~東アジアの人間関係学~

■ ネットワーキングの思想

~東アジアの人間関係学~                荒木 重雄

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  まずは、安東自由大学の創設と運営にご尽力くださり、私たちを温かく迎えて
くださいました、権重東・韓国ILO協会会長、金暉東・安東市長はじめ、安東
市の皆様に心からお礼を申し上げます。
  この安東自由大学とは、韓国、日本、中国、台湾の人々が、互いの歴史と文化
の理解を通じて、共に新しい東アジア市民社会の創設をめざす草の根交流の試み
、と私は理解しております。そのような観点から私が考えておりますことを幾つ
か述べさせていただきます。
 
先程、成均館大学校教授の李基東先生から儒教についてのお話を伺いました。
たいそう学ばせていただきました。儒教の碩学であられる李先生の後で私ごとき
門外漢が儒教についてお話するのは、浅薄さを晒すのみで恥ずかしい極みですが
、この「共に新しい東アジア市民社会の創設をめざす草の根交流」という私たち
のテーマとかかわるところに限って、後程、儒教についても触れさせていただく
ことになりますが、あらかじめお許しを願っておきたいと思います。

 まず私が申し上げたいことは、市民交流、草の根交流の重要性です。
  東アジアにおける地域協力や地域統合が、ヨーロッパにおけるその進展なども
引き合いにさまざまに論じられてきておりますが、まだあまり進んでいるとはい
えません。何が足りないのかといいますと、一番肝心な、協力や統合の前提とな
るべき交流自体、とりわけ市民レベルの草の根の交流がまだ充分とはいえない状
態です。普通の人々同士の生活実感に根ざした共感に支えられた交流の充実が基
盤にあってこそ、政治や経済の交流もまともで健全なものになると思われるので
すが、その市民交流がまだ今一歩です。
と申しますより、その市民交流の前提となる相互理解そのものがまだ不足です
ね。
 
といいますと、否、そんなことはない。日本では「韓流」はもはやブームの時
期を過ぎて、韓国発のドラマや映画は今では当たり前に放送されたり上映されて
いるし、週末にソウルに遊びに出かけるなどということも普通のことになってい
るではないか、と仰る方もおいででしょう。逆に、日本の漫画やアニメ、ファッ
ションやポップミュージックが韓国や中国の若い世代に広く受け容れられている
ことも事実です。
  そもそも街を歩いていれば、ソウルも東京も、釜山も大阪も、ほとんど区別が
つかない。人々が着ているものも持っているものもみな同じ。というような同質
化も進んでいます。
  それは確かにそうなのですが、そういうメディア資本や商業資本が提供する消
費文化や娯楽文化の表面の華やかさの背後にある、その国の社会の歴史や課題の
理解となるとどうでしょうか。

 日本の側でいいますと、たとえば韓国ドラマのハンサムな俳優に夢中になって
いる中年女性たちが、韓国について、日本による植民地支配や強制連行や慰安婦
についてはもとよりですが、その後の韓国の経験、悲惨を極めた朝鮮戦争や家族
離散も、厳しい弾圧に抗しての民主化運動も、高度成長期の日本の男たちのいわ
ゆる妓生(キーセン)観光に鋭い批判が起こったことも、知る人、意識する人は
少ないのではないでしょうか。そうした歴史や人々の思いに「思いを致す」こと
は、あまりないのではないでしょうか。中国に対してもそうでしょう。

 私事の余談になりますが、ですから私が大学で教えていたときは、学生たちに
ときどきビデオで映画、韓国でいえば林権澤(イム・グォンテク)監督の「族譜
」とか「風の丘を越えて・西便制(ソピョンジェ)」とか「キルソドム」とか、
あるいは李長鎬(イ・チャンホ)監督の「旅人は休まない」とか、また中国では
陳凱歌(チェン・カイコー)や張芸謀(チャン・イーモウ)の作品など、2、3
0年前の、その時代のその社会の課題に真正面から取り組んでいる映画を観せ、
学生たちが現在の韓国や中国に対してもっているイメージとの落差から、それぞ
れの社会が背景に抱えているものの深さに気づかせるよう図ってきました。
  今日はこの後、韓国映画についてお話を聞かせていただけ、また映画を観せて
いただく機会があるようですから、楽しみにいたしましょう。

