【短期連載】

■「【横丁茶話】                    西村 徹

   ~「聖書」を裏口から覗く―遊びとしての聖書~
   ~鉢呂氏の受難―野田総理が聖書を読んでいたなら~   
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○フィリップ・プルマンの『善人イエスと悪党キリスト』


  フィリップ・プルマンといえば『黄金の羅針盤』(1999年・新潮社)の作者。
日本では2008年「ライラの冒険」というタイトルで映画になった。作中のヴァチ
カン批判は日本ではさほどの反響も呼ばなかった。そのおなじ著者による『善人
イエスと悪党キリスト』(The Good Man Jesus and The Scoundrel Christ)は
2010年4月に出版され、日本でも“ニューズウィーク”(2010年5月26日号)で紹
介されたらしいが、翻訳は出ていない。2011年9月20日現在には出ているかもし
れない。今年の五月か六月に初めて読んだときはまだ出ていなかった。

 日本のキリスト教人口は総人口の1パーセント。正味本気はもっと少ないと思
う。しかし、聖書、とりわけ四福音書は多少とも読んでいる人が結構いる。読ん
でいなくても読んでみようと思っている人、読んでみたいがイマイチという人も
多いだろう。持つだけは持っている人も多い。

 そうでなければ文春新書から佐藤優『新約聖書』 I、IIなどが出たりはしな
い。電車の中で佐藤優を読んでしまってからでも、さらにこれを読んだらいいと
思う。佐藤優だけだと「やっぱり信仰しないといかんの?」という負い目は残る
だろう。こっちはその心配はない。気兼ねしないで「聖書」を遊ぶことができる。

 本はどのように読もうと読者の自由というのがプルマンの考えである。しか
し、この本の場合、主人公はプルマン個人が創った人物ではない。二千年このか
た世界に広く知られた人物である。しかも彼の来歴は20億の信者を擁するキリス
ト教という世界最大宗教の土台になっている。いつもの伝でご自由にともいかない。

というわけでプルマンは、小説としては異例の、割りと長いあとがきを書いて自
分とキリスト教とのかかわりを語っている。小説そのものの紹介というより、こ
のあとがきを手がかりに、私情私見をまじえつつ、また彷徨いつつ何やかやと書
いてみようと思う.


○プルマン幼年期の信仰


 並外れて信心深いわけではなかったが、毎日曜に唱える「使徒信経」をそのま
ま素直に信じていた。実際には見えない赤道や緯度や経度を地図の上で見て信じ
るのとおなじように自明のこととして信じていた。九歳になるまでに四回赤道を
渡ったが、そのたび大人は赤道祭りをして、「いま赤道を渡った」と言うのを信
じた。同様に、目に見えないが「神は存在するのだ」と、大人がいうのを本気で
信じた。イエスの生涯には、ありえないようなことがいっぱい起こるが、それを
信じてよい子でいれば天国に行けるのだと信じていた。
 
  「使徒信経」は、今は「使徒信条」というが、プルマンが馴染んだ祈祷書に対
応する日本語版は日本聖公会祈祷書の文語版になるのでそれに従った。正統とさ
れるキリスト教信仰を計る物差しになっているので、参考までに紹介して、そし
て少し道草する。

 【使徒信経】我は天地の造り主・全能の父なる神を信ず。我はそのひとり子・
我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより
生まれ、ポンテオ=ピラトのとき苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬ら
れ、よみにくだり、三日目に死にし者のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の
父なる神の右に座したたまえり。かしこよりきたりて生ける人と死ねる人をさば
きたまわん。我は聖霊を信ず。また聖公会,聖徒の交わり、罪の赦し、からだの
よみがえり、限りなき命を信ず。

 この中でイエス本人の歴史上確認しうることがらは「マリアより生まれ、ポン
テオ=ピラトのとき苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ」の部分に
かぎられる。冒頭の「我は天地の造り主・全能の父なる神を信ず」はユダヤ教、
イスラム教と同じくアブラハムの神を唯一神とする一神教であることを表わして
いるが、あとはすべてキリスト教に固有のドグマである。

