OBから見た「朝日新聞」謝罪問題

羽原 清雅


 朝日新聞の報道をめぐって、多くの問題が指摘され、混乱を招いている。
 創刊136年にして、終戦後に「戦争賛美」の責任を問われて以来の事態、といっても過言ではあるまい。筆者は新聞づくりの現場を離れて10年余になるのだが、戦後の民主化から69年間のうち40年にわたって、その編集の一部に関与してきたので、こんどの事態に一端の責任を感じている。
 政治部の記者・デスク・部長、若手記者を擁した支局長、西部本社での編集局長、記者の研修所と総合研究センターの長など、自らの取材ばかりでなく、紙面づくりや記者育成の場にあった立場から、こんどの状況について発言しなければなるまい、と考えた次第だ。

 同時に、厳しい批判に責め立てられることは当然としても、その追及の裏側に「歴史の書き換え」の意図も感じられ、その点ではきちんと朝日新聞としての筋を通し、守らなければならない、と感じている。
 もちろん、誤報などによる事実誤認で歴史をゆがめることは許されないが、「作為」「宣伝」による史的事実の抹消や曲解が定着することもまた強く拒否しなければならない。

 なお、誤報、訂正、記事取り消しや謝罪の遅れの責任を取り、社長の進退、編集幹部の引責などは当然、と受け止めている。問題化したことの内容には個別の反省や課題があり、その分析が必要だが、複数の問題が同時多発的に表面化し、信頼を大きく傷つけた以上、社業幹部の責任として対社会的なひとつのけじめが求められよう。

 また、これまでも社業に問題が生じた時には、ポストや人事などに日頃不満を持つ人物が台頭して、怨念を晴らすかのように朝日攻撃のメディア等に組みするが、これはいつの世でも、どの世界にもあることであり、やむを得ないだろう。ただ、その言い分が正論であればとにかくとして、多くの場合その底意にあるものを思うと、見苦しい、というしかない。

 他方、問題の記事を書いた元記者らの勤める大学に対して、学生たちを巻き込むような脅迫状が送られた事態は、極めて卑怯であり、言論を暴力で抑え込もうというもので、このような社会悪が許されないことはいうまでもない。荒っぽい言葉を投げかけるヘイトスピーチに通じるものを感じる。

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<デスク的な眼で見る問題の記事>
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 筆者は政治部でのデスク時代、「鬼」とか「厳しい」などと言われていたが、当時と同じ目線で問題になった記事について見直してみたい。これらの記事は、それぞれ個別に問題を抱えており、新聞社総体としての責任とは別に分析しなければならない。そうした立場から、具体的に指摘しておきたい。

 デスクの任務は厳しい。現場の記者から出稿された原稿について、事実関係は当然として、その裏になにがあるか、取材先の語りは建前か本音か、将来的にどのように影響を持ちうるか、といった角度から極力多角的に読み取らなければならない。デスク業は、取材記者を突き放し、原稿を疑惑の目で見直し、疑問をひとつずつ確認する。いわば、疑いを前提とする仕事である。いきおい、執筆した記者からは嫌われかねない。

 記者になりたてのころ、「訂正を出すことは、読者ひとりひとりに頭を下げて回ることだ。新潟の地方版でも5、6万部の読者に頭を下げに行かなければならないが、そうもいかないから紙面だけで済ませる。そのことを思うと、訂正になるようなミスをしないようにしないとね」と言われ、このことはずっと忘れられなかった。
 「ニコニコ聞き出して取材し、書くときは別人格になって厳しく書けよ」とも言われた。また、「書かなければ訂正はない。その方が楽だよ」とからかわれたこともある。

 デスク的にいえば、誤った原稿が「思い違い」「取材や確認不足」など記者の未熟によるものか、「作為」「ねつ造」といった意図的なものか、で、問題はかなり異なる。もちろん、読者や関係者にとっては、いずれにしてもとんでもないことではあるが。

