■ 海外論潮短評(40)

~国家(ネーション)の時代が終わり、都市の時代がはじまった~

                        初岡 昌一郎
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 アメリカの国際問題専門誌『フォーリン・ポリシー』9/10月号が、「都市
の限界を超えて」という特集を行なっている。その副題がやや刺激的な上記の見
出しである。特集巻頭論文の筆者、パラグ・カーンナは「ニューアメリカ財団」
上級研究員と紹介されているが、私にとっては未知の人。


◇世界を支配する巨大都市


  21世紀を支配するのは、アメリカ、中国、ブラジル、あるいはインドなどの
大国ではなく、巨大都市である。世界がますます制御不能と思われるようになっ
た時代において、国家ではなく、都市が世界の将来的秩序を形成するガバナンス
の核となりつつある。この新世界は一つのグローバル・ビレッジではなく、異な
る構成部分のネットワークとなる。

 時間、技術、人口成長が、新しい都市化地域の登場を加速化する。既に、世界
の半分以上の人口が都市に暮らしており、その割合は急速に増大している。10
0大都市が経済の30%以上を占め、ほとんど全ての技術革新はそこで生まれて
いる。多くは国の首都であり、数世紀にわたる支配を通じて発展してきた。

 ニューヨーク市の経済だけでも、亜サハラ地域の46ヶ国の経済を合算したよ
りも大きい。香港を訪れる観光客は、インドよりも多い。都市がグローバリゼー
ションのエンジンであり、その持続的な活力は財力、知識、安定性にある。

 同時に、新しいカテゴリーのメガ都市が世界中で出現しており、これまでの都
市を小人のように思わせる。人口の大規模な集中が既存の都市を急成長させただ
けでなく、かつて想像さえされなかった規模の大都市がほとんどゼロから生まれ
た。中国広東省の新工業都市からアラビア砂漠の人工都市に至る例が挙げられる。


◇都市化はガンのように進行 - 良性と悪性が混在


  多くの都市は、それを生み出した国に挑戦するようになっている。国家は都市
無しには存在し得ないが、同じことは都市にとって当てはまらない。カブールは
ネパール国家が、サラエボはボスニア国家が消滅しても生き残るだろう。グロー
バリゼーションが都市をその母国から引き離す可能性を生んでいる。現実に大規
模かつ潜在的に危険なギャップが、中国、ブラジル、インド、トルコなどの新興
工業国の都市と地方に生じている。

 この新しい世界を理解するのには、19世紀の勢力均衡論や20世紀のブロッ
ク論は役立たず、むしろ中世の都市がヒントを与える。一千年前には、カイロや
杭州に世界の重心があり、国境無き世界にその影響力を拡げていた。その当時、
ヨーロッパだけが暗黒の中世にあり、アラブ回教圏と中国は栄光の頂点にあった
ことを想起したい。当時は、外交政策も都市間で行なわれていた。新時代の巨大
都市は、国家間の古い条約と取り決めに唯々諾々と従わなくなるだろう。

 西欧の都市は産業革命以後、教育された労働者、強力な法体制、先取の精神に
満ちた企業家、有力な金融界を要して支配的な位置を占めてきた。ニューヨーク
とロンドンは依然としてグローバルな資本市場の40%を占めている。だが、今
日の経済地図を見ると、大きなシフトが顕在化している。香港、ソウル、上海、
シドニー、東京などのアジア太平洋の金融ハブが、グローバリゼーションをアジ
ア化する梃子となっている。世界中からこれらの都市に資本が洪水のように流入
し、それがアジア域内にとどまる傾向にある。

 新地域センターに向け重心の移動を加速化させているのが、21世紀のヴェニ
スといえるドバイのような港湾都市である。最近の不動産バブル崩壊にも拘わら
ず、ペルシャ湾岸の新興都市国家は、効率のよい中心部ビジネス地区に目覚しい
スピードで資本投下している。国家的ファンドを利用して西欧から最新技術を取
得し、食糧を栽培するためにアフリカの農地を買占め、傭兵と情報機関を通じて
投資を保護している。


◇新グローバルハブの現代化は西欧化にあらず


  これらの精力的な都市の連合は既に形成されつつあり、バルト海沿岸のハンザ
同盟が中世後期に交易と軍事の一大拠点であったことを想起させる。既にハンブ
ルグとドバイは海運と生命科学研究を促進するパートナーシップを確立している
し、アブダビとシンガポールは新しい通商的枢軸を発展させている。これらの取
引を行なうのに当たり、ワシントンの承認を求めるものは最早いない。グローバ
ル都市間の提携は市場の動向にしたがって行なわれている。

 ドーハとサンパウロ間にはカタール航空の新路線が開設され、南アフリカ航空
がヨハネスブルグとベノスアイレス・ルートを運行している。ニューヨークとド
バイ航路は金融危機で中断されているが、エミレーツ航空はA380型機を銀行
システムが比較的浅い傷で生き延びたトロントに振りむけようとしている。

 これらのグローバルハブにとって、近代化は西欧化とイコールではない。アジ
ア中東の新興勢力は玩具や石油を西欧に売り、最新技術やその産品を買ってい
る。言論の自由や宗教などの西欧的価値はそのバーゲンの一部に含まれていない。

 典型的な例はペルシャ湾岸の王制国である。これらの都市の野心は砂漠に計画
中のアイコン的新地区に現れている。アブダビは太陽熱に依存する世界最初のカ
ーボン・フリー都市「マスダール・シティ」を創出している。その衛星地区のサ
ーディヤット島には、あっといわせるような建築物の中にグッゲンハイムとルー
ブルの美術品を収容する最新技術仕様空間を用意している。

