■【オルタの視点】

NHKテレビは、いわゆる「戦争法案」をいかに伝えたか

大原 雄


 2015年9月17日午後4時半過ぎ、NHKテレビが午後1時から放送していた国会中継の映像に突然、「混乱」が映し出された。中継の映像を見逃した人でも、ニュースなどで放送された録画映像は、ご覧になった人が多いと思う。いわゆる「戦争法案」を審議していた参議院特別委員会の「強行採決」の瞬間であった。議事進行に対する不信任動議が野党から出された鴻池委員長。不信任動議が与党によって否決された直後、鴻池委員長が委員長席に戻るのをきっかけに委員会室の後方で立ったまま待機していた約10人の自民党議員らが委員長席に忍び寄る姿が見えた。

 彼らは委員長席の周辺を取り囲むように並ぶと、突然スクラムを組み、鴻池委員長を饅頭の皮のようになって包み込んだ。鴻池委員長と野党議員を分離するためだ。政治家の隠語で、「かまくら方式」とか「人間かまくら」という強行採決の際の手法らしい。雪国の幻想的な「かまくら」とは、ほど遠い、みにくい光景だった。慌てて駆け寄る野党議員と援軍の与党議員の間で「混乱」の映像(今回の与党の姿勢の本質をなによりも如実に語る歴史的映像)となった(委員会の未定稿段階の速記録には、「議場騒然、聴取不能」としか書いていない)、という次第。代議制民主主義を議員自らが形骸化させた瞬間だ。

 新聞の写真を見ると、「混乱」の塊の向うに他人事のような表情の安倍総理の顔が見える。委員長席の傍に陣取った自民党の髭の佐藤議員(元自衛官)がほかの議員らに手でいろいろ合図をしているのが見える。予め、与党では「(クーデターの)だんどり」を決めていたのだろうが、手で合図しないと聞こえないような状態だった、ということだろう。手で合図をすれば、判るようにきめ細かく段取りを決めていたのだろう。

 この「混乱」については、強行「採決」による法案の「可決」と見なしている与党と、あの「混乱」ぶりでは、「採決」そのものが、正当に成立していない、「未了」の状態、つまり「採決」は存在せず(「不存在」)という野党とが真っ向から対立しており、今後とも、法廷などで争われることになるだろう。特別委員会の「可決」を前提(想定?)にし、9月19日未明、参議院本会議では、戦争法案は、「可決成立」したとされている。戦後史の大きな曲がり角が、9月19日に刻まれた。1931年9月18日の「満州事変」(後の日中戦争)勃発から84年後の日本の姿であった。

 その10日程前……。
 9月6日の午後3時から、私は新宿の歩行者天国を歩いていた。日曜日は、あいにくの雨が降ったり止んだり。強く降ったり、弱まったり、という天気。歩行者天国は、開始する前から雨が降ってくれば中止だが、開始前までは雨が降っていなかったので実施された。その後は、雨に祟られたが、雨が降り出したからといって中止にはならないらしい。

 この日の歩行者天国は、いつもの「天国」とは違っていた。まあ、だからと言って、「地獄」に変わってしまった、という訳ではなかった。昼過ぎに「天国」を訪ねたら、思い思いのプラカードを持った人たちが集まり始めていたのだ。子どもを連れた家族連れ、夫婦連れと思われるお年寄り、学生たち、さらに、学者たち(なにせ、「天国」を借用して、このイベントを開いたのは、学生と学者たちなのだから)、この他、私のような一人で参加した定年退職者と思しき年寄りも多い。団塊の世代だろう。歩行者天国とあって、交通整理をする警察官の姿が見られなかった。

 警察の管理は、車道や歩道の「交通整理」と称する警備に重点が置かれている。歩行者天国となっては、管轄外ということか。その代わり、イベントの実行委員会のスタッフたちが、歩行者天国(車道に設定)に繋がる歩道や歩道に繋がる伊勢丹や紀伊国屋などの店舗の出入り口、メトロの出入り口に張り付いて、雨宿りしながらイベントのスピーチに耳を傾ける人たちに、こうした各所の出入りの通路スペースを空けるようにと叫んでいた。自主管理だね。このイベントとは、いわゆる「戦争法案」に反対する人たちの集会であった。

 車道に出た人たちは、傘を拡げたり閉じたりしながら、スピーチを熱心に聞きいっていた。片手に拡げた傘を持ち、もう一方の片手にプラカードを持った人たちの姿も目立った。午後3時から始まったイベントは、午後5時半まで開かれた。私は、学者たちや政党の党首たち、公明党の元副委員長という幹部などのスピーチを聞き、学生たちのラップ調のシュプレヒコール(例えば、マイクに向かった学生が「民主主義って、なんだ」と呼びかければ、会場から「これだ」と答え、「立憲主義って、なんだ」と呼びかければ、「これだ」と木霊(こだま)のように返ってくるものや、「安倍は」、と言えば、「辞めろ」と答え、やがて、テンポをあげながら「辞めろ」「辞めろ」「辞めろ」の繰り返しだけの大合唱となる)を聞いた後、きょうの集会の参加者数は「1万人」という報告を聞いて会場を後にしたが、その後も参加者は増え続けていたようで、午後7時のNHKニュースでは、参加者は1万2000人ということだった。