■池上彰氏の「新聞ななめ読み」不掲載の非

 この記事の掲載拒否はありえない。朝日の「吉田証言」の慰安婦報道の取り消しなど早く謝罪すべきだった、というものだが、その指摘はまったくその通り。拒否の理由がわからない。
 さまざまな意見を提供して、その選択は読者の判断に、という日頃の姿勢に大きく反している。
 しかも、この処置をわびた報道局長の文中に「本社には言論による批判や評価が寄せられる一方で、関係者への人権侵害や脅迫的な行為、営業妨害的な行為などが続いて・・・池上さんの原稿にも過剰に反応」した、と書く。
 だが、小尻記者の殺害などを経験し、こうした風潮に闘い続ける朝日新聞ではなかったか。また脅迫や妨害などは言論機関として覚悟のうちでなければならず、この程度のことでおびえる編集幹部の神経がわからない。

■原発「吉田調書」報道の視野狭窄

 「吉田調書」入手とその記事を初めて読んだとき、「すごい特ダネ、やったね!」と喜ぶ一方で、いくつかの不可解を感じて読み返した。
 まず前書きと見出しにある「(吉田)所長命令に違反 原発撤退」だが、本文の証言内容を読むと、必ずしもそうとばかりは言えない、いささか表現に飛躍があるな、と感じた。
 疑問は、(1)筆者の勇み足と判断ミス (2)担当デスクらの「吉田調書」の読み込みやチェック不十分 (3)見出しをつける整理部門が前書きから見出しをとったとはいえ、本文と前書きのかい離に気付かなかったのか (4)特ダネとはいえ、出稿部、整理部門のあとにチェックする報道(編集)局幹部の眼をかいくぐったのか、といった点だった。

 その後、首相官邸筋のリークだったといわれる読売、産経の報道を見ると、この調書に続いて「(結果として)2F(福島第2原発)に行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と吉田氏が述べていることが指摘されており、この部分を朝日の記事に出していれば、あれほど強い見出しや記事のトーンは生まれなかっただろう、と思った。
 ただ、筆者やデスクの筆致から「思い込み」的なミスで、「作為」とまでは言えないように感じるのだが、この点は被告席の朝日側と、批判者サイドの受け取り方に違いもあるだろう。もし意図的に書いたとしたら、朝日の責任は大きい。「作為」か「思い込み」か。これは新聞編集の立場からは極めて大きな課題で、今後の検証を待たなければならない。

 なお、この「吉田調書」問題は本来、当時の現場の混乱が命がけの状況にあり、ひとりの現場責任者だけの問題ではない。700人以上の関係者の調書を取ったのであれば、第三者による機関でこれらをすり合わせながら、あるいは見解の相違があれば、それはそれで明確にしながら、当時の現場の危機がどこにあり、安全上の課題がどのようなものであったか、今後の教訓として生かせるよう解明していくべきだろう。
 再稼働に踏み切る前に、安全神話を信じ込んだ反省のもとに、もういちどエネルギー源としての「原発」依存でいいのか、将来的な核のごみの処理をどのようにするのか、電気料金や税金にかかる負担はこれでいいのか、など基本的な再検討こそ、この「吉田調書」が残した課題であり、遺言であるのではないか、と考えている。

 もうひとつ、将来的な大きい角度からの報道になりえなかったことは残念である。
 西山事件で毎日新聞が苦境に立ったとき、時の政府は女性問題をクローズアップさせることで、沖縄の本来の問題とすり替え、世論の向く目先を世俗的な方向に切り替えてしまった。この「吉田調書」問題にも類似した印象が消えない。メディアは、短期的な視野でその方向性を見誤るとき、長い目で見るべき歴史的な転機を見逃すことが往々にしてありがちである。
 朝日新聞は目先の誤報騒ぎや社長の進退などにとらわれるだけではなく、この長期的な視点においても苦い教訓を忘れてはなるまい。

■従軍慰安婦問題の欠陥

 この問題にも、いくつかの疑問と責任を感じる。
(1)全段の2個面を使った訂正特集の趣旨を書いた編集担当は、なぜ「おわび」の言を示さなかったのか。新聞記事に誤りがあった場合、数字などの軽度の誤りは「訂正」、取材上や読者に迷惑をかけるような場合は「訂正しておわび」を掲載するのがふつうである。

