2014年3月〜4月

マスコミ昨日今日(5)

2014年3月〜4月

大和田 三郎

【STAP細胞=小保方晴子ニュースで見えた「客観報道」の病弊】

 4月10日付日経の1面コラム「春秋」が、記憶に残った。全文を紹介しよう。
<きのうヨシミにきょうハルコ……などと冷やかすつもりはないけれど、なんだか日替わりのように「時の人」が謝罪、釈明、反論の記者会見に出てきてテレビ桟敷もあわただしい。8億円問題の渡辺喜美先生に続き、こんどはSTAP細胞の小保方晴子さん登場である。

▼いかにも政治家の、のらりくらりの弁解が退屈だったみんなの党前代表に比べると、理化学研究所という大組織を向こうに回した若き女性研究者の姿は見ものではあった。問題が問題だから専門用語が飛びかう一方で涙あり声張り上げての訴えあり。世間に記者会見なるもの数々あれど、こういう混沌ぶりは珍しいだろう。▼「STAP細胞の作製には200回以上成功している」とは驚きの「新事実」だ。しかしそんな名手が論文は自己流で「不注意、不勉強、未熟さ」ゆえにおかしなものを仕上げてしまったとはじつにチグハグである。そういうことがありうる気もするが、その乖離(かいり)があまりに奇妙で画面のなかの人に目を凝らすほかはない。▼奇妙といえば彼女と一緒に研究を続け、論文執筆を手伝った先輩同輩の感覚もいよいよ謎である。今回の会見をどんな思いで眺めたことだろう。それにしても科学の世界からはひどく遠いところにきてしまったこの騒ぎ、つまるところ証拠物件があるかないかの勝負だ。ヨシミの「熊手」とは話が違う、と信じたいのだが。>

◆調査報道が必要だった
 「春秋」筆者が指摘したかったのは、「混迷ぶり」が、政界だけでなく「科学の世界」にも及んでしまっているということだろう。私の思いは異なる。「その混迷ぶりをつくり出したのは、マスコミ自身じゃないのですか?」と問いたいのだ。

 前月号で指摘したが、STAP細胞=小保方晴子ニュースは、「つくり出すことに成功した」(新聞は1月30日付朝刊)から「それは重大な誤りだった」(同3月15日付全国紙各紙朝刊)へと一転した。それぞれ1面トップ扱いはもちろんで、2、3ページの「総合面」や社会面も埋め尽くすほどの巨大ニュース扱いだった。

 この「逆転」は、ともに理研の発表だった。一度「成功」と発表したものを、「それは誤り」と逆の発表をするのは、恥ずかしいことである。当然のことながら、それを余儀なくさせる事情があった。

 前月号の記事では、3月15日付「朝日」の社説は<STAP細胞 理研は徹底解明せよ>であり、天声人語も解剖学者・養老孟司の言葉を引用して<それぞれの職業人が真のプロ意識を持て>と強調していたことを紹介。<ともに理研への要求ではなく、朝日新聞がやるべきことと書き直した方が良い>と私見を述べて、それで結びとした、

 この私見を、具体的な報道のあり方として言うなら、3月15日以後、STAP細胞=小保方問題は、「発表待ち」ではなく「調査報道」に切り替えよということになる。しかし現実には朝日はもとより各紙とも、全力をあげて調査報道を繰り広げるという展開にはならなかった。むしろ逆で、基本は「発表待ち」という姿勢を維持し続けたといえる。だからこそ小保方会見をうけた4月9日付朝刊は各紙とも1、2、3ページの総合面と社会面を総動員した巨大ニュース扱いの「3度目」となってしまった。

◆週刊誌の成功 新聞・テレビの失敗
 「1月29日理研会見に疑義あり」とする調査報道を積極的に展開した媒体は、週刊誌の方だった。とくに「週刊文春」は、キャンペーン的な「疑義」報道を展開した。1月29日会見直後、2月6日発売の同13日号では、<一途なリケジョ 小保方晴子さんの「初恋」と「研究」>と、小保方賞賛トーンの記事。しかし1週おいた2月27日号(20日発売)では<安倍総理面会もドタキャン STAP細胞 小保方晴子を襲った捏造疑惑>で、早々と「疑惑」をうち出した。

 さらに1週おいた3月13日号(6日発売)で<STAP細胞 小保方晴子 絶体絶命で理研の野依良治理事長を直撃!>と一歩進め、その後はSTAP細胞=小保方ものを毎号登場させた。3月20日号(13日発売)は<STAP細胞小保方晴子がiPS森口に!?>と<共同研究者 若山照彦「不信感で眠れない」> ▼3月27日号(20日発売)は<「STAP論文 事件のウラに不適切な“情実人事” 小保方晴子さん 乱倫な研究室 本人からは回答メールが…>と特集扱い。<「先生、お食事行きましょ」猛アタックで共同研究者の家庭にヒビ▽「小保方さんは僕のシンデレラ」ノーベル賞候補・笹井教授の転落▽神戸の湾岸高級ホテルを自宅代わり セレブ生活の資金源▽共同研究者 若山教授を「聞くに堪えない言葉」で罵倒▽割烹着 ピンクの実験室は“やらせ” メディアを踊らせた広報戦略▽高校時代は勝手に「彼女宣言」でトラブルも…妄想リケジョ伝説▽「ウィキのコピペですが、何か?」あなたの会社の小保方さん>などの記事を並べた。

 さらに4月3日号(3月27日発売)は<アメリカ潜伏説も 小保方晴子さん「STAP細胞」疑惑を暴露した“ムーミン”の正体>と<福岡ハカセ 緊急寄稿「論文撤回だけで済ませてはいけない」> 、4月10日号(3日発売)は<理研会見でも明かせない 小保方晴子さん「上司・カネ・捏造」の暗部>。

