~食糧危機を阻止できるか ― 90億人の地球を養うには~

■ 海外論潮短評(45)                初岡 昌一郎

  ~食糧危機を阻止できるか ― 90億人の地球を養うには~
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 世界中で知識層に広く読まれているロンドンの週刊誌『エコノミスト』2月1
1日号が将来の食糧問題を特集している。まず巻頭の社説で食糧「危機の阻止」
を論じ、巻央の特別報告で20ページにわたって詳論している。主要な論点の幾
つかを紹介する。


◇食糧問題の将来と危機


  世界中を見渡すと、食糧供給システムは危機にある。安上がりな食糧の時代は
完全に終わった。穀物価格は高騰し、実質価格で1984年以来の最高値をつけ
ている。世界の穀物価格は2008年にピークに達したが、その時には何億人も
の人々が窮乏化し、各地で食糧暴動が発生した。現在のアラブ世界における民衆
の政治的な反乱には食糧価格の急騰が背景にある。

 懸念されている中国の小麦が旱魃によって減収すると、価格はさらに上昇する
だろう。食糧を買えず、すき腹を抱えて昼夜を過ごす人の数が今や急増してい
る。世界経済を左右するG20サミットは、「食糧安全保障」を2011年の最
優先課題に挙げている。

 今日の価格高騰は懸念すべき大問題群のほんの一部にすぎない。食糧問題は、
(1)構造的(2)一時的および(3)無関係の問題という三つのレベルで整理
して考察しなければならない。不幸にして、これまで政治家や政策担当者は
(3)に力を入れすぎ、(1)を軽視してきた。

 穀物価格上昇は、特に低所得層の生活を困窮させる。その反面、低く抑えられ
てきた価格の上昇は増産のインセンティブとなるという経済学者もいる。対立す
る評価が、対立する解決の道を提示することになる。


◇対立する解決へのアプローチ


  あるグループは主たる原因を人口増に求め、特に貧困国における農業と食品加
工業の近代化を提唱する。このグループには、食糧・食品企業、工場化した畜産
業者、国際開発機関、その取り巻きエコノミストが入る。彼らによると、グリー
ン革命が模範とされる。

 別のグループの見解は、近代的な食糧・食品企業に懐疑的ないし敵対的であ
る。NGOや消費者の間で有力なこのグループは、食品の安全性や肥満、無駄な
消費を問題とする。近代的農業は味の悪い、栄養的に劣る、環境破壊的な産品を
大規模に生産していると批判する。グリーン・レボリューションは失敗、ないし
少なくとも期待以下の成果しかあげていないし、環境を破壊している。

 われわれが何を夕食に食べるべきかを出発点にするものもいる反面、夕食をと
る事ができるのかを基本に考えるものもいる。これがアプローチの基本的な相違
を生んでいる。 現下の価格高騰の理由は一時的なものである。ロシアとアルゼ
ンチンにおける旱魃、カナダとパキスタンにおける洪水、自国の供給を確保する
ための一部生産国による輸出禁止、穀物備蓄を上積みする輸入業者のパニック的
買占めがその原因だ。

 中期的に観れば、構造的な問題こそが前面に出る。人口増とペースを合わせる
ためには、2050年までに食糧を70%増産する必要があると想定されてい
る。ところが、耕地拡大の余地が限られている事や、水の供給が限界にあるこ
と、肥料投入の効果減小などからみて、大規模増産の可能性は疑問視されてい
る。気候変動が悪影響を与える事も懸念されている。

 現に、1960年代以降で初めて、世界の最重要穀物である小麦と米の生産増
加率が人口増加率を下回っている。世界は既に今日の70億人を適切に養うこと
ができなくなっているのに、2050年に90億人を養えるのだろうか。


◇どれだけあれば足りるのか


  この問題は、見かけよりも単純ではない。1981年にインド人経済学者で、
ノーベル経済学賞受賞者のアルマティャ・センは、『貧困と飢餓』という有名な
論文で「1943年のベンガル飢饉で300万人が死んだが、それは酷い不作に
よるものではなく、何百万人が死んでいる国から食糧を依然として輸出した国家
によるものであった」と論じた。彼の結論によると、飢饉の主たる原因は配分に
あり、基本的食糧の不足ではない。

 国連世界食糧農業機構(FAO)が1996年に算定したところによると、世
界の全ての人に一日平均2,700カロリー(成人が必要と考ええられる最低の
2,100カロリーよりも多い)を供給するに十分な食糧が生産されている。人
は一日90グラム以上の肉を必要としないと専門家は言うが、平均して現在の食
肉消費量はそれ以上である。適切に配分と消費がなされれば、現在の食糧生産能
力で全ての人を十分まかなえると見られている。

 実際に世界の食糧生産量は十分なのだが、全ての食糧が食べられているのでは
ない。一部はバイオ燃料に向けられている。農民は既に十分な食糧を生産してお
り、ある計算では、最低必要量の2倍にものぼっているが、驚くほど大量の食品
が浪費されている。