(2)慰安婦の強制連行を語った「吉田証言」についての32年後の「取り消し」が、なぜ今なのか。何度かの訂正の時期はあったはずである。筆者が受け止めたのは、来年の戦後70年に向けてさまざまな紙面企画を展開するうえで、ひとつのけじめを必要としたこと、もうひとつは安倍政権以降に「河野談話」の見直しなど、慰安婦報道に対する批判が燃え上ってきたことへの対応に迫られたこと、の2点である。

 それはそれでわからないではない。取り消しも訂正も、それはそれでいい。
 ただ、32年の経過する間に、なぜ訂正などの措置が取れなかったのか、という点である。これは他人事ではなく、見逃して、かつ放置していた責任を筆者自らも強く感じている。
 記事に誤りがあった場合、早く調べ直して、訂正なりおわびなりの措置をとるのがメディアの原則である。この問題では、それがなされていなかった。極めて異例なケースだと思う。
 では、「なぜか」。だが、こう問われて答えるだけの経緯を知らず、この点は「無責任だ」と責められても反論の余地はない。

 言い訳がましくあえて言えば、この「吉田証言」が16回にわたって大阪で紙面化されたが、東京本社の紙面ではそれほど多くは掲載されておらず、東京サイドの印象が鈍かったのでは、ということだろうか。
 この記事は大阪での取材と記事化だったこともあって、くわしい内情が伝わらなかったし、東京本社から大阪本社に物申しにくかったのかとも思われる。あるいは、決着をつけないままに、記者や責任幹部らの人事的な交代が続き、いつか処理の責任が放置されてしまったのだろうか。
 いずれにせよ、これは究明して二度と責任の回避にならないよう、重く反省しなければならない。

(3)さらに余計なことを言いわけがましくいえば、週刊誌で初めて知ったことだが、「吉田証言」を最初に取り上げた、といわれた記者Aとは、同じチームで仕事を共にしたこともある。「だまされ、見抜けなかった甘さ」は指摘されようが、記事をねつ造するような人物ではない。
 ところが、「吉田証言」取り消しの検証紙面の出たあと、この記事を書いたと認めた筆者Aがじつは自分ではなかった、と述べ、一方で別の元記者がこの記事を執筆したと名乗り出た、という。このような混乱は、当事者の不十分な記憶と、不十分な検証によるように思えるが、このような経緯は読者の信頼を一層薄めることにもなりかねない。残念、というしかない。

(4)ついで「女子勤労挺身隊」と「慰安婦」の混同についてだが、朝日の企画紙面では「当時は研究が乏しく同一視」としている。たしかに、戦前の韓国(朝鮮)では、これらの言葉は同じように認識されていたとの説もある。慰安婦になることも、挺身隊に応召されるのも嫌って、同じような気持ちで扱われていても不思議はない。
 ただ、この記事が掲載された1991年ころには、門外漢の筆者でも区別して記憶しているので、この記者に混同・誤用があったかもしれないが、「研究が乏しく」とした説明は改めて確認したほうがいいように感じている。

(5)この企画紙面には「他紙の報道は」という比較的長い解説記事がある。これは「余計なお世話」というものであろう。おのれの非を認め、読者に取り消しや訂正などの説明をする際に、ほかのメディアに触れることは不要である。他紙は他紙の責任であり、朝日は朝日の責任を認めればいい。比較しやすいように、と説明するかもしれないが、責任の一部を他紙に共有させるような紙面はみっともない。潔しとしない。

■任天堂社長の「記者会見」の不快

 朝日社長の謝罪後に明らかにされたのが、任天堂社長と記者会見をした、という記事の掲載問題である。
 会見を断られた記者は困って、この会社のホームページ上の動画の発言を引用して社長の会見記事にした、という。これを単なる「おわび」で済ましていいのか。過失的な誤りとは違って、そこには「作為性」がある。メディアにとって、ねつ造的作為はもっとも戒めなければならないはずだ。しかも、週刊誌によると、この記者はその後も一線で書き続けているという。

