取られていない。いつも、検討中、というばかりだ。
  今年20年を迎える消費税にしても、現状の5%をさらに引上げるという方針を
出したものの、その前になすべき対応、たとえば貧富を超えて必要不可欠な食品
などに対する減免策などには触れられていない。財源がないから、取り立てる、
というだけでいいのか。一方で、高級官僚の天下り措置を残し、税の無駄無法な
使用や不要不急事業への投入、削減努力を見せようともしない予算措置など、か
りに消費税が必要だとしても、まずしなければいけない前提を実行しようともせ
ず、公約を打ち出す厚かましさ、不可解な主張は、おかしくないか。


<5> 官僚に責任はないのか


  たとえば、年金処理の問題などを見ていると、その責任はどこに行ったのか、
と感じざるを得ない。とうてい過失ではなく、故意の法令違反や改ざんなど犯罪
性があっても、問われない。まず戒告や説諭程度で終わる。だが、年金をめぐる
いい加減な行政処理によって、1億800万人に「ねんきん特別便」を送り、記
録の誤りを確認する事態になって、その作業要員の雇用費、郵送料などは相当な
金額になる。しかし、その責任をとったという話は聞かない。人事異動や責任者
の退任など、責任を逃げ遂せるようなシステムになっているし、その出費は予算
化されていて、本来なら不要なものが国民の負担として処理されている。民間で
はありえない措置である。
  形式的責任をとることもほとんどない。従って、周期的にそうした不祥事が甦
ってくるのだ。憤ってみても、しょせんはのれんに腕押しである。責任を問われ
ないところに、改善はない。これは、いかにもおかしくないか。
  優れた、まっとうな官僚の方が多いことはわかる。だが、全般的にはイメージ
は崩れかかっている。

文部、労働両省次官らのリクルート事件、大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ、外務
省の高給ワイン購入からプール付き大使館建設まで、農水、国交省などの居酒屋
タクシー、年金の記録不正問題にとどまらない社会保険庁の年金による娯楽施設
や遊び用具の購入、さらにグリーンピアなど不採算施設の建設など、組織ぐるみ
の不祥事は限りがない。天下りポストの確保、税金の無駄遣い、権限の乱用、そ
してその隠ぺいやムリな合法化など、官僚組織ならではの逸脱や腐敗が横行して
いる。これは、おかしくないか。
 
  官僚は公僕といわれた。サーバントである。公平公正、バランスある判断が求
められるから、権威や公の立場や権限が認められ、物事の決裁権が委ねられる。
官僚統治が存在し、容認される前提には、そのような公の立場が社会にとって必
要があってのことだ。その職に就くことが、一般的に敬意を持たれ、その裁断に
応じるのは、公務員たるものが誇りを持って正義を守っている、と思われている
からだ。その志を捨てて、不当不正腐敗に走り、それも各省にわたって、繰り返
される。当たり前のことが行われなければ、国民はついていかないし、法治に対
して信頼を持たず、社会秩序は守られず、ひいては犯罪を許容することにもなり
かねない。
  権力のカラ威張り、虎(法)の威の下の権力行使、さらには政財官トライアン
グルの癒着・・・・こうしたことが厳しく問われなくて、おかしくないか。


<6> 田母神論文をめぐるおかしさ


  航空幕僚長田母神俊雄は、史実に基づかないばかりか、歴代首相が国際的にも
公約した指針に反する論文を書き、シビリアン・コントロールを無視したことで
、解職された。だが、7000万円という退職金は手にした。これは、おかしくない
か。
  それ以上に、おかしなこともある。空幕幹部ら100人近くがこの懸賞論文に応
募している。論文募集の企業主は田母神と親しく、自主防衛的発想で共通してお
り、田母神論文がトップ入選に評価されるということは、その他の幹部たちが田
母神に誘われて応募したあたりからすると、それらの論調も田母神的な思考であ
った可能性が高い。しかも、田母神は幹部教育の場を設け、そうした史観を植え
つけるかの行動を取ってきた。
 
  そうなると、空幕内部には、政府の方針に反するような思考の人物がかなりい
ることが予想される。自衛隊はシビリアン・コントロールのもとにあるとはいえ
、実際は自主防衛論の持ち主がかなり存在し、彼らが武力行使の第一線にいるこ
とになる。個人の思想の自由は尊重されるべきだが、このような論文の内容に反
政府の姿勢があるとすれば、文民統治の立場からしてもかなり危険である。もし
危険な芽が伸びようとしているなら、早めに摘んでおくべきだろう。戦前の事態
とは違うだろうが、武力の実行部隊であることを認識しなければなるまい。だが
、この点は野党も追及していない。このままではやはり、おかしくないか。三無
事件などのような、厳しい追及が行われないのはなぜだろうか。
  こうした自主防衛論は、主流ではないが、行き着くところ核兵器保有の論理に
つながる。しかも、そのような論理を支持する民間人が、懸賞論文の名目で普及
を試み、その一環に自衛隊幹部が複数存在する状況を、そのまま放置しておいて
いいのか。それで、おかしくないか。


