2014年10月〜11月

マスコミ昨日今日(2014年10~11月)

                        大和田 三郎


 今月のテーマは2つです。主テーマは突如、年内解散が実現する政界・政治報道もの。劇画が福島第一原発事故の報道媒体となっていることに注目した記事を小テーマとします。

◎主テーマ[政治の迷走――自信満々の内閣改造から一転して衆院解散・総選挙に追い込まれた安倍晋三政権]
【第1幕 2女性閣僚同時辞職まで】
 ◆改造の目的は何だったか?
 一昨年12月27日成立した2回目の安倍晋三内閣が初の改造に踏み切ったのは9月3日。それまで1年8カ月余にわたって、内閣改造はおろか閣僚の交代もなかったというのは、1885(明治18)年に内閣制度が始まって以来、前例のないことだという。こうした「安定」を支えたのは、国会で与党が絶対多数だという「数の論理」だった。
 
安倍2回目内閣成立前、12年12月16日投開票の衆院総選挙で、自民党が過半数(241)を大きく上回る294議席を獲得。公明党も31議席に伸ばして自公両党で325議席を獲得していた。昨年7月21日投開票の参院選でも、与党の自民、公明両党が76議席を獲得。非改選議席を合わせて、参院の過半数を確保し、参院では与党少数という「ねじれ国会」が解消された。
 
その強さと安定があったのに、どうして内閣改造だったのか? 当時の報道を見直してみる。多くの新聞・テレビが、「安倍による改造の真の目的は石破茂幹事長の交代だった」と解説した。
 
2年前12年9月の自民党総裁選では、全党員が参加する1回目の投票で石破がトップだった。しかし石破の得票は、投票総数の過半数に達せず、規定により国会議員だけの決選投票に持ち込まれた。石破と2位の安倍の間で争われた決選投票で、安倍が逆転勝利した。
 
総裁就任後の党役員人事では、石破を幹事長に起用せざるをえなかった。政権与党だったなら「副総理」とするなどの余地があったのだが、当時は野党で、「勝者であったかもしれない有力者」を遇するポストとしては、幹事長以外になかった。次回総裁選は来年9月だが、安倍の対抗馬と目されているのが石破である。改造が話題になった段階で石破は「幹事長留任」の意欲を露骨に示した。留任によって党内勢力を強め、次回総裁選での勝利を狙っていると、安倍の目には映った。だから石破は、幹事長から外し、地方創生相として閣内に取り込んだ、という理解だ。
 改造の結果、安倍が「長期政権」への意欲と自信を強めたという報道も散見された。この改造が発端となって12月14日投票の衆院総選挙が実現する。その過程は「2014年第4四半期政局」と呼ぶべきものであるはずだ。しかし内閣改造が終わった段階では、「政局の始まり」と見る人は皆無だった。

◆幻の「小渕優子幹事長」報道
 読売は改造翌日・9月4日付の「スキャナー」のテーマを内閣改造・自民党役員人事とした。見出しは<改造・党人事 幻の「小渕幹事長」>。冒頭の文章は<安倍首相は3日の内閣改造・自民党役員人事で、党総裁経験者で、法相だった谷垣禎一氏を幹事長に充て、主要閣僚も留任させるなど、安定性重視の布陣を選んだ。首相は経済産業相に起用した小渕優子・元少子化相を幹事長に抜てきする「攻めの人事構想」も検討したが、幹事長の石破茂氏が安全保障法制相への就任要請を固辞したことなどから幻に終わった。>だった。

◆小渕の側が断った
 その後、小渕固辞の経過が以下のように語られた。
<小渕氏は40歳、当選5回。首相自身当選3回、49歳の異例の若さで幹事長に就任したが、小渕氏ならば「史上最年少、初の女性幹事長」というサプライズ人事となる。党内「入閣待機組」が60人以上に膨れ上がる中で、「滞貨一掃人事」のイメージを払拭し、小渕氏を「ポスト安倍」の一人に浮上させることで、石破氏へのけん制にもなるという一挙両得の計算があったとみられる。

 首相は側近を通じ、小渕氏周辺に幹事長受諾の可能性を水面下で打診した。

 小渕氏には、2012年12月、首相から党三役の総務会長を打診され、若さを理由に固辞した経緯がある。所属する額賀派に影響力を持つ青木幹雄・元参院議員会長から地道に経験を積むよう言い含められていたことが大きかった。

 今回も青木氏は、幹事長は早すぎるとして、「人寄せパンダになってはいけない」と難色を示した。派閥内でも、将来の女性首相候補と目される小渕氏について、「焦らず、長い目で育てるべきだ」(中堅議員)との慎重論が出た。>
 
幹事長は固辞した小渕だが、財務相に次ぐ重要閣僚とされる経産相に起用された。改造のセールスポイントだった「女性閣僚5人」の筆頭扱いである。その小渕について、政治資金がらみのスキャンダルがあばかれ、ついには衆院解散・総選挙にまで発展してしまった。小渕幹事長が幻に終わらず、安倍の構想どおり実現していたなら、政局はどう展開していたのだろうか?
 自民党幹事長は、官房長官とともに、政権を支える「クルマの両輪」とされる。幹事長のスキャンダルの打撃は、経産相とは比較にならないほど大きいと見ることができる。しかし幹事長が国会に呼ばれて追及されることはないから、スキャンダルそのものが成立しないという見ることもできる。どちらになるか可能性を占ったとしても「フィフティフィフティ」以外にないだろう。