 脚注的に付け加えるとユニテリアンのように神の唯一性に徹して父と子と聖霊
の三位一体説を否定し、イエス・キリストは宗教的指導者にほかならないとする
派もある。鶴見俊輔はハーバードの学生であったころ同大学の、ユニテリアン系
神学校で組織神学を学んだそうである(鶴見俊輔・『期待と回想』上巻・44ペー
ジ・晶文社・1997年)。

 この神学は構造的に「タヌキの神学」だそうで、「私の家族は結局、おふくろ
も親父も妹もキリスト教徒になっちゃった。たまたま私の細君もキリスト教徒
で、キリスト教徒に包囲されているんだけれど、私はタヌキを深く信仰している
から、断じてゆずらない」そうだ(同上246ページ)。ものみの塔もおなじくイ
エス・キリストを単なる預言者としかみなさないらしい。・

 さらに脚注2的に付け加えると、「死にて葬られ、よみにくだり」のくだりは
1662年の祈祷書ではdescended into hellである。ラテン語もdescendit ad
inferosで日本語にするなら「地獄にくだり」である。「よみ」(黄泉)ならば
日本神話の「死後の世界」で、Hellには程遠い。Hadesほどですらない。日本聖
公会は仏教の「地獄極楽」のイメージに重なるのを嫌ったのであろうか。ところ
が英文も2000年の新訳ではinto hell ではなくてto the deadに変わっている。
またメソディストではdescended into hellはすっぽり削除されている。
 
  かくも酸鼻な「事象」が地上で起こっているのに、まだこのうえに地下に地獄
のあるわけがないというのが一般の思いだろう。地獄などさっぱり流行らなくな
っている現代の風潮にあわせたものだろうか。しかしわたし的には、せっかくイ
エスはキリストでもあったりするのだから、せっかく三日の余裕があったのだか
ら、いきなり天に昇って父の右に座ってしまうより、やはり地獄まで降りてから
の方が、シンボル的にエッジが立ってよかったろうにと思う。


○日本人のばあい


 成人してからキリスト教に接近する日本人のばあい、このドグマにいきなりぶ
つかると面食らう。「よみがえり」とか「限りなき命」とかは、分子生物学など
から説明可能かもしれない。処女懐胎も精子バンクとか体外受精などあって、あ
るいは、こじつけられることなのかもしれない。ただ、唯一の神といいながら三
位一体などといって、一神か三神かわからなくなる。

 イエスにはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ及び妹二人のきょうだいがいたとい
うのにイエスが神のひとり子であったりして滅裂である。しかし、こういう目が
点になるようなドッキリにいきなりぶつかることは少ない。教会の坊主もこうい
うことは話さない。むしろ信経そのものにはまったく記されていない部分、「マ
リアより生まれ」から「ポンテオ=ピラトのとき苦しみを受け、十字架につけら
れ死にて」までの間のイエスの言葉と行いに、そしてその人格に、まずは出会う
であろう。

 それからの道行きは立ち去る人、立ちどまる人さまざまであろう。けっして一
様ではないが、あえていうなら、立ちどまり続ける人の多くは、さまざまの程度
に「被曝」することになるであろう。それが触媒となって、昇華というか、精神
の化学変化が生じることになるだろう。神話的なるものへの違和感はどこか意識
の片隅に格納されてしまい、むしろ神話は神話なるがゆえに荘厳され、芸術の表
象がもたらすものと同様の、法悦というにはやや遠いが、精神の昂揚と生理的快
感をすらもたらすことになるだろう。

 「意味なるものを考える前に、われわれは詩の美しさを感じる」(J.L.ボルヘ
ス・鼓直訳『詩という仕事について』119ページ・岩波文庫・2011年)からであ
る。その延長上において、ハイネがはじめに言い、マルクスがそれを引いたよう
に、まさしく宗教はすぐれて品度の高いアヘンである。ヒッピーが幻覚剤を常用
しつつ多くがキリスト教に傾斜していたことが例証している。


○プルマンの葛藤


  プルマンの場合は逆の道をたどる。幼時に、葛藤も抵抗もなく、キリスト教を
空気のような自然環境の一部として受容しただけであった。その受容をさらに補
強したのは教会言語の心地よさであった。欽定訳聖書(1611年)や祈祷書(1662
年)、そして古今聖歌集(1959年)の言葉の持つ響きであった。言葉の意味では
なくて音楽がもたらすものは感覚のよろこび(sensuous delight)であった。人
は歌うときには疑わない。

