~エジプトの将来を決する二大勢力~

■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 

  ~エジプトの将来を決する二大勢力~
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  チュニジアに端を発する民衆革命の波は、中東の大国エジプトで増幅され、中
東・北アフリカ一帯を巻き込んで広がった。そのエジプトでは、30年に亙って強
権をふるったムバラク大統領の退陣後、軍最高評議会主導による新体制づくりが
すすんでいる。
 
  「民衆革命の勝利」「インターネットが新たな歴史を開いた」と欧米や日本の
政府、メディアは謳い上げたが、今後の展開には幾多の難問、課題が予想され
る。 さまざまな要因があるが、ここでは決定的な影響力をもつであろうムスリ
ム同胞団と軍の動向に注目しておきたい。


◇◇頼りになるのは同胞団


  チュニジア同様、エジプトでも反政府デモをはじめたのはネットでつながる若
者たちであったが、それが途中から広範な階層の民衆を巻き込んだ大きなうねり
になったのは、ほかならぬムスリム同胞団の参加によってであった。
  ムスリム同胞団は、選挙による政治参加をとおしてイスラムに基づく社会変革
をめざす穏健路線をとるが、その力を恐れるムバラク政権によって長らく非合法
化されてきた。

 したがって、その影響力を数字で測るのは難しいが、米国の圧力で比較的自由
に行われた2005年の総選挙では、非合法組織ゆえに無所属を名乗った同胞団系議
員が定数の約2割にあたる88議席を獲得した。しかし次の10年の選挙では、官憲
の徹底的な弾圧と妨害からボイコットに転じ、全議席を失っている。
  いずれにせよ、独裁的な強権政治下で野党が育たなかったこの国で、政権与党
に対抗できる唯一の政治勢力とされてきた。

 ムスリム同胞団が民衆に支持される背景は、特定の宗教者に指導されるのでは
なく、多様な職業人が「イスラムこそ解決策」をスローガンにボランティアでか
かわる社会福祉活動にある。診療所や識字教室を運営するだけでなく、医師組
合、技師組合、薬剤師組合などさまざまな職能組合や大学自治会に影響力を及ぼ
し貧困家庭の援助や災害時の救援に大きな力を発揮している。
 
  「頼りになるのは政府でなく同胞団」といわれるこの広範な社会活動を支える
資金は、イスラムの相互扶助精神に基づく住民の寄付である。寄付者の中には著
名な大実業家も数多くいる。これらの実業家たちが「非合法活動への資金提供」
のかどで軒並み逮捕され資産を凍結されることもムバラク政権時代にはしばしば
であった。
  だが、ムスリム同胞団は、穏健なボランティア活動ばかりの組織ではない。


◇◇同胞団が歩んだ茨の道


  ムスリム同胞団は1928年にエジプトで創設された、中東で最初の、イスラム復
興をめざす大規模な大衆社会政治運動団体である。「イスラム復興」といって
も、メンバーが揃って背広にネクタイ姿で象徴されるように、西洋近代文明の所
産を否定するのでなく、それと調和させながら個人の内面や社会生活でイスラム
が教える共同性・同胞性・平等性などを実践していこうというものであった。
 
  しかし、当時のエジプトは傀儡の王制を装った英国の軍事占領下にあり、運動
は否応なく反英闘争ともなって、一部に武力闘争も包含し、幾多のテロも行われ
た。
 
  同胞団の主導のもと大衆の大規模な反英・反王制運動が盛り上がるなか、1952
年、ナセル中佐率いる自由将校団がクーデターを敢行し、真の独立を達成する。
  政権を握って大統領に就いたナセルは、しかし、アラブ民族主義と社会主義へ
の傾斜からムスリム同胞団を脅威と感じ、しかも同胞団によるナセル暗殺陰謀が
発覚するに及んで、この組織を非合法化し壊滅寸前まで弾圧した。
 
  67年の第三次中東戦争でエジプトはイスラエルに大敗してシナイ半島を奪わ
れ、ナセルとアラブ民族主義の権威は失墜する。 ナセルの跡を継いだサダト大
統領は、同胞団を非合法から解くが、アラブの大義に背いてイスラエルと平和条
約を結び米国に接近する。復活した同胞団は非暴力を宣言したが、その内部にテ
ロを容認する過激派「ジハード団」などが台頭し、サダトのイスラエル容認をイ
スラムからの逸脱と怒って、81年、サダトを暗殺した。それ以来、再び、ムスリ
ム同胞団は非合法化され、厳しい弾圧にさらされつづけてきたのである。