◆一転してスキャンダルの主役に
 小渕優子スキャンダルを暴いたのは「週刊新潮」10月23日号(16日発売)だった。タイトルは<小渕優子経産相のデタラメすぎる「政治資金」>。東京・明治座で開かれた有名歌手らが出演する「観劇会」をめぐって、地元の政治団体・小渕優子後援会は2011年までの2年間で計約1690万円を明治座に支払った。一方、収入は約740万円しかなく、差額の約950万円を後援会が負担した形になっていると指摘する内容だった。
 
この件についての新聞報道は、同誌発売前日の15日付夕刊から始まった。新聞各紙は主要週刊紙の広告を掲載している。広告の内容は出版社側で版組みし、その版が配達されるのだが、広告局の担当者はとりあえず小部数印刷し、一瞥する。新聞記事になりうる問題があった場合には、編集局に連絡することになっている。発売前日の新聞報道となるのは、このシステムが確立しているからだ。
 
松島みどり法相が今年夏、選挙区内の盆踊り会場などで、自分の名前やイラスト、成立した法律などを記した「うちわ」を配布した問題は、それ以前から民主党の蓮舫参院議員らが、「有価物」の寄付を禁じた公選法に違反する、と追及してきた。元朝日新聞記者で「気位が高い」と、政界では敵が多いのが松島氏。蓮舫らの指摘に対し、「雑音だ」と発言して、反発を強めていた。

◆大臣辞職やむなしで一致した菅幹事長と小渕本人
 小渕スキャンダルの第1報があった10月15日、安倍首相はアジア欧州会議(ASEM)首脳会議出席のため、イタリア・ミラノ訪問に出発していた。政権としての対応にあたるのは、菅義偉官房長官となる。もちろん安倍と連絡をとった上でだろうが、政治資金規正法違反で刑事事件に発展する可能性もあると判断。その日のうち「辞任させる必要がある」との決断を固めたはずだ。
 
菅が小渕と連絡をとると、小渕の方も大臣辞任の意思を固めているとわかった。小渕の立場で調べて見ると、議員辞職を迫られかねないと分かる。検察の捜査によっては、小渕自身が立件されかねない。そうなると議員辞職まで迫られ、政治生命が絶たれる。その「恐怖」を前提にするなら、閣僚辞職など「最低限必要な対応」となる。
◆松島がダブル辞職を迫られた理由(わけ)
 この段階で菅は、松島についても大臣辞任を強いると決意したはずだ。松島は第1次安倍改造内閣、福田康夫内閣で、つまり2007年8月27日から翌08年9月24日まで国土交通副大臣だった。この間、参院予算委員会で答弁に立つことが多く、ときに質問の内容と無関係な「演説」をして「長広舌に過ぎる」と鴻池祥肇委員長の「注意」を何回も受けた。ついには委員長の「答弁打ち切り」指示を受けたのに、それを無視して答弁を続けるという前例のない行動をとった。このため鴻池が、「予算委出入り禁止」という前例のない措置を断行した。この「前科」に「雑音」発言を重ねて考えると、松島が大臣辞職を迫られる場面は近い将来、必然的に生じると判断できる。
 
06年9月成立した第1次安倍内閣では、松岡利勝農相が自殺、佐田玄一郎行政改革担当相▼久間章生防衛相▼赤城徳彦農相▼遠藤武彦農相が辞任に追い込まれた。それぞれ政治資金がらみの問題が明るみ出、追及されたためだ。「何とか還元水」などの迷文句や、顔面の絆創膏が登場、にぎやかなことだった。あい次ぐ閣僚辞任で、政権は体力を奪われ、07年7月参院選で大敗。発足丸1年の9月、総辞職を余儀なくされた。
 
大臣辞職を小渕だけにとどめた場合、松島の辞任劇が演じられた段階で「第1次安倍政権の二の舞」という評価が必ず出てくる。それを防止するためには2人同時辞職がある。
小渕の単独辞任にとどめた場合、小渕が受けるダメージは大きい。「2人同時」なら、そのダメージも軽減される。こう考えて菅は、小渕と松島の2人同時辞任という「ウルトラC」を発案、実行のために動いたと思われる。
 
民主党側が松島を公選法違反で告発したことも、このウルトラCの「援軍」となった。法相は傘下に検察という巨大捜査機関を持っている。「検事総長だけ」という限定はあるが、検察に対する指揮権を持っているのは厳然たる事実である。指揮権を持った人物が、1検事の事情聴取を受けるなどということがあれば、それだけで内閣が吹っ飛ぶほどの大スキャンダルになる。

◆安倍による辞職強要
 安倍が帰国し、永田町で活動を再開したのは20日。早朝8時20分に小渕、午後1時すぎに松島をそれぞれ官邸に呼びつけ、「辞めてもらう」と宣言した。小渕はあっさり了承し、松島は不満たらたらだったようだが、「イヤなら罷免する」と言われる立場だから、了承せざるをえなかった。
 
第1次内閣での閣僚辞職連鎖について安倍は、側近らに「辞職を迫ることができなかった『温情』が禍いした」と語っていたという。その経験に学び、今回は厳しく辞職を迫ったとされる。しかしそういう解説記事を書かせたのも菅義偉なのではないか? 「2閣僚同時辞任は、菅官房長官の知恵」などという書かれ方をすると、菅への反発が強まる。現状では「黒衣(くろこ)」に徹すというのが、菅パフォーマンスの原則だったはずだ。