 なんらかの情状酌量の余地が認められたのかもしれないが、しかし、このような事例を頬かむりしていていいのか。これは新聞社として、ジャーナリストの原則を大きく逸脱したものとして、厳しい決着をつけるべきではなかったか。2年以上も前の記事とはいえ、そのミスを問い、そこから大きな教訓を学ぶべきではなかったか。
 このように、厳しさに欠ける処置が続くと、たいしたことがなければ許される、として、若い記者の間に甘えが生まれてくる。新聞記者の個性と判断を信じて取材活動をしてきた朝日新聞の慣行は今後とも守らなければならず、またこのことは記者としての厳しさのもとに育まれるものであり、いい加減さを許すべきではない。

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<朝日新聞の頑固さの背景>
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 批判とバッシングを受ける朝日新聞だが、それでも頑固に対応する背景はなにか。

 *第一には、戦前の戦争協力に対する反省である。言論統制のもと、大本営発表に従わざるを得なかった事情もあるが、一方で読者の献金を集めて軍用飛行機を何百機も建造して寄付し、愛国心の高揚や戦死の礼賛をアピールし、国際感覚を見失い、戦争を正当化するなど、自主的に同調した言動も少なくなかった。
 戦前からの多くの新聞社、出版社、雑誌社なども同じように反省したが、昨今ではその思いから遠ざかり、時代の流れに乗り出すように変身する企業も多い。だが、それはそれとして、再びこのような大きな失敗をしてはならない、との気持ちが多くの記者たちの無言のコンセンサスになっている、といえるだろう。

 *第二に、現行憲法には課題はあるが、こうした事態への歯止めとなるであろう憲法を基本的に守らなければならない、との判断が多くの記者の胸の内にある。社論や社内教育によるものではなく、それぞれの気持ちのなかに育ってきたもの、と考えていいだろう。

 *第三に、情報を冷静に広く提供し、活発な論議を招き、読者それぞれがいろいろな判断や考えをくだし、あるいは論議をもとに修正するなど、押しつけのない言論活動のなかに自由を確保していきたい、との理念もある。
 そのために、個人の存在を基本として、それぞれの資質の高まりに期待しつつ、多くの論議のうえに、融和や公平の図られる社会の形成に努めたい、との思いも基本的には共有されていよう。

 *第四に、権力に距離を保ち、批判のできるポジションを維持したい気持ちも共通しているといえるだろう。
 立法・司法・行政の三権、国家、議員や官僚機能、大企業や大組織など、社会的な影響力の強い権力的なものには距離を置いて、かつ批判的に見守る、といった姿勢が埋め込まれているように思える。
 政治記者になったとき、「これから国会議員に会うことになるが、『先生』というな。上下関係のような気になったりしないために、だ」といわれた。また、政治家にカネや物品をもらうな、気に入った政治家だからといって寄付とか政治献金などはするな、とも教えられ、その「距離」の置き方は個人としてずっと続いている。

 *大まかな社としての基本姿勢はあるが、それはジャーナリズムの原則のような、抽象的な表現にとどまっている(朝日新聞綱領、同環境憲章、社行動規範など)。さきに整理したような4点は、感じ取ろうとすれば感じられるといった程度のもので、強いられるものではない。社論の考え方と違うからといって不利益になったりすることもありない。個人の記者を最大限に生かすことが重要で、やたらに束ねることはない。
 ただ社内には、さまざまな考え方がある。したがって、まとまりの悪い面もあるが、ひとつの記事をめぐって納得のいくまでの議論があることを前提に出稿される。

 しかし、こんどの誤りや謝罪の状況を見ていると、幹部らの考えが上意下達になっていないか、各局、各部に伝えられ、せめてデスクくらい以上の侃侃諤諤の論議を経て、まとめ上げられる風潮が弱められていないか、言うべきは言いたい、だが言う場がないのではないか、あるいは個々の記者の気概が弱まったのではないか・・・そのような懸念がないわけではない。

 このような基本姿勢は、とくに新聞社にとってはかけがえのない財産である。
 このような個々人の姿勢が朝日新聞を作ってきた。今後もそうでなければ、それこそ自滅の道に迷い込むに違いない。つまらぬことのようだが、このような不文律の気概が朝日新聞の犯した失敗を反省させつつ、ここまで来たのである。ここで、とどまったり、後退したりは許されない。

