【北から南から】

■2007年私の春節          佐藤 美和子

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 今年の春節(旧暦の正月)は例年に比べてかなり遅く、2月18日が元旦にあ
たる『初一』でした。
 春節の時期は前後約一ヶ月にわたり、中国では民族大移動で交通が混乱します。
まず、一足先に冬休みに入った大学生から、帰省のための移動が始まります。ま
た、春節をきっかけに退職して、故郷へ帰る出稼ぎ労働者も多いです。ワーカー
さんたちのお給料では飛行機利用は難しいので、列車や長距離バスを乗り継いで
帰ることになりますが、そうなると移動時間だけでずいぶんかかります。春節休
みはせいぜい7~10日程度、せっかく帰省しても移動時間を除けば実家にいら
れる時間がわずか数日ではあまりに寂しい・・・・・かといって、春節休みに続
けて休暇を申請しても、許可されるはずがない。ボーナスも貰った事だし、じゃ
ぁいっそのこと辞めちゃうか!となっちゃうんですね。

 みなさんに中国の広大さを実感していただくために、少々極端な例ではありま
すが、中国東北部の黒龍江省から広東省へ働きに来ていた、私の友達の帰省ルー
トをご披露してみましょう。
 まず広東省東莞市・某鎮にある会社から、バイクタクシーでバス乗り場へ15
分。このバイクタクシーというのは、250ccのバイクに、ドライバーのおじさ
んにしがみついて2~3人乗りするものです(但し、現在は東莞市内では禁止さ
れています)。そこからバスで、広州へ1時間半。広州から北京までの列車が
22時間半。北京で列車を乗り換えて、ハルピンまで更に10時間余り。ハルピン
からまた実家のある村までバスで約半日。

 単純に合計しただけで、40時間以上です。これに、乗り継ぎにかかる時間を
含めると、なんだかんだと片道で3日かかるそうです。ということは、もしその
年の休みが7日間だったとしたら、往復6日間、実家滞在はたったの1日・・・・・
ほとんどとんぼ返りですよね。しかも一大イベントの春節なのですから、行きは
家族や親類への重たいお土産を山のように抱えつつ、帰りは帰りで遠く一人ぼっ
ちで働く我が子のために、親が故郷の特産物をたんまり持たせて送り出すので、
やっぱり大荷物・・・・・の、とっても重労働な移動なのです。こんな長時間の
移動、話を聞いているだけでもみなさん疲れてきませんか(笑)?なにせこちら
では、
「私の故郷はここからとっても近いですよ~、だってバスで7時間しかかかりま
せんから!」
という感覚です。私なら、3時間以上かかったら、「遠っ!」って思っちゃいま
すけどね。

 さて、今年の春節は、相方の故郷でもあり、私の懐かしい留学時代の思い出の
地でもある、北京で過ごしてきました。私にとっては4年ぶりです。
学生時代には60リットル容量もの特大リュックを背負い、1ヶ月もの放浪の旅?
をするバックパッカーだった私ですが、この年になるとさすがに激しい民族大移
動にはついていけません。ということで、大晦日の『午後便』で、北京へひとっ
とび!する事にいたしました。
 これがですね~、実は穴場なのですよ。ほとんどの人が春節初日の2日前まで
には移動するので、前日午後となるとぐっと落ち着いてきます。更に我々の目的
地・北京は、そこから東北などの周辺都市への乗り継ぎ客がけっこういるのです
が、そういう人は当日中に目的地へ着けるよう、午前便で北京へ飛ぶのです。だ
から、午後便ならば満席にもならず、ゆったりできてチケットも安い!というわ
けです。えへへ、なかなかよく考えているでしょう?

 北京では、大晦日の晩は親族一同が集まって、みんなでこれでもか!というほ
どの大量のご馳走を作ります。数えませんでしたが、コールドディッシュ・お肉・
海鮮・野菜・豆腐料理といったおかずだけで、40品くらいはあったかしら?テ
ーブルが料理の重みできしみそうなほどお皿が積み重ねられていると、もう自分
がどれとどれを食べたかなんてサッパリわかりません。
そして食事の後半にはどどーんとこれまた大量の水餃子が茹で上げられます。こ
れは中国北方の習慣で大晦日には必ず食べる、日本の年越しそばのようなもので
す。小麦粉で皮を練るところから作るので、大勢で寄り集まってワイワイおしゃ
べりしながら皮を作ったり包んだりと準備するのです。これが、久々に家族が揃
った一家団欒の象徴なんですね。
 