 会場では、人の出入りが激しく、雨が止んだり、弱まったりすると、傘を差さずに手作りのプラカードを掲げて、歩道を往き来する人も出始めた。自分のアピールを周囲の人たちに知らせようという訳だ。「アベ政治を許さない」(俳人の金子兜太筆のコピー)や赤い地に白抜きの文字で「戦争させない」と書かれたもの、青い地に白抜きの文字で「9条壊すな!」と書かれたもの、「とめよう 戦争法案」などの既成のプラカードのほかに、思い思いのメッセージを書いた手作りのプラカードも目立つ。

 その中に一つに、片面に「STOP 自公政権」、もう片面に「STOP 自民・NHK」と書いたプラカードを持った男性がいた。そう言えば、このところ定期的にヒューマンチェーンで「包囲」されている建物は、国会議事堂だけでなく、NHKもあることを思い出した。これについてはオルタ141号(2015.9.20)で、永田浩三さん(元 NHKプロデューサー)の「8.25 NHK包囲行動/スピーチ」を掲戴・紹介している。

 そこで、「安保法案の国会審議・テレビはどう伝えたか 中間報告・5月11日〜6月24日」という、8月19日にホームページで公開された「放送を語る会」(私は参加していないが、会のホームページを見ると、視聴者、研究者、放送労働者という3つの立場の人たちが、1990年に設立したという。もう、四半世紀も活動を続けている)のリポート(特に、テレビニュースモニター記録)が、複数の人たちの労作だと思うので、私が視たものだけでなく、これをできるだけ丁寧に参考にしながら、戦争法案についてのテレビ報道を点検してみよう(いずれ、衆議院だけでなく、参議院での「強行採決」のテレビニュースモニター記録も公開されると思うが、それはそれで、また、拝見したい)。特に、筆者の古巣であるNHKの報道ぶりや、いかに。

 その前に、私なりの戦争法案の理解から書いておこう。コンパクトに骨格だけを書くことにする。私の理解では基本的にこの法案は、憲法問題になる重要な事案について、憲法改訂をするなどの正規の手続きを取らずに憲法の下位にある法律改訂で強引にやろうとしている、という非近代的なものだということである。

 近代法学の専門家の大部分が、まず異議を申し立てているのは当然だろうと思う。つまり、立憲主義、法治主義に反するので、違憲だけでなく、違法なものだろう。それをさらに、国会内の議席数だけで、国会の外にうねり出している国民の意向(各種の世論調査の結果や連日、国会の周辺、都内だけでなく、全国各地で繰り広げられる集会やデモの行動、新聞などの投書など。国会の議席の多数派と国会外の国民の多数意見とのねじれ現象が、ずうっと続いている。

 安倍首相の祖父の岸信介は、60年安保の国会周辺のデモの勢いを判断して、日米安保条約の自然成立の後、首相を辞任した。安倍首相は国民多数の声に耳を貸さずに強引に採決しようという、民主主義を議席数による多数決主義に矮小化しようとする、反国民主権的な政治行動という意味で、二重に近代性を劣化させたシロモノである、ということだろう。

 さらに、法案の中身は、根本的に反平和主義である。「積極的な平和主義」などと門前の小僧が耳学問で誤解した経文を唱えるように、珍念小坊主は唱えているが、積極的な平和主義は、外交努力や政策努力などで平和維持を強化することであって、軍事同盟で軍備を強化することではないだろう。抑止力のバランスなどは、無限地獄のように続き、人類を悩ませていることを承知しなければならない。

 近代日本は、実は、これまでに3つの軍事同盟に参加してきたことをご存知だろうか。

 今回の法案で新たに日本国が身につけようと主張している集団的自衛権というのは「他国防衛」のことである。世界のあちこちで戦争をしかけているアメリカに加担して日本も他国軍とともに軍事行動をできるようにしようというものである。

 近代日本が、この「他国防衛」に最初に巻き込まれたのは、日英同盟であった。日英同盟では日本の国益に直接関係がないのに、アジアにおけるイギリス植民地主義支援という、他国防衛のためにイギリスに促されて遅ればせに第一次世界大戦に引き込まれた。そして、連合国側がドイツに勝ったため、イギリスなどと共に戦勝国側に回った日本は列強のおこぼれに預かったのである。

 次に巻き込まれたのが三国同盟である。1941年12月の日米開戦の前年、1940年9月に加盟した日独伊三国同盟では、独米開戦で対米戦争への「自動参戦」条項(三国同盟には、こういう条項があった)が懸念され、日本でも政策決定の権力者の間で議論がなされた。軍部の一部は、「日独伊三国同盟とソ連の連携による圧力で、アメリカ参戦を阻止し、日米戦を回避しながら、大東亜生存圏の建設を実現しようと考えていた」(川田稔「昭和陸軍全史 3」)という。例えば、武藤章という陸軍軍務局長という幹部軍人は、1)大東亜生存圏という、つまり列強並みの植民地獲得と、2)なによりも、10年近く続く泥沼化した日中戦争の早期決着の夢を描いていた、ということだ。陸軍は手の施しようが無くなった日中戦争問題を処理するために、新たな戦争にずるずると引き込まれて行く。戦争を有利に決着させるために、新たなより規模の大きい戦争に引き込まれる。見通しもないまま、勝てば良いだろうと高をくくっていたのではないのか。