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<許されない「歴史」の修正>
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 朝日への批判はかたまりになってぶつけられている。それはやむをえまいが、しかし、譲ってはならない視点がある。「慰安婦」問題がそれである。
 「吉田証言」がねつ造のたぐいだとわかった以上、もっと早く取り消し、お詫びすべきであった。この点は、先に書いたとおりである。
 しかし、多くの新聞、週刊誌などが取り上げているように、「吉田証言」の取り消しによって「従軍慰安婦」自体がなくなるわけではなく、この問題は引き続き検証され、歴史上の「非」として認めていかなければならない。
 このことは、「南京事件」をめぐって「まぼろし」扱いとしたり、犠牲者の数の多寡を争ったり、本筋を離れて混乱をもたらし、また事実関係を容認しないような方向に誘導したりするような言動に似ている。

■かき消すことのできない日本軍隊の「恥」の関与

 「歴史」には、かき消したいような恥ずかしい場面がある。ナチスによる人為的虐殺は、いまもドイツ人の心に突き刺さっている。それは消しきることなどできない。むしろ、その「歴史」を謙虚に受け入れ、再び同じ轍を踏まないことを心がける方が望ましい。人道を優先させたい、戦争という事態を回避したい、回避しなければならない、という思いがあるからこそ、過剰な戦時想定よりも外交そのものに力を入れよう、との姿勢が重視されるようになった。そのような歴史に学ぶ教訓とする姿勢が望ましい。

 従軍慰安婦問題は、第二次世界大戦下で日本軍によって組織的に展開された。
 東京裁判、BC級戦犯裁判では、ごくわずかしか裁かれることはなかったが、1980〜90年代に研究者たちの調査が始まり、また韓国や中国などでも問題視されるようになって大きな社会問題となった。
 「吉田証言」報道で、韓国で強制連行があったとの告発がその反響を増大したことは否定できない。
 しかし、この記事が慰安婦問題に火をつけた、というのは必ずしも正しくはない。
 日本軍のなかに従軍慰安婦の制度があり、軍が兵士らの士気高揚、規律保持のために活用していたことは、かなりの資料が示している。

(1)海軍慰安所酌婦として渡航のための身分証明書を発給した福岡県知事の内相、外相あての報告
(2)醜業目的の渡航婦女子は内地で娼妓など醜業を営む満21歳以上で、花柳病などのないもので、本人が警察署に出頭し身分証明書を申請させよという内務省警保局長の通知
(3)旭川市の料理店業者が北京に連れてきた芸妓4人中3人が21歳未満で、今後の取り締まりもあるので注意を求める外相あての山海関副領事の報告
(4)「支那事変地における慰安所設置の為、内地に於て之か従業婦等を募集するに当り・・・募集に任する者の人選適切を欠き為に募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くるものある等注意を要するもの少なからざるに就ては将来是等の募集等に当りては派遣軍に於て統制し」と、誘拐事犯の存在を認める陸軍省兵務局の通牒
(5)ボルネオ派遣の特種慰安婦50人では足りず、20人の増派の了承を求める台湾軍参謀長の電報
(6)「緩和慰安の道を講して軍紀粛清の一助となさんする」「下士官兵は1時間限度で支那人1円、内地人2円、将校は倍額」「慰安所公休日は毎月15日」などと決めた常州(江蘇省南部)駐屯間内務規定
(7)中国の山東、河南などでは古来、軍隊の略奪などへの反抗は熾烈で、とくに強姦は住民が一斉に死をもって報復するので、不問に付すような指揮官は不忠の臣であり、「軍人個人の行為を厳重取締ると共に一面成るべく速に性的慰安の設備を整へ設備の無きため不本意乍ら禁を侵す者無からしむるを緊要とす、とする北支那方面軍参謀長の通牒
(8)「此の種の渡航者(慰安所開設のための)に対しては軍の証明書に依り<軍用船にて>渡航せしめられ度し、との東郷茂徳外相の台湾総督府外事部長宛てマル秘電報