 日本のすべての人々に韓国や中国の歴史や社会の隅々まで知れというのは無理
な注文でしょう。しかし、つねにそこに思いを致す感性や想像力。国は違っても
、そこに生きている人々の状況や歴史や抱えている問題や、喜びや悲しみや怒り
や希望やに思いを馳せる感性と想像力は、ぜひとも持ちたいものと思います。こ
れは当然ながら日本人ばかりでなく韓国や中国の人たちに対しても望みたいとこ
ろです。
  そして、そうした深みのある理解と洞察の上に立つ交流こそが、真の「市民交
流」の名に値する交流であると私は思います。

 さて、このことを別の方向からいいますと、交流や協力の基盤となる東アジア
の市民の共通性をどこに求めるか、ということにもなろうかと思います。
  ある人たちは「同文同種」といい「漢字文化圏」ということをいいます。確か
にかつては中国を盟主とした中華世界の一員として韓国も日本もベトナムも属し
ていたのですが、漢字文化圏といっても今は、中国は簡体字、台湾は繁体字、韓
国はハングル、日本は仮名交じり、ベトナムはアルファベットと、それだけで通
じ合えるものではもはやなくなっています。
  過去の歴史や地域や文化の近さに、それだけに無自覚に寄り掛かれるものでは
なさそうです。そうすると、では、新しい共通性、すなわち「東アジアの市民の
連帯の環」をどこに創るのか、ということになってまいります。私はそれを同時
代性、すなわち、共に同じ時代の困難や課題に直面する者同士として、それに取
り組み、それを克服・解決して、よりよい世界を拓こうとする努力、というとこ
ろに求めたいと思います。

 では、私達、韓・日・中・台の市民が共通に抱えている問題、取り組まなけれ
ばならない問題とは何でしょうか。
  それはいうまでもなく、グローバリゼーションという名で呼ばれている、経済
という概念や言葉がもつ本来の意味を失わせるような市場や利潤の絶対化、市場
原理・競争原理の無批判な信奉・崇拝であり、それがもたらす格差の拡大、弱者
切捨て、社会的連帯や社会意識の崩壊、伝統的価値観や文化の喪失、そして人類
社会の危機さえ予感させる資源枯渇や環境破壊です。
  日本でいえば、低賃金の非正規雇用が拡大し、将来に希望をもてない不安定な
生活を強いられているワーキングプアーが増えていることや、高齢者や障害者へ
の社会福祉の削減が深刻な問題ですね。
  韓国でも、日本と同様、中高年の自殺がたいへん増えているそうです。やはり
日本と同様、職場での過酷な競争やリストラ、生活苦や借金苦、家族の崩壊など
が背景にあると聞いています。
 
中国でも、格差拡大が進み、「民工」と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者の状
況は過酷なようですし、農民蜂起のような政府や企業に対する抗議行動も方々で
起きているようです。海外で中国の食品や加工用原料の安全性が問題にされまし
たが、これも、競争社会に急激に巻込まれたことからの結果でしょう。
  さらに問題は、こうした格差社会、弱者切捨て社会では、大衆の不安・不満の
捌け口として、偏狭で排他的なナショナリズムを生みやすい、ということです。
またそれに迎合し、さらには煽って、自分の勢力を広げようとするポピュリズム
(大衆迎合主義)の政治家が出てきています。これは最も警戒しなければならな
いことですね。

 こうした私たちが同時代の状況として共通に抱えている問題を認識し、国のた
めでもなく企業のためでもなく、一人の人間、「人類全体の中の一人としての良
心」とでもいいましょうか、そういう普遍的なヒューマニズムを基にこれらの問
題を克服し、克服できないまでも緩和・是正の努力を日々に傾け、より公正で平
和な社会に近づけていく、そうした志が韓・日・中・台の市民を繋ぐ新たな絆に
なれば、そこから新たな東アジアの市民社会、市民連帯の輪ができればと、私は
願うのであります。