 これに対して、日米開戦となれば太平洋というだだっ広い地域で主力的に戦うことになる「海軍は、独米開戦から日米自動参戦となることを恐れていた」(川田稔、同前)。だから、「四相会談(首相、陸相、海相、外相)で松岡外相より三国同盟締結が提案された時、及川海相は態度を留保した。対米自動参戦となることを危惧したからである」(川田稔、同前)。その後の歴史が示すように、このまっとうな懸念は、懸念通りとなり、1941年、日本はアメリカの思惑通りに真珠湾攻撃に誘い込まれ、日米開戦に追い込まれたし、第二次世界大戦にも引き込まれて行った。日本の軍人たちは、満蒙権益に目が眩み、謀略を使ってまでして「満州事変」を始め、早期講和で当面の権益を確保しようとしながら、外交力のなさやアジアの反植民地主義のエネルギーの強さを読み間違えた結果、「事変」を長期的な戦争に変質させてしまい、中国東北部から中国全土、アジア各地、南太平洋の米英植民地へと戦域を拡大せざるを得なくなり、誰が見ても勝てるはずのない破滅型の戦争に滑り落ちて行ったのである。

 近代の政治・法制度の基本原理である立憲主義、法治主義を壊そうとしてまで強化しようとしているのが日米同盟だ。日米同盟、日米軍事同盟とは、つまり日米安保条約のことだ。今回の問題は、日米安保条約の現行の片務性を双務性にしようということだ。近代日本が関わった日英同盟、日独伊三国同盟などの軍事同盟は皆、いずれも戦争に繋がっていることを忘れてはいけない。

 集団的自衛権 →他国防衛(つまり、アメリカ防衛の助っ人)→アメリカ軍がどこかで攻撃されたら、日本は、「集団的自衛権」に当るかどうか判断する余地もないまま、アメリカの指示通りに「参戦」せざるを得ないような状況になるのではないか。アメリカ軍による日本占領(1945年〜1952年)以来の「従属的独立」状況は変わっていない、と思う。占領→安保条約(52年〜60年、時限で暫定的)→新安保条約(安保条約の実質的な恒久化・岸内閣)→軍事同盟強化(日米防衛協力のための指針、いわゆる「ガイドライン」改定と戦争法案成立・安倍内閣)と続く日米関係の原型は、いまだに「占領」時代の力関係(特に、占領後期)を原理的にいつまでも温存しようというアメリカの野望なのだろう。それを象徴的に具現化しているのが、沖縄の現況だろう。戦争法案「成立」で、喜んでいるのは、アメリカだけではない。今後、恒久的に莫大な利潤が期待できる日本の財界、特に日米共同で武器輸出を目論む軍需産業も、舌なめずりしていることだろう。今後とも野党側もこの問題についてはもっと本質的な議論をし、いまの国民の関心のレベルを来夏の参院選以降の国政選挙まで繋げるべきではないのか。国民も今の政治意識を磨き続けなければならない。

贅言;「首相動静」という新聞記事が毎日、政治面の片隅に載る。そこを見ると、安倍総理のテレビ出演の度合いが判る。それを分析した朝日新聞記事によると、今年の初めから9月までに出演したテレビは、読売テレビを含む日本テレビ系、関西テレビを含むフジテレビ系、NHKの3局に限られるという。テレビ朝日系、TBS系、テレビ東京系には、全く出演していない、という。安倍政権は、テレビ局を選別している。

 さて、今回の本題はテレビ報道である。
 「放送を語る会」の報告では、戦争法案が衆議院特別委員会で強行採決された後の段階も含めて、NHKを含めたテレビ局の報道ぶりをウオッチングしている。参議院特別委員会での強行「採決」・本会議での「可決」などの報道ぶりも今後報告されるだろうが、とりあえず、今回は、「前編」報告を見ておこう。中でもNHKの報道(対象番組は「ニュース7」「ニュースウオッチ9」、以下、両方に触れる時は「ニュース番組」とする)がどのように評価されているか、そこを軸に紹介したい。モニター報告(以下、「報告」とする)のうち、特に、テレビニュースモニター記録は、報告原文を尊重して、出来る限りそのまま引用としたい。

 報告前文によると、「放送を語る会」の立場は次の通り。

 「この法案が成立すれば自衛隊の軍事行動がアメリカと共同で世界のどこでも可能になるという、戦後日本にとっては重大な転換点を迎えることになる。この戦後未曾有の平和の危機にあたって、ジャーナリズムの役割である権力の監視という自覚と覚悟を持った報道が遂行されるかどうか、ぜひ見届けなければならない。私たち「放送を語る会」は安保法案閣議決定前の5月11日から国会審議終了まで、各テレビ局のニュース番組をモニターすることに決めた」とある。その上で、「モニターの方法はそれぞれの番組に担当者を決め、放送日ごとに内容の記録と担当者のコメントの報告を求めるというもので、その記録はメンバー全体で共有した」という。

 蛇足ながら、ここで言う「国会審議終了まで」とは、衆議院に続いて、参議院でも審議が終了しなければならない、ということであり、「放送を語る会」のモニター報告が、「中間報告・5月11日〜6月24日」となっている由縁であろう。いずれ、「後編」が出るものと思われる。

