【私の視点】

14年末総選挙が示したもの

                         船橋 成幸


 12月総選挙の結果は、事前にマスコミが予想したとおり安倍自民党の圧勝に終わった。「大義なき解散」とか「失政隠しの解散」といわれながらも、安倍首相のこの奇襲作戦は、彼が目論んだとおりの「成果」をもたらした。民主党は、ほんの少し議席を戻したものの、政権担当時代の失政に対する有権者の不信が、まだ尾を引いていることが明らかとなった。
 他の野党は、共産党が「鬱憤晴らしの受け皿」となってそれなりに伸びたものの、それ以外の党は分裂・解散や大幅低落によって「第3極」の実をうしなった。

 前回の12年末総選挙もそうであったが、今回はそれをも大きく下回る50%そこそこで戦後最低の投票率。自公両党が絶対安定多数を制したとは言え、有権者の総体でみれば少数に過ぎず、真の多数派は投票じたいを拒んだ「支持なし層」「無関心層」であった。

 とはいえ、安倍自民党は強大な権力基盤をさらに広げることになり、「宿願」としてきた改憲の野望をさえ現実の日程に乗せる危険が生じている。だが実際、彼らにその危うい歴史的課題に集中できる余裕と力があるだろうか。改憲という一大決選で多数を獲得して勝利するには、与野党ともあらためて国民大多数の切実な関心と参加意欲を奮い立たす方策と努力が必要である。ここでは、その具体的課題を考えてみることにする。

 第2次内閣発足後の2年間、安倍首相は「戦後レジームからの脱却」を唱え、また「アベノミクス」を掲げて「3本の矢」で長期不況から脱出できると主張し続けてきた。さらに就任以来、靖国に参拝、教育・言論・金融界のトップや要所にウルトラ保守の人物を配して思うままに振舞ってきた。特定秘密保護法の強引な成立、集団的自衛権の閣議決定などはその悪しき典型であった。また、改憲に備えて国民投票法も整備された。

 国民はこれらをどう受け止めたか。各種の世論調査で見られたように、安倍首相の強引過ぎる手法に不安や反対の意見が決して弱かったわけではない。国民の多くは、安倍政権の施策に危険を感じ不安を抱いていても、それらはまだ先行きの漠然とした問題だが、現実に日々の暮らしを襲っている不況下の諸々の苦しみには一日も耐えられない。これをまず解決してほしい、という切実な思いが投票者多数の心情を捉えていたのではないか。

 安倍自民党は、これを逆手にとって「アベノミクスこそ不況脱出の唯一の道だ。いまはそのチャンス。これを手放すわけにいかない」と叫び続けてきた。そして手前勝手にこの総選挙の争点を「アベノミクスの当否を問う選挙」と位置づけ、いわゆる「トリクルダウン」の幻想を振りまいてきたのである。つまり「いまは一部上層だけが儲かっているが、もうすぐその利得が中層、下層へと滴り落ちてくる。そうすれば家計も地方も潤い景気が良くなる」という欺瞞の論理である。

 しかし、冷静に見れば、いまの日本の社会・経済の実情に安倍自民党の主張を裏付ける客観的な根拠はほとんどない。アベノミクスに期待を寄せ、心から信頼しているのは一握りの少数者でしかないのだ。もちろん国民諸階層の一部には、円安と海外流出のおかげで、輸出系大企業をはじめ大儲けをしている部分がたしかにある。例えば大企業の内部留保は304兆円といわれ、国内総生産の半分を大きく超えてなおも増え続けている。個人で見ても、野村證券の調べによれば、昨年、1億円以上の金融資産を保有する世帯が100万7000世帯、全世帯の2%が該当するという。

