≪連載≫

■ 農業は死の床か再生のときか  濱田 幸生

 放射能の雲の下に生きる
  ~日本農業失敗の研究 原発事故と風評被害篇~
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■なぜ、農業は国民の信頼を失ったのか?


今になって、ああすればよかった、こうしたらよかったということは山ほどあ
ります。もちろん結果論というやつですが、されど結果論。 あの大震災から5カ
月目になろうとしているこの時期に、もう一回咀嚼し直してみることもいいのか
もしれません。 オーバーなタイトルを付ければ、「日本農業失敗の研究 原発
事故と風評被害篇」とでもということを考えてみました。

 今、都市の消費者の農業全体に対する不信感は日に日に増大しているようで
す。言うまでもなく、牛肉と、これから出る可能性が高いとされているコメのセ
シウム検出によってです。この牛肉とコメという、ある意味日本農業の華とでも
いうべき品目の信頼が揺らいだことによって、震災から揺らぎ続けていた農業全
体に対する眼が一挙に厳しくなりました。

 もちろん、これには下地がありました。4月から始まる風評 被害事件です。私
はこの対応の失敗が、きちんと見直されないままに現在の牛肉コメなどの問題で
全国化していき、いっそう深刻に、そして複雑になってしまったという気がしま
す。  からまってしまった糸玉には初めの絡まった時があるのです。

 最初 に政府がドタバタで定めた暫定規制値なる数値が出た時、それを受け
取った県レベルでは危機感はほとんどなかったはずです。「おー、こんなファッ
クスがきているよ。まぁ出ないと思うが、いちおう計ってみようか」、とまぁ、
今になるとずいぶんと悠長な空気が現地にはありました。

 原発事故の現地となった福島県は別にして、隣県は正直そんなていどの気分だ
っただろうと想像できます。なぜなら、政府から放射能の危険情報がまったく届
いていませんでしたし、放射能が飛散すると言われてもピンと来た人のほうが少
なかったのではないでしょうか。そして各県が計ったところ、次から次にと い
うペースで規制値超えが出ました。

3月19日に栃木県宇都宮のほうれんそう、3月24日に千葉県多古のほうれんそ
う、4月6日に茨城県高萩の同じくほうれんそうでした。 それから、雪崩のよう
にさまざまな作物に放射性物質が検出されて大混乱となるのはご承知のとおりで
す。この状況は、よもやそこまで放射性物質は行っていまいと思われていた 神
奈川の足柄のお茶(5月10日)にまで検出されました。

汚染された範囲も福島、茨城、千葉を中心として、栃木、群馬、神奈川、静岡
にまで拡がりました。そして今回はとうとう福島の北に位置する宮城県です。
これに原発からの汚染水の大量放出による海産物被害まで出ますから、わが国
が今まで経験したことのない広範な汚染状況でした。

これに対して政府が出した出荷規制が引き金になって、福島、茨城、千葉の県を
中心とする被曝圏内と思われた東関東産の農作物は市場から徹底的な出荷拒否に
会います。これがいわゆる「風評被害」でした。被害総額はおそらくは数 百億
円の規模に上るのではないでしょうか。未だ完全な集計すらできないほどの傷を
日本農業に与えたことは間違いありません。


■「風評」ではなく「実害」だったかもしれない


さて、この時農業界はどのような対応をとったのでしょうか。それは「これは
風評被害だ」という表現に集約されています。 あくまでも農業界(*)は、こ
れは「風評」であって、「実害」ではないと言いたかったのです。言い換えれ
ば、政府が出荷停止にした品目以外は「安全」である、と。これは明瞭に誤りで
す。

 政府がやったような「爆発はありません」、「メルトダウンしていません」、
「直ちに健康被害はありません」とまったく同列の言葉の欺瞞でした。 ああ、
言ってしまった・・・。けっこう勇気いるんですよ。この私だって、かつて「風
評被害は人災です」としっかり書いていますから。 原発事故という人災には違
いないし、私個人はあの時点で出荷規制以外の作物が安全だと主張したことは一
度もありませんが、農業界はそう訴えてしまったのです。

当時から私はそれはありえないと思っていました。なぜか?  農業の現場にい
れば、たとえば出荷停止のホウレンソウの横の畝には春キャベツが植わっている
ことを知っているからです。牧草もあるし、屋外藁もあります。