 彼らの「報告」のニュース番組検証の視点は、次の通り。

1)「ニュース番組が政治の動きを単に伝えるだけでなく、安保法案にかかわる事実の掘り下げと検証を批判的に行っていたか」。

2)「法案に反対する声や反対運動が公平に取り扱われて、きちんと伝えられたか」。

3)「テレビ局独自の調査報道があったか」。

◆報告・1.国会審議前・各局は「法案」をどう見たか。

 報告では、「法案」を以下のように説明する(以下*は、報告より引用。**は、大原コメント)。
*「安保法案」は「集団的自衛権行使容認」の閣議決定に基づいて、「自衛隊法」や「PKO協力法」などの現行10法の改正案をひとまとめにした「平和安全整備法案」と、いつでも、どこでも、他国の軍隊を自衛隊が支援・協力出来るようにする新法案「国際平和支援法」の2本。それらが5月11日与党間で合意され、14日には閣議決定されて国会に提出された。』

 これについて、NHK「ニュースウオッチ9」の説明はどうだったか。
*(5月)11日は与党協議をふり返った内容で、合意に至る自公両党の思惑や攻防をめぐってアナウンサーと政治部記者が解説したが、攻防の結果への論評や問題点の指摘が不十分で、法案がもたらす今後についても「日本の安全保障政策の大きな転換点になる」というだけで、憲法との関係も追及されないままだった。
 5月14日の放送も番組冒頭でキャスターが「この法案で、新たに何が出来るようになるのか具体例で」と前置きしたにも関わらず、その中身は政治部記者が、模型を使って安倍総理が説明した「米艦船防護」の例を再度説明し、「後方支援」「弾薬提供」「自衛隊の武力行使」「集団的自衛権の限定的行使」などを政府案に添って解説したに過ぎず、国民一般が抱く不安や疑問は扱われなかった。』

**こういう印象は、大原もたびたび持った。例えば、「戦後70年談話」のニュースでも、その日の夜の「ニュース7」に出演した女性記者は、キャスターのアナウンサーと分担をして、「注目されていたキーワードが盛り込まれている」というような概括的な説明を安倍政権の説明に添って、ただ単に表現を判り易く伝えるというだけで、引用文に盛り込まれた「継ぎ接ぎのキーワード」と総理自身の言葉として述べているかどうかなど、文脈に沿った発言かどうか、記者なら当然分析して伝えるべき、というか、日本語として正しく伝えているかどうかなど、ということを全くしなかった。「悔悟」という言葉を異常に強調していたことが印象に残る。ほかのメディアは、ほとんど、強調していなかったように思う。後に問題視されたようなことなど談話の行間に隠されたような真意を政治部記者らしい裏付け取材に基づいて批判・解説する、というものではなかった(「ヨイショ解説」!、という蔭の声あり)。こういう傾向は、今のNHKテレビの政治報道(政治部記者たちによる報道記事・解説だけでなく、「編責」と呼ばれる編集責任者によるテレビニュース番組の編集方針、編責が決めるニュースのオーダーの立て方、編集マンによって編集される映像処理、ディレクターが指示するスタジオでのカメラワークなど、NHKテレビ報道の総体に亘って見られる報道姿勢)に共通するのではないだろうか。

◆報告・2.党首討論から審議開始までのテレビ報道。

*「安保法案」は5月15日に国会に提出され、国会の審議は5月20日の党首討論からはじまった。
 5月20日の「ニュースウオッチ9」は、1年ぶりの党首討論を8分あまりで伝えたが、時間が短く、各党首の主張を充分伝えたとは言えず、安倍総理の答弁を大事に扱ったあまり各党首の発言時間が縮まり、各党首の主張がいずれも舌足らずに終わっていた印象は拭えない。
 時間配分を見てみると、民主党岡田克也代表の質問3回分(53秒)VS安倍答弁3回分(1分26秒)、維新の党松野頼久代表の質問(54秒)VS安倍答弁(37秒)、共産党志位和夫委員長の質問(14秒)VS安倍答弁(38秒)という結果だ。すなわち、岡田代表の質問時間に対し安倍総理の答弁が1.5倍、志位委員長の質問に安倍総理の答弁は3倍近い時間を割いている。編集が政府寄りの時間配分だと言うべきだ。
 スタジオでは「海外派兵はしない」「他国の領土、領海、領空で武力行使はしない」という首相の発言と「ホルムズ海峡での機雷除去はやる」という答弁の矛盾についての批判的論評は一切見られなかった。
 番組の最後に1分半もかけて、各党の議員にこの日の討論の感想を聞いていたが、討論内容は視聴者・国民向けなのだから視聴者がどう受け止めたかが問題にされるべきで、その分もっと伝えるべきことが伝えられていない感じを強くした。
 また志位委員長のポツダム宣言に関する質問に、安倍首相(ママ、総理)が「つまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と答えたのは重大なできごとだったが、このやりとりは放送されなかった。

 5月26日「ニュースウオッチ9」は総量で15分の時間を使い、与野党の代表質問と、それに対する安倍首相(ママ)の答弁をすべて取り上げた。しかし、時間配分で見ると、政府与党の主張・見解が野党の3倍に相当する。スタジオのアナウンサーの解説、政治部記者による各党の代表質問の解説も、答弁の矛盾点や疑問、異なる視点などに全く触れていなかった。