うちの相方の実家では、ここ数年、二種類の餃子の具を用意しているそうで
す。というのも、身内にイスラム教徒の回族という少数民族のお嫁さんを貰っ
た人がいるから。イスラムの彼女は、豚肉餡の餃子が食べられません。そこで
彼女のために、羊肉餡の餃子も作るようになったそうです。

 ご馳走をつつき、お酒も入ってにぎやかになった頃、ご近所じゅうで爆竹や花
火の大響音が炸裂し始めます。
大昔、毎年きまって大晦日に子供をさらいに村へやってくる『年』という化け物
がいたため、その『年』が嫌いな赤い色と爆音で追い払うために、大晦日には必
ず家々の軒先で爆竹を鳴らすようになった、という物語があります。今の中国の
若い世代はただ爆竹を派手に鳴らして遊ぶのに夢中で、そんな由来を知る人も少
ないようですが・・・・・。

 私たちも何百連発?だとか、日本でこれを花火師以外のシロウトがやったら逮
捕だよ・・・・・というくらい大型の花火をバンバンあげて、お正月の雰囲気を
盛り上げました。北京中の人が一斉に鳴らすので、もう鼓膜が破れるんじゃない
かと思うほどのすさまじさなのですが、周りの中国人はぜんぜん平気な顔をして
いるんですよねぇ。なんだか鼓膜ひとつとっても、中国人のほうがたくましいん
だなぁ・・・・・と、ひ弱な鼓膜の日本人である私はその数時間、ずーっと両手
で耳をふさぎっぱなし、腕が鉛のように疲れました・・・・・。

 今回、私が北京へ行った目的の大半は、北京で大好物の羊肉料理をたくさん食
べること!と、留学時代からの友達に会うこと、でした。羊肉のほうはもちろん
深センでもあるものの、どうも気候の暖かい南ではおいしくないのです。しかも
南では薄切りにして、しゃぶしゃぶなど鍋料理に使われる程度で、羊のカタマリ
肉なんて滅多にお目にかかれません。長年その理由がわからなかったのですが、
最近、
「羊肉は、中国医学では体を温める作用をする『陽のもの』に分類されるからね。
暑い南でさらに体を温めるものなんて食べていたら、体に熱がこもって体内のバ
ランスを崩してしまう。だからおいしくないと感じるのは、もっともなことなん
だよ」と知人に教えられ、目からうろこでした。中国に住んでまもなく10年、
私もいつの間にやら中国医学理論を頭ではなく、体で?会得しつつある模
様・・・・・。

 私の北京の友達というのは、同い年のチベット族女性です。
 彼女はチベット族のなかでももっとも体格が良く、勇敢なことで知られるチベ
ット・カンバ族という少数民族で、名前もチベット名を中国語音に当てた漢字を
使っているため、中国人にしては風変わりな名前をしています。そしてやはり彼
女の一家もみな大柄で、末っ子の彼女を含め、3姉妹とも女性ながら170センチ
はあります。
 91年に知り合ったので16年来の友達なのですが、知り合った当初の私はカタ
コトにも及ばない中国語力でした。それなのに、なぜか彼女とは不思議に互いの
意志が通じ合い、それ以来の大親友なのです。

 その彼女ですが、去年一年間、アメリカへ留学していました。元々英語が好き
で、大学時代からずっとこつこつ勉強していたのですが、去年、民間の留学支援
団体の試験に合格したのだそうです。しかも、本来中国ではアメリカのビザを取
るのはそう簡単な事ではないのですが、申請から1ヶ月ほどであっさり許可が降
りたとのこと。彼女いわく、もし同じ試験に合格して留学できる事になったのが
漢民族や、他の少数民族ならもっと時間がかかっていただろう、こんなに簡単だ
ったのは自分がチベット族だからだろうね、とのことでした。そうか、アメリカ
はチベットや東トルキスタンの人権問題に敏感だからなのか!と、思わぬところ
で国際政治問題の末端を垣間見ることができました。

 深センには、春節4日目に戻ってくる予定だったのですが、この時は本当に、
どえらい目に遭ってしまいました。
その日は朝からすごい霧だなぁとは思っていたのですが、17:40のフライトに
合わせて空港に行ったらば、その時点で朝7時台のフライトですら、まだぜんぜ
ん飛んでいなかったのです。
「霧のため、18時以降の便はすべて欠航」というニュース、空港到着寸前にや
っと知ったのですが、うーん、我々の便は18時以降じゃないけどギリギリだよ
ねぇ、こりゃ北京にもう一泊ですか?と半分覚悟を決めてチェックインカウンタ
ーに並んでみました。