 丁度われら旧日本人にとっての小学唱歌のように。紀元節や天長節の歌は今で
も快く懐かしい。授業がお休みで饅頭がもらえたこととも切り離せない。子供の
ときに刷り込まれたものの記憶は骨身に沁みこんでいて、外科手術をもってして
も切除できない。
 
  しかし記憶だけで信仰を維持することは困難である。十代に達して科学をすこ
しばかり学んで後は、どうしても信仰を維持することができなくなる。世界を六
日で創造したとか、聖霊によって身ごもったとか、つまるところ神話は事実でな
く隠喩として理解すべきものになる。最後に信じうるものとして残るのは神だけ
になる。ずいぶん苦渋に充ちた神との一方的な会話が続いて、ついに神の沈黙は
完全になる。

 そして今は徹頭徹尾の唯物論者である。物質それ自体がじつに非凡で驚異と神
秘に充ちている。スピリチュアルもどきの夾雑物を受け入れる余地はない。つま
るところ厖大複雑なキリスト教神学はプトレマイオスの天文学(天動説)の周天
円(epicycles)にほかならない。最初のボタンの掛け違いを隠蔽するために入念
に張り巡らしたクモの巣だ。
 
  ひとたび地動説に気づきさえすればクモの巣は一挙に除去される。神=天動説
が消えれば処女懐胎、聖霊、三位一体、奇跡など、もろもろの伝奇的なクモの巣
もまた消える。つまり「使徒信経」の中のイエスの歴史記述以外はすべてクモの
巣として取り払われる。 それでもなおプルマンは、クリスチャン・バックグラ
ウンドから逃れることができない。

 旧日本人が「天長節」や「紀元節」の、限られた年齢の人のばあいは、加えて
「海ゆかば」や「抜刀隊の歌」の、理屈にあわぬノスタルジーから逃れられない
のとおなじだ。そしてプルマンは小説家である。ひとつ角度を変えて福音書を小
説にしてみたいという誘惑に駆られる。

 ところが福音書は物語として普通の物語とは似ても似つかぬことに彼はおどろ
く。伝記ではない。主人公の生活記録はほとんどない。あっても最後の一二年に
かぎられる。小説でもない。小説とするなら心理や感情の表現はあっていいはず
が、それもない。描写というものがない。イエスの風貌は見当もつかない(髭と
長髪のヒッピー風「キリスト像」は、白人ナルシスト妄想の所産にすぎない。じ
つは皮膚は褐色の獅子鼻たらこ口だったかもしれない)。風景描写もない。嵐以
外、天候の記述もない。(空間記述の)粗さと(時間記録の)唐突という点で福
音書は民話や民謡に似ている。

 問題は四つの福音書は共通しつつ異なるという点である。同じなら一つでいい
はずだから四つが異なるのは当然ではあるが、互いに矛盾衝突するところもある
ので読むほうは困惑する。真宗は阿弥陀経、日蓮宗は法華経というぐあいにマタ
イ一点張りとかルカ一点張りとか、好きな福音書を勝手に選ぶのも好き好きでは
ある。しかし矢張り福音書理解として、いきなり好き好きでは満足できない人の
ほうが多かろう。

 あっちで「柔和」がいいといっているかと思うと、「平和でなく剣を投げ込み
に来た」などといわれるとまごまごする。宮の清めとかいってエルサレムの神殿
で鳩売りや金融業者の屋台をひっくり返したりするが、福音書によってその時期
が宣教の初め頃だったり終わり頃だったりする。

 金持ちが天国に入るのは駱駝が針の穴を通るより難しいと言いながら、別の書
では、預かった元金はハイリスク、ハイリターンで増やすのがよいと新自由主義
のファンドのようなことを言う。文字通りフトコロの貧しいのが幸せだといった
り、文字どおりでなくて心の貧しいのが幸せだといったり、「一体、どっち
だ?」と言いたくなることがしばしばある。
 