 5月29日の衆院特別委員会は、岸田外務大臣が野党の質問に明確に答えなかったため、野党議員が抗議して退席し、散会となった。「ニュース7」がこの動きを伝えた時間は僅か1分足らず、この番組をモニターした担当者は、なぜ散会したかNHKニュースでは分からなかったと報告している。
 岸田外務大臣は、前日28日、1998年に外務省局長が国会で答弁した内容、「軍事的な波及がない場合は、『周辺事態』に該当しない」について質問され、この見解は現在も維持されている、と答えた。29日の委員会で、民主党の後藤祐一議員が、再度、「この見解は維持されているか」と外相に質した。ところが、外相は、後藤議員の再三の質問にまったく答えず、一方で、外務省局長の答弁の中から、「周辺事態の認定にあたっては経済面だけでなく軍事的な観点も含めて総合的に判断する」という部分の引用を繰り返した。またその後1999年に政府が統一見解を作成したとし、現在維持されているのはその政府見解だと主張した。この日の外相の答弁は、論点をずらし、回答を回避することで、前日の答弁を事実上修正するものだった。野党の反発は当然と言える。98年の政府答弁が現在も維持されている、とすると、経済的理由だけでは武力行使できないことになる。外相はそれはまずいと考えて答弁を変えたものとみられる。このような重大な議論の内容をきちんと伝えない「ニュース7」は問題だった。』

**この報告は、鋭い。大原も全く同感である。岸田外相だけでなく、中谷防衛相も、質問にきちんと答えていない。安倍総理自身も、度々の放言や失言に見られるように、法案の本質を隠して抽象的な答弁(どうせ、強行採決するのだから、具体的に答える必要はない、というか、虚偽で固めた答弁ゆえに、抽象的にならざるを得ない、というか)を多用しているように見受けられる。

◆報告・3.憲法学者による「違憲」発言の波紋。

*新聞報道によれば、「人選に失敗したか」と、ある自民党幹部がもらしたという。6月4日、衆議院憲法審査会で、与党推薦の参考人を含む3人の憲法学者全員が、「安保法案は“違憲である”」と衝撃的な証言をした。
 この3人の参考人は自民・公明党推薦の早稲田大学法学学術院教授長谷部恭男、民主党推薦の慶応大学名誉教授小林節、維新の党推薦の早稲田大学政治経済学術院教授笹田栄司の各氏。それぞれ主張に共通していたのは、安保法案は憲法違反であり、従来の政府見解の基本的論理の枠組みでは説明がつかないし、法的安定性を大きくゆるがすという論旨だった。』

**与党の政治家たちが本質をはぐらかしている時に、専門家たちは、ずばり、物事の真相に光を当ててくれた。これで、戦争法案に対する、国民のものの見方ががらりと変わったと実感したのは大原だけではないだろう。潮目が変わったことは、ご承知の通りである。

 報告によると、
*「ニュース7」、「ニュースウオッチ9」、この二つの番組はほぼ同じ内容で、憲法学者の発言を紹介した後に、菅官房長官の談話「憲法解釈として法的安定性や、論理的整合性は確保されているから違憲という指摘は当たらない」を付け加えた。安保法案が違憲だという重大な提起に対して単に両論を併記してバランスをはかるというだけでなく、有識者の見解や市民らの反応など、掘り下げた取材があってしかるべきであった。』

*そして6月5日以降、引き続き各メディアに要求されることは判然としていた。「違憲発言」をどう評価し、そこから導き出される判断は何か、国民がこれからどうしたらよいか、考える材料を十分に提供することが出来るかどうかであった。そのことを、まずNHKのニュース番組について見てみよう。
 「ニュース7」は、翌日の6月5日、6日、7日、8日に至っても、「違憲発言」問題を6月4日から継続してフォローする作業をしなかった。おなじNHKの「ニュースウオッチ9」、6月5日には「違憲発言」の余波の報道があった。しかし自民党内で、「参考人の選定は緊張感を欠いていた。騒ぎは未然に防げたはず」という党の内部事情を伝えるにとどまり、肝心のどこが違憲なのか、3人の学者が指摘した内容にまで深く踏みこまなかった。そして政府与党連絡会議、特別委、政党の動きなどを追う典型的な政局報道に流れ、その結果視聴者の疑問に応えることに極めて不十分な報道だったといえる。自民党青年部が全国で街頭宣伝に取り組んだとのインターネット報道もあった。また安保法案は「戦争法案」だと各地で反対運動も取り組まれている。重要法案をめぐって全国でどんな動きがあるのか、きちんと調査・取材・放送してほしいものだ。』

**戦後史の基盤である平和主義にとって大きな転換点となる戦争法案の内容の是非、それに加えて、立憲主義を無視し、代議制民主主義を形骸化し、破壊する恐れのある法案提出の閣議了解、衆参両議院通じての不適切な国会審議の実態など、という安倍政権の政治手法の問題性、それに対するさまざまな国民の反応など、歴史の検証に耐えうるような報道をこそ、公共放送、つまり国民の放送局たるNHKには、求めたい、と大原も思う。

◆報告・4.独自の調査報道は実現したか。

 報告では、
*私たちが大事にしてきた基準は、「事実の中にある真実に近づく報道を見極める」ことだった。これを具現化する一つの方法・手段が、「独自の調査報道」だと考えてきた。今回のモニター期間、各局のニュースには、明らかな二つの流れがあった。それは、テレビ朝日「報道ステーション」とTBS「NEWS23」の2番組にあらわれた傾向と、NHK「ニュース7」「ニュースウオッチ9」、日本テレビ「NEWS ZERO」、フジテレビ「みんなのニュース」に見られる対照的な傾向である。』

