■ 日米軍事同盟、もう一つの視点

~パワー・シフトの時代の同盟~    石郷岡 建

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◇◇初めに


  普天間基地の移転を巡る問題は、政権交代で出現した民主党・鳩山政権の最大
外交問題といわれ、大きな議論が沸き起こっている。なかには、「日米同盟の危
機」と大きく騒ぎ、「国家存亡の危機」かのように喧伝する人たちもいる。しか
し、普天間問題は、それほど大きな問題なのだろうか? 日米同盟は、それほど
大きな危機に瀕しているのだろうか? 視点を、少し広げて大きく見ると、今、
世界では、同じような問題が各地で起きている。

 何も、鳩山政権下の日本国内政治だけの問題ではない。あるいは、日米間とい
う狭い範囲の問題ではない。背景には数百年以上にわたり続いた西欧の支配の時
代、あるいは、ここ三百年にわたり続いたアングロ・サクソン支配の時代が終わ
るかもしれないという大きな歴史的な可能性が突きつけられている。中国、イン
ドなどを初めとするアジアの時代、もしくは「東の勃興」、もしくは「アジアの
再生」は現実性を持って迫ってきており、激しい歴史の動きの流れが押し寄せて
くる可能性は否定でき得ない。

 普天間基地や日米同盟の危機論は、これらの歴史の流れの中でとらえて、考え
るべきであり、鳩山首相や小沢幹事長が、その権力の座を去ろうと、また、民主
党政権が再び下野することがあっても、普天間で露出した問題の設定状況は変わ
らない可能性が強い。そして、そのことは、日本のみならず、米国側にも、強い
認識があるはずで、細かい条約取り決め論で解決する話ではない。世界は未曾有
の変化を前にして、刻々と前へと突き進んでいる。普天間どころではない問題が
待ち構えているのである。


◇◇日米同盟の危機


  今年初め、日本の岡田外相と米国のクリントン国務長官がハワイのホノルルで
会談した。昨年末から今年初めにかけ、普天間移設問題は紛糾し、日米同盟は危
機的状況といわれているなかでの会談だった。今後、両国関係がより緊張するの
か、関係改善に向かうのか、緊張がピークに達した会談になるかと思われた。に
もかかわらず、何ら新しい解決策もないまま会談は終わった。双方は「日米同盟
関係はゆるぎない」との理解で合意したとされ、お互いに握手して、会談はギク
シャクしながらも、無事終わったとされる。

 何か激論があったのではないか、秘密の合意があったのではないか。いくらで
も詮索できるが、問題はそこにあるのではない。結局、何ら具体的な成果が発表
されない会談であったにもかかわらず、日米関係に劇的なことは起こらず、会談
前と同様に何も変わらない状況が続いているということに問題の本質がある。

 もう少し正確に言えば、「日米同盟は危機にある」と主張していた人の声が少
し小さくなり、さらに、米国側から「日米関係が危機にあるとは思われない」と
の修整発言やリークが増えたことぐらいの変化はあった。しかし、普天間基地問
題を取り巻く況は何も変わらず、また、日米同盟も危機であるかどうか不明なま
ま、以前と同様な何もなかったかのような状態が続いている。
  逆にいえば、普天間も日米同盟も、簡単には変えることができない状況にあり、
少しのことでは変わらないともいえる。
 
  しかし、この日米ホノルル会談を、ロシアのマスコミは、どう伝えたか?次の
通りである。
  「岡田外相とクリントン国務長官は日米軍事同盟がゆるぎないものとして残る
と確認した。しかしながら、沖縄での米国軍部隊駐留についての意見の不一致は
残ったままとなった。

<中略>
  この沖縄を巡る話し合いは、クリントン米国務長官のアジア・太平洋地域の各
リーダーとの連続会談の第一弾になるはずであった。クリントン米国務長官にと
っては、この一年で四回目の東アジア訪問で、この地域での米国の地位弱体化を
絶対に許さないことを誇示するための訪問であった。クリントン国務長官は、訪
問に先立ち、米国は単にアジアに戻るだけでなく、そこに落ち着くために戻ると
語っていた。<中略>
 
  ワシントンは、同盟国のいくつかが、中国の経済的達成に惑わされて、米国よ
り中国の方へと視線を向け始めたことに懸念をしている。その揺れ始めた国々の
リストに、突然、日本も載ったのである。最近の選挙で勝利した鳩山首相をトッ
プに掲げる民主党政権は米国からの大きな独立を呼びかけた。そして、この民主
党の呼びかけは50年間にわたって、日本の政権の座にあった自由民主党を粉砕し
たのである。
 
  クリントン米国務長官は、米国の軍事力こそが同盟国の安全保障の要であると、
パートナーの各相手国に思い起こさせ、米国の影響力の崩壊を食い止める意図
を持っていた。しかし、これを実現する訪問とはならなかった。ハイチの大地震
で、その対策に追われ、歴訪の途中で米国に戻らざるを得なかったのである」(
「日本とロシアは同盟国でとどまることに合意した」『独立新聞』10年1月15日
付)
 
  このロシアの新聞論調が正しいかどうかは、さておいて、第三者からみると、
日米関係もいまひとつ違った姿に見えてくるとだけはいえる。旧ソ連時代と違っ
て、現在のロシアは日米関係を、一歩身を引いて、クールに見ている。そして、
重点は日本の困難さよりも、米国の置かれた厳しい状況、つまり、大国としての
地位が崩れつつあるアメリカを重点にニュースを伝えている。さらに、記事に書
かれてあるように、この米国にとって厳しい状況は、日本からだけではなく、各
地から起きており、「あの(親米的だった)日本でさえも、米国離れを見せ始め
ている」と書いてみせたのである。


◇◇トルコの変容


  もうひとつの記事を紹介したい。日本と、丁度ユーラシア大陸はさんで反対側
のトルコの話である。
  「米国と欧州がイスラエル・パレスチナやアフガニスタン、イランなどの問題
解決の道を探しあぐねている間に、この地域を考える上で、欧米が戦略的拠点と
見なしている国々が劇的に動き始めている。

