~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は何を意味するのか~

■宗教・民族から見た同時代世界        荒木 重雄 

  ~国際社会に祝われるスーダン南部の独立は何を意味するのか~
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 世界の耳目をあつめたエジプトの政治変動の帰趨はいまだ明らかでない。そこでエジプトは次号に譲って、今号ではもう一つアフリカで注目されるスーダンの情勢を見ておきたい。
  中央政府を握る北部のイスラム教徒アラブ系と南部のキリスト教徒など黒人系
が対立し内戦を繰り返してきたスーダンで、1月、南部の分離独立の是非を問う
住民投票が行われた。結果は98.83%という圧倒的な独立支持で、7月にはアフ
リカに54番目の新国家が生まれる見通しである。


◇◇分離独立への長い道程


  19世紀以来、英国と英国保護下のエジプトによる征服・支配に抵抗してきたス
ーダンは、1956年、念願の独立を果たすが、1924年以降、英国が南北を分断統治
してきたことに加え、新政権が独立運動を担ってきた北部のイスラム教徒アラブ
系中心となったことから、南部のアニミズム(伝統的精霊崇拝)やキリスト教を
信奉する黒人系住民が反発し、55年、南北間で内戦がはじまった。
  72年、内戦は一旦終息したが、83年、ヌメイリ大統領が同国にイスラム法を導
入したため南部住民が反発、再び内戦に突入した。

 犠牲者が250万人にも及んだとされる二度の内戦の末、ヌメイリの後を襲った
バシル大統領政権と南部のスーダン人民解放軍(SPLA)の間で、2005年、よ
うやく包括和平協定が締結され、バシルを大統領、SPLAのガラン最高司令官
を第一副大統領とする暫定政府が発足した。併せて南部の自治が認められ、この
暫定政府で6年間の統治を行ったうえで南部で住民投票を実施して、北部のイス
ラム教徒系政権と南部政権の連邦を形成するか、南部が独立するかを決めること
となった。

 しかし、その後も事態が順調に進んだわけではなかった。副大統領になったば
かりのガランがウガンダ訪問からの帰途、搭乗ヘリで墜落死すると、謀殺を疑っ
た南部住民がアラブ系住民を襲撃する事件が起こった。
  また、2003年からは、非アラブ系住民が多住するもう一つの地域、西部ダルフ
ール地方でも政府に不満を募らせた黒人系住民が蜂起し、これに対して政府軍に
支援されたアラブ系民兵組織が大量虐殺を重ねて、死者20万人以上といわれる事
態となり、バシル大統領には09年と10年にそれぞれ、人道に対する犯罪やジェノ
サイド(大量殺戮)犯罪容疑で国際刑事裁判所から逮捕状が出されている。
  こうした事態を潜り抜けて2005年の協定が実施されたのが今回の住民投票であ
った。


◇◇宗教紛争?民族紛争?


  スーダンの紛争は、北部のイスラム教徒アラブ系と南部および西部のキリスト
教徒など黒人系の対立と括られるが、ことはさほど単純ではない。南部の黒人社
会にも少数派ながらイスラム教徒がいて、彼らも内戦中はSPLAに参加し、住
民投票でも独立支持に票を投じている。しかし一方でイスラム教徒ゆえの差別を
受けることもないではない。西部ダルフールでは、殺し合ったどちら側もムスリ
ムである。
 
  また、北部の「アラブ系」住民は他の集団を「黒人」と呼ぶが、彼らとて多少
のコーカソイドの混血はあれ基本的には同じニグロイドである。
 
  要は、アラビア語のスーダン変種を話す「アラブ人」が北部を中心に勢力を張
り、イスラムを受け入れたがアラビア語を母語とはしなかった黒人先住民が西部
に住み、アラビア語はおろかイスラムをも受け入れず先祖伝来のアニミズムを守
り一部キリスト教に改宗した黒人先住民が南部に住み、この中で支配的地位にあ
る「アラブ人」と他の二者との対立というのがスーダンにおける紛争の実態であ
る。

 さらにこの構図に経済的利害が重なる。南部は同地方で採掘される石油収入の
配分をめぐって北部と軋轢があり、西部では定住農民である黒人系と牧畜民であ
るアラブ系との土地や水などの資源をめぐる葛藤がある。
  世に単純な宗教紛争や民族紛争はなく、じつはその背後に経済的利害の対立や
エリート層の政治的思惑が潜んでいるのだが、スーダンもまさにその一例である。
  しかし、ことはそこに止まらない。国際社会の利害や思惑が絡む。米国を中心
に欧米諸国はイスラムに対する嫌悪感と人権観念から南部・西部の黒人側にくみ
して政府を非難、制裁を主張し、他方、同国に石油権益をもつ中国などは政府を
支援する。


◇◇南部独立はパンドラの箱か


  このような複雑な構造をもつ紛争の処理であるから、今後の展開も楽観は許さ
れない。事実、南北境界に位置し豊富な石油を埋蔵するアビエイ地区は帰属未定
のままで南北の火種となっている。
  分離独立の動きはスーダン各地に波及する恐れもある。とりわけ、世界最悪の
人道危機を招いたとされながら和平交渉が頓挫したままの西部ダルフールの紛争
への影響は必至であろう。

 この影響はさらに国外に広がることも懸念される。アフリカの国々は、植民地
時代に植民地を支配する側の利害に基づいて引かれた国境線を踏襲して独立し
た。そこに住民の民族や言語、宗教、文化などの実情は反映されていない。この
ため国の枠組みはいまも軋みつづけ、各地で紛争が絶えない。スーダン南部の分
離独立はこのアフリカ各地の紛争を刺激・誘発しかねない禁断の箱を開けるとい
うのである。
 
  多様な地域住民が法治体制のもとで中央政府と交渉し権力・資源の公正な分配
を実現する民主化過程を国際社会は理想とするが、そのような綺麗事ではすまな
い現実があり、その一端にかかわるのが、今日の世界における宗教の一面である。

      (筆者は社会環境学会会長)

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