**報告を読んだ大原の印象では、テレビ朝日「報道ステーション」とTBS「NEWS23」の傾向とは、政権に批判的、という傾向だろう。また、NHKを始め、日本テレビ「NEWS ZERO」、フジテレビ「みんなのニュース」の傾向とは、政権に寄り添っている、という傾向だろう。

 これについて、NHKはどうだったのか。報告は、次のように書く。

*「ニュース7」「ニュースウオッチ9」ともに、この安保法案報道については、極めて問題があったと言わざるを得ない。政府見解に沿った法案の解説が中心で、独自の調査・取材報道が皆無といってもよく、反対する市民の声や抗議の市民運動の伝え方もお座なりで、国会審議・政府・与野党の動きを追うことに終始し、「国会閉じこもり報道」ともいえる様相を示していたと言っても過言ではない。この間の「ニュース7」の有り様を示す例を一つだけ挙げてみる。
 6月20日、「安保法案をめぐっては、地方議会でも論議され、国会に意見書を提出した議会もある。去年7月の『集団的自衛権の閣議決定』以降、先週までに地方議会のおよそ14%、246議会が意見書を提出し受理されている。意見書は賛成が3、反対181、慎重審議が53議会。それぞれの現場を取材した」として、以下VTRで、埼玉県滑川町議会が全会一致で、「慎重な審議を」の意見書を採択した話題。続いて賛成の立場の金沢市議会の場合を紹介した。アナウンサーは意見書の賛成・反対・慎重審議の数を紹介した後、「それぞれの現場を取材した」と言っていながら、なぜか圧倒的多数の反対意見の自治体は影も形もなかった。NHKのライブラリーには、過去を記録した音声・映像資料の膨大な量のストックがある。NHKのアーカイブスを、一定の問題意識で有効に活用するのは、その気になりさえすれば十分に可能なはずである。むしろ、他の放送局に較べても有利な環境にあるにもかかわらず、「報道ステーション」のスタッフが実現したように、政治家の発言を時間軸で検証してみる試みなど、全くなかった。こうした問題を日々、放送現場のスタッフが互いに検証しあう作業、それを民主的に保障しあうルール、環境が極めて重要なことは言うまでもない。』

◆報告・5.市民の反対運動に対する報道姿勢。

*国会での審議が進むなか、法案の違憲性と、安倍総理の民意を一顧だにしない強引な政権運営とが重なって、法案に反対する市民の運動は全国各地に広がり、その規模も学者、文化人、法律家、女性、学生など各界・各層に及んでいる。そして運動の高まりにつれ安保法案に反対の世論は大幅に増えている(「共同通信」の調査で法案に反対は5月の47.6%から6月は58.7%)。過半数を超す「反対の世論」の具体的な表れである法案反対の運動を各局のニュース番組は、どのように取り上げていたのかを見てみる。「ニュース7」「ニュースウオッチ9」このNHK2番組に共通する特徴は、市民の抗議、反対行動を報ずる際の扱い方の軽さだ。さすがに6月18日、瀬戸内寂聴氏が集会に参加した時と、大幅な会期延長に抗議し国会周辺に3万人を超える人々が集まった6月24日の局面では、ある程度時間をかけて取り上げてはいたが、その他のデモ、集会などは国会審議の添え物としか思えない伝え方をしている。市民の反対行動、抗議集会やデモに参加している人々は、なぜ法案に反対なのか、突っ込こんだ取材がないために、ただの風景的な扱いになっていた。

 この項の冒頭にも記したように安保法案をめぐる反対運動は国会審議が進むにつれて、全国各地で抗議の声は急速に広がり、参加者数も年代、性別を問わず飛躍的に増加している。しかも、参加している人々は、今までの反対運動でよく見られた組織的に動員された人達が中心ではなく、自主的に参加した人が目立つことだ。「デモは怖いと思っていたが、止むに止まれず、その場にいることに意味があると思って参加した」と初めて来た若い女性。幼児を連れた母親は「後でその時、何もしなかったと、後悔しないため」と話す。集会に参加してくる人々の想いは様々だ。世論調査で過半数に及ぶ人々が法案反対の意思表示をしている中で、ニュース番組の重要な役割の一つとしては、これら一人一人の想いを丹念に取り上げ、伝えていく事にある。取材すべき事は山ほどある。公共放送としてのNHKニュース番組にはこの事がより強く求められる。類型的な“集会・路上デモ映像とシュプレヒコール音声”の伝え方だけでは反対行動、運動を報じた事にはならない。』

**大原も、NHK報道に関わったOBの一人として、また、日本ペンクラブに席を置く一人のフリーなジャーナリストとして、戦争法案の対処を誤ると、戦後史は、ここから分岐して行くという危機感を持って、発言できる場を活用して情報発信に務めている。この報告の筆者たちの思いに共感する部分が多数ある。どの方が報告のどの部分を書いているのかは、全く知らないが、かつてNHK報道の旗の下に一緒にニュースを出してきた先輩、同僚、後輩などNHK−OBの息吹きを感じる。NHK報道も、「御用放送」とか「国営放送」とか、揶揄されてきたが、大原がいた時代の現場は、「国民のための公共放送」として、この報告の基本トーンにあるようなものであったと自負している。特に、大原も時々だが、国会周辺や議員会館、日比谷野外音楽堂、新宿の歩行者天国などと、国会外の運動の現場には、部分的ながら参加してきたので、参加する市民の目とそれを報じるジャーナリストの眼と、視点(中心)を2つ持つ楕円形のような視座を持っている。それだけに市民運動に関する報告の指摘には、頷ける部分が多々ある、と書いておこう。