  むろん教会は二千年このかた大量の学者を動員して矛盾撞着の皺のばしをして
きた。皺は充分アイロンを当ててツルツルに仕上がっている。ところが私プルマ
ンはそんな解説より原本の粗さ、謎めいたところが好きなのである。矛盾撞着は
問題であるといいながら、逆にそこが好きだという。

 文学者ならもっともなはなしだ。矛盾だらけだといって投げ棄てるのも勝手な
ら、だからおもしろいと思う人のいることも大いにありうる。そういうところで
「ハテナ?」と立ちどまることをプルマンでない私もまた好む。謎を自分なりに
解く爽快な興奮状態を好む。ツルツルはおもしろくない。驚きがなくなってはお
もしろくない。哲学の歴史は困惑の歴史だというが、聖書もまた読者にとって躓
きの石に充ちている。


○プルマンを少し離れて、わたし的に


  わたし的に一例を挙げるとマルコの9章に、癲癇の子を持つ父親がイエスに治
癒を乞う場面がある。父親「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けく
ださい。」イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもで
きる。」その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助け
ください。」「信じます」と「信仰のないわたし」というパラドックスには誰し
もが躓く。

 なんらかの抵抗を感じるだろう。しかしおそらく詩を読む人ならばそれはさほ
どに大きくはなかろう。ただ「子供は大人の父である」に対する反応とおなじく
らいの刺激はあるだろう。つまり詩に向かい合うときの、ある種のインパクトに
心は弾むだろう。(マルコからの引用は新共同訳)。
  ストラスブール大学でトロクメ教授の薫陶を受けた加藤隆という神学博士は
『福音書=四つの物語』(講談社選書メチエ・2004年)120~121ページで、この
ように解説している。

 (引用開始)男の論理は乱れている。(1)問題となっているのは、癒しの実
現であり、癒しをおこなうのはイエスである。「何でもできる」という表現にお
いて当面のところ問題となっているのは、「癒し」の実現である。そして癒しを
おこなう者には「信じる」ということが必要とされている。イエスの信仰が問題
とされている。にもかかわらず、男は「わたしは信じる」と叫ぶ。(2)「わた
しは信じる」と述べた直後に、男は「信仰のないわたし・・・」 と述べている。

 「信じる」のならば「信仰がない」はずはなく「信じる」のであるにもかかわ
らず「信仰がない」のならば、じつは信じていないことになる。信仰について、
きちんとした理解が得られていない、と考えるべきだろう。しかし男は叫ぶ。そ
の動機は、御利益(=息子の癒しの獲得)である。御利益にしか関心のない群衆
のあり方、そのような者の神学的理解のあり方についての批判になっている。彼
らは、御利益を得るために、「わたしは信じる」と叫ぶのである。(引用終了)

 「イエスの信仰が問題とされている」というのは、たぶん父親の「おできにな
るなら」という言葉を拠りどころにしているのだろう。「おできになるなら」
は、「そういうことができるほどの信仰があるなら」を含意する。へりくだって
いるような、しかし厚かましいような、たしかにヘンな日本語だ。最近の翻訳で
「もし何かをおできになるのでしたら」になっているのがある。

 依然としてぎこちないけれども、このほうが、なにほどか厚かましさは抑制さ
れている。日本語の場合なら「よろしければ」とか「できましたなら」は、相手
の能力に疑問を挟むのではなく、相手の都合をまず伺う謙譲表現になる。「何で
もけっこうです。していただけることがありましたら」と言っているわけだ。し
かし、欽定訳にはイエスの「『できれば』というのか」の一句がない。

 ないところをみると、英語のif thou canstは、やはりちょっと厚かましいこ
とになるのだろうか。この辺り日本語とのギャップがあって英語の呼吸はわから
ない。ギリシャ語の呼吸はなおさらわからない。やはりこの一句だけでも「イエ
スの信仰が問題とされ」うる証拠になると、神学博士は考えたのだろうか。
  それにしても「『信じる』のならば『信仰がない』はずはなく『信じる』ので
あるにもかかわらず『信仰がない』のならば、じつは信じていないことにな
る。」落語を聞くようで笑えた。
 
