2012年8月・炎暑の東京国際ミルトン

■【横丁茶話】                    西村 徹

~ 2012年8月・炎暑の東京国際ミルトン ~
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●第十回国際ミルトン・シンポジウム


  国際マラソンではない。ミルトンである。ミルトンといってもドリンクのミル
トンではない。ミルトン・フリードマンでもない。ジョン・ミルトンという英国
の詩人・政治家・言論人のことである。ミルトンを研究する学者の集まる学会が
日本にもあって、それが国際ミルトン学会というのに属しているらしい。その第
十回国際ミルトン・シンポジウムなるものが2012年の夏8月20日から24日にかけ
て青山学院大学でおこなわれる。

 日本ミルトン協会の依嘱によってのことらしいが高橋睦郎が書いた新作能「散
尊(サムソン)」が辰巳満次郎ほかによって8月21日に上演される。この演能を
呼び水にして国際学会を東京に誘うことになったらしい。能に採り入れられるほ
どにミルトンは日本文化に浸透しているのだと言いたいらしい。これでミルトン
が日本でブームになるとは思えないが、高橋夢幻能は見たいと思う。テレビでや
ってくれるとありがたい。

 じつは今年2011年開催の予定が3.11東日本大震災で取りやめになった。津波、
震災のみならず、フクシマ第一原発の、日本国のみならず地球そのものを揺るが
す破局的大事故が起こった。事故発生当時は即刻国外に逃れる外国人も多く、東
京から関西に公館を移す国も見られた。その年の取りやめは当然として、フクシ
マは終息どころか事故そのものが現在進行中である。少なくとも十年ぐらいの間
は、東京が国際学会の会場になるなど、まさに想定外であった。

 そもそも英語圏以外で国際ミルトン学会の開催地になった国はフランスのみで
ある。2005年に第8回国際ミルトン・シンポジウムがグルノーブルの、文学部で
なくて、法学部によって催されている。言論自由の権利を主張した『アレオパジ
ティカ』や離婚論を扱ったパンフレットなど、ミルトンの法理論家の側面を主題
としたらしい。グルノーブルのフランス革命との関わりからも一応納得できる。
日韓が共同で会議を持つ程度の距離感である。2008年にはロンドンで第 9回がお
こなわれた。そして第10回が今年2011年に東京でおこなわれる予定であった。


●風吹けば桶屋・・


  何故こんな瑣末迂遠なことを書くかというと、この東京ミルトンなるものが風
と桶屋の因果でわが私生活に影響を及ぼすことになったからである。じつはすで
に2006年に、青山学院大などで日本ミルトン協会が、前興行よろしくイギリス人
ミルトン学者を招聘するということがあった。たまたま、そのイギリス人は私の
1966年以来の友人で、PhDはシェークスピアだったが、ニュージーランドの大学
に赴任以来、いつしかミルトンに鞍替えしていた。日本に来て青山学院では授業
を数コマ、日大では巨大講堂で講演したらしい。それから京都に移って同志社で
授業を数コマやったらしい。総て済ませた後に夫婦して我が家にやって来た。十
月下旬のことである。

 自前で来たのではなくて、京都の宿までクルマで迎えに行き、当地のリーガロ
イヤルというホテルまで運んだ。私はクルマも免許も捨てているから若い知人に
頼んで運んでもらった。以前は我が家に泊めていたが、とても寝室を明け渡して
まで泊めるだけの体力はもはや私どもにはない。身銭を切ってホテルに泊めた。
いきさつはオルタ36号に書いたとおりである。翌々年の2008年6月29日に、5度目、
こんどは単身で来た。たまたま私は胸のヘルペスで呻吟しつつ点滴のため通院中
だったから家内が関空まで迎えに行った。今度は単身ゆえ、いくらか負担は軽い
ので家に泊めた。

 翌2009年に私は腹部大動脈瘤のステント挿入手術と喉頭がんの放射線治療を受
けた。既に1975年に胃袋は半分切除している。他の慢性病は措く。ともあれ今年
の暑さをよくぞ乗り切ったと不思議に思っているさなかにある。買い物難民化、
老々介護未満化しつつある。友あり遠方より来るのはよいが老いると段々こたえ
る。自分の足で拙宅に来て、お茶なり晩餐なりで帰ってくれるのなら楽しからず
やである。

