■ 海外論潮短評(38)            初岡 昌一郎 

~ソーシャル・イノベーション - そのアイデアに集まる注目~

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 アメリカやイギリスを初めとする欧米諸国政府は、社会的に最も解決困難な幾
つかの問題を"社会的企業"とのパートナーシップで解決できると期待している。
イギリスの高級週刊誌『エコノミスト』8月14日号が、ソーシャル・イノベー
ションに関する、アメリカとイギリスの事例を特別記事で取り上げている。日本
でも関心が高まっている社会的企業と政府の協力関係について、この記事を基に
紹介する。


◆社会問題解決への新アプローチ


  7月22日、オバマ政権は新設のソーシャル・イノベーション基金(SIF)
に11件の投資を振り込んだ。慈善団体基金からの7,400万ドルに対応して
出される5,000万ドルの公的資金は、ヘルスケアの仕事を拡大することで雇
用を創出し、若年者を支援するために用いられる。SIF会計は連邦予算の中で
は大海の一滴に過ぎないが、このファンドは政権が政府全体で推し進めようとす
る新アプローチを具現している。

 オバマは、就任直後に社会革新市民参加局(OSIPC)をホワイトハウスに
創設した。政府、民間資本、社会企業、市民のパートナーシップを推進するため
に、この機関が実行する幾つかの企画の一つがSIFである。その他の計画とし
ては、教育省におかれるイノベーション投資基金や、社会問題解決のための革新
的提案への賞金などがある。

 イギリスでは、キャメロン首相が"大きな社会"ビジョンを最近発表した。彼も
オバマ張りのパートナーシップを構想している。彼は"ビッグ・ソサエティ・バ
ンク"を通じて、社会企業、社会活動団体、ボランティア・グループへの財政支
援を考えているが、これはSIFのイギリス版である。

 キャメロンは、慈善団体、社会企業、民間資本に公務サービスを解放する必要
の緊急性を強調している。これによって、より革新的に国民の多様なニーズに応
え、活力のある社会を創造することが出来るという。


◆社会的革新(ソーシャル・イノベーション)という新しい合言葉


  ソーシャル・イノベーションが、官民の新しいパートナーシップにとって共通
の合言葉となった。これは、この20年来行なわれてきたコスト削減策である、
公務サービスの民間会社やNPOへの外部委託や下請化とは異なる。これはコス
ト削減を意図しないわけではないが、それ以上の目的は民間部門、特に社会的企
業の創意を公共サービスに生かすことにある。

 社会的企業とは、一口で言えば、社会問題に革新的な回答を見つけようとする
ものである。その例として、貧困の解決がある。10年前には、社会的企業とい
う言葉はほとんど知られていなかったが、今日では、欧州からアフリカに至る先
進諸国でこれに広く期待が寄せられている。社会的企業に関する諸会議は、有名
ビジネススクールの学生を始めとする、多くの出席者で盛況を見せている。

 社会的企業の背後にあるアイデアは、公共サービス・プラス・社会活動団体に
よる"ソーシャル・セクター"によって、新鮮かつビジネスライクな構想で奇跡的
な業績向上をもたらすことである。既にかなり多くの社会的企業が目覚しい成果
を上げている。

 最も良く知られているのは、バングラデシュの「グラーミン・バンク」という
マイクロ・ファイナンスの創始者で、ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス
である。もう一つの傑出した例は、「ティーチ・アメリカ」の創設者、ウエンデ
ィ・コップである。これはアメリカで最も遅れた問題学校に有力大学卒業生を何
万人も送り込んでいる。

 しかし、これ迄のところ成果よりも言葉が先行している。問題は優れたアイデ
アが不足しているのではない。社会企業家を自称する多くは、これまでと変わり
ない社会活動家や慈善活動家である。

 絶望視されていた社会問題を改善したプロジェクトとして犯罪者の社会復帰を
助け、再犯率を引き下げたものや、アメリカの都市スラムの子どもたちが大学に
すすむのを助けるものが成功例として注目されている。


◆政治家も社会的イノベーションに注目


  成功したイノベーションは伝播するとしても、ゆっくりとしか広がらない。企
業家精神に富むビジネスは急速に成長する事がありうる。だが、社会的企業でマ
イクロソフトやグーグルに匹敵するものはまだ生まれていない。公的助成で社会
的企業家たちの優れたアイデアが速く、また広範に拡がることを政策決定者は期
待している。

 政府財政が急激に悪化している事が政治家たちの社会的企業への関心を高めて
きた。今日の公共サービスを維持する事でさえ、税金だけではもはや不可能だと
思われる。より少ない金で同じもの、もしくはそれ以上のサービス提供を約束す
る、新鮮な構想は歓迎される。

 注目されているニューヨーク市の場合、プロジェクトはコンペによって選抜さ
れる。そのメリットは、リスクを嫌う市の官僚たちも認めている。彼らも、貧困
層が予防注射を受け、その子女が試験にパスするのを現金給付で助成するという、
批判の多い実験を支持してきた。「ニューヨーク市改善市長基金」は、SIF
奨励金受賞第一号となった。他の7都市もそれを真似た貧困救済プログラムで5
70万ドルのSIF資金を得ている。