◆「基本ができていない」と舛添都知事
 舛添要一都知事は翌21日(火)が定例会見日。「女性閣僚2人の辞任をどう見たか」質問されたが、松島についてとくに手厳しい答えだった。参院選は真夏。暑いので「うちわ的なもの」をばらまきたくなるのは当然と語ったうえで、「私が知る限り、恐らくこれを本格的に使ったのは私が初めて」と語った。「総務省の選挙担当の所に持って行って、これなら大丈夫だということで、印紙を貼って選挙のビラとして配った」という体験談を披露。松島氏が配布したケースについては「選挙じゃないと思う。選挙の法定ビラでもない。相当慎重にやらないと、自分の選挙区では、分かりやすい言葉で言うと買収したことになる」と続けた。買収は公選法違反だから、検察に告発されるのは当然。法相は検察を指揮下に置いているのだから、検察の捜査対象になるのでは困る。更迭されて当然ということになる。
 
小渕についても舛添は、「政治資金の報告書を出す時は、基本的なことはしっかりとみんなでチェックするはず。チェックがずさんだったのかなと思う」……。2人更迭についてのまとめは、「政治家は基本的なことはしっかりやらないといけないと思った」だった。

◆行われなかった(?)身体検査
 組閣・内閣改造のとき付きものとされる作業に「身体検査」がある。小渕、松島のような問題を抱えていないかどうか? 内閣官房でチェックする作業である。閣僚の候補者は派閥が推薦する。それぞれについて適任であるかどうか? 首相が検討するのだが、閣僚人事の「原型」だった。身体検査は本格検討前の予備審査ないし資格検査だった。今回は首相自身が「女性閣僚を増やす」ことを政権の売りものにすると宣言。人選も首相主導で行われたと思われる。身体検査=資格審査は行われなかった可能性が強い。行われたとしてもお座なりなものだったはずだ。首相の安倍自身が、率先して「基本的なこと」を怠っていた。舛添の「基本的なことをしっかり」発言は、首相に対する皮肉とも受け取ることができる。

◆折田中之条町長辞職が物語るもの
 小渕陣営では20日、折田謙一郎・群馬県中之条町長(66)が辞職願を提出。そのまま町役場に登庁せず、自宅にも戻らない「行方不明」状態になった。折田は優子の父、恵三(元首相)の秘書を30年間も勤め、優子の政治資金の扱いもとり仕切っていた。2012年の町長就任後も小渕優子後援会をとり仕切っていたという。折田の町長辞職は24日の町議会で承認された。東京地検特捜部は30、31の両日、高崎市の小渕後援会事務所や折田の自宅、中之条町役場の町長室などを捜索した。折田についても、「事情聴取を行ったとみられる」と報道されている。
 
こうした関連の動きが物語っているのは、小渕後援会は、恵三の代も優子の代も一体だということである。恵三の代の折田は、恵三の信頼が厚いから後援会をとり仕切ることになった。しかし優子の代には、衆院議員・小渕優子がつくった後援会ではなくなっていた。小渕優子衆院議員誕生前に、折田がとり仕切る後援会があった。その後援会が恵三の後継者として優子を選んだということになる。
 
ほんらいなら、最初に登場するのは、政治家を志す人物である。衆院選で当選を勝ち取るには膨大な得票が必要だから後援会をつくる。政治家志望の人物と「一体」と言ってもいいほど近い人物が、講演会長となる。政治家志望者と後援会が成功し、選挙で勝利すれば代議士誕生となる。代議士も後援会もゼロからの出発だから、多くのことを経験し、学ぶはずである。もっとも良く学び、学習によって成長した陣営が勝利者となるはずなのだ。
 
2世議員小渕優子(正確に言えば、恵三の父、光平も代議士だったから、優子は3世となる)の場合はその逆だった。恵三を代議士とした後援会が「最初にありき」だった。周知のように恵三は、現職首相だった2000年(平成12年)4月1日夜、住居だった首相公邸(旧官邸敷地内にあった)で倒れた。2日未明救急車で順天堂病院に運ばれ、重度の脳梗塞と診断された。本人の意識がないまま4日、当時の官房長官・青木幹雄が首相臨時代理として内閣総辞職の手続きをとった。その後も意識が回復しないまま5月14日死亡した。

◆後援会がつくる2世議員
 優子は成城大学経済学部経営学科を卒業後、TBSに入社。恵三が首相となった1998年、TBSを退社して恵三の事務所に入り、私設秘書となった。この年6月13日公示25日投票の総選挙では、すんなり恵三の後継者となり、当選した。
 
この場合、恵三の後継者を志す別の候補者はいなかったらしい。しかし国会議員の後援会には、地方議員が参加している場合が多い。都道府県議、指定市議の場合、「あわよくば」と代議士の後継者を狙うケースがある。その場合でも、代議士本人の子が立候補を了承した場合、絶対有利だとされている。後継者が実子である場合、後援会が分裂するという事態は避けられる。後援会幹部が「後援会がまとまっていくため」と実子の立候補を促す例も多いのである。

◆優秀な人物は2世議員にならない!
 2世、3世の場合、優秀だから後継者になるということでもない。第1次安倍内閣で大臣辞職を余儀なくされた4人の一人は2世だったが、先代の孫だった。兄弟の中でも長男でなく4男だったのである。東大卒のキャリア官僚だったが途中退職し、祖父の議員秘書となっており、後継者になったのは順当だったのだろう。
 