  これはサルバドール・ダリには当てはまるだろう。彼は「私は神を信じるが信
仰はない」と言ってインタヴューアーを煙にまいた。サルバドール・ダリの申告
はそのまま信じてよい。あるいは、またウソをついているかもしれないが騙され
ておいて差し支えない。それはダリの思う壺だからだ。

 しかし、癲癇に苦しむ子の父親が「信仰のないわたしをお助けください」と切
実な叫び声をあげるとき、「信仰のない」を文字どおり鵜呑みにしてしまうの
は、ちと、おめでた過ぎないか。頭がよいとか悪いとか、死ぬのが怖いとか怖く
ないとか、本人の申告を額面どおりに受け取れるものでないぐらいは常識だろ
う。信仰があるとかないとかも似たようなものだろう。独りよがりかどうかで変
わることだろう。

 なにひとつ驚きもせず検証もせず、「じつは信じていないことになる」などノ
ホホンと最終結論にしてしまって、それでなんとも感じないのは、よほど能天気
で単純すぎる人なのか。そうでなければ特捜検察が調書を作文するように悪質で
意図的なでっちあげではないか。「御利益にしか関心がない」というのもまた、
上から目線でうわべだけを見て勝手に貼りつけたレッテルではないか。

 「信じる者にはなんでもできる」とイエスが言い、男がすぐに叫んだ。「信じ
ます。信仰のないわたしをお助けください」。そしてイエスは男の言葉を信じ男
の切望に応えて霊を追い出した。イエスの信仰が問題であるよりも、イエスと男
の信義が重いものであることは文脈上から明らかではないか。イエスの信仰が、
そもそも問題になりうるか。イエスはこの男に信仰の共有と同時に、かけがえの
ない信頼関係の構築を呼びかけた。

 間髪を入れず男が「信じます」と言ったのはイエスの呼びかけに対する、阿吽
の応答であった。ある跳躍、日常の論理の割り込む余地もない非日常の交信があ
った。一瞬の精神のドラマ、切迫した言葉の交換に、人は思わず息をのむのでは
ないか。論理の間尺に合わないことが起こった。温度を物差しで測ることはでき
ない。自明ではないか。誰しもがいっときそこに日常の論理がないことに躓き、
躓いたことにたじろぐ。

 ほとんど恥じる。だからこそ読者はここで立ち尽くすのではないか。そこにい
や応なく発生する緊張感にはまったく反応しないでいて、神学博士は論理の乱れ
しか見出せなかった。そして「御利益にしか関心のない群衆のあり方、そのよう
な者の神学的理解のあり方についての批判になっている。」というが、なぜ「群
衆」なのか。「群集のあり方」などではなくて、むしろ弟子たちの「神学的理解
のあり方」、についての批判になっているとしか思えない。

 ほとんど論理的にそうとしか思えない。「群集」の原語は、ルカ福音書の中で
は「ラオス」(民)だが、マルコ福音書では「オクロス」(有象無象)で、「一
般の人々が否定的に位置づけられている」と神学博士は書いている。「有象無
象」なら「神学的理解」などという空疎で高尚なもののあり方もヘチマもないで
はないか。有象無象をこそイエスは愛したのでないのか。「御利益にしか関心の
ない」そして「信仰のない」群集を、それでもしばしばイエスは差別することな
く助けたではないか。

 イエスは男に出会うに先立って、弟子たちには霊を追い出せなかったいきさつ
を聞いた。そして「なんと信仰のない時代なのか」と言った。後に弟子たちはひ
そかに尋ねた。「なぜ、わたしたちはあの霊を追い出せなかったのでしょうか」
と。イエスは、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはで
きないのだ」と言った。

 これについて、私は論証などする脳力はない。まったくの私のヤマカンではあ
るが、ピンと来るなにかがある。「なんと信仰のない時代」と「祈りによらなけ
れば」と。このイエスの二つの言葉に、信仰は垂直的関係のものだけではないら
しいこと。つまりエゴイスティックなものでないこと。共生がなければならない
こと。むしろ自己放棄がなければならないこと。つまり愛がなければならないこ
と。そういうことを窺がわせる気配が、情況から、二つの言葉がそれぞれに置か
れた位置から立ち上ってくるのを感じる。