 イノベーションが役立つ事をどのようにして評価するかという問題がある。企
業にとっての利益のような、単純明快な尺度はソーシャルセクターにはない。た
とえば、コミュニティ・センターへの訪問者数の測定は容易ではあっても、効果
を物語るものではない。公的支出の社会的効果を測定するよい方法を見出すため
に、OSICPは連邦予算管理局と協力して作業している。


◆行政の積極的取り組みと公的資金の投入


  民間資本の調達が活性化を図るもう一つの方法である。この7月にSIFが配
分した資金の半分以上が民間社会貢献団体から拠出されたものである。これは重
要な信任度を示している。同様な理由から、アイデアの有望度を測る上でSIF
は関連団体に依拠している。これらの団体は政治的圧力に屈する度合いが低く、
社会的企業を選抜する場合のリスク回避に役立つ。

 NPOに投資するファンドが生まれており、キャメロン英首相はその"ビッグ
・ソサエティ"構想でこのような媒介的機関を頼りにしている。その中で中心的
役割を果たすのが公的資金による「ビッグ・ソサエティ・バンク」である。社会
的企業とイノベーションを推進するのに公的資金を投入する点では、イギリスが
アメリカに先行している。アメリカでもこの先鞭に従い、「Bコープ」のような
営利企業とNPOのハイブリッドが生まれている。

 イギリスでは数年前のトニー・ブレア政権当時、NPOと協力する政府部局が
創設されていた。この「第三セクター庁」は、社会的企業からアイデアを吸い上
げるというよりも、社会・慈善団体の声を行政に反映させることに重点を置いて
いた。キャメロン首相はこれを「市民社会庁」と改称し、旧態からの決別をはか
っている。

 2000年にブレア首相は「社会的投資タスクフォース」を設置し、社会イノ
ベーション・ファンドを実験しようとした。しかし、労働党政権は政策を打ち出
したが、実行しなかったと批判されている。保守連立政権下の新ソーシャル・バ
ンクも何をするのかはまだ具体化していないが、キャメロン首相は"ビッグ・ソ
サエティ・バンク"の創設に2億5000万(約30億円強)ポンドの拠出を約
束した。

 アメリカでもOSICPが、社会的イノベーションを奨励するために賞金制度
を活用しようとしている。オバマ政権が推進している法改正が各省ごとに同様な
取り組みを可能にするだろう。OSICPはまた、行政の公開とボランティアの
活用という、効果以上の価値があると見られる方法を通じて、社会的革新を刺激
しようとしている。オバマ政権は、これまで封印されていたデータと情報をどし
どし公開している。


◆求む、市民企業家


  OSICPは向う5年間で社会イノベーション・ファンドの有効性を立証する
積もりだし、キャメロン連立政権も劣らず意欲的だ。

 アメリカとイギリスの両国でも最大の障害は、規則に縛られた公共部門と官僚
である。イノベーションのアイデアが多く出されても、法律や規則の壁に突き当
たる。旧型予算から資金をシフトするのも容易ではない。SIFが僅か5000
万ドルで発足せざるを得なかったのもその所為である。オバマ政権と結びつきの
強いシンクタンクは、少なくとも予算の1%を注入すべきと主張している。

 社会的イノベーションの成功は、官僚の規制を掻い潜って仕事を進める事の出
来る、有能な社会的企業家集団の登場にかかっている。意欲ある人はすぐに政府
の新事業に応募すべきだ。


◆◆コメント◆◆


  これまで社会的企業というと、協同組合や第三世界ショップなど公的部門と民
間部門の中間に存在する非営利企業が想定されるのが普通であった。しかし、欧
米で今新しい波となっているのは、官民のパートナーシップによる「新しい公共」
である。

 その契機は、政府財政の悪化による公共サービスの低下を民間企業や社会団体
の力を導入する事で防ぎ、公共業務の効率性を改善しようとするところにある。
これまでは、民営化や外部委託によるコスト削減が主眼であったが、これはサー
ビスの劣化や利用者負担の増加を招き、各国で不評を買い、政権批判の主要因の
一つになってきた。新アプローチは、コスト削減もさることながら、質的に向上
したサービスを持続的に維持するアイデアとその起業化に重点が置かれている。

 社会イノベーションというアイデアは、技術革新が工業の生産性を飛躍的に向
上させた事を念頭に置き、公共サービスに企業性と非営利的社会団体のボランタ
リズムの新しいエネルギーを注入することによる活性化を狙っている。
  注目すべきアプローチではあるが、その捉え方と実験は玉石混淆の感があり、
全てを頭から肯定すべきものではなかろう。しかし、このようなアプローチから
日本でも生かせる重要なヒントが得られるだろう。

民主党政権が鳩山時代に"新しい公共"を提唱したが、これは欧米のこのような
動きを反映したものであった。しかし、政策的にその後具体化されることなく、
線香花火に終わったように見える。欧米における動きを注視しながら、日本的な
実情に合う社会的イノベーションを追及すべき時が到来している。

             (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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