-アメリカ・ジャーナリズムの再構築-

   ■海外論潮短評(33)         初岡 昌一郎 

-アメリカ・ジャーナリズムの再構築-

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ニューヨークの名門コロンビア大学ジャーナリズム研究科大学院が発行する隔月
間学術誌『コロンビア・ジャーナリズム・レビュー』2009年11/12月号が「アメリ
カ・ジャーナリズムの再構築」を主テーマに取り上げ、24ページの長大論文を掲
載している。

この論文を掲載するにあったて、同誌編集部は「商業的非営利的公共的なニュー
ス部門におけるアカウンタビリティ(責任のある)ジャーナリズムの体質強化に役
立つエコシステムを作るために」論争を提唱し、今後の論争の場を同誌が継続的
に提供するとしている。この論文に対はする批判や論争への参加のために、同誌
は特別のウェブサイトまで設けている。

論文の共著者の一人、レオナルド・ダウニー・ジュニアは『ワシントン・ポスト』
副社長で、前編集局長。もう一人のマイケル・シュドソンは、コロンビア大学
院コミュニケーション論担当教授である。この論文は長大すぎて要約困難だが、
現状認識と将来への問題提起に焦点を当て紹介する。


■転形期に立つアメリカ報道ジャーナリズムの独立性


アメリカのジャーナリズムは転形期にある。主要日刊紙と有力通信社の分業によ
る報道支配の時代は終わりを迎え、もっと分散的なニュースの収集と流通の時代
に移りつつある。長い間広告によって支えられてきた有力紙の経済的基礎が崩壊
している。この基礎こそが報道の独立性の源泉であったので、この原則も脅かさ
れている。

報道記者数が減り、ニュース紙面が減り、読者が減っている。20世紀に支配的地
位を占めていた首都圏有力紙のヘゲモニーが終幕を迎えている。日刊紙のライバ
ルであったテレビも、視聴者、広告収入、報道能力を失いつつある。それらの消
滅が差し迫るという予言が繰り返されているが、見通しうる将来に新聞とテレビ
が亡くなることは無い。しかし、デジタル・ジャーナリズムによって急速に変化
しつつある報道の世界で、既成主要メディアの役割は低下している。

この変化によって失われるものの代わりに、なにが生まれてくるのか。そして、
新しいニュースメディアがこれまでのジャーナリズムよりも良い報道手段となる
かが問題だ。さらに重要なこととして、独立的で創意と信用のあるニュース報道
の基本を守るために何をなすべきか。


■インターネットによる参加型協力的報道の可能性


幾つかの回答は既に登場している。インターネットの可能性を利用してニュース
をより広く収集し、流通させる方法が利用され始めた。既存の新聞とテレビがこ
れを利用しているだけでなく、新規のオンライン・ニュース社、NPO型調査報道
プロジェクト、公共放送、大学提供ニュース・サービス、市民参加のコミュニテ
ィ・ニュースサイトが参入している。それらは独立した報道という使命をより多
様な形で担っている。

報道はますます参加型協力型になっている。ニュース収集者の隊列は、職業的新
聞記者だけではなく、フリーランサー、大学教員と学生、市民を包含している。
報道にたいする財政的支援は、広告主と購読者だけではなく、財団、社会団体、
政府資金、特殊利益集団、学者、読者・視聴者の任意的寄付などから寄せられて
いる。

インターネットは双方向型協力型ジャーナリズムを可能にし、それによって伝統
的アメリカ・ジャーナリズムの市場を侵食している。インターネットは無料の情
報アクセスと低廉な広告料によって、独占に近い大報道機関による視聴者・読者
と広告主にたいする掌握力を低下させた。


■危機にさらされる調査・追求型報道


報道とは、当たり前の分りきったことを伝えることではない。新しい情報、調査
、分析を提供することである。政府や企業が何を行なっているかだけではなく、
その行為の背後にあるものを明らかにするのが独立した報道であり、新聞の監視
機能である。政治家や公務員の責任を公共業務の法的道義的基準に照らして報道
し、事業家や専門的リーダーたちの責任を廉潔と公正の社会的基準からみて報道
する。

ニュース報道は、複雑な事件、争点、プロセスを明確な言葉によって説明するこ
とで民主主義を支えている。説明と分析は調査的報道の不可欠な要素である。そ
れには、複雑な状況を幅広い市民にたいして説明する能力が要る。インターネッ
ト時代には、誰でも情報を収集、調査、分析できる。しかし、新聞編集室が消え
れば、失われるものがある。

必要なのは単なる生の情報ではない。公共の利益と市民の責任という観点に立つ
ニュース判断がいる。新聞編集室には報道、分析、調査が組織的に協力して追求
できる利点がある。経験をつんだジャーナリストの報道活動を支ええるのは、資
金、支援体制、法律的助言などを与えられる安定的組織である。それがあって、
はじめて広い公衆の利益のために活動できる。