 このことに関連してもう一つ申し上げたいことがあります。それは歴史の捉え
方です。日清戦争、中国でいう「甲午中日戦争」、韓国でいう「東学農民運動」
以来の50年に及ぶ日本の行動が、非道なことに満ちていたことはいうをまちませ
ん。それは確かなのですが、しかし、歴史とは過去の出来事の事実としての検証
だけなのでしょうか。そうではなく、「未来の目標・あるべき姿」、先程申し上
げたような「東アジアのあるべき市民社会を構築する道筋」から照らし返して、
過去を検討し、意味を探り、教訓を引き出し、将来への道しるべを見出す。そう
いう「未来の理想・未来の連帯からの歴史」、「未来の理想・未来の連帯のため
の歴史」という方法もあるのではないでしょうか。
  韓国に日本に中国に、それぞれ国の事情で色づけられた歴史認識があるという
のではなく、「未来の東アジア市民社会から照らした東アジア共通の歴史を描く
」ということは、実現させたい大きな夢です。

 しかしこのことについてはもう少し説明を加える必要があるかと思います。ま
ず、これは日本の過去の責任を免れようとか有耶無耶にしようということでは決
してありません。反対に事実や責任は一層厳しく見詰めることが求められます。
「新しい歴史教科書をつくる会」などに代表される、日本の植民地支配や侵略戦
争を正当化しようとするような独善的な、歴史を歪曲する論調もまかりとおって
いる昨今ですが、そうしたものに対しては事実をもって、そして被害を受けた側
の立場・視点から厳しく糾弾されなければなりません。そのうえで、先程述べた
ような、あるべき東アジア市民社会の構築への道筋から照らし返して事実を吟味
し直し、教訓を引き出し、将来への道しるべを見出す、ということです。
 
また、「未来の理想・未来の連帯からの歴史」、「未来の理想・未来の連帯の
ための歴史」などというと、その具体的な方法はと問われるのですが、私にも具
体的なイメージがあるわけではありません。私がいいたいのは、明日・明後日に
すぐ実現されるわけではなくとも、あるべき理念や方向性を確かに持つことの大
切さです。理念を「理念」として明確に認識し保持することこそがその実現の第
一歩になるからです。
  過去、度々戦火を交えたドイツとフランスで高校生が同じ歴史教科書を使い始
めた。ドイツとポーランドの間でも共通教科書作りが進んでいる。日・韓・中の
間でも民間の教師や研究者の間でこのような作業が進められ、昨年3月にはその
成果の一部として高校生向けの共通教材『日韓交流の歴史』が日・韓で同時出版
された。などということもこの方向を力づけてくれることの一つでしょう。
 
  以上、話があちこちに飛びましたが、纏めていいますと、「同文同種」の幻想
に安易に寄りかかるのではなく、商業資本やメディア資本が提供する安手の商品
文化に踊らされるのでもない、もう一つ上の価値、すなわち、自立した個人の広
い連帯と協力に基づいて、社会的公正と平和と持続可能性をめざす市民社会を国
境を超えて創りだし拡大する、そういう志においての共通性こそ、現代の東アジ
アの人々が目指すべきものであり、そして、そのような志をもつ人々が出会う場
の一つ、ささやかであっても先駆的な一つが、この安東自由大学だと思うのであ
ります。

 さてそこで私は、私たちはグローバリゼーションの経済効率至上主義・競争原
理至上主義を超えなければならないのですが、そのための一つの有力な手がかり
として、「東洋の英知」としての儒教があるのではないかと思うのです。

 儒教はじつは、私などがちょっと齧ろうとしてもとても歯が立つものではあり
ません。先程、李先生からそのエッセンスを分かりやすくお話いただきましたの
でだいぶん理解が進んだのですが、それにしても、儒教の全体像というのは複雑
多岐に亙り一朝一夕に理解できるものではありません。それは儒教が、「近代以
前の東アジアの思想・文化の総体」といった規模をもつものだからです。
  なにせ、孔子自らが自分の教えを「古の聖賢が実践した道を総合したもの」と
いっていまして、その古の聖賢とは遥か伝説の彼方にかすむ尭・舜・周公などで
して、そこから始まって孔子、孟子、荀子、董仲舒。時代が下っては朱子学を開
いた朱熹や陽明学を興した王守仁、それらから発する無数の学説・枝分かれ、そ
こに中国以外、たとえば韓国の李退渓(この安東が産んだ偉大な儒学者イテゲ)
などの思想も加わり、さらには道教や仏教も流れ込み、まさに数千年に亙る前近
代東アジア思想史そのものといった趣でありまして、ですからとても簡単に歯が
立つものではありません。
 