 最も重要なのがトルコで、これまで着ていた、緊密な米国との同盟関係のしる
しの拘束衣を、最終的に投げ捨て、事実上、欧州同盟への参加への関心を捨て、
旧オスマン帝国時代の隣人のアジアや中東へと焦点を向け始めた。

 このトルコの動きは西側へ肘鉄を食わせたものではない。しかし、米国や欧州
同盟の政策への増大する不満や不快を反映したものではある。<中略>

 もし、トルコがこの道を成功裏に歩いていくのならば、ソ連崩壊のおかげで、
この地域の傑出したパワーとして台頭しつつあるイラン、米国の侵略によりスン
ニ派支配が崩壊したイラクとともに、この地域のパワー・バランスの変化に大き
な意味を持たせることになる。

 また、ここ数ヶ月、トルコとイラク、イラン、シリアなどの間で、新しい合意
が結ばれたことは、政治的な考え方の共通性を持つ初期発生的状況が生まれてい
ることを示唆する。さらに、(歴史的対立関係にあった)トルコとアルメニアの
間で結ばれた新協定は、トルコが近隣諸国との間で、これまでの政策を一大転換
し、近隣との間では『問題ゼロ』という立場から見るとの政策への転換を真剣に
考えていることを示している」(「トルコの代わりつつある外交」『ヘラルド・
トリビューン』09年11月28日付)

 日本とトルコの置かれた地位は違うし、抱える問題も違う。しかし、このふた
つの記事の行間から立ち上がってくるのは、同じ問題、同じ状況に思えてならな
い。
  日本は戦後、米ソ対立の東側の拠点として、ソ連を中心とした社会主義陣営に
対峙してきた。そして、その軍事的中核をなしたのが、沖縄を中心とした在日米
軍である。トルコもまた、戦後一貫して、黒海を挟んでソ連と対峙し、北大西洋
条約機構の米軍前進基地の役割を果たし続けてきた。

 この二つの国が劇的に変わろうとしている。もっとも、トルコ情勢は、日本で
はあまり関心が持たれておらず、静かに、劇的に変わりつつあるというべきかも
しれない。ともかく宿敵のアルメニアとの関係改善に歩みだしたのは歴史的な事
件といっても過言でない。今後どうなるのか不明な部分も多いが、欧米から一歩
距離を持ち、アジア・中東の関係を拡大する道を模索するトルコの姿は印象的で
あり、思索の材料にもなる。

 トルコと同じように、日本も冷戦期の役割から抜け出て、米国との距離を置く
位置へと模索を開始し、近隣の北東アジアや東南アジアなど、東アジア共同体諸
国との関係構築を思い描き始めている。「ゼロからの出発」といってもいいかも
しれない。二つの話は、単なる偶然とは思えない。


◇◇ウクライナの民主革命の終焉


  もうひとつ紹介したい。大統領選挙があったばかりのウクライナである。
  ウクライナの話を書く前に、「オレンジ民主革命」ともてはやされた4年前の
ウクライナと、その背後にあった米国戦略を説明したい。

 当時、ブッシュ政権は二期目を迎え、「テロとの戦争」の掛け声で始めたイラ
ク戦争がうまくいかず、しかも、戦争を始めた際の理由だった「イラクはテロ組
織と関係している」「イラクは大量破壊兵器を所持している」などの主張が崩れ
始め、窮地に陥っていた。
  そのために、二期目に入ったブッシュ政権はパウエル長官に代わり、ライス長
官を登場させ、新たな戦略の練り直しをする。そして、打ち出されたのが「自由
と民主主義の拡大」という政策だった。

 つまり、米国が信奉して止まない「自由と民主主義」を世界に拡大するとの戦
略で、イラク戦争も、「テロとの戦争」というよりは、本当の狙いは「自由と民
主主義の拡大」だったと言いぬけようとしたのである。

 この「自由と民主主義」の拡大戦略の当初の目標は、イラクを中心とするアラ
ブ中東諸国の権威主義政権やイスラム体制で、イラクのほかにイラン、さらにシ
リア、パレスチナ、エジプトなどが対象にあがっていた。特に、米国が指定する
国際イスラム・テロ組織やそれを支援する国には厳しい態度であたり、民主選挙
による政権転換が目標に掲げられた。

 アラブ中東地域に米国が指導する「自由と民主主義」が広まれば、イスラム・
テロは収まり、親米の民主主義政権が各地に誕生するという話だった。しかし、
実際には、そのようなことは起きず、逆に、民主選挙が実施されると、各地でイ
スラム原理主義勢力が伸びるという結果になった。

 そんななかで、ブッシュ政権にとっては、好都合の話が旧ソ連社会主義陣営圏
で起きた。ウクライナの「オレンジ革命」、グルジアの「バラ革命」、キルギズ
の「チューリップ革命」などと呼ばれた一連の政権交代劇である。当時は、親西
欧主義勢力が権威主義的な反民主主義・親ロシア政権を倒して、民主的政治を樹
立したと説明された。ロシア支配の権威主義体制からの解放という話でもある。

 この一連の"革命"は、ブッシュ政権の「自由と民主主義の拡大戦略」の目標と、
表面上はぴたりと一致した。ブッシュ政権は、これらの「民主革命」を支持し、
最大の支援を与え、米政府の「自由と民主主義の拡大」の成功例としてもてはや
すことになる。
  全世界で民主主義の重要さが語られることにもなった。「民主革命」と呼ばれ
る一連の事件に対しては、実は、評価はさまざまで、識者によって意見は異なる。
果たして、「革命」だったのだろうかという疑問も出されている。しかし、こ
こでは深くは立ち入らない。

