【コラム】
宗教・民族から見た同時代世界

NZモスク銃撃事件で想起される実行犯母国の白豪主義

荒木 重雄

 緑豊かな環境と温和な気候、治安の良さが売りで、日本人の留学先としても人気が高いニュージーランドのクライストチャーチ市で、3月、二つのイスラム礼拝所(モスク)が銃撃され、礼拝中の、南アジアや中東出身のイスラム教徒市民多数が死傷する事件があった。しかも襲撃者は、その光景を自身に装着したカメラで撮影しネット上で生中継する異常ぶり。実行犯はブレントン・タラントというオーストラリア(豪州)国籍の青年であった。
 世界に衝撃を与えた事件ではあったが、類似のテロや銃乱射事件も多発する昨今ではもはや旧聞に属し、風化しかねない。しかしこの事件は、犯行者の出身国・豪州の社会事情を改めて想起させることになった。 

 実行犯が生まれ育ったのは、住民のほとんどが白人の地方都市。地元のスポーツジムでインストラクターをしていた。数年前から海外旅行をするようになり、とくに17年にフランスなど西欧を旅行したとき、小さな街にも非白人の移民が目立つことから、彼らを白人社会に取って代わろうとしている「侵略者」と感じ、侵略者へは逆襲が必要と認識したと、ネット上に投稿した犯行声明に記している。そして、ニュージーランドを犯行場所に選んだのは「世界の最も遠いところでさえ侵略者がいる」ことが示せるからと説明している。

 犯行声明はもっぱら近年の移民の増加を問題視し、昨今の世界に広がる排斥思想、とりわけ欧米の政治家たちが多様な社会問題を移民問題にすり替えて大衆の支持獲得を狙う動きの影響を受けていることは明らかだが、犯行者の思想と行動の背景に見落としてならないものに、犯行者自身も気づいていないと窺われる自国の「白豪主義」の歴史がある。
 白豪主義とは、白人優位、キリスト教文化中心の豪州をめざす運動および政策である。

◆◇民族政策の揺れが豪州の歴史

 18世紀後半から本格化する英国人の豪大陸への入植は、先住民アボリジナルの排除・抹殺からはじまった。アボリジナルを標的にしたスポーツハンティングは悪名高いが、それだけでなく、アボリジニ襲撃隊を編成して殺戮に向かったり、離島に集団移送して餓死させたり、居住地の水場に毒を流したりの殲滅作戦が、歴史的事実として記録されている。免疫力のないアボリジナルに欧州から持ち込んだ伝染病が広がったことも加わり、19世紀半ばまでの百年足らずで90%の人口が失われ、絶滅した種族も少なくない。
 さらに加えて、19世紀半ばから20世紀半ばまで、アボリジナルの子どもを親元から引き離して白人家庭や寄宿舎で「進んだ文明」の下で養育するという政策が教会主導で進められたが、実際は、収容所や孤児院に隔離され、しかも保護の放棄や遺棄、虐待で、アイデンティティの喪失のみならず生命まで失う子どもが少なくなかった。

 一方、19世紀半ばからは中国人が労働力として大量に移入される。続いて日本人も真珠貝採取や砂糖農園の労働者として流入するようになる。ところが、白人労働者が、これに対して、アジア人の低賃金労働が自分たちの職場や労働環境を奪っているとして、労働組合を結成して排除に動き出す。豪州で労働組合が力を広げ労働党が創設されたのはこの時期である。1901年には移民制限法が制定され、白豪主義体制が確立する。それは、第二次大戦中に米軍の黒人部隊の上陸まで拒否したほどの徹底ぶりである。

 第二次大戦後、再び労働力需要が高まり、当初、英国人やアイルランド人の移入を志すが、実際には東欧・南欧や中東、東アジアからの労働者の流入が増え、しだいに移民政策の転換を余儀なくされる。75年に人種差別禁止法が制定されたのに次いで、ベトナム戦争で豪州も軍を派遣したベトナムからの難民受け入れをきっかけに、アジアからの移民を積極的に受け入れる政策に転じ、ここに「多文化主義」を国是に掲げるに至る。

 だがこれで豪州の人々の意識が開かれたわけではない。とりわけ2001年の米同時多発テロ後からは空気が変わり、白豪主義に戻ろうとの主張や「イスラム排斥」を掲げる極右政党が存在感を増している。
 また、2005年、シドニー郊外のクロナラ・ビーチに5千人を超える白人が集まり、暴徒化した白人集団が中東系移民へ無差別襲撃を行った「クロナラ暴動」や、2009年以降、毎年、数百人に及ぶインド系移民や留学生が白人の襲撃に遭っている「カレー・バッシング」も忘れることができない。
 米トランプ政権が中東・アフリカ7カ国の人々の入国禁止令を出した17年に豪州で行われた民間の世論調査で、「豪政府が同様にイスラム教徒を入国禁止にすることに賛成か」という質問で、賛成が41%に上ったことも豪州社会の位相を示す指標の一つである。

◆◇希望をもたらしたNZの対応
 
 一方、この事件で記憶に残るのはニュージーランドの人々の対応である。この国には先住民マオリと共生する努力を続けてきた歴史があり、移民も人口比1%超と比較的少ないゆえか、少数者に寛容で、平和を志向する社会との雰囲気を印象づけた。
 アーダーン首相は即座に銃規制の強化を約束する一方、黒いスカーフ姿でモスクを訪れ、「首相としての私の役割は、あなた方の安全と文化と宗教の自由を保障することだ」と真摯に伝え、事件現場に献花に訪れた市民たちも、「イスラム教徒のコミュニティに愛を。ここはあなたの家。安全な場所でなければならなかった」「あなたがどこからきたのでも、どのような宗教でも、あなたが隣人で嬉しい」などのメッセージを書き添えた。
 事件の1週間後に現場近くの公園で開かれた追悼礼拝には、イスラム教徒5千人に加え一般市民1万5千人が参加し、しかもイスラム教徒でないのにスカーフをかぶった女性が多くいた。これは、知人のイスラム女性から「怖いので外出時はスカーフを取ろうかと考えている」と聞いた非イスラムの女性が「それなら私たちも一緒にかぶればいい」と思いついてSNSで呼びかけたのに応えたものだという。
 こうした対応を受けて現地のイスラム宗教指導者が語ったと伝えられる「テロリストはニュージーランドの人々を引き裂こうとした。だが、私たちはそうはならずに、世界に愛と団結を示した」この状況こそ、いま、世界が求めているものであろう。

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