  ですが、儒教を極端に単純化しますと、先程の李先生のお話にもありましたよ
うに、「仁」と「礼」が基本のようです。
  「仁」というのは、孔子は「己立たんと欲して人を立てること」「己の欲せざ
るところを人に施すなかれ」などと説いていますし、孟子は、人の不幸を黙視し
えぬ「惻隠の情」、「人に忍びざるの心」などといっています。一言で「思い遣
り」といってもいいかと思いますが、儒教では「仁」は人間らしさを表わす最高
の徳目です。
 
それに対して「礼」は、日常の礼儀作法からはじまって冠婚葬祭、社会秩序や
社会道徳、国の政治の仕方にまで至る、「仁」を具体化する形・システムを指し
ているようです。
  で、この「仁」と「礼」をもってまず己を修め、家を整え、国、さらに世界を
治める。これを「修身・斉家・治国・平天下」とか「修己治人」「修身治国」と
かいうのですが、それをするのですね。そしてそれが「天命」すなわち自然の摂
理、宇宙の理法に適うことを求めているのです。

 昨年の秋、NHKで、KBSが制作した「儒教、2500年の旅」という番組が放
送されていました。ご覧になった方もおいでかと思いますが、その番組では冒頭
に『論語』の中の次のようなエピソードが紹介されていました。
  「中国の楚の国で、ある夜、正直者の青年が父親が羊を盗む場面を見てしまい
ました。青年はこのことを役所に訴えたので、父親は捕えられ処刑されてしまい
ました。この話を聞いた孔子はいいました。この息子は真の意味での正直者とは
いえない。息子が父親のために隠し、父親が息子のために隠してやる、それが本
当の正直というものだ」。
 
この話に続いて番組では、「孔子が魯の国の司法長官に就いて三ヶ月もたつと
、その感化を受けて、商人は暴利を貪らなくなり、他人が落とした物をくすねる
者もいなくなった。ところが、こうして栄える魯に危機感を抱いた隣の国が、魯
の政治をかき乱すため、80人の美女を送り込んだ。魯の王や重臣たちは酒と女に
溺れ、4日間、職務を怠り、祭礼の後の供物を民に配る礼儀も守らなかった。権
力者たちが君子としての礼を失ったさまを見た孔子は、失望して魯の国を去った
」という『史記』の中のエピソードを紹介していました。

 すでにお気づきのように、はじめは親子の話、次は商人など世相の話、そして
その次は国の政治の話ですね。このように儒教における「仁」や「礼」は、身近
なところから公へ、天下へと「拡がる構造」、そのすべての段階を貫く「一貫し
た構造」をもっていることが特徴です。まさに「修身・斉家・治国・平天下」で
すが、その出発点、おおもとにあるのは「孝」、親孝行です。
  すなわち、儒教の第一原理である「仁」とは、子の親に対する愛である「孝」
を出発点とし、そして、この「子が親を敬い慕い、親が子を慈しむ」身近な者へ
の愛を、その愛が及ぶ範囲を順次拡大してゆけば、最終的には「人類愛」に到達
する。そういう「拡がる力をもった愛」「拡大の志向をもった愛」が「仁」であ
りまして、ですからこれは必然的に社会思想・政治思想に結びつく。ここに儒教
の重要さがあるのですね。
 
「全ての親を我が親のように労わり、全ての子を我が子のように慈しむのが仁
の心」といったのは孟子ですが、両親に感謝する気持ちや年老いた祖母を労わろ
うとする気持ちなしに、どうして世界の人々を愛せるのか。隣人と助け合わずし
て、どうして豊かで平和な社会をつくれるのか。ということですね。

