■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 

~ミャンマーの話題は選挙だけではない、人々を見よう~

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 国民の殆どがなんの期待も持てないという選挙が、ミャンマー(ビルマ)で
11月、軍事政権の下でおこなわれた。
 
  20年ぶりの選挙とはいえ、民主化運動指導者アウンサン・ス・チーらの民主化
勢力や反軍政の少数民族を排除し、集会や表現の自由も制限した、軍政系政党圧
倒的優位のなかで実施され、しかもさらに議席の4分の1が軍人に留保された選
挙では、国民がしらけるのも当然であろう。
 
  こんなときは、選挙結果をめぐる詮索を離れ、人々の思いと暮らしの底流にあ
る信仰に目を向けてみるのも意義のあることではなかろうか。


◇◇釈尊がビルマにきた!?


  ミャンマーでは、ビルマ、モン、シャンの3民族を中心に、国民の85%が仏教
徒といわれている。
  この地の仏教は、スリランカ、タイ、カンボジアなどと同じ南方上座部仏教
で、紀元前3世紀初めにモン族に伝わったのが最初とされる。その後、モン族を
征服したビルマ族のパガン王朝(11~13世紀)の興隆とともに全土に普及し、と
りわけ12世紀末にスリランカから大寺派系上座部仏教が直接もたらされるに及ん
でビルマ上座部仏教が確立された。

 しかし、こうした歴史的事実とはかかわりなくミャンマーの仏教徒たちは、自
分たちは、釈迦が出たシャカ族が太古にインドからこの地に渡ってきて国を建て
た、その末裔である、とか、釈迦自身がこの地に500人の阿羅漢を率いて巡錫し
教えを説いた、とか、モン族の二人の商人がインドで成道したばかりの釈迦の最
初の在家信者となり、仏と法の二宝(三宝のうちの「僧」はまだ存在しない)に
帰依し、仏髪8筋を授かった、とか、幾多の仏教渡来伝説を固く信じて語り、誇
っている。
   [註 三宝とは仏・法・僧で仏は釈迦、法は釈迦が説いた教え、僧は教団]


◇◇護呪信仰と精進潔斎


  一般の在家信者は、朝夕、家に設けた仏壇に向って敬礼・読経を欠かさない。
  その次第は、誠心よりの仏への恭敬・頂礼を述べ、その功徳によって四悪道
(地獄・餓鬼・畜生・修羅への道)や敵・災害などから脱して涅槃(悟り・解
脱)を得られるよう仏の威力に願ったのち、三帰依文、五戒文、パリッタ(護
呪)などの読誦へすすむ。
   [註 三帰依文は仏法僧への帰依の表明。五戒文は不殺生・不偸盗・不邪淫
・不妄語・不飲酒の誓い]

 パリッタには、阿含経典の小部(クッダカ・ニカーヤ)や法句経(ダンマパ
ダ)から抜粋した偈文なども含まれるが、もともと釈迦が弟子たちに護身用の呪
文を唱えることを許したことに由来するとされるところから、災厄防除の役割が
期待され、種々の病気から毒蛇・蠍・むかで・のみ・しらみ、嵐や洪水、火災や
戦争、さらには悪霊から身を守るさまざまな護呪が用意されている。
 
  [註 阿含経典とは釈迦直説とみなされた経典を含む原始仏教経典]
  上座部仏教では崇敬の対象は唯一、釈迦で、したがって仏壇の中心も釈迦像で
あるが、他にも、福徳を願う神々が仏弟子や弁才天のかたちで祀られ、商売繁盛
や家内安泰のパリッタが誦唱されている。

 こうした護呪信仰や現世利益志向には仏教渡来以前からこの地にあるナッ(精
霊)信仰やウェィザー(超能力者)崇拝の影響があるといわれる。しかし護呪や
福徳神信仰が効果をもつのも、仏教徒としての生活をまっとうしてのうえである。

 そのため人々は心底から仏法僧を敬い、月に4日の斎日には精進潔斎して僧院
に赴き比丘や沙弥たちに食事を供養し、八戒や十戒を懇請して授かるのである。
 
  因みに八戒とは五戒の不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒に加え、装身具
をつけない、歌舞を見聞きしない、高く広いベッドに寝ない、であり、十戒には
さらに、正午を過ぎて食事をとらない、財産を蓄えない、がつく。在家信者が八
戒や十戒を守るのは斎日だけであるが、このような生活規範を仏教徒の理想とし
て心に刻むのである。


◇◇出家は男子の通過儀礼


  ビルマ人の社会では、男子は一生に一度は出家得度して僧院に入り修行するの
が不文律となっている。生涯、修行に専念する僧とは別に、還俗を前提に数日か
ら数ヶ月、あるいはそれ以上、僧院生活を体験するのである。
 
  一時出家とはいえ僧院生活は厳しい。20歳未満の未成年者は、師僧から十戒を
授けられて沙弥として僧院に入る。修学法七五ヶ条に示された着衣から食事の仕
方、話し方、歩き方にいたる日常の行儀作法に従いながら、朝・夕の勤行の間に
配された作務(掃除など)、托鉢、講義・学習、食事、座禅・瞑想などの日課を
こなす。

 沙弥たちに繰り返し説かれることは、食事は乞食によること、衣は糞掃衣(捨
てられたぼろきれを拾い集めて綴った布)によること、住居は樹下住によること
薬は陳棄薬(木の実を入れて醗酵させた牛の尿の水薬)によることを理想とす
る質素な生活である。
 
  違反すれば科されるさまざまな罰もあるが、五戒を犯すことに加えて、仏・法
・僧を誹謗する、邪見者になる、比丘尼を汚す、の5項目をなした沙弥は僧院か
ら放逐される。

 20歳になった沙弥や成年後の出家者は、227項目の戒からなる具足戒を受けて
比丘となる。227の戒とは、婬(性行為)、盗み、殺生、妄語(自分は悟った大
嘘をつくこと)を僧院追放の重罪とするにはじまる僧院生活の秩序・規範を微に
入り細に亙って規定したもので、比丘たちはこの厳格な戒律のなかで修行に励む
のである。
 
  ミャンマーでは殆どの男性がこのような僧院生活を一定期間経験し、そこで生
活態度を習得し、人生への眼を開くといわれる。

 さて、選挙結果がどうあろうと、このように敬虔な心根の人々が、軍事政権下
で自由を狭められ、軍事政権に対する欧米諸国の経済制裁からアジアでも最貧国
の窮乏生活を強いられていることを思うと、胸に去来するものを覚えるのであ
る。  
                    (筆者は社会環境学会会長)

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