この2世が、極めて優秀で、勤務先の省庁で次官レースに参加するほどの人材だったなら、退職して議員秘書になることはなかったはずだ。「初代」の実子、あるいは2世となった4男の兄たちは、それぞれしかるべき職歴を展開していたから、「秘書から後継者」という2世に多いコースを選ばなかったと思われる。学歴・職歴からは想像できないほどのダメ人間だったからこそ、祖父の秘書から後継代議士というコースを選んだとしても不思議ではない。

◆テレビ局への就職は「広い門」
 小渕優子の場合もTBSに入社していたという職歴は立派そうに見える。しかし一般の青年男女にとっては「狭き門」となっているテレビ局への就職も、与党代議士の子弟の場合、逆に容易にくぐれる「広い門」なのである。
 
NHKも民放も「郵政族」の国会議員には弱い。NHKなら毎年の予算について国会の承認を得なければならない。部長待遇で、郵政族議員との懇親を深めるだけが仕事という職員が何十人もいる。日ごろは議員と仲良くするだけ。毎年春、NHK予算の承認を求めるときだけ「よろしくお願いします」とお願いする。民放の場合、放送免許があるからこそ、「営業」できる。郵政族の国会議員ににらまれると、最終的には免許を取り上げられる怖れもある。支持者から子弟の就職を頼まれた議員が「コネ入社」を要請した場合、おおむね了承するのだという。

「放送局」への就職希望者は多く、国会議員に頼む支持者は遠慮がちにアタマを下げる。しかし国会議員は、頭を下げることもしないで「コレコレの人物を入局させてくれ」と要求。テレビ局に認めさせるのである。小渕優子のTBS入社の経緯(いきさつ)を具体的に聞いたことまではないが、国会議員の娘である優子が、テレビ局員だったからといって、優秀さの証明にはならないことを指摘しておきたい。
 
2世などの血族議員が増えたことによってレベルダウンしたのは、小渕や松島レベルの議員たちだけではない。安倍晋三にしても、ポスト佐藤(栄作)を争った三角大福中の時代なら、総裁候補になり得たかどうか疑問だ。「女性登用」で舞い上がってしまい、身体検査を怠った安倍にこそ全ての責任があると言ってもいい。オソマツ政治家の代表が安倍だと言ってもいいのだ。
【第2幕 解散風の猛威】
◆19日衆院解散、12月14日投開票の日程が決まった!
 ここまでが「2014年第4四半期政局」前半の展開と、関連する事象についての論評である。その後「解散風」が吹き始め、11月15日の時点では、19日解散▼12月2日衆院選公示▼14日同投開票という日程が、確定的な情勢となっている。この日程はもはや「新聞辞令」ではなく、自公両与党を含めた全政党が、この日程で選挙準備を開始した。

「衆院解散」を宣言できる唯一の人物、安倍晋三首相は「解散については、これまで何も言っていない。現段階で言うつもりもない」という発言を繰り返している。しかし解散風がここまで強く吹いているのに、年内総選挙を拒否するというのは、「政界常識」無視の行動だといえる。首相といえども、ここまで強まった解散風を否定する行動はとれないはずだ。

◆「風」吹き始めは11月1日
 今回の「解散風」を私自身が認知したのは今月1日だった。「三万人のための情報誌」を自称する月刊誌「選択」(選択出版KK発行)は、毎月1日、当月号を宅配してくる。その11月号に掲載されていた「政界スキャン」のタイトルが<仮説としての「年内解散」>だった。
 政界内幕ものと言っていいこのコラムは、冒頭、小渕優子経産相、松島みどり法相の同時辞任から記述しはじめている。2人を辞めさせたことは成功だったとしながら、以下のように書く。
<問題は、次にどうするか、である。官邸の官兵衛こと、官房長官菅義偉の出番である。彼の危機管理能力がまさに問われる場面になってきた。各派閥領袖たちも、お手並み拝見と注視している。

◆「菅官房長官の考えを想像した」コラム
 ここからは菅ならこう考えるのではないか、という想像である。>
 と書き、菅が考えることについて論じ始める。第1は解散・総選挙の前倒しだ。野党とメディアはそろって政治とカネの問題を追及してくる。その流れを断ち切る早期解散に踏み切るのが得策だ。野党の選挙態勢が整わず、まして選挙協力など成立していない四分五裂状態というメリットもある。第2は、12月初旬に予定されていた「消費税10%への再引き上げ」判断を、効果的に解散・総選挙に結びつけることだ。「菅はすでに延期に舵を切っている。読売新聞グループ総帥・渡邉恒雄との腹合わせもできている」と書いている。安倍が「苦渋の決断」をし、それについて信を問うという安倍劇場を演出しなければならない。

◆解散を断行できなかった麻生政権の失敗
 そして第3に、解散時期を逸することについての菅自身のトラウマがある。麻生太郎内閣の成立は08年9月24日だった。その直後10月10日発売の「文藝春秋」同年11月号は「内閣総理大臣 麻生太郎」署名入りの文章「強い日本を! 私の国家再建計画」が掲載された。その中で麻生氏は、首相指名を受けた直後の衆院解散を高らかに宣言した。
 <注>この文章については異次元の問題があるので後述する。
 