 しかし、その民主革命から数年後の今、どうなったのか?
  今年2月に終わったウクライナ大統領選挙で、同国東部を地盤とする親ロシア
派のヤヌコーヴィッチ氏(「地域党」)は中・西部を地盤とする親西欧派のティ
モシェンコ氏(「ティモシェンコ連合」)をわずかな差ながら破り、勝利を獲得
し、4年前の雪辱を遂げた。簡単に言えば、「オレンジ民主革命」と呼ばれた政
治劇はひっくり返ったのである。

 一体、何が起きたのか? ウクライナの専門家は次のように書いている。
  「(今回の選挙では)75%以上の有権者が第一回投票で、モスクワとの戦争
で振り上げた斧をしまうべきだと主張した候補者たちに票を投じた。<中略>

 旧ソ連地域で過去行われた選挙の中でも、もっとも誠実で自由な選挙のひとつ
が実施された結果は、ウクライナの有権者はその現実主義と賢明さで、世界を驚
かせたといえる。一人当たりの国民所得がカザフスタンの半分しかないウクライ
ナが、(ロシアという)強大な貿易相手国に、しかも経済発展の成功のカギを握
る相手に、さらに核大国である国を(敵に回して、欧米とともに、ロシア孤立を
目指した)包囲網に参加する意味があるのか? もし、カナダが米国に対して同
様な態度をとったらどうなるのか? 米国の反応を考えただけで分かるはずだ。
<中略>

 ヤヌコーヴィッチ氏の勝利は、米政権のバルカン、カフカス、中東地域での思
慮の欠いた政策の結果としてあらわれた失敗の連続、持続する地球規模のはっき
りしない現状を背景にして起きた。「オレンジ革命」も、「バラ革命」も(米国
が)予定したようには動かなかった。それどころか、セルビア(旧ユーゴ)の分
解はまっすぐにグルジアの分解を招いた。ワシントンは自らの色で世界を塗り替
えるという試みの意味と合目的性を真剣に考えるべきである」(サルビア・アメ
リカ研究所所長「何が期待されるか? 何がウクライナに必要なのか?」)

 ウクライナの場合は、米国との同盟関係を築くために、隣国ロシアとの対立関
係を強引に展開したことの失敗、無理さが指摘されている。すでに、米国との同
盟関係にあった日本やトルコとは事情がかなり違う。しかし、背景にあるのは、
やはり、超大国米国との関係をどうするかということである。ウクライナは米国
につくべきか、それともロシアにつくべきか。今回の大統領選挙は、これまでの
米国よりの姿勢を、ロシアよりへと修正した結果になった。

 ただ、米国かロシアかという設問は、多分、簡単には答えがでてこない問題で
あり、結局、どちらからも距離をとる中立的な立場が「実務的かかつ賢明な選択」
と主張されているのである。

 ウクライナの場合は、欧米とロシアの間の選択であり、トルコの場合は欧米と
中東アラブの間の選択である。そして日本は米国とアジア・中国との間の選択の
問題となっている。いずれを見ても、垣間見えてくるのは、米国を一極とした世
界指導体制の揺らぎであり、それをどうするのか、正しい選択は何なのか、思い
悩む世界各地の姿である。


◇◇米国に離反する同盟国


  実は、日本、トルコ、ウクライナを例に、私が取り上げた問題は、すでに、米
国内部からも指摘されている。

 今年初め、朝日新聞に掲載された米シンクタンク「ニューアメリカ・ファウン
デーション」スティーヴ・クレモンス副代表の意見の一部を紹介したい。

 「戦略的に重要な米国の同盟国―ドイツ、日本、イスラエル、サウジアラビア
が、オバマ政権に『ノー』を突きつけている。それぞれがオバマ大統領の政策を
すげなく拒否した。これは米国のグローバルな国力の深刻な衰退ぶりを示してい
る。

 米国は今も世界の最上席にいると思っている。だが、世界は、かつての偉大な
国家の衰退を見ている。さらに米国がかつての指導力を発揮するには、幻想力を
振りまくのではなく、他国を改めて納得させる必要があるのに、それすら気づい
ていないと感じている。<中略>

 米国は長年、日本に対し、『われわれのいうことをやれ』という力学が揺らぐ
ことはないかのように振舞ってきた。だが、日本国内では、国家としての新たな
自画像や健全なナショナリズムのあり方、さらに中国が台頭する一方で50年続
いた米国との同盟関係の中にあり、自国をどう位置づけるかを巡って明確な対立
が起きていた。<中略>

 結局、米国の普天間合意へのこだわりは強さより弱さを意味する。中国の台頭
を前に、米国は日本との間で経済・軍事面とも、揺らぎのない完全な協力関係が
必要だからだ。

<中略>
  どの話も個別の政治的背景があり、簡単にはひとくくりにするべきではない。
だが、米国の同盟国がこれだけ繰り返し公然と米国の要求をはねつけるとは、1
0年前なら予想もできなかった」(「米外交政策 オバマに離反する同盟国」『
朝日新聞』10年1月14日付)。
  記事は、このあとも、同盟関係とはどうあるべきかを主張しているが、その部
分は長くなるので割愛した。

 重要なのは、日本、トルコ、ウクライナだけではなく、実は、ドイツもイスラ
エルもサウジアラビアも、沢山の国々が、それぞれの立場から米国に対して「ノ
ー」という声を上げている事実で、米国が困惑し、困っているという実態である。
これはこの著者がいうように「10年前には考えられないことが起きている」
というべき事態なのである。
  そして、それは何を意味するのか? この著者が説明するように、明らかに米
国の力が落ちてきており、世界は、それを注視しており、一体、米国の後につい
ていっていいのだろうかと不安に思い始めていることである。

 一体、米国はどうなるのだろう。世界はどうなるのだろう。つまり、米国一極
支配の世界構造は大きく崩れていくのではないかという漠然とした不安感、不透
明感、不安定感であり、それが米国との関係および距離の見直しに結びついてい
っている。反米とか、嫌米とかの、感情論の問題ではなく、自らはどうすべきな
のか、明日への頼りなさ、不安感が付随しているのである。そして、私自身は、
この不安の時代は近い将来解消されることはなく、今後強まっていくのではない
かと考えている。