 それではなぜ食糧生産を心配するのか。回答の一部は価格にある。生産が需要
以下になると、"過剰な"カロリーが生産されていても、価格は上昇する。200
7-8年の事態がそうであったし、今またそうなっている。過去4年間は、それ
以前の数十年間よりも、価格が変動しやすくなっている。これは農民にとって悪
いことだし、消費者にとってはさらに悪い。特に貧困層は、突然に基礎的な食糧
が買えなくなる。

 問題のもう一つの側面は、流通の改善と貧困の削減にある。それは容易な課題
ではない。食糧は世界的に十分であっても、必要とされるところで不足してい
る。それらの社会的政治的問題の解決よりは、増産策のほうが通りやすいので、
政府の政策はそちらに流される。


◇人口増に追いつく食糧生産は可能か


  今日の人口予測によると、2050年までに世界人口は90億人を超える。既
に餓えている10億人を含め、これだけの人口増をまかなうのは大仕事ではある
が、不可能ではない。2050年までの人口増は現在の70億人弱の約30%に
当たり、2010年までの40年間における80%以上の人口増よりも緩やかで
ある。小麦、米、トウモロコシの消費はほぼ人口増に応じて、やや高めの水準で
増える。

 問題は、都市に住む人口がますます鰻上りに増えていることである。都市居住
者は、地方住民よりも多くの食糧、特に加工食品を摂取している。都市住民は所
得水準が高いので、肉などのより高価な食品を買う。これにより食肉需要は急増
する。2000年には、開発途上国におけるカロリー消費の56%は穀物で供給
され、20%が肉類、乳製品、植物油でまかなわれた。

 FAOによると、2050年までには、穀類によるカロリー摂取は46%に低
下し、肉類、乳製品、植物油への依存が29%に上昇する。急騰する需要に伴い
食肉生産は2050年までに4.7億トンに増える。これは現在のレベルの2倍
に相当する。食肉によるカロリー摂取は、穀物を直接に食べて取る場合よりも、
3-8倍の穀物を必要とする。大豆の生産も倍増を要する。

 食糧供給を向う40年間に70%増やすことは、過去40年間に150%増加
させた事よりも困難だろう。その主な理由は、面積当たりの収穫高にある。単位
収穫高は、1960年代の年間平均3%増から、現在の1%にスローダウンして
いる。


◇簡単で容易な解決法はない


  年間1.8%の人口増にマッチする収穫増は、畜産に回す穀物の増加を考慮に入
れ、約1.5%と想定される。米は価格を維持するために1%以内の収穫増、トウ
モロコシも同量の増加が必要であろう。小麦だけが2.3%増を必要とする。
土地、水、肥料が農業の3大要素である。人口は増加したが、土地は増えない。
農地拡大は環境上から制約がある。

 しかし、余地がないわけではない。広大なブラジルのサバンナが耕地に転化さ
れたのが成功物語になっている。ブラジルとアルゼンチンに開拓余地があるの
と、西アフリカからモザンビークいたる、いわゆる"ギニア・ベルト"の11ヶ国
では可耕地の半分しか利用されていない。これらのところでは、耕地面積拡大で
収穫増が見込める。利用出来る処女地は、10-13%程度と見られる。しか
し、他のところにおける表土侵食で失われる土地によって相殺される。

 水が最大問題である。これが農業を制約する危機的要因となる。潜在的な供給
能力を削がずに利用可能な水は、現在約4,200立方キロメーターと見られ
る。消費はそれよりも高く、4,500キロとなっており、その70%を農業が
取り込んでいる。これまで農業は地下水の過剰な利用に依存してきた。その結果
インドのパンジャブ州では、地下水位が数メーター下がっており、数百メーター
下がったところもある。アメリカや中国でも地下水位の低下が深刻化している。

 2030年までに農民は45%増の水を必要とするが、その量の入手は不可能
だ。都市が第二の水消費者で、それは急激な爆発的増加を続けている。既に世界
人口の50%が都市に居住するが、2050年には70%に達する。都市と地方
の対立では、政府は前者に組みするようになるだろう。かつては農業が90%の
水を使用していたが、一貫してそのシェアは下がり続けている。水がそれほど重
要性を帯びるのは、灌漑農業の生産性が非常に高いからである。

 灌漑農地は世界の耕地面積の5分の1を占めるに過ぎないが、食糧生産の5分
の2を収穫している。カロリー源からみて最も重要な穀物である米がほとんど灌
漑農地で作られているので、水不足に特に敏感である。一キロの小麦の生産には
2,000リットルの水を要するが、一キロの牛肉には16,000リットルが必
要である。肉食が普及するにつれ、水需要は急増し、縮小する供給と衝突する。

 水の効率的利用には農民も寄与できる。現在、農業用水の3分の1が無駄にな
っている。技術的な改善で用水の40%節約は可能である。そのためには巨額な
投資が必要とされるので、政府による政策的支援が不可決だろう。