◆報告・6.NHKは「何を伝えなかった」のか。

 これが、この報告の真骨頂の部分だろう。NHKと対照的な報道姿勢を見せる民放との比較をしている。

 報告では、モニター活動の中で、「浮き彫りになったのは、NHKの政治報道の姿勢である。「ニュース7」「ニュースウオッチ9」は、テレビ朝日「報道ステーション」とTBS「NEWS23」などの民放ニュース番組と大きく違う特徴があった」と、強調する。

*政権側の主張や見解をできるだけ効果的に伝え、政権への批判を招くような事実や、批判の言論、市民の反対運動などは極力報じない、という際立った姿勢である。法案の解説にあたっても、問題点や欠陥には踏み込まず、あくまでその内容を伝えることに終始している。また、法案に関連する調査報道は皆無に近い。この傾向は、今回の安保法案関連報道に限ったことではなく、当会が実施した特定秘密保護法報道や、集団的自衛権閣議決定までの報道のモニター報告書でも繰り返し指摘してきたことである。』

**全く大原は同感である。「NHKの安保法案報道の特徴を整理しておきたい」というまとめ報告に耳を傾けよう。

 以下、報告による。

* 1)政権にとってマイナスになるような出来事を報じない傾向。
 典型例がいくつかある。
 5月20日の党首討論で、共産党の志位委員長がポツダム宣言について安倍首相(ママ、総理)を質した。志位委員長は、ポツダム宣言が日本の戦争が世界征服のための戦争だったと明瞭に判定している、とし、首相(総理)にこれを認めるかと質問した。安倍首相(総理)は「その部分は詳らかに読んでいないので、承知していない」と答弁した。
 降伏後の日本について、軍国主義の排除と民主主義の実現を指し示した歴史的文書を「読んでいない」というのは、首相(総理)の資格を疑わせるものだった。
 「報道ステーション」は、志位委員長の「日本が過去にやった自らの戦争の善悪の判断もできない総理が戦争法案を出す資格はない」という発言も含め、一連の討論を伝えた。しかし、「ニュース7」「ニュースウオッチ9」は、党首討論の映像の中でこのやりとりをカットしている。

 5月28日の衆院特別委員会で、民主党の辻元清美議員の質問中、安倍首相(総理)は「そんなことより早く質問しろよ」といった下品なヤジを2回にわたって飛ばした。表情といい言葉といい首相(総理)の品格を疑わせる場面だったが、この日の「ニュースウオッチ9」ではまったく報じず、翌日の「today's watch」コーナー3項目目で短く伝えただけだった。

 6月23日、沖縄慰霊の日、安倍首相(総理)のあいさつ中に参列者から厳しい抗議の声が浴びせられた。「あなたは沖縄の平和を語る資格がない」、と立ち上がって抗議する老人もいた。しかし、この日の「ニュースウオッチ9」は、この異例の出来事について抗議の音声はもちろん抗議されたこと自体も伝えなかった。

2)政権の見解、方針の伝達を重視し、多様な批判的言論、運動を伝えない傾向。
 法案についての政府見解や首相(総理)の発言を効果的に伝達する傾向もよく見られた。
 「ニュースウオッチ9」では、CG、パネルなどを使った政治部記者・アナウンサーなどによる法案解説があったが、本報告で指摘したように、多くは政府説明や安倍首相(総理)答弁のなぞり・繰り返しになっていて、問題点の指摘、批判的評価・見解をほとんど伝えないのが特徴となっていた。

 国会審議についての解説にも同じような傾向が見られた。
 6月17日には、党首討論について、記者が、「安倍総理は政府の立場を平易に国民に伝えることに力点をおいていた」と評価、「総理は、集団的自衛権について外国での武力行使は例外的で極めて限定的と強調した」と、首相(総理)側に寄り添うような解説をしている。
 一方で、各種世論調査で安保法案反対の意見が賛成を大きく上回っているにもかかわらず、法案の問題点を指摘、批判する識者、専門家のコメントはほとんど伝えていない。
 市民の反対運動の報道も限定的だった。6月13日から14日にかけて全国的に展開された市民の行動を、「ニュースウオッチ9」は報じなかった。14日は学生たちのグループSEALDsが渋谷で大規模なデモを行ったが、まったく無視した。

 上記のほか、本報告でも指摘したように、NHKニュース番組は、安保法案にかかわる重要な争点である、後方支援、機雷掃海、砂川事件、といった問題について、歴史的事実に迫る調査報道が可能であるにもかかわらず、ほとんど行っていない。短く国会の論戦の経過を伝え、ときに政治部記者の解説、といった簡略な報道に傾いている。