◇国力が衰退する米国


  では、果たして、米国が本当に力を落としているのだろうか。多分、普天間や
日米問題を含め、世界各地で起きている問題の背景には、この米国の国力の評価
の問題があると思われる。米国は、世界のGDP(国内総生産)の三分の一弱を占
める世界最大の経済力を持つ。さらに、この経済力を支える技術・情報集能力は、
世界のどの国もはるかに及ばない。世界のすべてが米国にあわせて動いている
との主張もある。もしくは、米国にあわせて動かざるを得ない状況にある。「グ
ローバル・スタンダードは米国スタンダード」といわれるゆえんである。

 軍事的にも、米国は世界最大の軍事支出国であり、上位10カ国のすべての軍
事支出をあわせても、米国を上回ることはない。08年度の米国の軍事支出は世界
の軍事費の48%に達するという。軍事技術的には、世界のどこの国も米国に対
抗できるものを持ち合わせていない。世界各地に軍事基地を展開し、世界各地の
海に空母艦隊を派遣し、文字通り、目を光らせている。大規模な軍隊を動員でき
る大型空母を11隻も保持している国は米国以外にはいない。米国と対抗したソ
連は一隻も持っていなかった。今、軍事力を増強したと騒がれる中国も、いまだ
に空母を保持できないでいる。

 簡単に言えば、いざとなったら、世界のどこへでも、大規模な軍隊を投入でき
るという能力を持つのは米国だけである。世界は直接的にも間接的にも、米国の
軍事的な支配下にあるといっても誤りではない。

 なのに、どうして世界は不安なのか? 多分、回答は実態数字ではなく、その
傾向、トレンドにある。東西冷戦が終了し、米国と競ったソ連は崩壊し、米国は
一方的な勝利を収めた。米ソ二極化世界から超大国米国の一極支配(もしくは一
極集中)世界の始まりだった。この米国一極支配(支配という言葉が適切でない
とするならば、米国覇権、米国主導、米国リード、表現はなんでも良い)の世界
が始まった90年代は、多分、米国の絶頂の時代だった。

 特に、ブッシュ(子)政権時代は、「すべては米国を中心に回る。米国は世界
をリードしていく」との一極世界観が頂点に達し、単独行動主義や先制攻撃理論、
体制転換(転覆)可能論などが公然と主張され、今を思えば、米国は超大国と
して、すべての責任を負い、すべてが許され、すべてを行う能力があると思われ
た時代であった。折からのインフォーメーション革命の波に乗り、アメリカの価
値観は世界の価値観であるかのように、世界に喧伝された時代でもあった。

 しかし、その頂点を極めた時代は、その一方では頂点から下がる時代の始まり
でもあった。ソ連というライバルを失った米国は、気がつくと、自律的な行動規
範を失い、糸が切れた凧のように、目標を失い、宙を迷い始めていた。90年代
半ば頃から一部では、米国の行方を心配する声が出始めていたが、大半の人々は
それに気がつくこともなかった。

 そして、91年9月11日、米国で同時多発テロ事件が発生した。ニューヨー
クの世界貿易センタービルに旅客機が激突し、同ビルが崩れ落ち、マンハッタン
の上空に厚い雲がたなびくように流れた。単なるテロ事件ではなく、世界の劇的
な(かつ歴史的な)変化を象徴する事件だった。今後、長い間にわたって人々の
イメージに残る事件でもあった。

 このテロ事件を契機に、ブッシュ政権は「テロとの戦争」をスローガンにアフ
ガニスタン、イラクへと軍隊を派遣し、戦争を拡大していく。この「テロとの戦
争」が、どのような実態だったのか? 詳しい説明は避ける。しかし、次のよう
なことだけは言える。

 世界最強の軍隊を持つ米国でさえも、米国と比べればちっぽけな小国であるイ
ラクやアフガニスタンを簡単には制定できないという現状が露呈した。あれほど
の軍事力をもってしても、世界をコントロールし、支配するということは至難の
業であるという現実を見せ付けたということである。つまり、大国アメリカの軍
事力への信頼もしくは畏敬の念の崩壊である。
 
  続いて、2年後、アメリカ南部の港町ニューオリーンズで、「カトリーヌ」
と呼ばれる台風が襲い、世界一の裕福な国といわれた米国とは思えない光景が繰
り広げられた。台風により、人々が家屋を失い、路頭に迷い、難民さながら町の
スタジアムに集まる光景が全世界に伝えられた。

 そして大国としては、あまりにも、ずさんな台風対策、あまりにも、惨めな
救援対策であり、これが豊かで全世界の人々を魅了したアメリカの姿なのだろ
うかという驚きである。そして、台風で苦しむ大半の人々が黒人系住民で、豊
かな米国社会には、信じられないほど多数の貧しい人々がいたという現実であ
る。豊かなといわれた米国社会は貧しい黒人系住民の上に構築されており、そ
の格差は隠されてきたという実態である。アメリカン・ドリームという虚像が
崩れた瞬間だった。

 最後に、襲ったのが、サブプライム・ローン危機をきっかけとする金融危機で
ある。これは前回も書いたので、ここでは詳しくは触れない。しかし、信じられ
ないような狂気のマネーゲームを誰も止めることができず、世界全体がこの被害
に巻きこまれ、膨大な数の人々に不幸をもたらした。

 市場関係者を中心に、「マネーゲームによるバブル崩壊は良くあることで、相
場は下がることもあるが上がることもある」との主張が今も出されている。しか
し、私は今回の危機は、よくある景気変動の一部であるという考え方には懐疑的
であり、市場経済、もしくは資本主義と呼ばれる経済、あるいは米国を中心とし
た第二次大戦後の世界を作ってきた経済システムがある種の分岐点を迎えたので
はないかと思っている。
 