 しかしその後、公明党からの異論などに押され、解散断行を決意することができなかった。じっさいに衆院解散を断行したのは翌09年の7月21日。総選挙は8月18日公示、30日投開票となった。衆院議員の任期切れは9月10日だったから、解散無しの任期切れ総選挙だったとしても、同じような日どりになったはずなのである。
 
この総選挙では民主党が過半数を上回る308議席を獲得して政権を獲得した(鳩山由紀夫内閣の成立)。自民党は結党以来初めての第2党となり119議席にとどまった。公明党(21議席)とともに、麻生政権与党は、歴史的な惨敗を喫した。
 
麻生政権でも菅は首相側近といわれた。役職は自民党選対副委員長・委員長代理だっただけに、解散時期を逸した「トラウマ」はなおさら大きかった……。
 以上の3点を指摘して、
<かくて、究極のサプライズ、アベノミクス信任、消費税率一〇%上げ延期・軽減税率導入を争点とする年内解散は十分ありうる。物理的にも可能である。>
 と書いている。

◆安倍の岸コンプレックス
 末尾に<安倍本人はどうか。集団的自衛権行使容認が選挙争点になるのは必至だ。それに耐えられるのか。>と問うている。
 その答として「岸信介の回想」(文藝春秋刊、1981年)から以下の文章を引用・紹介している。

<あの当時(60年安保のとき)日本が米の核戦争に巻き込まれるという議論が盛んだったが、その後の歴史を見れば安保のおかげで望ましい形での安全保障が行われている。(略)調印して帰ってきてから解散して国民に問うべきだった。(略)押し切ってやった方が良かったと思う。後悔と言えばそれだけです>「
 その上で末尾を以下の文章で結んでいる。
<菅のトラウマ、安倍のコンプレックス。キーパーソン二人の心理を探ると、ますますそのシナリオの信憑性が増してくる>
 この文章は如何なる意味を持つのだろうか? 考え込まざるをえなかった。その時点で、この「政界スキャン」以外に「年内解散」という観測は皆無だった。「政界スキャン」でさえ、「菅義偉は年内解散が望ましいと考えている」と書いているわけではない。「菅ならこう考えるはずだ」というだけだ。

◆「風」の発生源は菅
 菅は解散風を吹かせようという意思を持っている。「政界スキャン」の執筆者に、その意思を率直に語った。執筆者の方も、菅に協力しようと思った。だからこそ、この奇妙な文章ができ、「選択」誌に掲載された……。こう考える以外にない、というのが私がその時点で考えたあげくの結論だった。
 
それにしても「菅が年内総選挙の構想を持っている」とさえ書けないのでは、解散風を煽る文章としてあまりに弱い。これでホントに解散風が政界を支配するようになるのだろうか? この疑問も持たざるをえなかった。
 
しかしすでに書いたように半月後の15日の時点では、12月14日投開票という日程が確定したと報じられるほどになっている。現役の記者時代、「解散風は1度吹き始めると収まることはない。どんどん強くなって、ついには解散を実現させるほどの強風・暴風になってしまう」という「法則」を、文字どおり耳にタコができるほど聞かされた。それは正しかったのだと、改めて思い知った。

「政界スキャン」の筆者は、間違いなく政治記者である。この4年間ほど「選択」誌を購読し、かなり真面目にこのコラムを読んでいるが、筆者は菅と親しい記者のはずだ。菅がニュースソースだと思われる文章が多い。また菅はおおむね賞賛されており、菅批判は微温なものもない。

◆政治家に協力する記者でいいのか
 今回の解散風が強まる一方だったのも、安倍政権のスポークスマンである菅本人が吹かせていたからとも言えるだろう。
 
ここで問いたいのは、菅が望むとおり解散風を吹かすといった活動は、政治記者として正しいのかどうか? である。少なくとも「選択」11月号に掲載されたコラム「政界スキャン」に関する限り、菅が望むとおりの文章である。結果的には年内総選挙を実現させるという力を持っていたことになる。おそらく筆者は大満足であろう。自分が書いた原稿によって政治が動くことに、無上の喜びを感じるのが新聞記者なのである。
 
執筆した記者以上に菅は喜んでいるだろう。記者に思い通りの記事を書かせることによって、政局は菅の思惑どおりに展開した。だからこそ菅は「隠然たる政治力」を誇ることができる。

◆フリーライターが告発した朝日編集委員
「政界スキャン」執筆者について、私は氏名も所属社名も知らない。しかしじっさいに有力紙の政治記者が、政治家と深い関係にあることを「告発」された例がある。告発したのは、フリーの政治ジャーナリスト上杉隆で、告発されたのは今年1月まで朝日新聞政治部長だった曽我豪である。
 
上杉は月刊誌「新潮45」2008年12月号に<「麻生総理と朝日新聞編集委員」のただならぬ関係>というタイトルの記事を書いた。この年9月1日、当時の首相・福田康夫が緊急記者会見を行い、退陣を表明した。22日の自民党総裁選で、幹事長だった麻生太郎が他の4候補を破り、第23代総裁に選出された。24日、麻生は国会で首相指名を受け、第92代、59人目の首相に就任、新内閣を発足させた。

