~布施と功徳の互酬関係で地域社会に根づくスリランカ仏教~

■宗教・民族から見た同時代世界              荒木 重雄

布施と功徳の互酬関係で地域社会に根づくスリランカ仏教

──────────────────────────────────

 出家して227の戒を守り、専ら修行に勤しんで自己の解脱をめざすのがスリ
ランカの上座部仏教の僧侶だが、人里離れた森林に住んで瞑想に明け暮れる「森
林僧侶」を除いては、なにがしか世俗との交渉のなかで生きることになる。
 前号ではスリランカ仏教の成り立ちや僧侶の修行にふれたが、今回は僧侶や仏
教と庶民のかかわりに目を向けたい。

===========================================================
◇◇ 暮らしのなかに寺と僧
===========================================================

 街や村の寺院に住むスリランカの僧侶は、地域社会に欠かせぬ知識人である。
人々の相談相手となり、情報センターであり、日曜学校の教師であり、人々の通
過儀礼に関与し、葬式においては現世と他界の接点に立って功徳を死者に転送し、
また、よりよき再生を願う民衆の期待に応えようと努める。星占いをしたり、悪
霊祓いや病気治療など呪術的行為をする僧侶もいる。

 地域の人々も気軽に寺院を訪れる。ポーヤとよばれる、上弦・満月・下弦・新
月と月に4回ある斎日や、7月の満月から10月の満月までのワッサとよばれる
雨安居のあいだ毎晩のように催される仏陀供養(ブッダプージャ)は、地域住民
の多くが寺院を訪れる機会である。

 訪れた人々は、仏塔、菩提樹を詣でたのち、多数の仏陀像を祀る仏殿に参って、
それぞれの仏像に献花し、灯明を上げ、供物をそなえる。 
 僧侶は仏陀像の前で「三帰依文」を唱え、訪問者は礼拝し跪いてそれに和し、
五戒や八戒を授けられて遵守を誓うのである。

 因みに、上座部仏教では信奉するのは仏陀(釈迦)のみであり、堂内にいくつ
仏像があろうとも、それらはすべて仏陀像である。

===========================================================
◇◇ 布施と功徳がつくる互酬関係
===========================================================

 僧侶を表すビック(比丘)の語源がビッカティ(食を乞う)に由来するように、
生産にいっさい携わることのない僧侶は、在家者からの物質的援助なしには生存
も活動も不可能である。食のすべてを托鉢に委ねる決まりこそすたれたが、日用
品から食料までを檀家の布施に負っている。

 在家者からの布施の大がかりな機会(システム)は、雨安居明けの1か月以内
に行われる「カティナ」である。雨安居中の厳しい修行をねぎらい、尊敬の念を
込めて、僧侶に新しい僧衣を寄進する伝統的な行事に由来するもので、この寄進
には特別の功徳もあるとされるため、寺院ごとに地域住民が総がかりで用意を整
え、衣をはじめ、石鹸・歯磨き・用紙類などの日常必需品、米や調味料、菓子類
などを、寺院によっては何台ものトラックに積み込んで届けるのである。

 カティナに次ぐ行事は、5月の満月の日に催される「ウェサック」である。上
座部仏教圏では、仏陀の誕生・成道・涅槃の3つの出来事がすべてこの日に起こ
ったとされ、仏教徒には特別な意味をもつ日となる。荘厳された寺院にこぞって
信者が訪れ、思い思いに精一杯の布施をする。

 在家者による布施の機会は、これら大きな催しだけとは限らない。先に述べた
斎日や仏陀供養に寺を訪れるさいにも分相応な布施が用意されるし、檀家や信者
はあらゆる祝儀・不祝儀に僧侶を招いて昼食を供養し、併せて金品の布施をする。

 人々が布施を欠かさぬ重要な要因は「功徳」の観念である。上座部の仏教徒に
とって教団や僧侶は、供養や布施の「籾」を播けば豊かな「功徳の恵み」がもた
らされる「福田」と考えられ、その「功徳」は、布施者の「業」を改善して、よ
りよい来世を保障するだけでなく、現世の幸・不幸をも大きく左右するのである。

===========================================================
◇◇ 人々の求めなら祈願も護呪も
===========================================================

 在家者にとって仏教は、えてして、観念的で現世否定的な教理よりも、招福除
災の現世利益への期待が強い。スリランカの仏教は、そうした民衆のニーズにも
応えるシステムを創りだした。その一つに「ピリット儀礼」がある。ピリットと
はパーリ語のパリッタ(「護る」)の訛で、住民の新築・移転・開業のおりや、
健康祈願・安産祈願、死者への回向、あるいは病気治療や悪霊払いの要請に応え、
僧侶が護呪経文を読誦する儀礼である。

 信者の家か寺院にバナナの幹やココナツの葉で飾られた仮堂が設けられ、中に
置かれた舎利容器・経典・水瓶などに結ばれた白い糸が僧侶の手から信者たちの
合掌した手に渡されて、これで「仏法僧」と会衆が1本の糸で結ばれた一体とな
る。

 目的に沿った経や偈が唱えられたのち、水瓶の水は信者たちに分け与えられ、
短く切った糸は僧侶が信者の手首に結わえて護符となる。ともに霊験あらたかな
有難いものとされるのである。

 仏陀像のみが礼拝されるはずの寺院だが、しばしば、多様な神々の像が脇侍ふ
うに祀られていたり隣接する祠堂に祀られていたりする。人々はこれらの像に供
物や賽銭を上げて願掛けをする。神々の多くはヒンドゥーの神々や地方神だが、
なんと、観音や弥勒など大乗仏教の菩薩もここでは神扱いである。

 何故、神々が寺院内に祀られ、あらたかな霊力をもつのか。それは、神々が仏
陀から機能を委譲されて働くからである。
 願掛けにさいして、人々は仏陀に参拝したのち、祠堂に赴き神々に祈願をする。
その理由は、祈願者が仏陀に参拝して得た功徳が神々に転送され、そのことによ
って神々が功徳を増して解脱を達成する機会が増えるので、神々はその見返りと
して祈願者の願いに応えると解釈されるのである。

 仏教は霊的存在を認めず、超自然的な力や神々に対する祈願も行わないのがほ
んらいのありかたであるが、民衆がもつヒンドゥー的な神観念や民間信仰の要素
を再解釈して仏教化し、民衆の来世観や現世利益の欲求にも応える形に再構成さ
れたのが、現実のスリランカ仏教であり、このメカニズムはまたあらゆる地域の
あらゆる宗教に共通するところである。

 (筆者は社会環境学会会長・元桜美林大学教授)

          目次へ