 こうしたNHKの政治報道の姿勢は、安保法案に関する現在のテレビ報道で最大の問題であるといわなければならない。政府の側ではなく、視聴者・市民の側に立つべき「公共放送」として、その在りようが問われている。NHKには優れた番組があり、視聴者の信頼もなお高いものがあるが、その陰で、政権寄り、政府広報、と批判されるような政治的に偏向した報道が続いているのである。このことに気づいた市民が、政府に対する抗議と併せて、NHKに対して抗議の声をあげ始めた。すでに市民がNHKを包囲する行動も生まれている。一般市民がこのような行動に出るのは前代未聞であり、NHKはこのことを深刻に受けとめる必要がある。』
(「モニター報告」は、ここまで。「報告」の中で、安倍「総理」の表記が「総理」と「首相」の2つが出て来る。「報告」は、筆者が複数なので、書き手によって、まちまちなのだろう、と思われる。どちらでも良いのだが、一つの報告としての統一性を持たせるために、ここでは、あえて「総理」に統一した)

 大原が、新宿の歩行者天国で見た「STOP 自民・NHK」というプラカードは、渋谷のNHK包囲活動の参加者が、新宿の歩行者天国に浸透してきた、ということなのだろうと思う。「放送を語る会」では、就任以来、幾度か、問題となる発言(政権の主張に従う放送をするなどと明言)や行動をしても改めようとしないNHKの籾井会長の罷免要求の署名活動を続けている。大原もこの活動の呼びかけ人のひとりになっている。

 8・25には、NHK包囲活動が行なわれた。「安保法制をめぐるニュースでNHKが安倍政権の広報のような報道をすることに怒った人々が抗議行動に立ち上がった」という。参加した人たちはNHKのニュースを良くモニターしていて、安倍首相の出演が異常に多いとか、「安保法案」のような重要なニュースの扱いが不十分だなどという意見が多かったという。NHK包囲活動に参加した人たちは、「ありうべき公共放送」を待望する視聴者が多いのだろうと思われる。
 これに対するNHK内部の反応も伝わってきた。8・25のNHK包囲活動について、「内部では今のところ反応無しです。誰も話題にしない白々しさが、病根の深さを物語っています。知っているけど、あえて話題にしない、という空気です。日放労(注 — NHKの主力労組)が全く動かない…将来の幹部という餌をぶら下げられると、組合のリーダー達も黙って首をすくめます。だけど、これからは表現・言論の自由、籾井追い出しを賭けて、組合がスト権を樹立して闘っていくのでなければ職員は動かないでしょう。(略)やっぱり組合と外部が呼応しないと、力になり得ない」。

 「STOP 自民・NHK」と書いたプラカードを持った男性は、ひとりだけではない。
 公共放送NHKの大義は、公共、つまり国民の立場に立って、権力を監視することだろう、と思っている視聴者は大勢居る。今のNHK政治報道に見られるような萎縮や「ヨイショ」(「NHK政治部=官邸広報部」や「NHKの国策放送化の『主犯』は政治部」という学者諸兄の言が私も耳に痛い)は、あってはならない。これは、NHKの存立に関わる致命的な課題である。

 新聞の歌壇に載った短歌から。

 総理大臣からその国を守らねばならないといふこの国の危機

 参議院本会議で、9月19日午前2時18分に戦争法案が「可決」された。その日以降、この法案の責任者であるその人は何をしたか。また、「首相動静」欄を見てみた。

 19日午後6時27分、山梨県の忍野村(以下、町村は、皆、山梨県)の日本料理「忍野八洲」で、増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務らと食事。8時39分、鳴沢村の別荘。

 20日午前7時8分、山中湖村のゴルフ場「冨士ゴルフコース」で増岡聡一郎鉄鋼ビルディング専務らとゴルフ。午後2時28分、鳴沢村の別荘。6時34分、山中湖村のハンバーガーショップ「ムースヒルズバーガー」で母らと一緒に食事。8時35分、鳴沢村の別荘。

 21日午前7時57分、鳴沢村の鳴沢ゴルフ倶楽部で加計井孝太郎・学校法人加計学園理事長らとゴルフ。午後3時43分、報道各社のインタビュー(ゴルフ場でインタビュー?)。3時50分、鳴沢村の別荘。5時59分、冨士河口湖町の中華料理店「異彩中国菜館 湖宮」。夫人、母らと一緒に食事。9時5分、鳴沢村の別荘。

 22日の午前中まで、鳴沢村の別荘。

 休みの日に何をしようが他人がとやかくいう筋合いではないが、もし、私が政治家なら、このタイミングでは、国民に説明する姿勢をきちんと見せておいた方が良かった、と思うので、後世のために、ここに記録しておく。

 私なら、こういうことはしないが、もし、私が立場上そういうことをしなければならなかったと仮定した場合、自分の決断について、国民の理解が広がらないという認識があるならば、強行的に「可決」をしてまでも、「なぜ、そうしなければならなかったか」という真情を街頭に立って、直接国民にきちんと説明しただろう。

 主権者である国民への理解を拡げる努力をまったく放置して、お友達とゴルフボールを叩き合う。どんな顔をしながらボールを叩いているのか、その人の表情は容易に浮かんで来る。報道各社の記者は、「ぶらさがり」で、どういうインタビューをしたのか。私の疑問を質した記者はひとりでもいたのだろうか。

 こういうマスコミが権力者と国民の間に立って、目隠しの役割を果たしたりしてはしないか。「あの時、NHK(あるいはマスコミ)がきちんとやっていれば、戦争は起きなかった」などと、二度と言われることがないように……。

 (筆者は、ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事。元NHK社会部記者)


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