-アメリカと日本 - 安保条約50年を迎えて-

■ 海外論潮短評(34)         初岡 昌一郎 

-アメリカと日本 - 安保条約50年を迎えて-

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世界的に大きい影響力のある国際問題専門誌『フォーリン・アフェアーズ』3/
4月号が、安保条約の50年を振り返り、現状を点検、将来を展望するタイムリ
ーな論文を掲載している。筆者は知日派の重鎮、ジョンズ・ホプキンス大学院前
国際研究科長で、米日財団会長ジョージ・パッカード。彼は、安保闘争後、ケネ
ディ大統領によって日本大使に任命されたエドウィン・ライシャワー(当時、ハ
ーバード大学教授)に乞われ、その特別補佐官として1960年代前半に東京で
勤務したことがある。最近、彼の著書『ライシャワーの昭和史』が講談社から出
版されている。以下のタイトルによる論文を掻い摘んで紹介する。


■アメリカと日本 ― 安保条約50年を迎えて


 1960年6月19日に日米安保条約が調印された。これにより、日本が攻撃
された時にはアメリカが防衛すること、日本がアメリカに基地と港を提供するこ
とが約束された。1648年のウエストファリア条約(評者注:30年戦争を終
結させ、神聖ローマ帝国を解体し、国家をカトリックの支配から解き放った歴史
的に有名な条約)以来、この条約は他の同盟関係よりも最も長命であった。

 日本の安全と東アジアにおけるアメリカの強力な存在を持続するのに成功した
ことから、この条約の将来が明るいとの結論を下しうるかもしれないが、それは
誤りであろう。自民党による54年間のほぼ継続的な支配の後、昨年8月選挙で
の民主党の圧勝から、この条約の便益がコストを上回るかについて新しい疑問が
日本で生れている。


◇疲労痛


  1952年に初期の安保条約が発効したとき、双方ともこれをグランドバーゲ
イン(非常に得な取引)とみなした。日本は独立を回復し、域内で最強の国家か
ら低コストで安全保障を獲得し、そしてアメリカ市場に製品のアクセスを確保す
る。日本は大規模な軍事力抜きで経済復興に専念できる。アメリカとしては西太
平洋に勢力を確保し、日本に軍事基地を置くことで、韓国と台湾を防衛するとい
う条約上の義務とソ連および中国封じ込め政策の両方を確実にした。

 だが、特に日本人にとって嬉しくない点が多くあった。これは勝者と被占領国
との間の合意であり、平等な国家間のものではなかった。軍隊駐留の具体的な取
り決めは行政協定に任され、国会承認事項から外された。これが国内的大規模騒
乱を鎮圧する権利をアメリカに与えていた。他方、アメリカ政府は日本を防衛す
る具体的な約束を行なわず、東アジア随所で軍隊を用いる自由を保持した。

 1960年に大規模な反対運動を押し切って安保条約改定が強行されたが、戦
争と平和の問題で反対派にその意思を押し付けられないことを与党は学んだ。1
960年代後半、日本はアメリカのベトナム戦争反対の激しいデモで悩まされた。

1970年代はじめには、日本製品がアメリカに溢れ、対日貿易赤字が拡大し
たことで、沖縄返還と引き換えに輸出を自粛するという佐藤首相の約束が破られ
た、との不信感がアメリカ政府に生まれた。ニクソン訪中は日本に事前通告なし
に行なわれ、台湾承認を長年にわたって押し付けられていた日本政府は不信感を
持った。ニクソンはまた抜き打ちで"ニクソン・ショック"として知られる、ドル
切り下げと円の大幅引き上げを行なって日本の対米輸出抑制策をとり、恩恵的な
日本の保護者としてのアメリカのイメージを封殺した。

 1980年代はさらに困難なものであった。日本企業によるアメリカ市場の支
配が経済貿易摩擦を激化させた。1989年のギャロップ世論調査によれば、回
答したアメリカ人の57%が、日本がソ連よりもアメリカにとっての脅威と見て
いた。日米関係の更なる悪化が避けられたのは、バブルの崩壊とサダム・フセイ
ンのクウェート侵攻のお陰であった。