 そして「礼」というのは、そのような愛に基づいて相手を敬い自分を慎む、調
和のとれた円滑な人間関係・社会関係です。
  「相手を気遣い、自身を抑制する、お互いがお互いに対してそうであれば世の
中に調和が広がり平和がもたらされる」、「現代社会において人々は何事によら
ずぶつかりあい、心に葛藤や敵意を抱いて、道徳的にも精神的にも追い詰められ
ている。国境を越えた経済の競争や文明の衝突も加わって、世界中が軋んでいる
。この葛藤や衝突を緩和できるのは、家庭の中から社会、国の政治、国際関係ま
でにおける礼ではないのか」というのが、現代の私達への儒教からのメッセージ
なのですね。
さらにひろげていえば、「自然に対する礼」、そして「まだ生まれてこぬ未来世
代に対する礼」こそが、環境問題や資源問題に対処する鍵ではないでしょうか。

 儒教には古来、「先義後利」という経済観念もあります。「義」とは「公共性
」とか「社会的妥当性」という意味でして、「私の利益よりも公共の福利を優先
する」あるいは「公共の福利や社会的な正しさと合致するところで個人の利益を
図る」という経済原則・企業精神ですね。
  また、特有の教育論ももっていまして、「六芸」というのですが、礼、楽、射
、御、文、数。文は文学と哲学、数は数学ですが、それだけでなく、礼は先程か
らお話してきたような人間関係・社会関係で、楽は音楽・芸術、射は弓などの武
術、御は馬の御し方、乗馬術でして、この「六芸」で表されるような全人格的な
総合教育がめざされていました。それを通じて「公共の利益に奉仕し貢献する義
務感とそれを実践できる資質・能力」を育成するのが教育の目的だったのですね

  この経済観念も教育論も現代に改めて必要なものではないでしょうか。
  さて中国や韓国では、こうした儒教の価値観を身につけて自らを律し公共の福
利に奉仕する志をもった官僚、すなわち、中国では10・11世紀の宋の時代からの
士大夫、韓国では14世紀末の朝鮮王朝からの両班(ヤンバン)が、政治の中心を
担うようになりました。
  日本にも儒教は古くから中国・韓国を通して入ってきますが、儒者が活躍する
のは17世紀の江戸時代から、とりわけ幕末維新期です。
  日本の儒学者の幾人かに触れておきましょう。

 まずその一人は熊沢蕃山です。熊沢蕃山は、江戸時代中期・元禄時代の人です
が、儒学者・武士として諸藩に仕えながら、民を豊かにする術として「自然環境
の保全と農業の振興」を説いていました。
  日本もこの頃になりますと産業の発展に伴い、森林の荒廃が進んできました。
とくに製鉄や塩田での塩づくり、陶器の製造などが発達してきますと、大量の薪
が必要になって木が切られていきます。蕃山は考えました。「禁令で木を切るな
というのは容易い。しかしそれでは民の暮らしが立ちゆかなくなる。民衆が生活
できてしかも森林を荒廃から守るのは植林である」。彼はそこで「水土論」とい
うのを立てまして、地勢に適った水利を図って森林を豊かにする治水・植林事業
を各地で展開します。「自然を豊富化すれば人々が困ることはない。自然が人間
を支えてくれる」という哲学ですね。

 こうして、自然を豊富化することを通じて地域の産業や文化を活性化させるこ
とを基礎に、彼は一つの国家構想を立てまして、地方分権を唱え、中央集権的な
徳川幕藩体制を批判しました。現在も分権的な考えは多くの人がいいますが、そ
の分権の根拠を、自然の育成と自然と人間の関係の強化に求めたところに、蕃山
の独自性があります。
  彼は江戸についても「大名などが構えている大きな屋敷などは全部取り壊して
田畑にせよ、それで江戸を自給できるようにせよ」とか「武士は農民に戻れ」な
どということを盛んにいうものですから、幕府から睨まれて、とうとう茨城県の
古河に閉じ込められてしまうのですが、彼はそこ(茨城や栃木)でも、地勢に合
わせた「絶対に壊れない堤防」を造るのです。その一つが谷中村でした。これに
は後日談があるのですが、後でお話します。

