【オルタ広場の視点】

<悪化する「日韓関係」の根にあるもの>についての補遺

                            
羽原 清雅
 
 前号3月の「オルタ広場」に「悪化する『日韓関係』の根にあるもの」の表題で書かせてもらいました。2、3のご指摘を受けまして、ひと言補足したく、再度の寄稿をさせて頂きます。
 ご指摘は、「韓国の対応にこそ問題があり、国交を破壊する原因を持ち出し、対日感情をおかしくしているのは韓国側だ」という一点で、不快感が示されていました。日本側も言うべきは言うべきだ、という趣旨には賛成です。ただ、感情に走った言動は、双方ともに慎むべきでしょう。
 韓国の多くの民衆にある「屈辱」「憤懣」の気持ちをもう一度、角度を変え、広い視野で考えることが大切、日本人というナショナリスティックな思考を離れて、歴史的な関係をク-ルに見直してはどうか、と申したく、補遺なるものを書かせていただく次第です。
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 韓国の姿勢に問題があることは否定できません。
 韓国側、とくに政治家たちの頑なな反日的な言動が、国民の間に新たな反日感情をあおり、将来的な日韓関係を悪化させる懸念があり、そうしたことを予想しても、これ以上不和を助長させてはなるまい、と感じています。
 そして、韓国の立場、つまり長期にわたる植民地体制、生活の圧迫、侮蔑的な扱いなどを、もし日本の民衆が受けていたならどうなのか、「日本がそのような境遇に置かれたら、またその戦闘が日本国内で展開されていたとするなら」と考えざるを得ません。そのような歴史的な実態を知るに至った韓国の若い世代は、どのように考えるでしょうか。時の政権によるプロパガンダに共感するような気持ちが生まれたとしても、その是非を問う前に、それはやむを得ない、と思わざるを得ません。被害者と加害者の立場を、日韓取り替えて考えたいのです。そうした思考が、両国民に育つことにならない限り、隣国との妥当な交わりは生まれません。 

 国家間の外交の帰結は重要な決定ではありますが、一時的にはともあれ、よほどの努力がなければ被害を受けた側の国民の長期的な共感は得られまい、と考えます。
 次世代の教育水準が上がり、経済力が付き、自国の歴史を知り、グローバルなものの見方が広がれば、<苦境のなかでの国家による外交的打開に半永久的に満足しなければならないのか><国家はそれでいいとしても、国民一人ひとりが受けた過去の苦しい生活や精神的苦痛はどうなるのだ>と、次世代の人々が感じるであろうことは、ある程度織り込んで対応していかなければならない、と思うのです。
 ヒトラーの台頭は、第1次世界大戦での過酷過大な賠償措置の要求が契機であり、その反省を共有できたことによって、第2次世界大戦後の収拾策が比較的に穏やかになった、と言えるでしょう。一方、ヒロシマ・ナガサキの被害を受けた思いが70余年後の今も消えず、政治が原水爆を許容し、巨大な被害を及ぼす核兵器について廃絶の道に進まないことへのいら立ちが今も沈潜している現実は、心身ともに被害を受けた朝鮮民族の思いと共通するものがあります。
 単に怨念や被害者のアピールといった程度の扱いとせず、政治自体が一片の条約や協定による妥協をタテに逃げまどうような姿勢を改め、大きく、長いスタンスをもって対応していく姿勢でなければ、長期的な相互理解と和解は生まれません。書生論に過ぎないとしても、それが本来の民族間の和解につながる道筋でしょう。

 親族の殺りく、国民生活の圧迫、理不尽で屈辱の扱い、民族的侮辱などの精神的な苦しみは容易には消えず、国家間の決着とはいえ、国民的な納得、そして定着は極めて難しい。そのことを、戦勝国にせよ、敗戦国にせよ、脳裏に刻み込み、反省の姿勢を持たなければ、長期的な和平は保たれないでしょう。
 朝鮮半島の国家のみならず、中国の場合を見ても、その対日姿勢が強硬であるかどうかは、日本の歴代政権の折々の対中対応(軍事費増強、教育による世論形成の姿勢など)によって変化しています。日本の戦争に対する反省度、あるいは将来的な路線や、日本の軍事的な同盟関係のありようを見て、判断していることでしょう。

 韓国に無茶なやり口が多いことは、たしかに問題です。しかし、その当面の姿勢を批判すると同時に、日本が過去において相手側をいかに長期的に傷つけてきたか、という歴史的事実を考えると、日本は謙虚な姿勢を長く示し続けざるを得ない、また国家的和解が国民の納得を確保し続けるには、外交文書をタテにとるような姿勢だけでは無理、と言いたいのです。
 日本国憲法を持ったその精神は、戦争は二度としない、という前向きな表明ですが、同時に過去への心からの償いを持ち続けて和平を作り、維持しよう、というものでしょう。
 そのために、条約や協定などの締結があっても、その後の文化的、相互理解的な交流とフォローが、官のみならず、むしろ民間のエネルギーを注がなければなるまい、と思うのです。

 戦時下に生まれ、育った自分の世代は、終戦後の食糧難、家屋や財産の喪失、家族の散逸など、戦争のマイナス面のもとに生きてきました。被害者であった朝鮮半島にしても、中国にしても、もっともっとつらい思いの数十年だったでしょう。

 いつになるかわかりませんが、これから必ず北朝鮮との和解交渉が必要になります。朝鮮の半分ともいえる同一民族との交渉を頭に入れておきつつ、この地域との関わりを考えなければならないでしょう。さらに、このことは日本人にとっての苦痛である拉致問題に取り組む姿勢にも通じてきます。拉致問題は極めて許しがたいと思う裏側で、多大な不幸を与え続けた戦前の日本についても頭に置いておくべきだ、と感じています。
 もちろん、「だから、日本人の拉致を我慢する」という文脈ではありません。

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