ともあれ、米国を中心に回っていた金の流れは大きく変わろうとしている。双
子の赤字といわれた膨大な米国赤字を横目に、国際基軸通貨米ドルを支えた世界
経済の理念が大きく崩壊したのである。今のところ、米ドルの地位は全面的に崩
れたわけではない。英国ポンドが国際基軸通貨の地位から下りるのには50年かか
ったといわれる。多分、米ドルの地位低下もゆっくりと時間をかけて進むのだろ
う。それでも、今後、世界は「ドルの暴落」という危機におびえながら暮らさざ
るを得なくなった。


◇◇世界システム論からみた米国の凋落


  国際関係論の分野では、世界の国々の凋落を長期的に観察しながら、ある一定
のサイクルがあるのではないかとの考え方を説く人たちがいる。古くいえば、コ
ンドラチェフの波理論のように景気循環にはサイクルがあり、ほぼ50年で波が
変わるという主張もある。

 また、世界の覇権国は約百年で交代するという主張もある。米国のモデルスキ
ーは16世紀にさかのぼり、ポルトガルの覇権国時代に始まり、その後、オラン
ダ、英国(2回)、米国と計5回の覇権国時代があったと主張した。

 そして、その覇権国時代は常に覇権国に対抗する国があらわれ、ポルトガルVS
スペイン、オランダVSフランス、英国IVSフランス、英国IIVSドイツ、米国VSソ
連というように覇権争いが繰り広げられたと説明する。

 上記のような覇権国時代と覇権国への野望を持った国同士の対立が、本当にあ
ったのかどうか。欧州から見た狭い世界の話ではないかとの反論はありうると思
う。またその対立構造も、別の見方や描き方があるかもしれない。
 
  しかし、私が注目するのは、具体的な覇権国の分析や対立構図ではない。例え、
覇権国という存在ができても、それが永久に続くわけではないとの主張である。
そして、歴史上の覇権国というのは、たかだか100年程度(英国は2回の覇
権国時代で200年程度)で、その役割を終えて、その地位から降りていくとい
うことである。

 つまり、世界の秩序や安定を維持する世界的覇権国(支配国、指導国)は、ど
こかで必ずひのき舞台を降りるとの運命にあるということである。

 モデルスキーは、この覇権国支配の世界の変遷を四つの段階で説明している。

 (1)「グローバルな戦争」⇒(勝利者)⇒(2)「世界大国」の誕生⇒(繁栄)⇒(3)
「(世界大国としての)正統性の喪失」⇒(没落の始まり)⇒(4)「(世界の)力
の分解」⇒(混乱と不安定)⇒(5)「グローバルな戦争」⇒(新しい秩序と規律を
求めて)

 つまり、まず、世界覇権を巡ってのグローバルな戦いがあり、その中から将来
の覇権国が勝者として抜け出す。その勝者の覇権による安定と繁栄がしばらく続
く。しかし、次第に、その覇権にひびが入り、覇権国への信頼に傷がつき、覇権
国の正統性の喪失の問題が起きる。さらに覇権国の弱体化を背景に、各地に対抗
するパワーが現れてくる。力の分散の時代であり、世界の秩序が崩れ、不安定・
混乱の時代の到来となる。そして、力の分散による各地での争いが始まり、激化
すると、とどのつまり、安定・秩序の回復をスローガンに、新しい覇権国樹立の
グローバルな戦いが始まる。

 これで、最初に戻り、ぐるりと一回りしたことになる。そして、その時間が約
100年というわけである。この世界覇権による歴史説明が正確な理論といえる
のかどうか。また、実態にあっているのかどうか、いろいろな批判はあると思う。

 しかし、次のようなことは言える。どんな世界的覇権国(世界支配国)でも、
ある種の闘争からライバルを破り、自らの地位を獲得したあと、繁栄を築き挙げ
るが、正統性の喪失から、その権威を失い、地位低下から自らの力を分解させ、
その地位を次の者に奪われるというプロセスを歩む。

 つまり、(世界覇権もしくは世界支配の)正統性を失うということは、その覇
権国にとっては、われわれが考える以上に大変ことであり、重要なことではない
かということである。
  現在の米国が世界的な覇権国か、それとも世界支配国か、という細かい議論は
別にして、第二次大戦後、超大国として世界的な指導を続けてきた米国は、やは
り、その正統性を今失いつつあるのではないか。

 そして、その正統性の疑問を世界の前にさらしたのは、上記に説明した9・1
1テロであり、「テロとの戦争」であり、「カトリーヌ台風」であり、「サブプ
ライム・ローン危機」だったのではないかということになる。

 そのひとつひとつは、それなりの説明や弁解はありうるだろうが、これだけ全
部並べられると、これは何か制度的疲労、制度的転換点を示唆しているのではな
いだろうかとの疑問になる。政治的にも軍事的にも社会的にも経済的にも、米国
覇権(もしくは米国支配)の正統性への大きな疑問符がついたということである。

 世界システム論では、英国のように、いったん弱体化しながらも、再び、力を
盛り返すという可能性も考えている。米国も、今後また力を戻し、以前のような
影響力や生命力を発揮する可能性はある。

 しかし、それでも、現状は「世界大国」段階から「「正統性の喪失」の弱体化の
第二段階に進んでおり、次の「力の分解」の情景がすでに見え隠れしているのが
実情ではないか。
  米国の「力の喪失」の時代の証左として、すでに現れているのは、G8の弱体化
によるG20時代の始まりである。エマージング・カントリーと呼ばれる通称BRICS
(ブラジル、ロシア、インド、中国)と呼ばれる新興国の台頭である。

 そして、世界システム論どおり、物事が進むとすると、「力の分解」の後には
「グローバルな戦争」の時代がやってくる。つまり、力を落とし始めた米国に挑戦
する国があらわれ、次の大国覇権を巡っての激しい争いが始まるということにな
る。