◆麻生太郎首相署名入り「宣言」を代作
 上杉執筆の記事によれば、「文藝春秋」同年11月号(10月10日発売)に掲載された「内閣総理大臣 麻生太郎」署名入りの文章<強い日本を! 私の国家再建計画>は、当時編集委員だった曽我が執筆したものだという。国会論議でも問題になったこの文章は、麻生が首相指名を受けた直後の衆院解散を高らかに宣言したものだった。
 「文藝春秋」の校了日は、発売前月(11月号の場合は9月)の最終日。上杉は麻生本人にも「いつ書いたのか」とただしたが、答えは「9月22日から23日にかけて」だったと書いている。
 
22日は上記のように総裁選投票の当日。確かに全国遊説など、総裁選勝利のための行動は終わっている。しかし新総裁決定の場に「不在」であることはできない。新総裁に決定した後は、さっそく党三役人事に入る。首相就任のさいの閣僚人事との関係もある。
 
人事の決定権は新総裁の麻生本人にあるが、側近をはじめ、総裁選で「麻生支持」だった有力議員などに「相談した」という形をつくらなければならない。麻生は在京している限り、夜はホテルオークラのバーなどで飲むことを「日課」としている。22、23両日で、400字詰め35枚にものぼる原稿など、書くヒマがなかった。
 
現実に麻生が原稿を執筆する姿を見た人もいない。またどこかにこもって原稿を執筆した、という形跡もない。その代わり、曽我が「代作」したと証言する人は多い。
 上杉は、意外なところで「確証」が得られたと書いている。それは同じ「文藝春秋」11月号の政治コラム「赤坂太郎」だ。タイトルは<攻防210議席/両党とも勝てず>だった。その中に<麻生は首相になった暁には冒頭解散だと決意しており、悩みどころはいかに民主党の抵抗姿勢を暴き出し解散の名分を成すかだけだった>という文章がある。冒頭解散の後には総選挙となるからこそ、<攻防210議席/両党とも勝てず>という見出しが成立する。
 
校了日の9月30日まで、麻生本人が「首相指名直後の解散」方針を語ったことはなかった。新聞などのマスコミが、そのような推測記事を掲載したこともなかった……。この赤坂太郎だけが断定的に、「首相指名直後の解散」説をうち出したのだ。

◆「赤坂太郎」も執筆
 じつは赤坂太郎の執筆者も曽我だったというのが、上杉の主張だ。曽我はよく「今月の赤坂太郎は良かっただろう」と言い、続けて「じつはオレが書いてるんだ」と自慢していた。麻生と親密であることも、曽我の自慢のタネだった。麻生執筆を売り物にした文章は「代作」だが、赤坂太郎の場合はゴーストライターということになる。赤坂太郎が、どこか政治部のベテラン記者だというのは「政界常識」でもあった。
 
それにしても問題の「文藝春秋」08年11月号は、表紙の題字下に刷り込まれたキャッチフレーズが「総力特集 麻生自民vs小沢民主」だった。その「特集」の中には鳩山由紀夫(当時民主党幹事長)のインタビュー<小沢は命を賭して総理になる>などの記事もあるが、メーンは麻生の解散宣言と、赤坂太郎だった。
 
新聞社などの政治部記者が雑誌などの記事を書く「アルバイト」は、半ば公認されていると言っていい。しかし政治家の名前で原稿を代作するまでになると、その政治家と「癒着している」という批判を免れない。しかもこの「文藝春秋」08年11月号の場合、朝日の編集委員だった曽我が「総力特集 麻生自民vs小沢民主」の企画にまで踏み込んでいた!。単純に原稿を書くだけのアルバイトではなかった。上杉の<「麻生総理と朝日新聞編集委員」のただならぬ関係>は、曽我が政治家・麻生だけでなく、月刊誌「文藝春秋」とも癒着していたという、ダブル癒着を告発した文章だといえる。
 
もちろん上杉は、曽我だけでなく、朝日新聞社、文藝春秋(企業名)にも、それぞれ見解を求めた。しかし文藝春秋社から、麻生名義の文章について「そういう(代作の)事実はいっさいございません」という内容の回答があっただけ。曽我と朝日は、何の返事もなかったと書いている。
 
タテマエ的には朝日も曽我も「代作」の指摘を無視せざるを得ない。しかし筆者の上杉も、「新潮45」という媒体も、それなりの知名度を持っており、「2チャンネル」に代表される「雑音」ではない。朝日新聞社政治部という小宇宙では、この上杉の文章が大きな話題となっていたはずだ。

◆「被告」が政治部長に起用された!
 こういう形で「告発」を受けた場合、「被告」となった記者は大きなダメージを受ける。通常ならば、「書き手」としての記者生命は終わりになるはずである。少なくとも私が1080年5月から89年1月まで在籍した毎日新聞政治部という小宇宙の常識は、そうなっていた。朝日新聞政治部も「よく似た仲間」だから、同時期には「記者生命は終わり」というのが常識だったはずだ。百歩譲って、「優れた書き手だから、編集委員としてはやってもらおう」ということはあり得たかもしれない。しかしその人物が政治部長に起用されることなどあり得ない……。私はそう思っていた。
 
しかし現実に曽我は、2011年11月25日「政治部長」に発令された。今年1月9日まで在任してその後編集委員にもどったようだ。編集委員・曽我豪の署名入りコラムはその後ひんぴんと紙面に掲載されている。

◆監視役が癒着する堕落
 朝日の曽我豪も、また私が所属・氏名とも知らない「政界スキャン」の執筆者も、雑誌記事を書くことを、「有能さの証明」だと誇っているように見える。曽我と麻生太郎、政界スキャン筆者と菅義偉など、政治家との深すぎる関係について「不適切」という意識などかけらもないように思える。
 