冬の露地ホウレンソウは確かに葉が横に展開するために被曝面積が大きいのは分
かりますが、だからとって隣の作物が安全だなどという保証は検査の結果を見な
ければなにもないはずです。当時わが県にフォールアウトした放射性物質が、ホ
ウレンソウだけを狙って他の作物にかからなかったはずもありません。

 そんなことは小学生にだってわかるはずです。 にもかかわらず、農業界や自
治体行政は「政府の出荷規制がない」=「安全である」と言い切ってしまったの
です。この言い方は、詭弁術の「嘘は言っていないが、ほんとうのことは言って
いない」という類のものでした。

このようなある種の詭弁に近い言い方で、「風評被害だ。オレたちも被災者だ。
買ってくれ!」と主張してしまったが故に、消費者の心の中に「農家は危険だと
自分では知っているものまで安全だと言い張る」という不信の意識が芽生えてし
まったのです。


■まず「補償金を!」と反射的に叫ぶ農業界の愚行


そしてほぼ同時に、農業界は「加害者の東電と政府に補償を求める」と叫びま
した。これも補償要求は当然としても、出す時期を誤っています。農業界が政
府、東電に掛け合うのは、農業者の生活を守るためには必須でしたが、少しも消
費者のほうを向いていない動きでした。なぜなら、農業界は正しい情報提供を国
民にしていないからです。農業界は、日本農業が置かれた状況を率直に国民にア
ピールすべきでした。

まず第1に、未曾有の原発災害の真っ只中に、福島と茨城、千葉などの東関東が
あることをはっきりと危険宣言すべきでした。こでも被害を「できるだけ小さく
見せよう」という政府と同じ心理が働いてしまっています。この利害関係者特有
の内向きの心理は、後に状況が悪化するほどに綻びて、それを取り繕うことが難
しくなります。


■農業界は、国民に自分が置かれた位置を率直に語るべきだった


あのような原発のシビアアクシデントにおいては、状況はよくなるはずがなく、
一定期間は絶望的状況が続くことをはっきりと自分たち農業界内にも、消費者に
も伝えるべきでした。大変に勇気が要りますが、当初は「時期尚早」と言われよ
うが(実際に私は地元行政からこの表現を使われましたが)、オオカミ少年だと
言われようが、もっと深刻な事態がありえるということを宣言しておくべきでし
た。初めに気休めをやると、後に大きなツケがやってきます。

第2に、自分から農業者は「遺憾ながら、現状において日本農業は放射能に無
防備である。直ちに政府は農業の穂者農に対する防護策をとれ」と言うべきでし
た。実際、私たち農業者は放射能に対して無知でした。眼にも見えぬ、嗅ぐこと
も出来ない存在に対して実感がわかないのは当然ですが、分からないことをさも
分かったように言うのではなく、「今どこまでが分かっていて、どこからが分か
らないのか」をはっきりと国民に伝えるべきでした。

当時の時点で、国は一切の放射能飛散情報を隠蔽していました。ですから、福
島とそれに隣接する各県は何がどうなっているのかさえわからないまま、続々と
出る暫定規制値超えに必死に対応していたのです。まさにパニックです。対応が
状況の急展開にまったく追いつかないのです。では、どうすべきだったのでしょ
うか?

■農業界は、フォールアウトの可能性のあるすべての農畜産物を出荷自粛すべき
だった私は危険が予想される地域、すなわち当時の認識ならば(その後拡大しま
すが)、福島、茨城、千葉、栃木の各県のフォールアウトにより外部被曝した可
能性のあるすべての露地野菜の出荷を見合わせる措置をとるべきだったと思います。

ただし、検査が各地域で終了するまでの暫定的措置であり、品目も露地野菜に
限定します。そして政府に真っ正面から被曝状況速報と汚染マップを提出するよ
うに要求すべきでした。そして政府に、放射能を測定する器材を大至急、かつ、
大量に関係各県に無償配布することも同時に要求すべきでした。たぶんこの方針
をとった場合、おそらくは農家からの轟々たる罵声の嵐に包まれたはずです。

「われわれ農民の生活はどうなるのだ」しかし、考えて頂きたい。あの3月、4月
の時期に無理に出荷しても結果は同じではなかったのですか。風評被害と言いま
すが、あれは市場原理の選択機能が発揮されただけです。国民、すなわち消費者
はいくら私たち農業者が「安全」だと言っても、あの広範な被曝がホウレンソウ
だけであるはずがないのを敏感に判断していたのです。