 さらにあげれば、中曽根康弘元首相はボルネオで海軍航空基地設営に加わり、民家を接収して慰安所をつくったことを認めているが、彼は「軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置」としている。
 また、産経新聞社長だった鹿内信隆は「いま明かす戦後秘史」のなかで、櫻田武元日経連会長と対話している。
 慰安所に軍部関与のあったことが、極めて常識的であったことを示すものだろう。

 鹿内「軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋(売春婦、女郎屋)が・・・・」
 櫻田「そう、慰安所の開設」
 鹿内「そうなんです。その時に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分・・・・といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』というんで、これも経理学校で教わった」

■女性問題の歴史的風土

 このように軍の慰安所があったことは否定できない。
 女性を集めるのは民間の業者。女衒(ぜげん)という言葉は古くからあり、人身売買、誘拐や騙し、金での誘いなど、さまざまな手口で貧しい農村などで人買いに走る。江戸時代以前からの商売で、その手口は長く受け継がれていた。

 筆者が、新開地として栄え、「人身輸出港」とも言われた門司港について資料を集めた際、多様な犯罪的な手口を知ったが、内地の貧しい女性や娼妓たちを巧みに誘い、売買し、誘拐し、脅し、乱暴し、金を渡したあとでまきあげ、大陸への船に乗り込ませる、といった記録がいやというほどあった。
 19世紀末から20世紀にかけて、ある探偵の話として、海外で身を売る女性の渡航先で多いのは清(中国)、沿岸の開港地で内陸部に行くものもあり、次いでシベリア、朝鮮、さらにシャム(タイ)、トルコ、ドイツ、フランス、イギリスなどに及び、アフリカはコンゴにまで渡った例もあったという。香港が拠点で、ここから釜山などを経て各地に散ったといわれる。門司新報によると、1900年の記事に「年々香港へ密航する醜業婦は五百人を下らず」とある。

 したがって、このような古くからの慣行的な習俗が軍隊に持ち込まれた、といえるし、その女性集めにいかがわしい業者があの手この手で機能したことは想像に難くない。まして、第一線の戦地に送り込むには民間業者の手には負えず、輸送や慰安所つくりなどで軍隊の支援があったことは議論の余地もない。

 戦前の当時は、女性の人権や尊厳に対する配慮はきわめて乏しく、また性に対する意識も野卑であった。だが、戦後になって状況は大きく変わり、その対応や意識は様変わりする。
 日本人としては、このような女性の扱い、軍隊の仕組みなどに恥ずかしさを覚えて、表にしたくない気持ちがあるだろう。また、「まぼろし」としてなかったことにもしたいだろう。

 だが、かつてそのような不本意な扱いを受けた女性たちは、二度とあってはならない、と立ち上がった。その自らの恥ずかしさを恐れずに声を上げたこと自体、「慰安」という名の暴力と強制の証拠、証明と考えられる。「自分でカネのために身を売ったのだ。納得のうえだ」との見方があることは承知しているが、それは過ちを認めない強弁に過ぎない。社会の進歩を受け入れない偏狭さである。

■近隣民族の「誇り」を想う

 この反省を大きく受け止めることが人間の道というものだろう。
 この慰安婦問題は、「相手の気持ち」を考えるところから始めたい。「河野談話」のいう「強制性」を攻撃し、拒絶しても、実態として否定できないものがある。証拠は文書になくても、現実の姿が物語っているではないか。

 このことは、歴史認識の修正にもつながる。
 日中戦争はなにから始まったか。農村部の貧困、人口増加のはけ口の必要、経済不況などの国内事情が、弱体化した清・中国に向けられた。そして、戦場となった中国各地で大きな被害を出さざるを得なかった。地域にもよるが、日本軍に殺害されたという家族、子孫の話を多く聞いた。政治的に日中関係の維持のために、反日感情を抑制された時期もあったが、民主化と教育の向上に伴って個々人の心に残る怨念の情がよみがえることにもなった。
 中国のテレビが連日、日本兵の暴行沙汰を描く反日ドラマを放映し、教科書による反日的教育が続くなど、その行き過ぎた影響も大きく、友好から遠い姿勢が表面化している。だが、日本側にもこれに憤って嫌中・反中の言動が高まり、政界でも外交を遠ざける傾向が生まれる。相手側にこもる怨念がまだ続いていることへの思い、戦争を仕掛けた側の詫びる思いが、相互の理解と未来志向には必要である。