 農業の第三の基礎的インプットは肥料である。歴史的には、土地や水よりも、
肥料の不足が制約要因であった。20世紀になって、化学肥料が食糧の大増産に
道を拓いた。これなしには人口増に対処できなかった。アフリカの農民はヘクタ
ール当たり10キロの肥料を投入しているだけだが、アフリカよりあまり豊かで
はないインドの農民は18キロを用いている。かなりの国では肥料の利用を倍化
することで、収穫を倍増する事ができよう。


◇適正な技術と政策の採用が不可欠


  しかし、中国の例が示すように制約はある。多額な補助を受けているので、肥
料の利用は1990年以後40%も増加したが、穀物生産はほぼ横ばいである。
中国が肥料の利用を3分の1カットしても、悪影響は出ないだろう。現在では過
剰な肥料が湖川に流入し、水質悪化による藻類の繁茂を招いている。アメリカで
は過剰利用された肥料がミシシッピ川に流れ込み、メキシコ湾を汚染している。

 肥料価格が2007-8年には穀物以上にドラマティックな上昇をみせ、今も
高止まりしたままである。肥料生産はエネルギー集約型であり、石油価格に支配
される。肥料を投入する事で改善を期待できるところはまだあるが、多くは望め
ず、むしろ過剰投入が根本的な問題である。農薬についても同じ事がいえる。

 気候変動は気象の変化だけでなく、農民の選択肢を増やすことで食糧供給上の
緊張を激化させる。カーボン削減に値段をつけ、それが本当に取引できるのであ
れば、農民もそれに参加できるはずである。小麦の代わりに雑草をはやすなど、
農民の選択肢を増やし、食糧としての穀物を作るだけでなく、カーボンを捕捉す
る緑化をはかることや、バイオ用工業原料を生産することで収入増を図りうる。

 不確実な政治、変動しやすい価格、飢餓と過食など、心配事のタネは尽きな
い。しかし、世界は全ての人類に史上初めて十分な食糧を供給するための農業食
糧革命のトバ口に立っている。適正な技術と妥当な政策、それに幾分かの幸運が
あれば、ブラジルやベトナムが示したように、食糧自給は十分に果たしうる。

 著しく歪みのある市場を是正するために政府が果たせる役割は大きい。その一
つは、縮小している農業研究助成を逆転させることである。農業補助金と違い、
ブラジルの最近の成果が示しているように、農業研究助成はおおきな効果がある
のに、先進国政府は教訓を学んでいない。大学や研究機関の農業研究は大幅に削
減されている。これは、巨大な失策である。


◇コメント


  基本的な食糧問題は、過去と現在においては、供給量よりも流通と配分、そし
て消費のパターンにあった。これらの問題は依然として解決していないのに、今
後は供給量自体の制約が前面に出ると懸念されている。安く食糧を思いのままに
入手できる飽食の時代が如何に脆いかは、しばしば警告されてきたのに、これま
ではそれほど深刻には受けとめられていなかった。

 食糧、特に穀物を完全に市場の論理に任せるべきという議論が、貿易自由化を
支持する財界よりのエコノミスト群によって盛大に行なわれ、政治家もその流れ
に押されている。これまでの日本における農業政策策は、農家の痛みを軽減する
安楽死を目指すようなものであり、農業の将来性と食糧の安定的な確保を重視し
たものではなかった.だからこそ、若い人たちが農業を見捨て、都市に未来と生
活の場を求めてきた。農林業の将来を重視して、資源をこれに重点的に配分すれ
ば、魅力的な将来性を拡大し、社会的個人的に意義のある自己雇用の場と、生活
の質の向上と生きがいをみつける可能性を拓くことになるのではなかろうか。

 工業製品は生産者が基本的に価格をきめることができるのは、生産の単位が大
きくなればなるほど価格支配が容易だからであるが、農業が自前で価格決定がで
きるほど生産の単位を拡大する事はできないし、またその性格からみて工業的農
業は邪道であろう。農産物価格を生産者が制御できないのであれば、政府が適切
に支持介入する事が安定的な供給を保障するために必要となる。市場に全てを任
せることはできない。自由な市場を一貫して強く主張してきた『エコノミスト』
でさえ、農業と農産物の完全自由化が可能だとも、あるいは必要だとも論じては
いない。

 食糧の安定的な供給が不安視されるにつれ、各国とも食糧安全保障のために自
給策を奨励する事になろう。その兆候はすでに世界的に見られる。エネルギー価
格の持続的な高騰が予測され、それが輸送コストに必ず反映されるので、遠隔地
からの食糧供給のコストは跳ね上がらざるを得ない。また、食糧供給が世界的に
タイトになるにつれ、外国から安価に食糧を買うことはできなくなる。しかし、
将来の食糧供給を一国的に完結するように設計する事は必ずしも必要ではなく、
地産地消をアジアレベルのより広い地域内で国境を越えて協力する形で構想すべ
きだ。

        (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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