 「信仰のないわたしをお助けください」は「信じます」を磐石のものにする絶
対的自己否定の表現ではないか。ここを最近の翻訳で「信じます。私の不信実を
お助けください」としているのがある。「信仰のないわたし」より、謙遜に加え
て、さらに身を切るような自責の思いが込められているように思う。現代日本語
で「信仰のない」は「信仰のある」というほどにも肩身の狭い言い分ではない。

 「信仰のない」では軽すぎて、とてもギリシャ語(apistia)の意には届くま
い。欽定訳でも改訂訳でもunbeliefだったと思う。もしその英語がギリシャ語の
正しい訳であるとするなら「信仰のない」という軽い日本語では誤訳になるだろ
う。Not happyとunhappy は大違いだと学校英語でも教える。


○プルマンにもどる


  あんまりムキになると浮いてきて知らず知らずにクモの巣を張りかねない。大
分あやしくなってきたから、急ブレーキをかけてプルマンに戻る。イエスの発言
に矛盾があるのは四人の福音書記者それぞれの編集方針の違いについて聖書学者
の緻密な研究がなされている。だからそれはそれでいいわけであるが、それには
おかまいなしに、福音書はドキュメンタリーなのにフィクションが混入している
とプルマンは言う。

 福音書も伝承文学だからフィクションが入り込むのは当然だが、おそらく「お
れもフィクション書いて、それがなにさ」と言いたくてプルマンは言うのだろう
と思う。そしてつぎのように続ける。普通イエスの行いや身に起こることが語ら
れるとき、たとえば「変容」(Transfiguration)のような異常な出来事が起こる
とき、イエスのほかに、かならずそれを証言しうる目撃者がいる。

 ところがまったく証人のいない、イエス単独の場合の記述が二例ある。荒野で
悪魔の誘惑をしりぞける場面がひとつ。捕らわれる日の前夜ゲツセマネの園で弟
子を遠ざけてイエスが祈る場面がひとつである。三人の弟子は眠っていたから目
撃者はいない。第一例は学校討論クラブのどたばた騒ぎ(school debating
society knockabout)だが、第二例は深遠な、かつ感動的な心理劇である。いず
れも、証人も証言もないのだからフィクションと見るほかないとプルマンは言う。

 さらに後に、復活もまたフィクションだとプルマンは言う。誰も見たものはな
いからである。三人の女が空の墓を見て驚くという描き方は墓穴から死人が生き
返って歩いて出てくるというグロテスクな場面をえがくより、物語としてははる
かに上出来であるという。
 
  またプルマンは、まったく非学問的に、しかし文学的に、イエスとキリストは
双子の兄弟であって別人であるというフィクションを構想する。イエスは人間で
ある。まぎれもなく正真正銘人間にほかならない。しかしキリストは架空である
とする。パウロは書簡のなかでキリストを150回ぐらい使っているがイエスを約
30回しか使っていない。磔刑から一世代を経て神話は相当に出来上がっていたも
のであろう。

 プルマンは人間イエスを組織教会(具体的にはヴァチカン)から救い出すため
に、「教会」に乗っ取られ歪められ神話化された虚像を代表するものとしてキリ
ストなる人物を措定する。いうまでもなく、このキリストは神ではない。逆に反
キリストと目されるべき存在、むしろイエスを十字架に誘うユダの役割を担う人
物にキリストの称を与える。「教会」を代弁するThe Strangerがキリストの前に
現れてはキリストの耳にささやく。メフィストフェレスのようにささやく。「悪
魔」のようにと、プルマンは言う。

 以上でちょっと刺激的で、スキャンダラスでもあるイエスの物語が展開される
であろうことは、お分かりいただけたであろうと思う。(2011/09/08)
           (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)
◆付記


○鉢呂氏の受難―野田総理が聖書を読んでいたなら


 鉢呂という人が経産大臣になって、9月9日午前の閣議後会見中、福島第一原発
周辺について、「市街地は人っ子一人いない、まさに『死のまち』という形だっ
た」(朝日新聞)と言った。「死のまち」と言ったのがいけなかった。「まさに
ゴーストタウンだった」なら問題なかったという。外国新聞もそう訳したそう
だ。英語だとよくて日本語だと悪い。ヘンなハナシだ。そういえば安倍晋三はよ
くカタカナを使った。カタカナはゴマカシが利くことを知っていたのだ。