 そして来年は86歳。たぶん耄碌もしている。しだいに彼あるいは彼らの滞在が、
とりわけ家内には負担というより苦痛である。英語しか話せないから何回来ても
自前でこの家まで来ることができない。自分の足でツアーもできない。いちいち、
嵩高いコドモの修学旅行みたいに添乗ガイドの辛苦を強いられる。ホテルに泊め
ても、宿泊以外も一切丸投げされる。毎日ツアーの計画を立ててホテルに日参し
なければならぬ。

 今年は無事だったが、9月21日に来年のシンポにはやって来るとメールが来た。
  家内の意を訊ねるまでもなく断ることにした。思いやり予算廃止を決めた。
「日本では学会は秋と相場がきまっている。八月の学会は正気の沙汰でない。昨
年の熱中症死者は47人。年平均の倍以上である。当方避暑で不在となる公算も大
きい。死んでいるかもしれない」と。

 彼らは体重超過で膝の負荷が重きに過ぎ、膝関節の修理をおこなった以外無病
である。したがって病気について一般に無知である。ヘルペス(帯状疱疹)とい
う病名では通じない。俗語のshingles(砂利)には「ウイスキーを呑めばいい」
と言う。そういう無邪気な人々の想像力が自分の生理年齢を超えることはほとん
ど期待できない。


●万事に時節というものがある


  以上は私事であって、当然ながら風と桶屋的関係以上には、ミルトン協会にも
青山にも責任あることではない。因縁つける気は毛頭ない。落ち目とはいえ経済
大国の金満大学がなにをやろうと勝手だが、八月の残暑のなかで学会をやらかす
ことには少なからぬ疑問を持つ。気が知れない。今年など残暑のほうが暑中より
きびしかった。温暖化は年々進んでいる。HP(http://ims10.blogspot.com/)上
の第10回国際ミルトン・シンポジウム広告には『失楽園』第5巻冒頭の2行を掲げ
ている。

 Now Morn, her rosy steps in th' eastern clime
  Advancing, sowed the earth with orient pearl

 なんとみごとな言語の音楽であろうか。だれしもが思わず息を呑む、荘重で晴
朗な響きの詩行だ。私はほとんどアマテラスを想う。表象するところは神道シュ
ラインにこそふさわしい。キャッチコピーとしては上々だろう。しかし同時に真
っ赤なウソを感じる。八月のthe far eastern climeがどんなものかをまったく
無視している。ミルトンは日本の夏を知らない。日本ミルトン協会は知っている。

 それとも、外来の客とはいえ円高でヨーロッパからはほとんど来ないだろうし、
そうでなくても大半はアメリカ人で、アメリカは日本より苛酷な夏も珍しくない
から問題ないと踏んでいるのか。HPには米国務省のお墨付きを掲載している。フ
クシマ第一原発は東京渋谷から230キロと遠いから(渋谷における)米市民にと
って顕著な危険はないと。そう書いているが、渋谷だろうと山谷だろうと250キ
ロ圏内だ。

 9月27日現在、汚染の帯は250キロを超えている。埼玉の茶も神奈川の茶も汚染
された。渋谷にも給水している金町浄水場からも放射性ヨウ素が発見された。コ
ドモを持つ東京のお母さんたち(たとえば室井佑月)は線量計をもって通学路の
放射線量を計ったりしている。ホットスポットは各所にあるだろう。

 東電は東京の需要を充たしている、23区は計画停電しない、ギンギンに冷やせ
ばすむと踏んでいるのか。フクシマの放射能はヒロシマ原爆の100倍だと児玉教
授はいう。私としてはプルトニウムが気懸かりでミルトニウムどころでない。な
にも東京くんだりでやらなくてもいいではないか。日本ミルトン協会であって東
京ミルトン協会ではなかろう。

 京都でやってもいではないか。名古屋もあれば広島も、金沢もある。札幌なら
8月もいい。まともな神経あるいはミルトンなみ人権感覚があればそう思う。グ
ルノーブルはパリから3時間、リヨンから100キロ、人口15万の地方都市だ。東京
は原発完全停止の年まで延期とする、それぐらいのことを、もし宣言したら、学
会を開くより、はるかに価値あるメッセージを世界人類にむかって発信すること
になるだろう。

 他所さまのことなので、これ以上は立ち入らないが、序でだからミルトンにつ
いて多少の私見を記しておく。これは、ミルトン協会とは直接関係ない。いくら
か刺激されてのことではある。