◇◇中国の時代


  現在、米国の覇権を脅かす最大の可能性がある国は中国と見られている。BRIC
Sと呼ばれる新興4カ国の経済発展を予言した米国のゴールドマン・サックス社
の当初の試算によれば、中国の経済規模は2011年にドイツを抜き、18年に
日本を抜き、42年に米国を越えて世界一になると発表されていた。

 しかし、この数字はもはや古く、数字より現実の方が早く進んでいる。今年2
010年は、ドイツどころか、日本を抜き世界第二位の経済規模を達成するのは
確実と見られている。8年も早く予測を実現しており、2010年から20年に
かけて、米国の地位に達するのではないかといわれ始めている。つまり、予測を
10年から20年早めて、中国は世界一の経済大国への道をまっしぐらに疾走し
ている。

 ちなみに、ゴールドマン・サックス社の当初予測によれば、2050年(つま
り、今世紀半ば)の各国の国内総生産(GDP)の順番は、(1)中国(2)米国(3)インド
(4)日本(5)ブラジル(6)ロシアとなっており、上位6カ国には旧覇権国の欧州の国々
はひとつも入っていない。米国とブラジルの南北大陸の2カ国を除けば、アジア
もしくはユーラシア大陸の国家ばかりである。明らかに経済の重心は西側と呼ば
れた欧州からユーラシア大陸を横切り、東のアジアへとシフトしている。

 一昔前、中国は「世界の工場」と呼ばれ安価な労働力による廉価製品の製造地
という位置づけだった。しかし、90年代末から今世紀にかけて、中国経済が予
想以上の躍進を遂げるにつれ、中国への見方は変わりつつあり、現在では、「世
界の工場」というよりは「世界の一大消費市場」であり、さらに経済危機移行後
は「世界経済の牽引車」「世界経済の機関車」になりつつある。

 世界最大の自動車王国だった米国は、その製造規模も販売規模も、中国にその
座を明け渡さざるを得なくなっている。中国の09年の新車生産台数は1364
万台で、米国に300万台の差をつけて世界第一位の座についた。日本経済を引
きずってきた日本の自動車産業も、これからは米国市場ではなく、中国市場に目
を向けなければ、生き残りは難しくなっている。というよりは米国市場にしがみ
ついていれば、その企業の発展はないという時代に入りつつある。少なくとも、
これから発展し、未来に命運をかける産業や企業や、従来型の販売や市場を相手
にしていては成長がないと考えている。

 戦後長い間、米国の庇護下にあり、米国の大きな市場に頼ってきた日本の経済
界は、その庇護や市場から脱却し、新しいビジネス・チャンスであるアジアへと
入らざるを得ない状況にある。日本のほとんどの経済関係者は、ここ2、3年で、
これまでの企業のあり方を変えざるを得ないとの結論に到達している。野とな
るのか、山となるか、誰も分からない、中国へと足を踏み入れていくには、かな
りの勇気がいる。それでも、今回の経済危機をきっかけに米国市場の没落を見た
経済関係者は覚悟を決めた人が多いと思う。

 それでも「米国の力を侮ってはいけない」という声が聞こえないわけではない、
しかし、米国への他力本願の守旧派的な考え方は、もはや日本社会でも少数派
になってきている。
  私は、この日本社会の考え方の変化が、昨年の総選挙の民主党勝利をもたらし
たひとつの理由と考えている。従来のやり方では、日本は生き残れないという声
は、もはや日本社会の多数派になったと考えていいと思われる。

 このような分析や主張をすると、「中国の実態を知らない」とか、「中国の脅
威を無視しているのか」という批判が出てくる。そのような主張をする人たちの
考えも分からないわけではない。確かに、中国が発展したとはいえ、一人当たり
の国民所得は日本の数十分の一であり、生活水準は低く、国内格差はひどく、矛
盾にあふれている。政治体制や民族問題を見れば、不安な要素や危険な可能性は
あふれている。中国に依存するのは危ないという主張も、もっともである。

 個人的には、中国がこのままスムーズには発展しないと思っている。大きな騒
動や動乱の可能性は強いとさえ思っている。しかし、問題はそこにあるのではな
い。歴史的な流れは西から東へと流れている可能性が強い。中国の前途多難な道
は容易に予想される。それでも、今後の世界の流れは、膨大な発展し続ける人口
を抱えるアジアではないかということである。

 再度、世界システム論に戻って考えてみると、「(大国の)正統性の喪失」の
時代の後に来るのは、「力の分解」という一極集中の指導国が力を振るえない不
安定・混乱の時代である。言ってみれば群雄割拠の時代でもある。どこかに頼っ
ていれば安全という時代ではなく、どことも付き合いながら、その距離感を確か
めながら、自らの主張を貫き、自らの権益を守らないと、生き残れない時代にな
る可能性が強いということである。ある意味では、安定した同盟関係なぞ、あま
り期待できない時代であると考えた方がいい。

 そして、最大の問題は、もし世界的なパワーのシフト、もしくは覇権国の交代
がありうるならば、そのプロセスをスムーズにし、軋轢や摩擦を極大に高めない
ことである。来るべき「グローバル戦争」の時代をホットな戦争にしないこと、
犠牲者や被害者を出さない戦略を常に考えるべきなのである。


◇◇再び、日米同盟関係について


  現在、日本国内で行われている日米同盟の論議は、上記のような歴史的流れを
汲んだ論議にはいたっていないように思われる。

 もっとも、盛んなのは「米国を怒らしたら、日本の防衛はどうなるのか」「北
朝鮮の核兵器からどう守るのか」「尖閣諸島に中国が進出したらどう対処するの
か」「米軍のプレゼンスなしに、日本は自らを守れるのか」といった安保論議で、
十年前だったら通用するかもしれないが、激変する現代の状況と未来を踏まえ
ていない。まるで時間が止まったような議論に見えて仕方がない。そして、背景
にあるのは「米国から見放されたらどうなるのか」という「取り残され恐怖の理
論」である。