 それから、ご存知、大塩平八郎ですね。彼は、江戸後期・天保時代の、大阪東
町奉行所与力という下級武士でしたが、退職後、儒学の塾を開いていました。
  この天保期というのは、幕藩体制が揺らいできて、農民に対する苛斂誅求は極
まり、他方で暴利を貪る大商人や不正を働く役人たちは贅沢の限りを尽くす。貧
富の格差が広がった今みたいな時代なのですが、さらにそこに疫病が流行ったり
天変地異が続いたりします。彼は役人でしたからいろいろ施策を建議したりする
のですが、上の者は一向に聞き入れようとはしない。そこに、有名な天保の大飢
饉に見舞われます。
 
飢饉にあえぐ難民をよそに、相変わらず大商人は暴利を貪り、役人は不正を働
いて私腹を肥やす。そこでついに平八郎は、幕府の政治の刷新を求め、彼の思想
に共鳴する一部の同心・与力や豪農などとともに、「救民」の旗を押し立てて、
数百人の農民や難民を率いて挙兵するのですが、鎮圧され、自害して果てます。
いわゆる「大塩の乱」ですね。

 彼はそのとき「万物一体の仁を忘れた者を誅伐する」といっているのです。「
万物一体の仁」。これは儒教思想の大きな特徴です。前に「仁」というのは身近
な者への愛からはじまって人類愛に至る「拡大する志向をもった愛」だといいま
したが、その拡大が極まったのがこの「万物一体の仁」ですね。人間ばかりでな
く生きとし生けるもの、無生物まで含めた宇宙万物への愛が「万物一体の仁」で
す。さらに儒教では、「気と理の理論」といいますが、簡単にいってしまえば、
「全てのものは自然から生まれたのだから自然を本質として有機的に繋がり、一
体であり平等である」という考え方があります。ですからそこには惻隠の情、相
手を思い遣る気持ち、愛が貫かれていなければならない、ということです。とこ
ろが今の社会はそのような人倫や宇宙の原理原則に背いているから正さねばなら
ない、というのが大塩平八郎の信念だったのですね。
 
この「万物一体の仁」という思想は大変大事でして、「万物一体」というこの
思想から、熊沢蕃山は自然と人間のあるべき関係を実現しようとし、大塩平八郎
はとりわけ社会関係を正そうとし、次に触れる横井小楠や樽井藤吉は国際関係を
構想しようとしたのです。
 
幕末の社会変動期、佐久間象山はじめ西郷隆盛や高杉晋作など多くの思想家
政治家は儒教を学びそれを思想的基盤にしていますが、たとえばその一人、横井
小楠は、日本に攘夷の嵐が吹きまくっていた時代に開国論を唱えます。開国論者
ではあったけれども福沢諭吉などとはぜんぜん違う。彼はいうのです。「欧米は
生産力があるから国を豊かにすることはできる。しかし、欧米のやり方は根本的
に間違っている。なぜかといって、欧米はアジアを植民地支配しているではない
か。欧米どうしで戦争をしているではないか」。彼は欧米の利点は認めながらも
道徳的に厳しく批判するのです。だから日本は、決して欧米の真似をしてはなら
ない。小国ではあっても欧米に対してきちんと「仁」と「礼」の道を示し通して
いくことこそを日本の外交の基軸にしなければならない、と主張したのです。
 
彼は尊皇攘夷派に暗殺されてしまうのですが、その思想の流れを汲んだ樽井藤
吉は、国内的には社会の平等と民衆の福利を基本とする「小国福祉社会」、すな
わち、福祉に重点を置いた小さな国を理想としながら、「和を尊ぶ日本と仁を重
んずる朝鮮」が対等に合併して欧米の侵略に道義をもって対抗することを説いた
「大東合邦論」を打ち出します。