新聞記者の使命は「真実の報道」である。政治家や官僚機構が、記者たちの取材に誠実に応じることが常識となっているのは、国民の「知る権利」を代行しているという大義名分があるからだ。政治部記者の場合さらに「権力を監視する」という氏名が加わる。「権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する」のだから、監視が必要なのだ。
 
監視の使命を持つ記者たちが、権力を握っている政治家と癒着するなど、国民に対する裏切りである。その「裏切り」を自供しているような政治記事が多すぎることを、指摘してこの小論の結びとしたい。

◎小テーマ[劇画が有力な報道媒体になった(?)]
 東京電力福島第一原発事故についてめんめんと続けている朝日の連載「プロメテウスの罠」(以下「罠」と記述)が、11月5日付の第1088回から「漫画いちえふ」と題するシリーズになった。ペンネーム「竜田一人(たつたかずと)(49)」を名乗る人物による「いちえふ」は講談社が発行する漫画雑誌「モーニング」に連載された「原発ルポ漫画」の題名である。今年9月「モーニング」の新人賞を受賞した。「罠・いちえふ」シリーズの第1回は、授賞式の場面から始まる。

 私は単行本となった「いちえふ」をさっそく購入したが、「福島第一原子力発電所労働記」という副題がついていた。<単行本になった「いちえふ」は17万部のヒットとなる。>というのが「罠・いちえふ」第1回の結びである。
 
単行本「いちえふ」の帯には、
<NHK「ニュースウオッチ9、読売テレビ「情報ライブミヤネ屋、アメリカAP通信、ドイツ国営放送ARD、スイス放送協会RSI、フランスAFP通信、イタリア国営通信ANSA、英国版WIRED、Blouin Artinfo、FRIDAY、週刊SPA!、週刊プレイボーイ、ハフィントンポスト日本版、共同通信、朝日新聞、産経新聞などで続々紹介され、現在も取材依頼が殺到中!!>
 と刷り込まれていた。

「モーニング」連載は、13年10月3日発売の号から始まったというが、副題は「労働記」ではなく「案内記」だった。じっさい、福島第一原発「跡地」に行ったことがない私にとっては、良いガイドとなった。単行本44、45ページは見開きの<福島第一原子力発電所(大体の地図)>である。同様の「案内図」は、他にも登場するが、それ以外の絵と文章も、すべて福島第一原発の跡地がどうなっているかを私に教えてくれるガイドだ。「跡地」の現状を知ることは当然、事故の内容を推察することに直結する。

「労働記」という副題から連想したのは、ノンフィクションライター鎌田慧の第1作「自動車絶望工場」(現代史出版会、1973年、現在は講談社文庫で読める)だ。副題を「ある季節工の日記」としたこの本について、「現代日本・朝日人物事典」(1990年12月、朝日新聞社刊)は鎌田の項で以下のように記述している(執筆は大田雅子)。
<トヨタ自動車の季節工としてベルトコンベヤー労働に従事し、その体験を、73年『自動車絶望工場』(現代史出版会)として発表。華やかな自動車産業の、外側から見えなかった働く人々の疎外感を描ききった。今でこそ、身分を隠し潜入する手法が評価されているが、当時は“卑怯”と評す文化人もおり、取材方法は論議を呼んだ。>
 
どうやら「竜田」が「跡地」で働くことになる経緯(いきさつ)は、鎌田とは異なるようだ。ライターの身分を隠して「潜入」したのではなく、「売れない漫画家」が食い詰めて、職探しした。跡地で働くという職があったというのが「いちえふ」の記述だ。
 それでも、労働現場で経験、見聞きしたものを書きたいという意思・意欲は、鎌田と竜田に共通するものだった。1973年には、それが結実して、活字だけのルポルタージュとなった。42年後の13年には、画(え)が主力の漫画に変わった。活字の世界を選び、生涯一記者だった私にとっては寂しいが、その現実は受け入れなければならない。
 
いずれにしても、労働現場で見たものを書きたいという意思・意欲は、鎌田も竜田も変わらない。1973年には、それが結実して、活字だけのルポルタージュとなった。40年後の2013年には、画(え)が主力の漫画となった。
 
 福島第一原発事故を題材にした漫画には「週刊ビッグコミックスピリッツ」誌(小学館刊)連載の「美味しんぼ・福島の真実」シリーズがあった。こちらの方も私は、新聞報道などで初めて知ったのだった。
 
この「美味しんぼ・福島の真実」シリーズの場合、マスコミは「風評被害を大きくする」などと、マイナス評価で騒ぎ立てた。今年5月13日付読売新聞の社説は<「美味しんぼ」 風評助長する非科学的な描写>というタイトルで、非難一色だった。さわりは以下の文章だ。

<主人公が、東京電力福島第一原子力発電所の現場を視察した後に鼻血を出す場面がある。井戸川氏は、「鼻血が出たり、ひどい疲労で苦しむ人が大勢いる」と述べ、 被曝(ひばく) を原因と明言している。
 
荒木田氏は、「(福島県を)人が住めるようにするなんて、できない」と断じている。 いずれも科学的知見に基づかない独善的な見解である。菅官房長官が「正確な知識をしっかり伝えることが大事だ」と述べたのは、もっともだろう。>
 