 国際関係学では、「同盟のジレンマ」という設定問題がある。それは「取り残
される恐怖」と「巻き込まれる恐怖」と呼ばれ、同盟関係を結ぶと必ず生まれる
問題とされる。

 まず、「取り残される恐怖」から説明すると、簡単に言うと、置いてきぼりに
される恐怖で、何かあると、同盟関係を無視されて孤立するという恐怖である。
そのためには、同盟相手の意向を汲み、もっとしがみついていなければならない
という考え方にもなる。

 ニクソン政権時代の頭ごなしの米中関係合意や北朝鮮6者協議の際に現れた米
ブッシュ政権の一方的な対北朝鮮和解への動きに、日本政府があたふたした恐怖
感が、その例である。
  概して言えば、日本の外務省の対米外交は一貫して、「取り残される恐怖の理
論」から動いており、米国が何をするか、常にいち早く知っていないと、取り残
されるという考え方である。そこには外交理念も国家戦略もない。あるのは米政
策への対応外交のみである。

 今回の一連の騒ぎの中で、「米国は怒っているぞ」などと「取り残される恐怖」
を煽ったのは、日本外務省の米国スクールを中心とした米国とのパイプの強い
人たちである。日本の米国離れは自分たちの存在意義を失い、かつ権益を失うと
いう不安と恐怖の構図でもあった。 

 しかし、時代は変わり、経済界を中心に、米国だけが日本の権益対象だという
時代はすでに終わりつつある。これらの米権益追及グループは時代から取り残さ
れた頑迷な守旧派になりつつある。

 この「取り残される恐怖」には、もうひとつの側面がある。例えば、米国が日
本を無視して、中国を重視して、特別な関係を結んだらどうなるのかというケー
スである。現実に、昨年秋のオバマ米大統領と胡錦濤・中国主席の首脳会談では、
両国の特別な関係が強調され、「G2時代の始まり」という論評がされた。ま
た、コペンハーゲンで開かれた気候変動問題会議では、米国と中国が温暖化対策
の消極派の2大国となり、会議を牛耳ろうとした。

 多分、米中にとっては、今後、問題が発生するたびに、両国があらかじめ協議
し、話し合いの道筋をつける体制の方が簡単で、望ましい。G20のような沢山
の国を集めても、物事はまとまらないと思っている可能性が強い。21世紀の覇
権の鍵を握りそうな米中は、あるところでは対立し、あるところではお互いに事
前協議する。そんな時代状況も考えられる。

 これは「取り残される恐怖」派が、もっとも恐れる事態で、だから、堅固な日
米同盟の遵守を叫び、米国からの保証をもらおうと必至になるという構図にもな
る。

 もうひとつの「巻き込まれる恐怖」というのは、自分とは利害関係のない争い
に巻き込まれるという恐怖である。例えば、米国が台湾問題に関し、台湾海峡に
第七艦隊を派遣し、中国と衝突し始めた場合、日本はどうするのか? いくら同
盟関係と入っても、台湾海峡問題で、日本が戦争に巻き込まれるのは困るという
のが日本人の本音である。

 イラク戦争や湾岸戦争でも、同様な状況が生まれており、本音は巻き込まれた
くはないが、同盟を無視すれば、後で「取り残される恐怖」を味あわなければな
らなくなる。ジレンマである。パキスタン沖の重油支援というのは、そんなジレ
ンマ解消のために、日本の官僚たちが考えだした苦肉の策である。

 つまり、イラク戦争やアフガニスタン戦争には、「巻き込まれない」。しかし、
同盟の精神を守り、それなりの働きをしている格好をみせ、「取り残される恐
怖」も回避しようとしたのである。後で、「貢献度が少ない」などと同盟国のト
ップの米国に言われないように、周到に工作したということになる。ここには、
イラク戦争やアフガニスタン戦争に対する日本としての基本的な考え方や理念、
さらには国家戦略など存在しなかった。だから、現在、英国で起きているイラク
戦争加担の責任論が盛り上がらないし、誰も責任追及をしようとしない。イラク
戦争には積極的に加担したわけではないし、責任もないというのが、日本政府の
立場なのである。

 多分、今後、起こりうる「巻き込まれる恐怖」の最大の問題は米中対立である。
現在は表面化していないが、今後、大きく発展する可能性が強い。現在、中国
は経済的にも、軍事的にも、科学技術的にも、あらゆる面から米国の力に及んで
いない。だから、米国を挑発するような行動は起したくないと考えている。でき
うるならば米国から一歩引いた場所から米国の顔を立てながら協力関係を維持し
たいと考えている可能性が強い。

 その意味では、日本が米国離れして、「中国やアジアとの関係を良くしたい」
と言ってくるのは、正直迷惑な話である。内心では鳩山政権の提案を歓迎しなが
らも、「米国の心中をおもんぱかって、日米関係を良好に維持してください」、
そうすれば、私も米国から恨まれることはありません、と言いたいのではないか
と思う。とにかく、今は波風立てないでくれというのが、中国の本音であろう。

 その限りにおいては、米中関係で大きな衝突が起こる可能性は少ない。問題は
2020年を過ぎて、中国の経済力が米国の経済力を上回る可能性が出てくる場
合である。果たして、米国は中国に黙ってNo.1の座を譲るのだろうか? 経済力
を現す数字自体はたいしたことではないが、経済力の増大に伴って現れる世界経
済への影響力、さらには政治支配力の拡大が起きるならば、米国は黙っているだ
ろうか? 私は、非常に悲観的である。

 分かりやすくいえば、ここ数百年を支配してきたあの強情なアングロ・サクソ
ン族が新興中国の言うことを簡単に聞くようになるだろうか。グローバル・スタ
ンダードは中国スタンダードといわれた際、アングロ・サクソンは黙っていられ
るだろうか。猛然と反発し、欧米キリスト教世界観を前面に打ち出しながら、敢
然と反発し、抵抗してくる(もしくはつぶしにかかる)のではないだろうか。こ
れは西洋と東洋、東と西の世界観のグローバルなぶつかり合いに発展しかねない。

