■ 宗教・民族から見た同時代世界              荒木 重雄

少女襲撃事件とムハンマド冒涜映像事件が展いたもの

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  今年も世界の注目を集めた宗教的なトピックはイスラムにかかわるものが多か
ったが、秋に起こった二つの出来事は象徴的といえよう。ひとつは、「女子にも
学ぶ権利を」と訴えていたパキスタンの14歳の少女が過激派の銃弾を浴びた事
件であり、もうひとつは、米国で制作されたムハンマドを冒涜する映像にイスラ
ム世界が激しく反発したことである。

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■イスラム世界がテロに否

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 少女の名はマララ・ユスフザイという。この地域に影響力をもち女子教育を認
めないイスラム原理主義組織パキスタン・タリバーン運動(TTP)に怯えなが
ら登校する日々を英BBCのブログに仮名でつづっていたが、やがて本名を明か
して政府主催の講演会や海外メディアに女子教育の必要性などを語るようになっ
ていた。パキスタン政府から国家青少年平和賞を贈られ、国際団体から世界子ど
も平和賞にもノミネートされた。
 
  その少女が、下校中のスクールバスで、乗り込んできた覆面の男たちに銃弾を
浴びせられたのである。TTPが「欧米寄りの考えで我々への批判を続けている
から襲撃した」と犯行声明を出した。
 
  マララさん襲撃の報が伝わると、欧米はもとより、イスラム諸国からも、襲撃
を非難し、マララさんに連帯し支援する声が湧き上がった。
  とりわけ地元パキスタンでは、アフガン侵攻以来の米軍の振る舞いに反米感情
が高まり、そこからTTPに共感を抱く国民も少なくないが、全国各地にマララ
さんの写真が掲げられ、襲撃を非難し、テロ根絶を訴えるデモが相次いだ。
  これは、これまでになかった事態の展開である。
 
  イスラム教徒によるテロが、正義を奪われた者ののっぴきならない異議申し立
てとして、ある意味「容認」されたのは、それが置かれた歴史的状況からであっ
た。その最たるものが、理不尽に故郷を奪われたパレスチナ難民の問題であり、
また、そこにつながる19世紀以来の西欧列強によるイスラム世界分割支配であ
り、さらに、今世紀初頭からの米軍主導のアフガニスタンとイラクへの攻撃であ
る。これらへの異議申し立てには「大義」がある。
 
  だがその「大義」や「正当な怒り」から離れ、自分たちの価値観を押しつける
ため子どもに手をかけるまでに堕した「イスラムのテロ」に、イスラム世界自体
がノーを返したのが、この事件の波紋が明らかにした意義であった。

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■イスラム教徒はなにに怒る

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 一橋大教授の内藤正典氏はその著『イスラムの怒り』で、イスラム教徒が怒る
原因は主に三つであるとする。

 まずは、弱い者いじめ。とくにアフガニスンやパレスチナといった戦場で、女
性、子ども、高齢者が犠牲になることには敏感に反応する。

 次に、聖典コーランや預言者ムハンマドを侮辱、嘲笑すると激しい怒りを招く。

 三つ目は、イスラムの価値観や生活習慣を「遅れている」と蔑むことが怒りを
呼ぶ。

 これはしかし、どの宗教の者にも当てはまることであって、問題は、侮辱や挑
発を受ける側にいるか、する側にいるかであるが、この秋、国際的な宗教事情に
一波乱をもたらした出来事も、米国発のこうしたイスラム世界への挑発であった。

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■冒涜映像から問われる表現の自由

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 真相はいまだ不明だが、米国在住のイスラエル人や銀行詐欺で保護観察中のコ
プト教徒(エジプトのキリスト教一派)、反イスラムを掲げるキリスト教右派団
体を運営する米国人などが制作に携わったとされる、ムハンマドを冒涜する動画
がユーチューブに投稿されたことから、中東から東南アジアにわたるイスラム諸
国で激しい抗議行動が起こった。

 一部では治安部隊との衝突で多数の死傷者を出し、また、米、英、独などの公
館が押し寄せたデモ隊の投石や放火で被害を受けた。
  とりわけリビアのベンガジでは、米領事館がデモ隊にまぎれた武装グループに
襲撃され、米大使ら米国人4人が死亡する事件も起きた。

 さらにその最中に、フランスの週刊誌がムハンマドの風刺画を掲載し、イスラ
ム教徒の怒りをいっそう掻き立てて騒乱を拡大させた。

 2005年のデンマーク紙ムハンマド風刺画掲載事件以来、相次ぐこの種の挑
発の背景には、欧米に広くみられる「イスラム・フォビア(蔑視)」があろう。
米国内やアフガン米軍基地でのコーラン焼却事件、米軍人がタリバーン兵の遺体
に放尿する映像やアルグレイブ刑務所でのイラク人捕虜性的虐待写真のネット流
出なども、こうした蔑視の表れの一環である。さらには米軍幹部の教育機関で、
イスラムの聖地やイスラム教徒の一般市民に対しては無差別攻撃が容認されるむ
ねの授業が行われていることも明らかになった。

 このたびのムハンマド冒涜映像事件は、あらためて「表現の自由」についての
議論を、国連総会で喚び起こすこととなった。

 「忌まわしい表現は受け入れられない。表現の自由は他者の信仰を侮辱し、憎
しみを煽り立てるためのものではない」(エジプト・ムルシ大統領)。「表現の
自由を装ったイスラム蔑視はもはや容認できない」(トルコ・ダウトオール外相)
。「表現の自由を悪用して世界を危機に陥れる行為は処罰されるべきである」
(パキスタン・ザルダリ大統領)。

 欧米ではホロコースト(ナチスによるユダヤ人大虐殺)を否定する言説だけで
犯罪になるのに、イスラム侮辱を容認するのは「二重基準」ではないかとの批判
も出された。

 欧米側はいつものように「表現の自由は普遍的価値」とうそぶいたが、潘基文・
国連事務局長は「表現の自由が保障されるのは、人類共通の正義、共通の目的に
使われる場合で、他者の価値観や宗教を侮辱するためではない」と、めずらしく
踏み込んだ発言をした。
 
  「表現の自由」に留保をつけるイスラム諸国には、国内の野党勢力やメディア
に厳しい規制をかける国が少なくないことも事実だが、私たちも真摯に考えなけ
ればならない課題である。

 (筆者は元桜美林大学教授・社会環境学会会長)

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