■臆子妄論  

~軽いのは政治家だけか―忘年会的に~  西村  徹

───────────────────────────────────

  加齢とともに目が悪くなって、だんだん本が読みづらくなってきた。自然安直
にテレビを見ている時間が多くなる。ぼんやりと、ときに知らずしらず舟を漕い
で,我に返ると番組が替わっていることも多い。

 某月某日、地元テレビの午後の番組を見ていた。ニュースショーというらしい
が、要するに井戸端会議である。定額給付金とかいう、一人あたり12000円
ずつ配給するハナシをしていた。ばら撒きだといって世間では怒っている。しご
とは自治体に丸投げされるので自治体首長も怒っている。そういうVTRをしっか
り見せた上で、司会のキャスターが右隣に座っている若い女性に尋ねた。「**
さんも怒ってますか?」若い女性はキャスターの期待どおりに答えた。「怒って
ますよ。受け取るけど叩き返したい気持ちです。だって年収200万の人も税金
払ってるでしょう。年収一億の人が受け取る中にはその200万のひとが払った
分も少しでも入ってるでしょう」。高所得者にも渡されることに怒っている。

 怒るのはいい。そのあとはおかしいのではないか。怒る理由としてわざわざ取
ってつけるには適さないのではないか。年収200万のひとが受け取るなかには
年収一億のひとが払った分も入っている。200万のひとがすこし払った分より
はるかに多く入っている。前日の似たような番組で、年収1800万以上のひと
は辞退すべきというについて落語家の桂南光は「辞退なんかするもんか。税金払
うとるやないか。なに言うか。こら!麻生!」と怒っていた。払った税金を尺度
にするならば1800万のひとは200万のひとより受け取る割合は少ないこと
になるだろう。以前あった定率減税より不公平ということになる。南光師匠の怒
りのほうが筋が通る。

 左端の若い狂言師にも尋ねた。狂言師は目を剥いて「怒ってますよ」と期待に
沿った。「自治体に丸投げして、自分はさっさと外国へ逃げ出す麻生さんは勝手
や。いつも放言しては外国へ逃げてゆく」。これは、さすがに「スケジュールは
決まってるんやから。逃げ出すわけやない」とキャスター。狂言師が目を剥いた
のは自分に振られた役割を意識しての演技過剰であった。もっとも、総理の妄言
があれだけ頻繁になると、外遊も頻繁だから、妄言が外遊直前になる確率も高く
はなる。

 次いで浜松の空将補セクハラ事件のからみでの防衛大臣の緩い対応について高
齢の政治評論家が意見を求められた。評論家は言った。「私は戦争の終わったと
き中学の一年生だったんですが、そのころ、とくに軍人は他の人よりモラルにき
びしくなければならないという気風がありました」。今はそれがなくなったと言
うのだ。今は政治家もいうことが軽くなった。日本は危機だとも言った。
「政治家が軽くなった。日本は危機だ」は多分そのとおりだろう。わざわざ政治
評論家がいうには陳腐だが、陳腐であっても言わねばならぬことは言わねばなる
まい。それはそうだろうが「とくに軍人はモラルにきびしくなければならないと
いう気風があった」というのはあきらかに間違っている。あの時代の中学一年の
純真な軍国少年の目にはそう見えたかもしれないが、そんな気風も実体もなかっ
た。醜悪な実態だけがあった。東条軍閥時代の軍部は、例外はもちろんあるが大
方は横暴をきわめ、野蛮、凶暴、残忍、そのモラルは退廃の極に達していた。今
日アメリカのビッグ3のCEOたちに似ていた。吉田茂でさえ、軍部の気に食わぬと
いうだけで憲兵隊に拘束された。軍国少年が洗脳された目で見たものは実像とは
正反対の虚像だった。ゲシュタポに親を密告した子どもの年頃だったのだから無
理もないが、その虚像をそのまま今の状態と比較しても意味をなさないだろう。