大事なことは、特定の大メディアを救済することではなく、大メディアと共に長
期低落を続けている報道の独立性を守ることである。説明責任を負うジャーナリ
ズムが特に地方で経済的に崩壊する危機にさらされており、既に多数の地方紙が
消えた。テレビ、ラジオ、インターネットなどのメディアのニュースのほとんど
は、依然として新聞報道に基づいているので、国際や全国のニュースよりもロー
カルなニュース報道が最も危機に陥った。


■新聞ニュース報道の縮少による危険


テレビの普及以来、新聞の長期低落傾向が始まった。今では、競争の激しい大都
市を除き、夕刊紙はなくなり、多くは朝刊に統合された。新聞は新読者と広告を
獲得するためにデジタル版を始めたが、これがかえって首を絞めることになった
。無料のニュースが入手できれば新聞は売れない。

全米で日刊紙数はへりつづけており、残った新聞も休刊日を増やしている。この
数年間で新聞は編集局員を大幅に削減しており、報道のカバー範囲が狭くなった。
地方有力紙の『ボルチモア・サン』は400人以上いた報道陣を150人に減
らし、『ロサンゼルス・タイムス』は1,100人の記者を600人以下にした。
1971年には新聞報道に40,000人が従事していたが、92年には60,000人に
増えた。それをピークとして、2009年には40,000人に逆戻り、今やさ
らに急速に減り続けている。

市役所、学校、社会施設、地場産業、芸術、文化、科学、環境を担当する現場記
者が非常に少なくなっている。大新聞も外国特派員を大幅に縮小しているし、ワ
シントン駐在記者数も2003年の524人から355人に減った。


■テレビやラジオが新聞報道を代替出来ない理由


過去には連邦通信委員会(FCC)が、放送免許の更新時に公共の利益に奉仕して
いることを示すことを義務付けていた。しかし、もはや公益義務が効果的に監視
されてはいない。議会は、1967年に現行の公共ラジオ・テレビ制度を創出し
た。独立的な公共放送機構(CPB)を通じて連邦政府が年間4億ドルを数百の公共
ラジオ・テレビ局に補助金を出している。

大学、NPO,州政府や地方自治体が所有するこれらの局は、比較的少ないCPBの補
助金を補足するために、個人や財団、企業からの寄付から基金を集めている。ほ
とんどのカネは、ニュース報道よりも、人件費や基金募集に使われている。
CPB資金の4分の3は公共放送に向けられているが、これらはほとんどオリジナ
ルなニュース報道を行なっていない。

地方公共テレビ局が集団的に保有し、主としてCPB資金に依存している「公共テレ
ビ機構」(PBS)は、今まで独自のニュース報道をあまり行なっていない。主とし
て、加盟主要局や独立プロによるドキュメンタリー、トークショウ、討論番組な
どを放映してきた。PBS自体はニュース制作能力を持っておらず、ニュース報道
は行なっていない。


■ブログによるニュース報道の問題点と可能性


デジタル世界のブームと没落には無限の多様性があるように見える。何十万とい
う無数のウエブサイトを通じてニュース、情報、特に意見が提供されている。ほ
とんどは個人の見解や活動を文字や画像で伝える手段である。かなりの数のもの
は、既成メディアのニュース報道などをコメントしたり、それとのリンクを持っ
ている。これらのブログには既成メディアを代替もしくは敵対するものがあるも
のの、旧メディアはますます共存を目指している。

デジタルメディアの中から、全国的な総合オンラインニュース・ビジネスが生ま
れ、大量の視聴者と広告によるビジネスモデルで収益を狙っている。これらの総
合的ブログは他のメディアにリンクしたり、そのニュースを要約して報道してい
る。このビジネスは少数のスタッフでニュースの要約やリライトをしている。新
聞は、これらの総合集積型ブログ業者が料金や広告料の一部を払わずに記事を利
用し、版権を侵害していると苦情を申し立てている。しかし、現行法ではデジタ
ル出版によって生じている問題に対処できない。'公正な利用'という原則の概念
がまだ十分判断されていない。

新規のデジタル事業、意欲的なブログ、親/反ジャーナリズム的試行、その他複
合的なニュース機構が急速に増えつつあるが、新聞や放送ニュースを代替すると
ころには至っていない。むしろ、相互依存が深まっている。旧型メディアはもは
や自分で開拓できなくなったニュースや調査型報道において、新デジタルメディ
アは新聞やテレビが持つ多数の読者者・視聴者にアクセスできる点で、お互いに
助け合える。多くの新ニュースソースが比較的短期間にアメリカ・ジャーナリズ
ムを再構築する重要なファクターとなっている。