●日本とミルトン


  ミルトンは英国ではシェークスピアに次いで、それほど読まれているかどうか
はさておき、文学史上のいくつもの峰の一つをなす人物である。詩人であり、パ
ンフレティーアであり、革命家である。オリバー・クロムウェルのラテン語秘書
として清教徒革命に献身した。したがってフランス革命をも刺激した。日本では
プロテスタント系クリスチャンの一部で尊重されるが、とてもシェークスピアに
次ぐようなマーケットを持たない。

 ゲーテに較べてもダンテに較べても、あるいはセルヴァンテスに較べてもはる
かにマーケットは貧弱であろう。寺田寅彦の孫引きになるが、「ダンテはいつま
でも大詩人として尊敬されるだろう。・・・だれも読む人がいないから」とヴォ
ルテールは言った。そのダンテほども読む人はいないだろう。

 シェークスピアやダンテほど翻訳者の意欲をそそらないのか、代表作の『失楽
園』も岩波文庫しか見当たらない。刷られた回数は多いから買うだけは買う人、
あるいは買わされるだけは買わされる学生は多いのだろう。渡辺淳一の同名小説
とどっちが読まれているかはわからない。戦前、新潮文庫に繁野天来訳『失楽園』
上下があって私も大昔に買って持っていたことがある。とっつきが悪くてそのま
まになった。新潮社の世界文学全集、いわゆる円本にもあったような気がする。
  どうして読まれないか。もう一度上掲の第5巻冒頭を見よう。

 Now Morn, her rosy steps in th' eastern clime
  Advancing, sowed the earth with orient pearl

 ものものしい長母音の配置と「東方」黎明の輝くイメージの対照。この二行に
かぎっていえば語の意味と音声の呼応は完璧だ。その音楽が奏でる調べから立ち
上るもの、その織りなす陽光燦々たるイメージの全体像は日本語になるとどうな
るか。

 やがて東の空に「曙」が薔薇色の歩みをすすめ、
  大地に煌めく真珠を撒きちらしたが

 平井正穂訳(岩波文庫・1981年)がこれである。この翻訳にケチをつける気は
さらさらない。翻訳者に他の語彙の選択余地はほとんどなかろう。しかしながら
翻訳の良し悪しにかかわらず、翻訳によって失われるものの大きさはだれの目に
もあきらかだろう。

 eastern climeとorient pearlの対照は「東の空」と「煌く真珠」では「空」
も「煌く」も舌足らずだから台無しだ。Morn ; rosy ; sowed ; orientと続く長
母音の厳粛なトーンは日本語に移すに移せない。この点にとどまらず日本語翻訳
ではミルトン詩に独特のイメージ、全体に瀰漫する重心の低い風韻、俗にオーラ
と呼ばれているもののほとんどが失われる。日本語で概念的な意味だけを辿って
も、散文的で索然たるものになるほかない。


●ジョージ・オーウェルとミルトン


  ジョージ・オーウェルの『なぜ私は書くか』(1946年)の中に、こういう一節
がある。岩波文庫の小野寺健訳(1982年)の方が新しいが、鶴見俊輔訳(『オー
ウェル著作集I』平凡社1970年)は原詩を併記して逐語訳しているのでこちらを
採ることにする。
「十六くらいになった時、私は突如として、言葉そのものの楽しみを見いだした。
言葉のひびきとか、言葉の作り出す連想作用の楽しみのことである。『失楽園』
の次の二行、

 So hee with difficulty and labour hard
  Moved on : with difficulty and labour hee,

 かくて彼は、苦しみつつ、激しく努力しつつ、
  進み行けり。苦しみつつ。努力しつつ、彼は、

 それらは、今ではそれほどすばらしいとも感じられないのだが、背中がぞくぞ
くするほど私を感動させたものだ。特に”he”を”hee”と書くことなどで、さ
らに楽しみのふえる感じだった。」

 第2巻1021~1022行である。原詩を読めば、labour hardとlabour heeに日本人
の耳にはヒー、ハー、ヒーとオノマトペの工夫があるようで、気息奄々のありさ
まがつたわってくる。ミルトンにこのようなユーモアが普通なのかどうか、門外
の私に決め手はない。しかし詩固有の暗示的意味はここにはない。概念語による
叙述は表層の意味のほかには何もない。
 
  これは『復楽園』(Paradise Regained)末尾He, unobserved, / Home to his
Mother's house private returned.(「彼は、人に見咎められずに / ひそかに
母親の家に帰った」)についてJ.L.ボルヘスが「その言葉遣いは平明ですが、し
かし同時に、それは死んでいます」(『詩という仕事について』鼓 直訳・岩波
文庫136ページ)と言ったのと軌を一にするだろう。第5巻冒頭に比べれば奥行き
はまったく浅い。しかしその表層の意味だけしかない単語のひとつひとつは、じ
つによく音が立っている。原詩抜きの小野寺訳(文庫10ページ)はどうか。