 他方、同じ調査で金融資産ゼロの世帯は39%だとされている。そして、この2%と39%の間にある中層・下層の世帯が、長引く不況と円安・物価高の影響に不安を抱きながら暮らしている。いまは中流だと思っている人びとも、いつ下層に転落するかもしれないという怖れを感じている。これが格差社会の実態である。かつて「1億総中流」といわれた日本の平準化社会は分断され、影を失っている。それなのに何故、大多数の投票者が、今回の選挙で安倍自民党への支持を選択したのだろうか。

 いささか古い話だが、1976年の春、私は当時の飛鳥田横浜市長に随行してパリでフランス社会党のミッテラン党首宅を訪れ、お二人の自由な放談を聞いたことがある。そのとき、最も印象に残ったのは「不況のときほど保守が強くなり、政権を利する」という認識でお二人とも一致したことであった。理由はよく分からなかったが、今回の選挙の様相に照らしてみて、その傾向が不可避ではあるまい。問題は選挙戦の闘い方だと思うようになっている。

 この総選挙に臨んで、民主党など野党陣営は、あれもやる、これもやると盛り沢山の政策を打ち出していた。大方は結構な政策である。例えば民主党の場合、(1)柔軟な金融政策、(2)子育て支援、雇用の安定、可処分所得の増大、人への投資、(3)再生可能エネルギー、医療・介護、農林水産業・中小企業などに集中する未来への成長戦略ほか、平和と安保、善隣外交などにも関わる重点政策がそれであり、その点、私にもほぼ異論はない。

 だがどうだろうか。こうした政策メニューは表現形態の違いこそあれ、かなりの部分、自民党側も提示したのではないか。そして有権者大衆の目には、どちらも同工異曲、美味しそうな政策ばかり並んでいると映るのではないか。

 しかもそれらは「上から目線」で振舞われるご馳走のメニューに他ならないのだ。そんな場合、不況下の厳しい現実に悩んでいる有権者の選択が、少しでも実現可能性の感じられる側、その力を備えたかに見える権力の側に向けられるのは自然な成り行きでないだろうか。「溺れる者は藁をもつかむ」というが、もちろん藁ではなくて強靭に見える太い素材に目が向くのは当然なのである。

 まして民主党の場合、政権担当時代の失敗の記憶がまだ鮮明である。その政策(マニフェスト)に掲げた諸々の給付について大きな期待を集めながら、政権政策の運営に余りにも未熟で「財源」の捻出に行き詰まり、せっかくの給付メニューの多くが羊頭狗肉に終わったという経緯がある。民主党は、この反省を踏まえて今回の政策提起に臨む必要があったのである。

 それは何も坊主懺悔を求めるのではない。野党第一党の立場から安倍政権の政策とは明確に方向の異なるもう一つの選択肢(オルタナティブ)を提起し、これを「上からの施しもの」ではなく闘いの目標として、有権者大衆に共感と協働を呼びかけることこそが、政策立案の根本の課題ではなかったのか。私はそのように思い、以上の文脈に沿って社会・経済政策の基本を何よりも「所得再配分政策」に置くべきだと考えてきた。

 その考えに基づき、私は解散後まもなく11月27日付けで、かねて会談したことのある旧知の最高幹部に所得再配分の原則と財源捻出の具体的方法について記述した親書を送り、それが多少でも選挙戦で活用できるヒントになればと願っていた。
 選挙戦直前のことでもあり、相手が多忙を極めていることに配慮して、極力簡潔に短く7項目の箇条書きを中心に記したのだが、本人の目に触れたのかどうか、TVなどのメディアに現れた限り、ほとんど期待はずれの姿しか見られなかった。ただ、12月2日の朝日新聞には、私とほとんど同様の見解を同志社大学の浜矩子教授が述べておられた。