 結果、交渉の末、朝飛ぶはずだった便に変更してもらえる事になりました!だ
って、少し霧がおさまってきた夕方にやっと朝の便から飛ばし始めるのですから、
17時の便なんてぜったい結局キャンセルになるのは目に見えていますしね~。
たぶん、朝の便がいつまでも飛ばないから列車に変更したり、早々に諦めて翌日
便に振り替えた人がいたりして、いくらか空席がでていたのでしょう。その隙間
に、うまくもぐり込めたってわけです。変更した便は、元々朝7時台に飛ぶはず
だったもので、なんとか今日21時ごろには飛ぶでしょう、とのことでした。

 21時までの約4時間、あちこちで長時間待たされ過ぎてイライラが爆発した
乗客が係員につかみかかっていた人や、殴り合い寸前になって公安にしょっ引か
れていく乗客も出てくるわで、なんだかすっごい騒ぎをたくさん目撃してしまい
ました。搭乗口待合室では、荷物を抱えてぐったりと疲れきった人々でごった返
すなか、待合室の椅子の取り合いでケンカをしている人々、退屈なので騒ぎを聞
きつけて野次馬しにくる人々、諦めてそこここの床にどっかり座り込んでしまう
人・・・・・。私はそんな騒ぎを見学しつつ、空港の本屋さんで急遽購入した『数
独』パズルの本で遊んでいたので、あまり退屈はしなかったですけどね~(笑)。

 でも、我々と同じ便で深センに着いたらそのまま香港経由で国外へ飛ぶはずだ
ったのに!という、怒り狂っている女性から
「飛行機に乗り込んだら、乗務係員がなんと言おうと、みんなで着席を拒否して
抗議してやろうよ!みんな、ちゃんと協力してよね!」
と声をかけてこられた時は、さすがにちょっぴり怖かったです・・・・・。だっ
て遅延原因は天候ですよ、航空会社だってどうしようもないんじゃ?などと言お
うものなら、余計に怒らせて首絞められちゃいそうな勢い・・・・・。

 そういうフライト遅延にたいする中国式?抗議について、ニュースではなんど
か見ていましたが、うわぁ本当だったんだ!と恐怖半分、面白いもの見ちゃった
という好奇心も実は半分。でも私は元々17時のフライトを変更してもらって21
時に飛べる事になったのだけど、他の人達は朝の7時から待っていることを考え
れば・・・・・でも航空会社に食って掛かったからといって、どうにかなる問題
でもないしなぁ・・・・・。

 私の目からすると、乗客の少ない地方都市向けの便は欠航にして都市向けの便
に切り替えたり(欠航になった便の人たちには気の毒ですが)、一度のフライト
で少しでも多くの人間を運んでしまえるように大型機に変更したり、航空会社の
方もなかなか努力はしていたと思います。

 結果的に、21時と言われていたフライトは、空港内をだいぶ移動させられて
から21時半に飛行機になんとか乗り込めることになりました。が、この搭乗口
変更のアナウンスにも大ブーイング!でもこれは、大型機に変更したためなの
に・・・・・移動させられるのは面倒だけれど、それくらい協力しようか、とは
誰も思わないんですよね・・・・・。しかし、これでやっと出発できると喜んだ
のもつかの間、今度は管制塔から離陸許可が下りないとかで更に1時間半も狭っ
まーい座席に縛り付けられたままで過ごし、23時にやっとのことで離陸できま
した。
深セン空港に着陸したのが、もう深夜の2時過ぎですよ・・・・・。白タクの呼
び込み集団に囲まれつつも、何とか振り切って正規タクシーに乗り、140キロの
スピードで飛ばして家に辿り着き、ベッドにもぐりこんだのが明け方。さすがに
翌日はへたばって、一日寝て過ごしました。

 行きは中国大民族移動を避けられるよう、知恵を絞ったつもりでしたが、図ら
ずも帰路にしっかり体験させていただく事になってしまいました。きっと、これ
を味わってこそ、中国の春節!ということなのでしょう・・・・・。来年からは、
深センで寝正月ならぬ、『寝春節』にしようかな・・・・・。
               (筆者は中国・深せん在住・日本語教師)
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