 「靖国」への首相参拝に厳しく反応する中国だが、日本政府は日本人の戦争犠牲者の慰霊だという理由で国内問題化しようとする。しかし、中国、韓国などからすれば、植民地化され、戦場とされ、多くの被害を受けた、その戦争責任を問われた戦犯が、兵士と同じ扱いにして戦争の責任がなかったかのような扱いにしている、と見えている。

 韓国も同じように、法的には日韓条約で決着したとはいえ、直接的な差別を受けた民族として、許しがたい思いがまだまだ続く。形式ではなく、実際に許す気分にならない限り、あるいは日本に対して誠意を感じない限り、被害者側は納得しないだろう。相手の小指の痛みを配慮できる外交が必要だ。
 相手の立場はなんであるか、相手はどう受け止めるか、この理解が大切である。加害の側にあったという反省が政治に、外交に生きてこなければ、国民の真の友好の気持ちは育たず、どこか形式だけの和平にとどまってしまう。

 しかも、中国も、韓国も、経済的な発展によって国威を誇る状況になり、教育水準も上がり、過去を振り返って理不尽に感じることも出てきている。時代の流れで、反発の声を上げ、歴史的決着にも見直しが必要だと感じることも、あらためて受け止めなければならない。いま欠落しているのはそのあたりのことである。
 戦前の報道にしろ、民主主義時代のメディアにしろ、事実や歴史を誤って伝えてはならない。同時に、歴史を足場とする外交や政治は、その未来への道筋をゆがめてはならない。とくに「作為」による誤操作は許されない。

■政治は「歴史」をゆがめてはならない

 「吉田証言」の誤報と、長年の放置は国際的にも大きなマイナスを負わせた。その朝日新聞に対する批判には謙虚に受け止めて、その報道内容に信頼を置かれるような改革の道を進まなければなるまい。

 しかし、ゆがめた批判にはきちんと反論しなければならない。
 <慰安所に軍隊の関与はあった> <慰安婦に環境としての強制性が働いた> という事実のもとで、「吉田証言」が「河野談話」や、日韓首脳会談に影響したか、あるいは国連の「クマラワスミ報告」への引用が報告全体を誤りとする理由になるか・・・・このような点は、関係した当事者はいずれも影響されていない、との反応を明らかにしている。

 さらに、韓国の人々が大使館前やアメリカの各地で慰安婦像を立てている責任も、この誤報が原因だ、という。行き過ぎた対応で、抑制が効かないものだろうか、と思う。しかし、戦争後遺症や植民地下の屈辱、国民意識の向上といった民族感情も無視はできず、問題を矮小化すべきでもない。

 むしろこの関係を突くことで、「軍の慰安所関与」「慰安婦への強制」はなかった、「慰安婦像は朝日のまいた種」といった印象を残して歴史の修正に寄与させようとしている感がある。「誤報の活用」の動きである。
 安倍晋三首相は国会答弁で、朝日新聞の誤報について「『日本が国ぐるみで性奴隷にした』といういわれなき中傷が世界で行われている。誤報でそういう状況が生み出されたのも事実だ」と答えた。一面で、その主張を受け入れる反省が必要である。

 しかし、日本軍の関与は「吉田証言」がなくても存在した事実であり、当時の軍部上位の政情からすれば「国ぐるみ」の感はあったし、「性奴隷」は言葉の問題ではなく、女性の置かれた当時の実態、また活用した兵士らの証言からすればそうした事実を認めざるをえないのだ。

 朝日の誤報批判は安倍氏として当然としても、これによって歴史を修正、矮小化したがらないほうがいい。
 一国の宰相であるならば、国際世論の大勢は、女性の人権という点からだけ見ても、軍の関与した慰安婦の存在自体をいかがわしく、批判的に感じているのだ、ということをわきまえなければならない。
 おのれの誇りを語るときは、相手の誇りにも頭を使うことが、国際的な平和を保つうえで最も基本になるべきことに気付かなければならない。少なくとも、国家の命運に影響をもたらすような立場の者にとっては、最低限の基本でなければならない。