■内向きの論理から出られて、初めて補償金を要求できるのだ


農業界は、このような順番で国民に理解をえるべきでした。
・第1に、原子力事故に対する危険宣言。
・第2に、政府に対する放射能飛散状況の提出要求。
・第3に、計測機器の大量提供の要求。
これらがあって
・第4に被曝の可能性がある農畜産物の一時的出荷自粛。
そしてようやく、計測が終了した地域の品目から暫時出荷可能にしていき、そ
してここで思う存分、自らの業界の利害を叫べばいい。
・第5に、「東電と政府は補償せよ」と。

ろくな検査もしないうちから「安全」と言い、初めから自分たちの補償だけを
叫べば、どのような目でわれわれが見られるのか、農業界は考えをおよぼすべき
でした。繰り返しますが、これは結果論です。5カ月間たっての状況が治まりつ
つある今の時点での私の考えにすぎません。当時それをすることはほぼ絶望的に
困難だったでしょう。農業界の責任者は辞表を胸にして毎日をすごさねばならな
かったでしょう。しかし、今、きちんと総括しておくのなら、これからは可能な
はずです。


■ようやく除染することが決まった


ようやく、ほんとうにようやく、除染が予算化されました。実に震災-原発事
故から5か月後のことです。 政府・与党は「日本農業新聞」(8月16日)に
よれば、「福島第1原発により放射性物質に汚染された土壌や瓦礫の汚染の処理
法を定める特別措置法案の骨子を固めた」そうです。

「汚染が著しい地域を特別地域に指定し、国の責任で除染作業をすると明記」さ
れています。がれきに関しては、汚染廃棄物対策地域を指定し、国が廃棄物の収
拾、運搬、保管、処分を行うとした」そうです。 言ってもせんないことかと思
いつつ、やはり言わないわけにはいかないでしょう。遅い!遅すぎる!5か月も
立った 今、ようやく政府が本腰を入れようかな、どうしようかな~、

とりあえず政府提出立法ではなく議員立法で特措法を作ってみました、というと
ころです。 政権末期になって、次の政権にやらせようという魂胆のようで、毎
度のことながら、いい根性しています(笑)。 結局なんにもしない、なんにも
出来ないということで、無為に貴重な初動の5カ月間が過ぎたということです。


■東日本に対する「放射能差別」意識の芽生え


この貴重な初動5カ月間に真っ先に取り組むべき課題のひとつが、除染とその
元となる土壌の線量測定でした。これを民主党政権は完全にサボタージュしまし
た。 結果、どうなったでしょうか? 未だ福島県や周辺の県の「薪の灰ひとひ
らでも怖い」という東日本全体を危険視する風潮が、国民の中に生まれました。
また、「瓦礫のひとかけらから汚染が拡がる」という瓦礫ボイコット運動が盛
んになってしまいました。 

これは東日本の農産物といった従来の狭い枠ではなく、東日本地域全体を「汚
染地域」として色眼鏡で見るところまで成長しました。瓦礫にしてもそうです。
福島県の近隣県では、「放射能汚染の拡大」を恐れて、搬入拒否運動が拡がって
います。 ここまで問題をこじらせて、今になって、政権があと1週間もないと
いう時期になって、除染をすると言うのですから、与党議員諸氏の頭の上からバ
ケツで冷却水をかけてやりたい気分です。


■測定と除染という素朴な方法しかない


この「被爆地」の土壌線量の測定と除染は4月から始めるべきでした。 ここ
で正確な測定数値が出れば、早川マップ(*群馬大早川教授の出した汚染マッ
プ)も必要なかったし、週刊誌が各誌競争のようにして、面白おかしくホットス
ポット探しをする流行を生み出すことも、西日本が必要以上に東日本を怖がる風
潮ができることもなかったのです。

土壌線量測定などそんなに大変なことではありません。私のような素人でも簡
単に出来ます。ベータ・スペクトロメータという器材があれば迅速に計れるもの
です。こんな器材を市町村自治体に5、6台ていど供与すればいいのです。計測
自体は自治体職員がやればいいだけの話です。

そもそもこんなことは、議員立法だなんだと言う前に、県と相談して官僚がさっ
さとやればよかったのです。しかし、あの悪名高き「政治主導」とやらで、官僚
の中に「余計なことをすると怒られる。判断を仰ぐと判断しない」というヒラメ
的空気が生まれていました。

 霞が関の蛍光灯の下から出るのがイヤなら、せめて予算を農水省、厚労省、文
科省、環境省など関係各省が協力して緊急予算をぶん獲ってくればよかったので
す。  国は測定方法の基準だけ決めても、自分はなにもしませんでした。 ビタ一文
予算も付けないし、官庁に問い合わせれば、「民よ、モニタリング・ポストを見
ればいい。それでも心配なら、自分でガイガーカウンターでも買って、勝手に計
れ」とのダルなご託宣が返って来る始末でした。(←実話です)結局、国に見放
された国民は不安の中で5カ月間を生きなければなりませんでした。


■政府はこの女性たちの声を聞け!