 さて、先程、熊沢蕃山は「地勢に合った絶対壊れない堤防」を造った、その一
つが谷中村だった、といいましたが、事実、谷中村はその堤防に守られて一度も
水害がなかったのですが、折角のその堤防を潰して、古河鉱業がそこに鉱毒水の
遊水地を造りました。足尾銅山の銅の採掘や精錬から排出される有害物質を含む
水の溜池ですね。ところが地勢を無視した近代技術による治水など脆いもので、
その遊水地は、明治40年以降たびたび決壊して大洪水を起こし、鉱毒水が溢れ出
して周囲に鉱毒被害を広げました。日本の公害問題の原点ですね。自由民権運動
の政治家であった田中正造は、鉱毒に悩む谷中村の窮状をみて、衆議院議員を辞
任し、天皇に直訴するなど、被害農民と共に闘う決意をします。
 
被害農民と暮らしや苦楽を共にすることでいろんなものが見えてきたのですね
。日清・日露の両戦争を経て日本が富国強兵路線をひた走る中、軍国主義が一気
に高まっていくこの時代に、彼は被害農民の立場から反軍・反戦・反権力・反天
皇制・人民主権を唱え凄まじい闘いを明治官僚政府に挑み続けます。その過程で
彼は社会主義やキリスト教にも近づきましたが、そのバックボーンはやはり儒教
でした。「万物一体の仁」、すなわち、社会の平等、人民の福利、そして自然と
の共生、そのための「世直し」の闘いに彼は生涯を捧げたのですね。

 近世から近代の初めにかけての日本の儒学者を紹介しながら、儒教の社会的・
政治的な展開の幾つかの例をご覧いただいたのですが、こうした思想は、日本で
は、明治期に入ると福沢諭吉や西周らの啓蒙思想によって否定され、さらに明治
以来、とりわけ戦後の欧米思想の尊重によって、すっかり私たちから遠いものに
なってしまいました。しかし、現在の社会のいろいろな問題を考えたとき、再考
してみるべきもの、問題の解決に参考になるものが、そこには確かにあるのでは
ないでしょうか。

 それは儒教に限りません。たとえば仏教にも――今日の主題ではありませんし
東アジアの事例でもありませんので、ご参考程度にして深入りはしませんが、仏
教にもあります。
  たとえばタイやスリランカでは、仏教思想に基づく開発運動が行われています
。1980年代、タイでは、近代化による経済成長の陰で周辺化され貧窮の度を深め
る農民が増大し、その救済に立ち上がった仏教僧が各地に現れました。「開発僧
」と呼ばれる彼らは、村人にある瞑想法を勧めて相互扶助の精神を涵養し――儒
教でいえば「万物一体の仁」に相当する思想・感性ですね、そうして育まれた相
互扶助の精神に基づく協力によって貧困の緩和を図りながら、さらに進めて、「
貨幣経済に呑み込まれない自立的コミュニティの確立」をめざし、自給優先の複
合農法への転換や、村人の共同作業によってベーシック・ヒューマン・ニーズを
満たすインフラ整備を進めていきました。
 
彼らの行動を支えたのは、開発とは「物の生産を増やし所得を増やすことでは
なく、心の平安を増やすことである」との信念なのです。このような開発思想は
スリランカのサルボダヤ・シュラマダナ運動にもみることができます。サルボダ
ヤとは「万人の目覚め・覚醒」、シュラマダナとは「労働の分かち合い」という
意味ですが、50年代から始まるこの運動は、開発とは「最小限の物質的消費によ
って最大限の心の満足を得ること」をモットーに、自助努力による住民主体の開
発運動を進めて、スリランカの農村に大きな影響を与えました。

 この二つの開発運動に共通する認識は、開発を「物の開発」と「心の開発」の
両方で捉えて、「物の開発」のみでは人の貪欲心を強めて他人や自然への配慮を
欠いた社会を創り出してしまうので、「心の開発」とのバランスが是非とも必要
ということなのです。この「心の開発」は仏教では「慈悲」や「足るを知る」で
すが、それは儒教での「惻隠の情」「ひとに忍びざるの心」や、「先義後利」す
なわち、公共の福利を優先し私の利益は後に、などに似通うものですね。
  これはイスラムでも、たとえば、「富は神からの負債」だから貧しい者や社会
への還元を通して神に返さなければならない、という観念がありまして、このよ
うに、全ての宗教や伝統的価値観には、欲望を抑制あるいは昇華させる装置が具
わっているのですね。