井戸川氏とは、福島県双葉町の井戸川克隆前町長。荒木田氏とは福島大の荒木田岳准教授だ。両氏とも「美味しんぼ」の原作者・雁屋哲氏の取材に対して、引用文のとおり発言したことは認めている。井戸川氏の「鼻血が出たり、ひどい疲労で苦しむ人が大勢いる」という言葉は、3・11フクシマ事故に双葉町で接した住民の現状を話したもので、「科学的知見に基づかない独善的な見解」と断定するのは、読売こそ「独善」と批判されるべきだ。
 
報道機関は「真実の報道」を目指すべきで、老舗の新聞こそその中核であるべきだ。私は新聞記者OBだから、「福島の真実」は新聞こそ語るべきだと思っていた。
「美味しんぼ」は作・雁屋哲、画・花咲アキラとなっている。ネット百科「ウィキペディア」で、雁屋哲氏を調べた。1941年10月生まれで72歳。東京都立小山台高校を経て、東京大学に入学。教養学部基礎科学科で量子力学を専攻する。年齢でも、東大の学生としても私より1年先輩である。大学入学時は学者志望だったが、大学4年の夏に「大学に残っているより、もっと生々しい人間社会の実態を知りたい」との気持を持ち、就職先に電通を選んだ。3年9カ月間電通社員生活を送るが、組織に順応できない人間であることを痛感。電通在籍中に漫画原作者としての活動を始めた。74年退社し、フリーとなって男性向け雑誌、少年誌などで劇画をメインに原作を手掛ける生活を送った。
 
東大の教養学部基礎科学科も電通も、ともに「狭き門」である。「東大卒」の中でも優秀な人であることは間違いない。くぐり抜けたのが「狭き門」であればあるほど、その内側から飛び出すのは大きな決断を要する。1974年の時点で、電通社員の地位を投げ出し、フリーの劇画原作者となる選択に賛同する人は皆無に近かっただろう。それでも自分が選んだ道を迷わず進むという生き方は立派なものだ。勇気を持って自分の人生を歩んだ人物だからこそ、「美味しんぼ=福島の真実シリーズ」を実現させることができたのだろう。
 
チェルノブイリ事故によって、ソ連当局は周辺住民の避難を開始し、5月までに30キロメートル以内に居住していた人びと約11万6千人が移転させられた。さらに半径350キロメートル以内でも、高濃度汚染されたホットスポットでは、農業の無期限停止と住民の移転を推進する措置が取られた。ホットスポット外に移転した人は。数十万人にのぼると言われる。福島第一原発事故もレベル7で、チェルノブイリ事故と同じことだ。福島県は広いから、全域で「人が住めるようにはできない」というのには無理がある。しかし浜通りの「原発銀座」周辺については、「将来も人が住めない」が原点であるはずで、「住めるようになる」と主張する方にこそ、科学的知見に基づく証明が必要なはずだ。
 
新聞・テレビといった巨大マスコミは、必ずしも「真実の報道」ができるわけではない。「福島の真実」を記事化し、あるいは番組づくりすることが不可能だった事情は分かる。しかし読売社説のように、「福島の真実」を明らかにした作品に対して、「ウソつき」呼ばわり同然の非難・批判をするのは、あまりにもひどい。
 
新聞社説もさまざまで、毎日(15日付)は「美味しんぼ 『鼻血』に疑問はあるが」というタイトル。さわりは以下の文章だ。
<もともと、根拠のない「安全神話」のもと、原発政策が進められた結果が今回の事故につながった。「美味しんぼ」の中でも指摘されているが、事故後の放射性物質放出についての政府の情報公開のあり方は、厳しく批判されるべきだろう。また、汚染水はコントロール下にあるといった政府の姿勢が人々の不信感を招き、不安感につながっているのも確かだ。そして、低線量被ばくによる健康への影響については、これから長期にわたる追跡調査が必要だ。>
 安倍晋三首相、菅義偉官房長官ら閣僚の「言論抑圧」的な発言に対する批判をつけ加えれば満点に近い内容だろう。
 
朝日社説(5月14日)は「美味しんぼ 『是非』争うより学ぼう」というタイトル。朝日らしい優等生の作文で、「影響力の大きい人気漫画だけに、全国の読者に考える素材を提供し、議論を深める場になることを期待する」が結びの文章だ。閣僚ら、権力者たちも「議論を深める」ことはできるだろうから、「言論抑圧」も公認することになる。「それでいいのか?」と言いたかった。
 
いずれにせよ、「美味しんぼ・福島の真実」シリーズがマスコミに登場した今年5月の時点では「風評被害助長」というマイナス評価が火をつけた。半年後11月の朝日「罠・いちえふ」シリーズには、非難・批判はもとよりマイナス評価色はかけらもない。
 
漫画というメディアはいまやルポルタージュにまで進出していることを印象づけられた。「いちえふ」の内容は、原発是非論などオピニオンの世界とも密着している。そのうちオピニオン漫画というべきものも登場するのではないか?
 
テレビで語られる「オピニオン」はあまりに下らない。だからOBを含む私たち新聞人は「オピニオンこそ、活字がリードする分野」と考えがちだ。それは「独善」に近い認識で、近いうちに「オピニオン漫画」の存在も大きなものとなるのではないか?
             (筆者は元大手新聞社政治部・デスク・匿名)

注)11月15日までの報道・論評を対象にしております。一部敬称略。引用は、<>で囲むのを原則としております。


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