 クリントンは1993年に政権に就いたとき、行政府の多数のものと同じよう
に、日本が敵であるという観念に影響を受けていた。1993-4年の北朝鮮に
よる核実験と1996年の台湾海峡危機が、日米安保条約の価値をワシントンに
認識させた。しかし、クリントンが東京に1日も立ち寄ることなく北京を訪問し、
中国を戦略的パートナーと宣言したことが日本にショックを与えた。新防衛協
力ガイドラインが採択されたのは、1998年に北朝鮮が日本の頭上を越えるミ
サイル試射を行なった後のことである。


■利害得失と新しい政治状況


 日本の政治的な変化にたいするアメリカの対応は緩慢なものである。鳩山政権
は、日本におけるアメリカの軍事的フットプリントを削減しようとしている。
  今日の日本におけるアメリカ軍事力の規模とインパクトは今後の論議の的とな
らざるを得ない。85の施設、44,850人の軍人・軍属と44,289人の
その扶養者たちの住宅が依然として存在する。

 その約75%が沖縄にあり、地元民にとってその存在自体が苦痛の種となって
いる。2008年には沖縄だけで28件の飛行機事故、7件の廃油による水質汚
染、18件の山野火事、70件の凶悪事件が伝えられた。加えて、基地周辺には
赤線地帯が出現している。米軍は、このような事件は他の基地周辺でも同じよう
にあり、沖縄だけが特別ではないといっている。しかし、このような報道を読む
日本人は、外国軍隊駐留の便益がコストを上回るのかを疑問視し始めている。

 日本人をいらだたせている具体的な問題の一つが、年間30-40億ドルに登
る"おもいやり予算"である。増大する貿易黒字に対するワシントンの批判を和ら
げるのに日本政府が腐心していた、1978年にこれはさかのぼる。アメリカ軍
基地に働く25,000人の日本人の労務費を日本が支払うのに合意した。これ
ら労働者の20%は娯楽や食事のサービスを提供している事が判明した。

 日本防衛省が作成した最近のリストによると、76人のバーテンダー、48人
のスロットマシーン係、47人のゴルフコース保守要員、25人のクラブマネー
ジャー、20人の芸人、9人のレジャーボート運転者、6人の舞台要員、5人の
ケーキ職人、4人のボーリング場事務員、3人のツアーガイド、1人のペット係
が含まれている。ある民主党議員は「休暇の娯楽費までもなぜ日本が負担する必
要があるのか」といっている。


■素人的な外交


 鳩山とオバマは両人とも前任者を批判し、変化を呼びかける事で政権に就いた。
過去10年間、72%の日本人がアメリカを好意的に視ており、80%のアメ
リカ人が日本を信頼にたる同盟国とみていることを世論調査が示している。

 ところが、両指導者ともに当初からの取り組みが極めて素人的なものであった。
その一つが沖縄の普天間基地の問題である。2006年の駐日米軍削減合意に
より、普天間基地は人口長密度が低い名護市に再配置され、約8,000人の海
兵隊とその家族がグアムに移転することになっていた。アメリカ政府は、日本に
移転費の大部分を負担するように要求していた。

 アメリカ軍部は1945年以後沖縄を自分の領地のように取り扱ってきた。沖
縄戦では12,500人の米兵が死に、37,000人が負傷した。1972年
の返還まで、アメリカ軍部がこの島を自由に統治し、しばしば日本政府とアメリ
カ国務省の両方の希望を無視した。1966年の事件では、アメリカ軍は核兵器
をひそかに沖縄より本州に運んでいた。これは、1960年合意の明確な違反で
あった。米軍は沖縄返還に反対し、そこで主人公として振る舞い続けた。

 アメリカと日本の政府内外の事情通は、普天間空軍基地を宜野湾よりも人口が
稠密でない嘉手納の空軍基地と統合する事を考えている。しかし、軍内部の勢力
争いが邪魔している。海兵隊は自分の基地を保持したがっているが、沖縄に海兵
隊は不要という声がある。このような疑問に答え、鳩山の憂慮に対応する代わり
に、昨年10月、アメリカ国防長官ビル・ゲーツが東京に飛び、2006年合意
の実行を要求した。


■間違いだらけの大きな声


 ワシントンは普天間基地問題に関する立場を整理するために鳩山政権にもっと
時間を与えるべきであった。もっと一般的に言って、アメリカが播いた民主主義
の種が根付いた証拠として、日本における強力な第二党の選挙勝利を祝福すべき
である。そうする事は、もはや日本がペンタゴンの命令に従順に従うのを期待し
ない事を意味する。そして、日本の政党が安全保障に関して自前の見解を持つ権
利を認めることでもある。日本の前政権がブッシュ政権と行なった合意を実行す
るよう、鳩山が政権に就いてまだ一ヶ月の後に強要することはペンタゴンにとっ
て馬鹿げた事である。