 私は、アングロ・サクソン側が世界的価値観の独占を、簡単には、中国に引き
渡さないと考える。中国が大国の姿を現し始めた時、もしくはあらわし始めよう
とした時、米中の対立は抜き差しならないものになる可能性の方が強いと思う。

 その際、日本は米中の対立に「巻き込まれる恐怖」を味あうことになる。そし
て、現在、議論されている「取り残される恐怖」よりも、米中の対立による「巻
き込まれる恐怖」の方が十倍も怖いと、私は考えている。中国は隣国であり、今
後永久につきあっていかなければならない。少なくとも、中国と戦争するような
事態は絶対に回避しなければならない。「同盟のジレンマ」から戦争に巻き込ま
れるようなことはあってはならないのである。


◇◇日本は何をなすべきか


  では一体、日本は何をすればいいのか? いろいろ考える前に、まず、起点と
しなければならないのは、世界は今、大きく変わりつつある。冷戦時代でもない。
戦後でもない。20世紀でもない。新しい時代に入りつつあるということであ
る。しかも、それはパワー・シフトやシステムの大きな転換を伴う可能性が強い
のである。

 そんな激動を味わいたくないというのが、ほとんどの人の本音であろう。でき
るならば、良好平穏な日米関係を続けたいし、米国が気分を壊すのならば、日米
同盟も、このまま維持とし、普天間基地も、この際は米国にできる限り譲歩して、
沖縄の皆さんには、また我慢してもらうしかない。何せ、米国がそういってい
るのだから。そんなところが、日本の人たちの大半であろう。世論調査では、日
米同盟維持の数字は7割を超えるという。

 その一方で、何か今のままでうまくいかなくなるのではないかという、かすか
な不安も沸き起こりつつある。強大化する中国をどうするのか。米国が弱まって
いるように見えるが、これで良いのか。このままでは、一抹の不安を覚える。そ
して、やはり、従来のモデルではダメなような気がする。だから民主党に投票し
た。でも、あまり荒っぽいことはして欲しくない―――といったところが平均的
な考え方ではないかと、私は推測する。

 つまり、短期的には、何もしないか、ほとんど変えない。しかし、長期的には
何かしなければならないことは分かっている。そして、この考え方は鳩山民主党
政権の煮え切れない考え方や行動に最大限反映されている。その意味では、鳩山
政権というのは、想像以上に、国民の考え方を慎重に汲み取っているといえるか
もしれない。

 私も、個人的には、煮えきれない態度でも、荒っぽいことをするよりはいいこ
とだと思う。これは日本的な智恵、ある意味では大国ではない、小国的な身の処
し方だとも思う。

 しかし、長期的には、これでは済まない状況がやってくる可能性が強い。世界
的なパワー・シフトが本当にやってくるのならば、米国がトップの座を明け渡し、
中国もしくは別の国が世界秩序を構築する立場になる可能性が見えてくるのな
らば、現在の状況ではとても、問題に対処できない。そして、国家戦略という立
場からみれば、今から、そんな事態に用意をせねばならない時期に来ている。

 その際に考えねばならないのは、来るべき変化の時代に、日本は変化に対して
柔軟な対応ができる国にならねばならない。そして、その対応は、多分、他人に
仰ぐのではなく、自ら決めねばならない時代となる。一極世界が崩れ、多極化世
界へと移行した場合、価値観は多様となり、複雑な分析と、複雑な行動が必要と
なる。これは日本のみならず、世界の国々すべてが取らねばならない態度となる。
その際、世界の秩序を規定するのは二国間関係ではなく、多国間関係もしくは
多国間協議になる可能性が強い。世界の破滅や衝突などを防ぐために、世界は単
純かつ安易な選択をしてはならない、粘り強く話し合いをせねばならなくなる。
21世紀の世界は単純でなく、多くの労苦を必要とするということかもしれない。

 最後に結論として、10の提言をまとめてみると、次の通りとなる。

 (1)世界は大きく変化し始めた。パワー・シフトの時代に入った。来るべき世界
   の激動に準備せよ。
 
  (2)米国の地位は安泰でなく、揺らいでいる。今後、弱体化する可能性を秘
   める。  米国の力を絶対と考えるな。

 (3)同盟は手段であり、目標ではない。米国の力が弱体化するかどうか不明だが、
   最悪のケースを常に考えよ。

 (4)「取り残される恐怖」と「巻き込まれる恐怖」の二つの同盟のジレンマに陥
   ってはならない。自らを守るのは自らしかないと肝に銘じよ。

 (5)今後の世界は米一極から多極化世界へと移っていく可能性が強い。つまり、
   日本は多極世界のそれぞれの極と付き合わねばならなくなる。等距離外交へと、
   日本は次第にシフトすると考えよ。

 (6)つまり、日米同盟・日米関係の見直しは長期的には必至と考えよ。21世紀
   の安全は二国関係よりも多国間関係・多国間協議に重点が移る可能性が強い。

 (7)世界が不安定・混乱した場合、もっとも重要な問題は近隣地域である。つま
   り、まず足元を固めよ。その意味では東アジア共同体構想は戦略にかなった目標
   である。

 (8)アジア・中国地域を重要視することは長期的には正しい戦略である。しかし、
   その中国も絶対ではない。最悪のケースを考えよ。

 (9)将来、中国が大国化し、覇権を求めて暴走をする可能性があるならば、中国
   を抑える役割を目指せ。その意味では北朝鮮6者協議は、将来の東アジア安全保
   障の有力なフレームワークとなる。

 (10)日本は、予想される米中の対立に加勢するのではなく、中立の立場から衝突
   阻止を考えよ。米中の対立の回避が、日本にとって、21世紀最大のテーマであ
   る。さもなければ、日本にとっては、大きな不幸がもたらされる。

―― ということになるかもしれない。――

              (筆者は元毎日新聞編集委員・日本大学教授)

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