 既にペルシャ湾にはかつて不毛だった土地にまったく新しい街が生み出され、
ますますグローバルな複合都市となっている。カタールの首都ドーハには
150ヶ国からの外国人が居住しており、地元民をはるかに上回っている。


◇国家と競合する巨大都市


  グローバルな巨大都市の出現は、グローバルな外交に参加する要件が国家だけ
なのか、あるいは経済的実力なのかを再考するように迫っている。答は両者であ
るが、国家主権が虫食い状態になって縮小しているのにたいし、都市はグローバ
ルな影響力を拡大し、国家と競合するようになっている。

 中国の諸都市は今や北京をバイパスし始めており、海外投資を誘致するために
諸会議や展示会に大量の代表団を派遣している。2025年までに、中国には平
均2,500万人の人口を持つ15のスーパー都市が誕生する(ヨーロッパはゼ
ロ)。多くの都市は、中国の一部でありながら、自主性を保持している香港を参
考にしている。他の地域が香港のような特権を要求し始めたならば、どうなるの
だろうか。

 中国にとって、今日では地方ではなく、都市を統治する事がカギとなってい
る。同じ事は、ポスト植民地時代における脆弱なアフリカ諸国にも当てはまる。
アフリカの都市化率は中国に迫っており、ヨーロッパとほぼ同数の100万都市
を既に存在している。かなりの数のアフリカ国家は解体状況にあり、国境は実態
を反映しておらず、主要都市に重心が移行している。地方住民にとっては、どの
国の国民であるかよりも、どの都市にアクセスできるかが重要になっている。

 今日の世界秩序が都市中心に形成され、経済が国家よりも都市によって動かさ
れるにつれ、国家を加盟単位とする国連はグローバルな政体のシンボルとしても
不適当になっている。首相、知事、会社経営者、NGO指導者、労働組合幹部、
著名な学者、有名人などを一同に集める、ダボスでの世界経済フォーラム型のモ
デルがより適切であろう。


◇未知の世界に突入する新巨大都市構想


  中世ハンザ同盟の中心的都市であったハンブルグは、港湾再開発を柱としたグ
ローバルな海運ハブとして、21世紀の産業センターを目指している。ロッテル
ダムやトロントなどの先進都市もグローバルな役割を拡大する新都市構想を描い
ている。

 それらをはるかに上回るのが、2015年に完成を目途とする韓国の新首都計
画である。この計画は歴史上最も高額な民間による開発を狙っており、先進的情
報通信技術を用いた世界最初の"知覚都市"を構想している。連結性に異常にこだ
わる韓国らしく、家庭、職場、学校、病院などをシームレスに結合し、居住地と
商店をセットにし、あらゆるものをオンタイムで調達できることを目指している。
同時に、人口の集中を地球にたいする脅威からプラスに転化させ、アジアが世
界に示すモデルとなる模範を創出しようとしている。

 中国でも、約300の新都市が計画されており、エコ重視のグリーン型開発が
巨大な経済チャンスを提供している。アメリカではクリントン元大統領が、40
都市の市長によるネットワークを作り、CO2排出を削減する最良の慣行を普及さ
せようとしている。ブラジルのクリチーバ市によるクリーンな都市交通システム
は北米でも採り入れられようとしている。こうした 都市の効率的クリーン技術
導入は環境改善に資するだけではなく、GDP成長率を押し上げる。

 都市は世界の実験場であり、不確実な時代に見本を提供している。都市はガン
であると同時に、ネットワーク型世界の基礎でもある。都市はヴィールスである
とともに抗体でもある。気候変動から貧困と不平等に至るまで、都市は問題であ
るとともに解決である。新都市構想による輝かしい未来と、カラチやムンバイの
暗黒スラム街のような世界の、いずれをも生み出す可能性を都市は持っている。


◇コメント


 本論はグローバル化する世界の一面を鋭く抉り、国家間関係として依然として
把握されがちな国際関係の虚構をついている。国家の地位と役割が低下している
ことは確実であるが、都市がそれに取って代わるとみるのはやや短絡的であろう。
都市も国家と同じくその内部は多様なアクターから構成されており、同質的な
単位ではない。国際関係は、それらの多様なアクターが国家や都市、地域の枠を
超えて連合、連携する重層的なものになりつつあり、都市が国家に取って代わる
という、単純な図式では十分に解明できない。

 ここで論じられ、紹介されている都市の動向はもっと掘り下げた分析と議論の
対象とされるべきであろう。国家の中心軸と見る従来型首都論では、もはや今日
の巨大都市が捉えられないという指摘は首肯できる。だが、筆者も無条件で都市
化を肯定していないように、都市は過密化、人間の疎外化、無秩序なスラム化を
各地で生んでいる。都市化が資源の有効かつ最適な利用につながるという議論に
は、大きな疑問を持つ。誰が都市を養うのであろうか。私は、どちらかといえ
ば、巨大都市のマイナス面に目が向く。

 以上の様な根本的疑問にも拘わらず、都市が国家を超えだしたという指摘から
知的理論的な刺激を受けた。このようなスケールの大きな議論を発展させる知的
土壌が、残念ながら日本の今の論壇には乏しい。今日のように不確実な時代にこ
そ、多少の過ちや不十分さを恐れない大胆な問題提起が望まれる。

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