 より賢明な道は、日本人が言う"低姿勢"をとる事である。ワシントンと東京は、
安保条約によって持ち上がっている問題全体を意識的に再検討すべきである。
アメリカ海兵隊を沖縄に駐留させるために有力な戦略的議論があるならばそれを
公表し、納得できるかどうかを日本国民に判断させるべきである。普天間基地は
問題の小さな一部にすぎない。

 アメリカ政府は、ドイツ、韓国、フィリピンで行なったように、アメリカの軍
事基地を削減したいという日本の要望を尊重すべきである。アメリカ政府は、日
本における米軍の駐留に関する合意をすすんで再交渉すべきである。この合意の
一部は、治外法権という19世紀の臭いさえも含んでいる。究極的には、日本の
有権者が同盟の将来や進路を決定する事をアメリカの交渉担当者は認識しなけれ
ばならない。なかんずく、安保条約がいかに重要であっても、それが世界最大の
民主主義と経済を持つ両国間のより大きなパートナーシップの一部にすぎないと
言う前提からアメリカの交渉担当者は出発すべきである。

 最後に、大きな象徴的な姿勢として、オバマ大統領と鳩山首相は秋の日本にお
けるアジア太平洋経済協力会議後、共に広島を訪問し、両者の心中に強いおもい
のある核兵器の製造と拡散に終止符を打つ明確なよびかけを発表すべきである。
その後、両者はパールハーバーを訪問し、このような攻撃が今後決して行われな
い事を宣言すべきである。こうした姿勢が戦争の傷跡を最終的に癒し、将来の日
米関係を強化する。


■コメント


 ここに紹介した論文を読む前に、河上民雄先生から加藤宣幸さん経由で、『イ
ンターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(『ニューヨーク・タイムス』の
国際版)1月22日号に掲載された「ニュー・ジャパン、ニュー・アジア」と題
する記事を頂いていた。署名入りのこの記事の筆者は、プリンストン大学国際政
治学担当ジョン・イケンベリー教授とジョージタウン大学国際問題担当チャール
ス・カプチャン教授という、著名な論客である。

 この記事は、日米安保条約50周年を迎えて、オバマ政権は悲しむべきか祝福
すべきかを迷っているとの書き出しで始まっている。河上先生がアンダーライン
を引かれている箇所を要約引用してみると、「オバマ大統領は、11月の訪日中
に日米関係を平等なパートナーシップでなければならないと述べた。ジェームス
・スタインバーグ国務副長官は、先週、日本の活気に満ちた民主主義の体現を歓
迎し、同盟の将来を決めるためにオープンな対話を喜んで行なうと述べた」

 「日本は、多くの面でベルリンの壁崩壊後のヨーロッパがとった道を辿りつつ
ある。冷戦終結以後、EUは地域統合の速度を速め、ワシントンからの自立を望ん
できた。ヨーロッパはもはやアメリカの過剰な存在に文句を言わなくなり、アメ
リカはヨーロッパの自立と協力の便益を享受している。同様に、日本もアメリカ
との関係を現代化する必要がある。ワシントンから一定の距離を置くことで、究
極的にはパートナーシップをより強力かつ成熟したものにすることになる」

 「日本が中国との関係を深めるにつれて、両国は最終的にはフランスとドイツ
が戦後達成したような和解的接近を踏襲しうる。・・・より積極的に主張し、よ
り独立した日本は、ワシントンに付き従っているよりも、東アジアとアメリカに
とってはるかに多くの面で有望だ」

 評者の見るところ、沖縄の基地をめぐる今日の日本における政治的な議論のほ
とんどは従来の延長線上にあり、グローバルな変化や望ましい今後の国際関係を
視野に入れていない。井戸の底から天を見上げるような視野狭窄に陥っている観
がある。

 鳩山首相は持論の駐留なき安保論を封印するに及ばないし、自ら提唱したアジ
ア共同体と沖縄米軍基地の整合性について検討を指示すべきである。日米安保は
安全保障や国際関係の固定的な基礎ではないはずだ。
          (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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