 こうして彼は苦難と戦いながら
  進んで行った。苦難と戦いながら。

 対訳でなければこれが妥当だろう。散文行分けに過ぎないようでもリフレイン
は原詩の持つ重苦しさを伝えている。訳者の手柄とまではいえなくても、それが
散文ではなくて詩であるという申し訳は立っている。

 平井正穂訳(岩波文庫・上巻111ページ)はどうか。

 こうやって、彼は激しい困難と辛酸をなめながら
  進んでいった、――まさに、それは困難と辛酸の極といえるもので
  あった!

 ナニコレ!である。ここまで暑苦しくパラフレーズされると「どこが詩なのか?
まるきり退屈な散文ではないか」と思わざるをえない。たぶん十六歳のオーウェ
ルは、ただただ弱強五歩格の韻律に酔ったのであろう。日本語でも、七五調だと
中身スカスカでもそれらしく聞こえることがある。七五調ではないが、往年「忘
却とは忘れ去ることなり」という無内容なトートロジーが名調子として広くゆき
わたった。そういう調子が翻訳になると消える。下手するとオンチがカラオケの
マイクを離さないようなことになる。翻訳で『失楽園』を読むばあい、まさに
「困難と辛苦をなめながら」延々とこの退屈に耐えなければならない。もちろん
こんなところばかりではない。しかし、こういうところが多い。


●ヴァージニア・ウルフとミルトン


  ヴァージニア・ウルフからの孫引きであるが、コールリッジは「偉大な精神は
両性具有である」(A great mind is androgynous)と言った。そう言われれば
誰しも思い浮かべるのはmyriad-minded Shakespeare だ。ウルフは「プルースト
も純然たる両性具有者であるが女性的部分が少し強すぎる」のに対して、ミルト
ンは「男性的部分がほんの少し強すぎるかもしれない」という。ケンブリッヂで
はthe lady of Christ’sと言われたにもかかわらずである。そしてウルフは
「この精神の二面性という説が適用できるなら、男らしさとは今や自意識に捉わ
れたもの・・・最も欠けていると思えるのは、暗示力」とも言っている(『自分
だけの部屋』:A Room of One's Own:およそのところ、みすず書房版・川本静
子訳を借りた)。

 ウルフの言うところを念頭に置くと見えてくるものがある。シェークスピア作
品のどこにもシェークスピアはいない。ミルトン作品のどこにでもミルトンがい
る。かの有名な、「己が失明」を歌ったソネットOn His Blindnessは、まったき
自己否定と見えつつ頑固な自己主張であることからもわかる。

 これ以上を言う気はないが、私がいまいちミルトンに近づく気持ちの湧かない
のは、ひとつにはそのgrandiloquence(大袈裟な物言い)、自己顕示臭、fameを
求めて臆せぬところ、そのような過剰な自意識に、ときに閉口するからである。
それよりもなによりも国王処刑を支持するパンフレットを書いたこと、すなわち
王殺し(regicide)の共同正犯であるという嫌悪すべき事実は見逃せない。これは
私見にすぎないが、おそらくこの国でミルトンが繁昌することはあまり期待でき
まい。もしフィリップ・プルマンのような、ミルトンを換骨奪胎して壮大な作品
を創造する作家が日本にも現れるならば状況は変わるかもしれない。

 そういうことがなくても、それでも日本は、大学内の英語屋村人口は大きい。
他を圧して大きい。村の中のマーケットだけでも共食い的内需は十分で、自給自
足は維持することが可能であろう。加えて量産された大学院が量産せざるをえな
い博士たちが内需を下支えする。慶賀至極といいたいが、村人よ、ときに村の外
に出よと言いたい気もする。ミルトンこそ文学の外に出た行動の人ではなかった
か。

 大陸旅行中ギリシャに向おうとするとき故国に内戦勃発の報を聞き、「祖国の
友らが自由のために戦うとき物見遊山の旅をしていては面目が立たぬ」と急遽帰
国して革命に身を投じたのではなかったか。そして挫折し、深く傷つき、ほとん
ど世を忍ぶ身となって、あれらの重厚壮大な作品を生んだのではなかったか。
(2011/10/04)

(筆者は堺市在住・大阪女子大学名誉教授)

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