 さて、だいぶ長くなりましたので結論に入りましょう。
  先に述べさせていただきましたように、私たちは現在、さまざまな問題に直面
しております。経済がもつ本来の意味を失わせるような私的利益の絶対化、市場
原理・競争原理至上主義、それがもたらす格差の拡大、弱者切捨て、社会的連帯
や社会意識の崩壊、伝統的価値観や文化の喪失、そして人類社会の危機さえ予感
させる資源枯渇や環境破壊です。
 
これらの弊害・矛盾は、もとを糾せば「価値観の一元化」、すなわち、現在の
社会が経済効果だけを唯一の価値にしていることに由来しているわけですから、
価値観の多様化・相対化――「価値は経済だけではないよ」という価値観の多様
化・相対化が、今、なにより必要とされているのではないでしょうか。その、経
済至上主義の価値観に対抗しそれを相対化する価値観の大きなものの一つとして
、「仁」と「礼」を基本とする儒教もある。と思うのであります。
  親子の愛を人類全体にまで及ぼし、世界を宇宙を思い遣りの心で満たして、人
と人、人と自然の間を「相手を敬い己を慎む」調和のとれた関係に保とうとする
儒教ですね。

 儒教はまた、物欲や己の欲に捕われず万民の福利を追求する「志の高さ」「高
潔さ」を人に求めています。そのように自らを律しられる者による「人に忍びざ
るの心」による「人に忍びざるの政治」。そしてまたその政治が「天」すなわち
「自然の理法」に基づく「絶対的正義」に合致することを厳しく問い求める理想
主義を具えています。そういう高い道徳性と大きなスケールをもった世界観、政
治思想・社会思想こそ、現在の社会に必要なものなのではないでしょうか。
 
私が今日お話させていただいているテーマは「東アジアに新たな市民連帯のネ
ットワークを創ろう。その市民連帯の基盤は、韓・日・中・台の私たちが国や民
族を超えて、貧困・格差や食糧・エネルギー・環境など、『地球的課題』『人間
の安全保障』にかかわる問題に取り組むことにあるのではないか」ということな
のですが、そうした課題への取り組みに、じつは、儒教などアジアの伝統的思想
や価値観も大いに示唆してくれるものがあるのではないかと思うのであります。

 そして、たとえば、西洋のマックス・ウェーバーは近代資本主義にプロテスタ
ンティズムの倫理性を求めたように、東洋の渋沢栄一は資本主義に儒教と武士道
を結びつけようとしました。また、西欧の知識から真剣に近代を問うた夏目漱石
も一方で「則天去私」というようなことをいっています。このように、儒教はや
はり、私たちのDNA のどこかに近しいものとしてあるのかもしれません。儒教の
功罪は勿論さまざまあるわけですが、そこをきちんと吟味し、それを新たな視点
で掘り込むことによって、私たちの心に馴染む、内発的な、借り物ではない「現
代を超える新たな思想」、グローバリゼーションの弊害を克服し人類が生き延び
るための新たな思想を、この東アジアにおいて、日・韓・中・台の共通基盤にお
いて、産みだす手がかりを得られるのではないか、とも思えるのですね。

 今日のこの、韓・日・中・台の市民が国境を越えて未来をめざすための会合が
、李退渓、柳成龍など偉大な儒者にゆかりのこの安東の地で開かれましたことを
、たいそう感慨深く思いながら、この後の皆さんの分科会でのご議論の手がかり
の一つにでもなればと、拙い話をさせていただきました。
  一言つけ加えさせていただきます。この会場にロシアのモスクワ東洋大学教授
コーシキンさんもおいでです。これまでの私の話で、われわれ東アジアの仲間に
ロシアの名は挙げませんでしたが、ロシアも大きな部分がアジアです。それに、
この会合の参加資格は地域ではなく「志」です。今後、この安東自由大学にロシ
アの方々も積極的にご参加くださるものと期待いたします。
  ご清聴有難うございました。

 註 この論考は2008年8月19日 安東自由大学における講演に加筆していただ
    いたものです

     (筆者は元桜美林大学教授・社会環境フオーラム21代表)

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