 私はゴーストタウンという常套句をすぐには思い出せなかった。私の頭に思い
浮かんだのはブルージュだった。ローデンバックの『死都ブルージュ』やコルン
ゴルトのオペラ『死の都』までは届かなくても、松田聖子の「ブルージュの鐘」
(1982年)なら鉢呂氏もカラオケなどで知っていたかもしれない。「運河沿いの
可愛らしいホテル/ 向こう岸は / 旧い教会ね・・・」。じつは私は松田聖子
をまったく知らない。とにかくヨーロッパの旅の魅力は、じつはいたるところに
漂う死の匂いなのだ。

 日本人は何よりも死を忌み嫌う。死んでも死にたくないほど死を忌み嫌う。そ
のうえ言霊のさきおう国ときている。言葉は発せられただけで現実とおなじ効力
を持つ。だから縁起を担ぐ。代議士のポスターが地上に落ちても「落ちた」とは
いわない。受験生の前では「滑る」は禁句だ。原発でも苛酷事故(severe
accident)の想定は縁起が悪いから想定不的確とされる。戦争のときも「負け
る」という想定は禁じられて憲兵にしょっぴかれた。

 新聞記者の感性はおおむね大衆的日本人、マルコによる福音書に使われるギリ
シャ語でいうオクロス(有象無象)の感性を代理するように職業上訓練されてい
るらしい。鉢呂経産大臣辞任会見の場で、鉢呂氏に暴言を吐いた時事通信記者
(フリーの田中龍作氏に咎められて逃走した)が見本である。鉢呂氏にはとんだ
災難だった。議員会館前での「ツケちゃうぞ」も、あのギャルみたいな、ジャリ
みたいな、ションベン臭い記者たちを、ちょっとあやしてみたのだったろう。頭
を撫でて手を噛まれてしまった。

 「死のまち」と「ツケちゃうぞ」で大臣のクビが飛ぶ。方広寺の梵鐘の銘「国
家安康、君臣豊楽」に難癖つけた徳川家康みたいなことをニッポン・マスコミが
いっせいにやった。一社残らずやった。「しんぶん赤旗」も例外ではなかった。
イラクをアメリカが侵略し、大統領サダム・フセインの息子二人をアメリカが殺
した。そのときの二人の生首の写真をマスコミは伝えた。「朝日新聞(少なくと
も大阪版と電子版は)」のみがこのグロテスクな写真を掲載しなかった。この見
識を今回は一社も持たなかった。

 これでは石原慎太郎知事の首などいくつあっても足りないだろう。かたや小宮
山厚生労動大臣は、タバコ値上げに言及、財務省の権限を侵して増税発言をし
た。公憤を装って私情をさらけ出したものであった。前原政調会長はアメリカに
媚を売って武器輸出三原則を破る発言をした。防衛に関する前原一派の浅知恵は
防衛省内部でもタカ派でなくバカ派であるといわれているという。アエラの田岡
氏が言うのを三度は聞いているから実際はもっと多数回言っているはずである。

 テポドンが日本の上空を飛んで太平洋に落ちたとき防衛庁(当時)に乗り込ん
で「自衛隊は手を拱いていてよいのか」と机を叩いたそうである。小宮山、前原
らのあきらかな問題発言は問われていない。鉢呂粛清は最後の残存左翼を排除す
るための粛清、ヒトラーがレームを粛清した長いナイフの夜だったと見ることも
出来る。おそらくそれほど筋の立つことではなく、任命責任とか総理への風当た
りを避けるための保身という、ちょろい理由だけだったと思う。

 そこで考える。もし野田総理が聖書を読んでいたならと。ニッポン・マスコミ
の言葉狩りとおなじく、律法学者やファリサイ派の人々は、危険人物であるイエ
スを、何とか告発しようとして次から次へと罠を仕掛ける。イエスはひとつひと
つ、しばしば逆説によってしりぞける。少しでも聖書から学ぶところあったなら
ば、既に辞任した鉢呂氏を面前にして、国会の壇上から鉢呂氏をさらに晒し者に
するような、あのように阿漕な総理演説はしなかったろうと思う。      
                  
          (筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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