 ここでは、所得再配分の財源に関し選挙前に提案した「7項目」を簡略に記しておく。

 第1:所得税の最高税率の見直し。(少なくとも50〜60%に。最高税率は戦後の一時期85%だったこともあるが、89年以降50%の時代が長く、2007年以降は現在に至るまで40%)
 第2:奢侈品課税の強化。株・証券等の取引に対する税、高額相続税などの見直し。
 第3:海外移転した生産・経営体に対し、日本側会計の監査を強化。
 第4:安倍政権が掲げる法人税軽減策は当面取りやめ。
 第5:大企業の内部留保は一定期間内に賃金、設備投資などへの運用計画を明示させ、適正な運用が確認されない限り、特別利得税として一部を徴収。
 第6:企業や法人の会計の公正を保証するため、監査体制の強化。

 以上はいま考えられるヒントに過ぎず、方法はほかにも多くあるはずだし、また例えば各項目に付すべき数値などについては専門的知見にゆだねるしかないと思う。ただ私の問題意識は、どんな生活困窮者からも漏れなく消費税などを取っているのに、大企業や富裕層の過分な利得に手をつけないのは極めて不条理だということである。

 とにかく、安倍政権は今回総選挙で「国民の信任を得た」と称し、社会・経済・安保・
外交のあらゆる分野で暴走を続けようとするだろう。改憲の準備を具体的に進める動きも強まろう。それらを絶対に許すわけにいかなし、国民多数の抵抗もいっそう強まることになると思う。それに私は、安倍首相が何よりも頼みとするアベノミクスの先行き明るい展望はないと見ている。

 いまやグローバルな長期不況の影響は、日本にとりわけ深刻に現れている。今年10月、IMFは日本の2014年度のGDP成長見通しを春先の1・6%から0・9%に下方修正。翌11月にはOECDが5月に予想した1・2%成長を0・4%に改めている(ちなみに同時発表の世界の成長率は14年3・3%、15年3・7%であった)。また、年間80兆円もの紙幣をばら撒くとした日銀でさえ、この10月、日本の潜在成長率は0%台半ばになろうとの試算を発表している。国内外の専門機関によるこうした観測を覆すだけの奇策を、安倍自民党はどこに持っているのだろうか。

 現に日本の社会は、少子高齢化や膨張一方の財政赤字の問題に直面している。国の借金が1000兆円をこえているのだ。生まれたばかりの赤児でも一人800万円ずつの借金を背負う勘定になる。また、とりわけ地方の人びとの仕事と暮らしが深刻である。人口問題研究所がこの11月に発表した人口推計によると、2040年には全国の市区町村の半分、896市町村に消滅の可能性があるという。

 それでも安倍首相は、自ら退路を断ったかに見える。選挙中「一年半後には景気動向のいかんに関わらず必ず消費税を10%に引き上げる」と断言した。「いまは景気が好転しつつあるチャンスだ」とも言った。驚くべき自信過剰というか、先行きへの根拠なき楽観の言である。国民はそれを忘れないだろう。忘れないかぎり「トリクルダウン」への夢は醒め、安倍政権の命脈もその「一年半」のうちに危ういことになるだろう。

 ただし、それには条件が要る。民主党など野党陣営はアベノミクスを厳しく批判してきたが、それだけでは足りない。安倍自民党への対抗策が、今度の選挙で見られたように批判だけが目に付くものであったり、「上からの施し物」を争っている限り、政権側はまたもや詭弁を弄して逃れようとするだろう。

 それを許さないためには、まず野党としての立ち位置を明確にする必要がある。すなわち社会で極めて少数の上層ではなく、圧倒的多数の中層・下層の立場を明確に踏まえること、そして基本的な対抗策(オルタナティブ)として所得再配分の方策を鮮明に打ち出し、呼応する運動を呼びかけることである。

 そうすることによって初めて、安倍自民党が現実の日程に載せようと企む憲法改悪の策謀を阻止し、社会保障・医療・教育・子育て・安保・外交・原発・環境・災害復興等々に関わる諸政策に有権者大衆の切実な関心と支持がよせられるだろう。「生活が第一」という本来の命題が、そのとき初めてよみがえるに違いない。
                        
(筆者は元横浜市参与)


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