 準備もなにもなくて出たとこ勝負、口から出まかせをしゃべっていることは、
少なくともこの場面にかぎっては三人に共通していた。軽いのは政治家だけでは
ない。井戸端会議だからその程度でいいといえばそれまでだが、これを見て聞い
て鵜呑みにする人もいるのだから、もうちょっと注意深く、言葉を選んでものを
言ってもらいたい気がする。
  その翌日CSテレビの昼前後の類似番組を見た。やはり定額給付金のハナシを
していた。「私は65歳過ぎてるから2万円なの。もらったらなにか食べに行く
わ」。福祉、老人介護にも熱心なそのひとがそう言った。2万円をどう使おうが
勿論個人の自由である。なにか食べに行くのも自由なら、ドブに捨てるのも自由
である。しかし、それをいったんテレビなどで口にすればその発言は社会的に意
味を持つことになる。
  麻生太郎がホテルのバーで自前の酒を飲んでも世間はとやかく言う。ホテルの
バーほどでなくても、「2万円でなにか食べに行く」と聞いて吐息の出る人もい
る。貧困層はむろんだが、一般サラリーマンでも、家族連れでたまの外食は王将
の中華か回転寿司、せいぜいファミレスというひとが多いだろう。

 その後、テレビ朝日のTVタックルという番組で、常連の新聞記者の古手が「
(高所得者は)もらっておいてユニセフかなにかに寄付すればよい」と言った。
あくまでも、こんな愚策が成立してしまったと仮定してのはなしだが、この元新
聞記者の言うことのほうが、すくなくとも「食べに行くわ」より上等だろう。ユ
ニセフそのものにとかくの評はあるにせよ、国内政治だけでなく国の外の貧困を
も視野に入れているぶん水準は高い。
  テレビに出るような人の多くは辞退ラインの年収1800万を超えているだろ
う。すなわち彼らはぜったいに庶民ではない。世に言う「勝ち組」である。元記
者は「保守派」寄りのポジションをとっている手練れの人物であるにかかわらず
、むしろそのゆえに、その事実に敏感であった。「食べに行くわ」氏は自他とも
に「庶民派」をもって任じている人であるにかかわらず、むしろそのゆえに、そ
の事実に鈍感であった。
  「2万円でなにか食べに行くわ」は私的会話の場でなら、多少はしたない感じ
もなくはないが、自足したオバサンの無邪気でおめでたい無駄口というにとどま
る。目くじら立てることではない。ところがテレビのおしゃべり番組は私的会話
を装ってはいるがじつはそうではない。出席者はみなおなじみだという気安さか
ら、テレビは閉じられた私的会話空間でないこと、じつはお客がゼニを払って(
民放も決してタダではない)見ている広場であることを彼女は忘れた。忘れつい
でに庶民感覚をも忘れている甘さを露呈した。弛緩した独りよがりを、見ている
客は見のがさない。ちなみに桂南光師匠は「受け取る」とは言ったが、どう使う
かは言わなかった。話芸のプロは踏みとどまるべき勘所を心得ていた。

 1929年大恐慌時の雰囲気を、私は大人のハナシを小耳に挟む程度でしかな
かったが幼いときの暗い記憶として持っている。「大学は出たけれど」という言
葉はよく耳にした。帝大出の代用教員のことも聞いた。その後少年期へと成長す
るにつれ、とりわけ中学入学を期に30年代ファシズムの津波のような勢いを、
それがなんであるかを特定する力はないままに俄かに身にせまるものとして感じ
るようになった。
  安倍内閣が倒れて少しはやれやれの思いはあったが、恐慌に続くものがなんで
あったかを省みると不安はつのる。政権はたぶん替わるだろうが替わった後の反
動がこわい。いまこそ人民戦線的な大きくて強い連帯が必須と思われるとき、ど
うもなんだか緩い。これでいいのかと思ってしまう。
                           (筆者は堺市在住)

                                                    目次へ