~新疆「騒乱」が見せた発展中国のウイーク・ポイント~

■宗教・民族から見た同時代世界

~新疆「騒乱」が見せた発展中国のウイーク・ポイント~    荒木 重雄

───────────────────────────────────
     
  中国・新疆ウイグル自治区で1000人をはるかに超える死傷者を出した7月の騒
乱はひとまず収束した。事件の全容はいまだ明らかではないが、おおよそ次のよ
うに跡づけられる。
  新疆からのウイグル族労働者の出稼ぎ先である広東省の玩具工場で漢族と乱闘
事件が起こり、ウイグル族に死傷者が出た。新疆の首都ウルムチでそれに抗議す
るデモが起きた。はじめは平穏なデモだったが、治安部隊の過剰警備に反発した
一部が暴徒化し、バスやパトカー、漢族の商店などを襲い、破壊した。翌日には
これに報復する漢族のデモが起こり、ウイグル族の居住地を襲って住居やモスク
(イスラム教の礼拝堂)を破壊した。
  両民族住民の相互不信と反目が悲惨な事件として表れたのだが、その背景には
なにがあるのだろうか。


◇◇「新疆」という地名が示す歴史


 
  新疆ウイグル自治区は中国の最西部に位置し、住民の6割がウイグル族(45%
)はじめカザフ族、キルギス族などトルコ系のイスラム教徒である。アジアの内
陸部には広い範囲に亙ってトルコ系の諸民族が居住し、ここは、その東部地域の
意味で「東トルキスタン」ともよばれる中央アジア文化圏の一角である。同時に
また中国側からは「西域」ともよばれるように、この地域はその歴史において、
中央アジアの勢力と中国の勢力との興亡・転変の舞台であった。18世紀に清の支
配下に入り、清朝から「新しい領土」を意味する「新疆」とよばれたのが、現在
の地名の起源である。
  辛亥革命の後は、清の版図を継いだ中華民国に属しながらも、1933年と44年、
二度に亙って「東トルキスタン共和国」の独立を図ったが、49年の共産党政権確
立とともに解放軍の進駐により抑え込まれた。
 
  新中国の下に1955年、新疆ウイグル自治区が設置されたが、しかし、直後に開
始された大躍進政策(58~60年)は住民の経済と生活を破壊し、数十万といわれ
る餓死者を出したり数万人がソ連領に逃亡したりする事態となった。つづく文化
大革命(66~76年)ではイスラム禁圧が徹底されてモスクの破壊や宗教指導者へ
の迫害が行われ、また、紅衛兵同士の武装闘争に巻き込まれて住民数千人が死傷
するなど、混乱を極めた。この間にも自治区のイスラム住民たちは、弾圧に抗し
て、幾度もの蜂起、反乱を繰り返した。
 
80年代、中国政府は民族政策を転換し、融和政策によって一時小康状態を保っ
たが、90年代に入ると、ソ連の崩壊にともない同じトルコ系イスラム民族の中央
アジア諸国が独立したことも与って、再び、自治区住民に政治的な独立を求める
機運が高まった。警察・政府施設への襲撃や治安部隊との衝突などが頻発し、政
府はこれに対して容赦のない弾圧と、モスクに住民を監視する責任を負わせたり
、漢語教育の強化など文化的締めつけで応じてきた。
  こうした流れのなかでの、昨年の北京オリンピック開催に合わせた爆弾事件な
どはまだ記憶に新しいところであろう。


◇◇日々の差別と宗教抑圧


  今回の事件には、このような歴史的文脈だけでなく、日常的な不満や憤懣があ
る。ひとつは漢族とのあまりにあからさま経済格差と差別である。
  過去30年で同自治区の域内総生産は9.5倍に増えたとされ、それは核実験関連
や石油・ガス開発、さらに90年代末から急速にすすんだ「西部大開発」による大
規模基盤整備と市場経済の進展によるものだが、その間に漢族の移住が急激にす
すみ、ウルムチなどではすでに漢族が人口の大半を占める。
  その漢族が経済発展の利益の殆どを独占し、一方、ウイグル族は、その多くが
、差別からまともな職にも就けず貧困に置かれているという事実がある。それは
、同地区の20~30代の男性の失業率がじつに7割にも達していることからも明ら
かであろう。

 もうひとつは宗教抑圧である。新疆ウイグル自治区では、モスクで宗教指導者
が講話をする際にも、聖典コーランの一部は読みあげることができない。とくに
異教徒からの脅威と闘うジハード(聖戦=かならずしも「戦い」を意味しない)
に触れることなど厳禁である。イスラム教徒の宗教的義務である、ラマダン月(
断食月)の断食や、女性がスカーフをかむり男性が髭をたくわえることや、メッ
カへの巡礼などにも制限が加えられている。
  こうして日々に蓄積される格差と貧困への不満や、差別や侮辱への反発、そし
て宗教抑圧への憤りの噴出が、今回の事件の背景であろう。


◇◇懸念される中国対イスラム


 ウイグル族弾圧への批判は、国際的な影響力を増大させつつある中国への思惑
や欧米で慢性化したイスラム教徒への警戒心から、国際社会では全般に腰が引け
ていた。それはイスラム諸国の政府とて同じで、例外はトルコのエルドアン首相
くらいであった。だが、イスラム民衆の反応は敏感で、インドネシアなどでは中
国政府への抗議デモが起こった。さらにやっかいなことは、北アフリカなどに拠
点を置くアルカイダ系国際テロ組織が中国への「報復」を宣言したことである。
もしこれが実行に移されるとなれば、世界で権益を拡張しつつある中国も、欧米
が自らの失策から舐めてきた同じリスクを覚悟せねばなるまい。

 10月に迎える建国60周年に「安定」と「発展」を謳おうとするのなら、中国政
府はまず、国内55少数民族への、その思いを尊重した自治と発展のプログラムの
策定に着手するべきであろう。

                                                    目次へ