■報道の独立性を守るための提案


政府による新聞の救済や、多くの欧州諸国が行なっているような各種の直接的助
成金は勧告しない。ほとんどのアメリカ人は独立したニュース報道に政府が直接
介入し、影響を及ぼすことに深い不信感を持っているので、その点は尊重したい。
しかし、芸術、文化、科学などに政府が出している助成金を、報道に対しても出
すことを否定すべきではないだろう。

これまでにも、アメリカ政府はニュースメディアにたいする支援を立法化してい
る。憲法修正第一条に基づいて議会は1792年に郵便法を制定し、郵便事業を
安定した基盤に乗せ、あわせて新聞の郵送を補助することにした。新聞は相互間
での送達が無料となり、報道上の協力に便宜が図られた。憲法修正条項は政府に
よる報道の自由束縛を禁ずるだけでなく、自由な報道を促進することを可能にし
た。

それから2世紀後、1970年の新聞保護法が独禁法除外を定め、同一市内の新
聞が収支を共有する、経営上の協定を出来るようにした。これは所期の成果を上
げることができず、有力紙が単独で生き残ることになった。独占禁止法はデジタ
ルニュース料金を均一化するのを禁じているが、これは新聞にとって必要でも好
ましいことでもない。

独立した報道は、基盤が揺らぎ、縮小しつつある新聞にもはや依拠できなくなっ
てきた。アメリカ社会の各界が多様な資源によって、民主主義の基礎としての独
立した報道を守るために行動しなければならない。そのために特に以下のことを
勧告する。

1.議会と国税庁が、公共の諸問題を主として報道する独立的報道機関をNPOと
  認定し、非課税とすること。
2.公共の諸問題にかんし説明責任を持って報道する実績のある機関にたいして、
  公益財団や各種団体が補助金や寄付を出すこと。
3.公共放送とテレビが、あらゆる地方社会の公共的ニュース報道を行なう責任
  を負うように、必要な改革と資金調達を考案すること。
4.公立私立の全ての大学が、その教育的使命の一環として、専門分野、地方、
  州および全米レベルでの説明責任を持つ情報源となり、活動的なジャーナリス
  ト個人に教職ポストを提供し、ニュースの収集と配布上の革新の実験室となる
  こと。
5.連邦通信委員会が持っている資金で、地方ニュース向け全国的基金を設立す
  ること。
6.連邦および州政府、地方自治体によって収集されている公共情報の利用可能
  性を高めるために、市民による公共情報の収集と配布に便宜を図るために、そ
  して関連情報の多くの情報源を市民が知りうる範囲を拡大するために、ジャーナ
  リスト、NPO, 政府各機関が一層の努力をすべきである。

新聞の再建が地方ニュース報道の将来にとってカギであり、最も困難な闘いであ
る。公共メディアのほとんどが、地方的ニュース報道の重要な発信源となるため
に抜本的な改革を必要としている。改革と再建努力は始まっているが、萌芽的な
混乱状況にあり、政府、ジャーナリズム、公益諸団体、高等教育機関などにおけ
るより大きな指導力が求められている。


■コメント


『週刊東洋経済』2月20日号が「再生か破滅か ― 新聞・テレビ断末魔」とい
うショッキングな大見出しの特集を組んでいる。また、ロンドンの『エコノミス
ト』誌も2月6日号に「ぐらつく巨大新聞」という記事を載せ、発行部数では世界
に冠たる日本の新聞の凋落振りを取り上げている。

日本の新聞危機の本質は、紹介した本論文で指摘されているアメリカン・ジ
ャーナリズムが近年経験している問題と同じである。だが一般的には、新聞販
売部数減とそれによる新聞社の経営問題という側面でのみ、いまだに日本では
論じられているのではなかろうか。

評者は個人的な一観察からも報道の危機を実感してきた。東京有楽町にある外国
特派員クラブ(通称、外人記者クラブ)に準会員として加入して、この30年ば
かりクラブの便宜と機会を利用してきたが、このところ外国人記者の減少が目立
ってきた。

外人記者クラブ自体の存在が危機にさらされる日が遠からず訪れる予感がす
る。ニュース源としての日本の存在がこの20年に著しく低下したのがそ
の原因とだけ思っていたが、このところ特派員制度自体が崩壊しつつあるのが実
感できるようになった。独立した国際報道と掘り下げた批判的分析がますます新
聞紙面から少なくなっている。

新聞危機の本質は、本論が繰り返して強調しているように、独立したニュース報
道と分析的批判的情報入手の危機に他ならない。特に、独立した報道の危機は民
主主義の危機に直結している。この面からの議論が日本でも本格的に行なわれな
ければならない。その意味で、アメリカにおける議論と動向には目が離せない。

                (筆者はソシアルアジア研究会代表)

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