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<基本・原則に戻ろう>
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■原発問題は基本に戻るチャンス

 福島原発の「吉田調書」報道もまた、大きな反省のタネである。
 ただこの誤報によって、全体のシュリンクを招いてはならない。
 むしろ、国民の間にある原発再稼働への心配を考え、再稼働するとしても単に「安全」の抽象的説得をやめ、核廃棄物の終末処理までのプロセスを明確にするなど、基本に戻っての論議を進めるべきだろう。

 化石燃料の輸入に依存し続ければ電気料金の増大する、原発なしではさらに国民の負担は増える、そして「安全」な原発の効率性を失っていいのか・・・そのような説明だけでは納得できないから、原発への不安が消えないことをもとにした論議が、もう一度あったほうがいい。「安全神話」の次を「コスト論」でかわそうという手法は正しくない。再稼働に踏み切るには、トータルの「安全」を示したうえでなければなるまい。
 多くの現場責任者や内閣、行政、東電、研究者など多くの人々から得た証言を、改めて謙虚に、公正に見直し、修正、強化、新たな試みなどの基本に戻った対応策が必要だろう。

■新聞報道の再出発

 朝日誤報は「日本人の誇りを傷つけた」「国辱」などの批判を受ける。そうした見方は当然あるだろう。
 ただ、相手の立場を考えることと、根底には戦争の非が横たわっていることは忘れてほしくない。偏狭な国粋的な誇りは、相手も偏狭にする。対立は対立を呼び、嫌悪感が双方に生まれる。だからこそ、誤報を生むような取材、報道の体質は早急に改めなければならない。この点は、朝日誤報の批判を加える立場のメディアとしてもわきまえるべき原則だろう。
 報道が、偏狭や誤りに落ち込むなら、国民一般に情報を提供する資格はない。ヘイトスピーチが言論の自由の名のもとに継続されるなど、言論の自由は都合よく解釈される。外部からの規制による言論の自由の制限、抑制を回避して、本来の言論の自由を確保するには言論人自身の自覚、信頼に値する取材と報道が維持されなければならない。朝日新聞をはじめ言論界に、厳しい反省と再生を求める理由はまさにそこにあると考えている。

 朝日新聞が再生するうえで必要なことはいろいろあるが、なによりも自ら「言論の自由」の重みを感じなければならない。軽んじつつ、短視的に報道に携わるところに誤報や作為性が生まれる。
 新聞記者になりたい者の採用の際、資質や意欲を確認する精度を高め、その現場での厳しい訓練と育成策を図ることがまず重要だろう。そうした経験が十分あれば、デスクなどのチェック機能も発揮されよう。また、企業内の組織は活発な論議のできる、つまり多様な見方を共有したり、ベターな選択を可能にしたりできる気風を育てなければなるまい。

 幹部は、新聞社が綱渡りの経営環境とはいえ、「普通の企業化」「収益最優先」の方向を求めて、報道に対する信頼を二の次に考えてはならない。新聞社の足場は企業による広告と、多くの読者の購読料にある。だがその根底には、長期にわたる一つひとつの記事への信頼がある。まさに編集に取り組む姿勢を厳しく保ち、また公正に取り組む環境を作り、維持することが、社長はじめ幹部の責務である。

 報道は、結論を伝えるよりも、プロセスにわたる事柄が多く、いきおい誤報は出て来る。記者はすべてに通じておらず、その点でもしっかり聞き取り、調べる能力が求められるが、やはりミスも出てくる。そこに記者訓練の大切さがある。取材力ある記者、判断の自立した記者、疑いの選択肢を持つ記者、バランスの取れた記者、チェックできる記者・・・そのようなプロを育てたい。

 誤は誤。非は非。解明すべきは解明する。事実を極め続ける。権力や非道には距離を置く。そのような作業のできる個々の新聞記者の集団であって欲しい。謝罪と反論は別である。

 (筆者は元朝日新聞政治部長)


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