<7> 派遣切りの不審


  派遣切りは大手成長産業の切り札。優れた労働力の調整弁である。大手企業に
経済成長を引っ張ってもらい、その収益を一般の勤労者、そして消費者に配分す
る仕組みのどこが悪い。国際競争に勝ち残るためには、その競争力の強化が第一
であり、そのための法人税などの優遇措置こそ当然必要なのだ。いったい、どこ
が、おかしいか・・・・。
  このような立場に立つ大手企業にとって、非正規や短期労働者を景気次第で切
り捨てることは収益をあげるうえで、まず前提になっている。企業は社会福祉の
機構ではない、と考えている。
 
  一面では、そうした論理もあるだろう。だが、突然に職を奪い、収入の道を断
ち、さらに住まいからも即刻追放する、という非人間的な処置が許されるのか。
おかしくないか。
  雇用の法制としても、このような場合の対応に冷たいままでいいのか。せめて
、被雇用者の失業時の面倒を一定期間、一定の条件で保障するくらいの企業責任
を問うべきだろう。
民が捨てたら、官が拾えばいい、というものだろうか。国や自治体による支援は
必要だとしても、民間企業には収益の保障をし、切り捨てたら税金で救済する、
というだけではおかしい。切り捨て御免の時代ではない。一方の論理のみで成り
立ったのは専制君主の時代のこと。民主主義の社会という以上、労使の両者並立
、共存の道を探ることが、権力ある側、リーダーたるものの資質である。だが、
現状は一方的だ。こうした事態は、おかしくないか。
 
  もう一点、「連合」なる組織のおかしさである。総評など、冷戦構造下の労働
団体の使命が終わり、「連合」が登場したことはわからないでもない。少なくと
も、穏健なナショナルセンターという期待があった。だが、派遣、非正規労働者
に対して、何をしたのだろうか。連帯もない、擁護行動もない、労働者は大手、
正規のみ、といった印象を与えていないか。怒りのない社会は、一面で正義を訴
えることのない、その機能を失った社会である。日比谷公園などでサポートした
人びとは、腹中に怒りを抱えた個人個人が、寄り集って動き出したものだ。だが
、連合はどうか。不景気から一定の正規勤労者について守る姿勢だけは見せたか
もしれないが、切り捨て対象者への思いは一切伝わってこない。この冷たさ,ど
こかおかしくないか。 


<8>「蟹工船」なのか


  雇用不安と小林多喜二の「蟹工船」とを結びつける動きがある。ひとつの戦略
であり、ブームにもなっているので、否定はしない。だが、この小説に描かれた
「蟹工船」の時代、つまり1929年の世界大恐慌のころ、未組織労働者群が社会の
矛盾に目覚めていく実態には、大きな裏があった。
 
  それは1925年、普通選挙法と引き換えに成立した治安維持法の存在である。広
範に参政権を認めるというアメの一方で、私有財産制と天皇制を批判するかの言
動の一切を禁じるという荒っぽいムチが導入された。この戦前の権力の横暴を忘
れて、安易に「困窮」だけでイコールに扱うのは、おかしくないか。困窮・悲惨
・酷薄の程度にしても相当違う。
 
  重要なのは、歴史の過ちを繰り返すことなく、本質論に立って「民主」を確保
するように努力することだ。「蟹工船」に目が向けられることは、歴史を学ぶチ
ャンスに恵まれない若者たちにとって、いい機会だが、表面だけにとどまってほ
しくはない。もし現状の政治批判や挑発だけの手法として、このプロレタリア文
学を持ち出したとすれば、それはいかにも浅薄に過ぎて、おかしくないか。同じ
思考で行くなら、細井和喜蔵「女工哀史」はどうか。横山源之助「日本の下層社
会」もある。歴史に学ばない手はない。

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 ちょっと考えても、おかしいことが多い。世の中、おかしなことで出来ている
のかもしれない。しかし、政治の動きを見るとき、参政権が形式的に堕している
とはいえ、この権利を持つ以上、そうした事態を生み出した責任は国民にある。
<この程度の国民に、この程度の政治>である。とすると、最も根源的におかし
いのは、われわれ一般的な国民なのかもしれない。
 
  折から、その表明の機会である衆院選挙がまもなくやってくる。どんな選択を
し、どんな政治状況を作り出すのか。 大いに疑い、だまされず、比較し、見抜
き、選ぶ。その結果は、将来を背負う若い世代から責任の一端を責められなけれ
ばなるまい。
それはそのとおりなのだが、そのまえに、委託できて、選びたくなる人材が出て
くるのか。その点は、政党の大きな責任である。
おかしくないか、などと怒ること自体が、おかしくないか、と思われるような昨
今の状況である。                            
   以上
          (筆者は元朝日新聞政治部長・帝京大学教授)

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