 同胞団の性格を象徴的に示すエピソードをひとつ紹介したい。じつはサダトも
自由将校団の一員であると同時に同胞団のメンバーであった。第二次世界大戦中
には、エルアラメインのナチス・ドイツ軍に呼応して反英テロを行い、投獄され
ている。そのサダトが、のちに同じムスリム同胞団の過激派に暗殺されるのは歴
史の皮肉である。
  このように、ムスリム同胞団が辿ってきた道は複雑で、その過程でさまざまな
思想や路線・派閥を生みだしてきた。「国際テロ組織」アルカイダのナンバー2、
アイマン・ザワヒリや、ガザを実効支配する「強硬派」ハマスの創始者、故ア
フマド・ヤシンも、もとはエジプトのムスリム同胞団のメンバーであった。
  そのハマスをはじめ、ヨルダンのムスリム同胞団とイスラム行動戦線、シリア
のムスリム同胞団、クウェートの立憲イスラム運動、アルジェリアの平和のため
の社会運動、イラクのイスラム党などはエジプトの同胞団と国際ネットワークを
形成している。
  いわばエジプトのムスリム同胞団は、中東における多様なイスラム運動の母体
ともいえる存在なのである。
  この容易ならぬ潜在力をもつムスリム同胞団がいよいよエジプト政治の表舞台
に登場してくるのか。同胞団はイスラエルとの平和条約を認めず、反米志向をも
ち、究極的にはイスラム法の導入を目標にする。


◇◇イスラム勢力への抑止力、軍


  このような政治勢力の伸長を警戒するのはいうまでもなくイスラエルと、米国
主導の国際社会である。ムバラク政権は歴代の米政権のよきパートナーとして、
イスラエルとパレスチナの和平を積極的に仲介し、国際的なテロ対策やイランの
核開発問題でも米国に協力してきた。こうした親米・親イスラエル路線をどう維
持させるのか。

 そこで、ムスリム同胞団などイスラム勢力を抑える力として期待されるのが軍
である。米国はこれまで、毎年、エジプトの全軍事予算の三分の一にもあたる13
億ドルの軍事援助を注いできた。
  だから、ムバラク政権が民衆の大規模デモの前に立ち往生すると、米国はいち
はやくゲーツ国防長官やマレン統合参謀本部議長などにエジプト軍部の首脳と連
絡をとらせ、軍主導によるムバラク追放と新体制移行のプロセスを設定すること
ができたのであった。

 日本のマスメディアは軍にたいする国民の厚い信頼感を強調する。軍は内務省
の治安部隊と異なり自国民に銃を向けたことはなく、また、度重なる中東紛争の
経験から軍に誇りや頼もしさを感じているというのである。
  だが、エジプトで軍は、軍需産業だけでなく、傘下に航空産業や旅行業、不動
産業、警備会社から食料品や衣料品の製造業まで抱え、退役・予備役軍人や現役
軍人の家族がそれら主要産業の上層部を占める、巨大な利益集団である。
  軍の既得権益にあずかる特権層が自分たちの支配と利益を温存するため、お荷
物となったムバラクを切ったのがこのたびの政変の一場面ということもできよう。
  また、エジプトではこれまで、軍出身の人物がクーデターなどで握った権力を
手放さず強権的な独裁体制を敷いてきた。ナセルしかり、サダトしかり、ムバラ
クしかりである。そしてサダト以降は親米・親イスラエル路線ゆえに欧米諸国が
積極的にこれを支え、ムスリム同胞団など反政府勢力への過酷な弾圧を黙認して
きた、その歴史も忘れてはなるまい。


◇◇二大勢力の消長が将来を決める


  今後の新体制移行の過程にはさまざまな紆余曲折があり、複雑な展開があろう。
だが、その全過程を貫く通奏低音はこの二大勢力、ムスリム同胞団と軍が織り
なす葛藤である。
  新体制移行といってもそれは単に民主主義や言論の自由、人権の問題ではない。
民衆のデモでも、真の主題は、貧困であり、失業であり、新自由主義の進展で
拡大する貧富の格差であった。これらは誰が政権を担っても簡単に解決する問題
ではない。コネや賄賂なしには就職もできない社会の腐敗構造も一朝一夕には解
消しまい。

 このたびのエジプトの革命を覆った急激な昂揚にある種の「祝祭性」を見るむ
きもある。とりわけ、ネットで「革命」を立ち上げた若者たちにはイデオロギー
の背景がなく、権力への志向もそのための戦略ももちあわせてはいない。だが、
はじまってしまった祭りは、「祭りが終わったら家に帰る」ではすまない状況を
うむ。
  しかも、その祭りのあとに荒涼とした日々がつづくこともすでに知られている。
たとえば25年前のフィリピンの「ピープルパワー革命」である。独裁者マルコ
スは追い落としたが、あとにつづいたのは、相次ぐクーデターの企て、進まぬ社
会改革、歴代政権の腐敗と一層の貧富の格差の拡大、そして民衆の諦めであった。
  イスラムの「ウンマ(共同体)の平等性・同胞性」を謳うムスリム同胞団はど
のような未来を描けるのだろうか。
  同胞団と軍の関係の落としどころについては、良し悪しは別として、もともと
イスラム主義であった与党政権と世俗主義の守護者を任じる軍が微妙な緊張・均
衡を保っている「トルコ型」を想定することもできよう。だがそれもまだ先のこ
と。それまでには一波乱も二波乱もありそうな今後のエジプト情勢である。

              (筆者は社会環境学会会長)

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