先日、消費者の皆さんとお話をもつ機会がありました。ECRR(ヨーロッパ
放射線防護委員会)の講演の通訳を務めたトミーさんにも同席していただいた席
でした。
今の東京とその近郊の女性、特にこれから子供を作りたい、あるいは今幼い子
供を育てている若いお母さんたちの恐怖心には改めて驚かされました。私もでき
るだけ敏感でいようと勉めているつもりでしたが、やはり直に聞くと違います。

茨城の野菜は自分で買っても友人の若いママさん仲間にはあげられない、原発
事故の時まで大喜びでもらってくれたのに。茨城に一緒に田植えに行こうよと誘
っても、ちょっとあそこはねと言われた。この会合以外からもさまざまな若い女
性の悲鳴に似た声が聞こえています。ある人は亭主を置いて疎開した。夫は、オ
レたち週末家族だねと寂しそうに言った。若いママさんたちが公園に行かなくな
った。集まるところがないので、なんとなく疎遠になっている。

子供には学校が大丈夫だと言っても、校庭で遊ぶなと言ってある。妊娠した女
性が生むことが怖くてノイローゼになってしまった。生まないことを夫に言った
ら大喧嘩になってしまい、それ以来口をきいていない。授かった時にあれだけ喜
びあった夫婦だったのに。子供は転校したくないと言うが、子供だけでも九州の
親戚に預けるつもりだ。親はどうにでもなるが、子供だけは健康に生きてほしい。

沖縄に疎開した友人から電話が来た。夫の仕事はぜんぜんないので、貯金が底を
つきかけている。レジ打ちでようやく食べている状態。子供も学校になじめな
い。ある若い母親は除染のため庭の芝を剥いで、樹も切り倒してしまった。樹の
根のところがホットスポットだったから。

でも家ができた時、夫や子供と一緒に植えた自慢の樹だったのに。切り倒した
日の夕食は家族が皆泣いた。政府はこの女性の声を聞け!そして私たち農業者
も、己が風評被害を言い立てる前に、しっかりと彼女たちの悲鳴に耳を傾けるべ
きです。


■チェルノブイリに学べ!ベラルーシ方式を採り入れよう!


この「不安の雲」を取り除くには、ふたつしか方法はありません。調べること
と除染することです。ここにベラルーシという手本があります。 チェルノブイ
リ事故で大きな汚染を被ったベラルーシでは、各街の小学校に簡易食材の検査装
置があります。主婦は空き時間に小学校に行って短時間で計測を済まして、夕食
を作ります。

また、小学校の保健室には簡易ホールボディカウンターまであり、子供の線量を
定期的に計測して、異常はないかを確認しています。土壌測定も綿密に定期的に
行われています。空中線量などはモニタリングポストが街の各所にあります。
ベラルーシの国家予算など、おそらくはわが国の千分の1のケタです。そのよう
な小さな国すらこれだけのことをしているのです。

恥ずかしくないのでしょうか? 私は、福島県では早急にベラルーシのレベルの
放射線防護のための保健施設を作るべきだと思います。とりあえず、福島が優先
順位第一位です。その後に徐々に東北各県、茨城、千葉、栃木、東京東部に拡げ
ていけばいいのです。

たとえば、今、福島県下でベラルーシ方式でやるべきなのはこんなことです。
緊急時避難地域だけでお茶を濁すなんてバカなことを行っている場合ではありま
せん。
・1)ヘリ測定ではない、土壌放射線量の徹底計測。
・2)除染の方法と除染基準作り。
・3)各自治体による除染活動。
・4)小学校への食材放射線量計測器の導入。
・5)小学校への簡易型ホールボディカウンターの設置。
・6)空間線量測定のモニタリング・ポストを学区単位で導入する。
・7)一部線量が大きな学校児童の疎開。
こんなていどのことは、民主党の政党助成金ていどの金があれば可能です。
後世、福島方式と言われるような、しっかりとして被爆地支援方式を、政府は
作ってほしいと思います。

       (筆者は茨城県・行方市在住・農業者)

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