 そして小保方会見直前の4月17日号(10日発売)は<小保方晴子さんと理研上司の「失楽園」>という大胆なタイトルの特集。<マンション籠城で警察出動 そして緊急入院…錯乱の日々▽山中教授も呆れる実験ノート 2冊のうち1冊は落書き帳▽理研職員は知っている 直属上司 笹井芳樹氏と高級ホテル密会▽ノーベル賞が泣く 理研のドン野依良治理事長の晩節▽現地取材 バカンティーズ・エンジェルと自称したハーバード時代▽専門家が読み解く“メルヘンの世界”「彼女は自己愛が強すぎる」▽1000万のイタリア家具 妻を助手にし月給50万…理研の特権意識▽「日本の権威は失墜」「論文が通りにくくなる」欧米のシビアな反応▽安倍首相 東浩紀 小林よしのり… 小保方さんに振り回される人々>などの記事を並べている。

 もちろんどの記事も「正確な事実」に基づくものではなく、ときに週刊誌特有の「飛ばし」(推測をそのまま記事化したもの)もあるように思える。しかし報道の姿勢として正しかったのではなかろうか、というのが私見である。

◆発表依存に安住する体質
 新聞記事は「客観報道」だといわれる。新人記者は警察担当で事件原稿を書かされるが、「○○署の調べによると」などと、あくまで警察の調べを基本に記事にするのだと教わる。本社勤務となっても、政治・経済・社会など取材各部では記者クラブの担当となり、「発表もの」を処理することが日常の記者活動となる。こうした日常性の延長線上で、「記者活動とは発表もの処理だ」という誤った生活感覚に陥ってしまう。STAP細胞=小保方ニュースを担当した新聞・テレビ各社の記者たちは、こうした落とし穴にどっぷり漬かっていたと批判したい。

 私自身、政治部デスクだったときは、前線の記者たちに「記事を書く人間の姿勢として『客観』などあり得ない」と言い続けた。「キミ自身がニュースバリューをどう判断しているか? その『主観』がいちばん大切なんだ」と続ける。

 というのは、派閥幹部クラスの政治家が「××××と語った」というだけで何の意味づけもしない原稿が多すぎるからである。「こんなものは会見や懇談の垂れ流しであって、原稿ではない」と酷評する。その発言の意味、今後の政治にどう影響するか、などを書き込んだ、まともな原稿に書き直すよう指示する。こういう作業をしなければ、新聞の政治面が、「読まれる記事」で埋まることなどあり得ない……。こういう思いで日々を過ごしていた。

 記者たちが意味づけを嫌がるのは、往々にして意味づけ部分で間違えるからだろう。会見や懇談の内容だけ書いていれば、間違いはあり得ない。しかしそれでは「間違っていない」というだけの極めて消極的な記事群が新聞紙面を埋めてしまう。「間違っていない」ではなく、「これこそ正しい」という記事が必要なのである。「この発言こそ、今後の政治・政界の流れをつくるものだ」となどと積極的に踏み込まなければ、「真実を伝える」新聞はできない。
 記者たちの日常生活が「発表待ち」「発表処理」で終わってしまうほど、「発表」が大きな部分を占めるようになることは異常だ。その異常事態は報道機関の堕落にもつながっていく。STAP細胞=小保方報道という「事件」によって、新聞・テレビ各社はこうした認識を新たにする必要があると思うのだが……。

【異常な外交の指摘は十分か?】

 3月26日未明(日本時間)、オランダ・ハーグで日米韓3カ国による首脳会談が行われた。NHKニュースなどでは、前宣伝、事後報道とも激しく「安倍晋三首相と朴槿恵(パククネ)大統領が、国際会議以外で会話するのは初めて」などと意義が強調された。しかしこの会談そのものが異常なものであり、日韓関係だけでなく、日中関係も異常な対立に陥っていることを露呈した出来事だった。安倍政権の「戦後レジームからの脱却」路線がもたらした、東アジアでの日本の孤立をマスコミはきちんと報道しているかどうか? 疑問とされる状況だ。

◆「3カ国首脳会談という異常
 首脳や外相の会談は、バイ(2国間)とマルチ(多国間)に分けるのが、外交の世界の常識。特定テーマや地域に関するものでもないのに、3カ国がメンバーというのは異例だ。日米韓3カ国首脳会談は、おそらく外務省が米国に泣きついて実現に持っていったのだろう。

 米側は、安倍政権が河野談話尊重姿勢を示すことを条件として提示した。河野談話は1993年8月宮沢喜一政権が発表したものだ。当時日韓関係の焦点になっていた従軍慰安婦問題について「国の関与を認めた」ところに意義があり、河野洋平官房長官(当時)の談話としたものだった。

 安倍政権は、米側の要求を受け入れた。3月14日の参院予算委で安倍首相が「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」のが安倍内閣の姿勢だとし、慰安婦について「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた」と発言したうえで、「安倍内閣で河野談話を見直すことは考えていない」と明言した。

 この発言について韓国大統領府は15日、朴大統領が「幸いなことだと思う」と述べたことを明らかにした。安倍晋三首相は18日の衆院本会議でも、「河野談話見直しは考えていない」と再確認。NHKは18日夜ニュースで「首相 日米韓首脳会談など実現目指す」と報じた。オランダで開かれる核セキュリティーサミットに合わせて、日米韓3か国首脳会談の実現を目指すという「先読み報道」だった。その先読みは正しく、新聞各紙は21日付朝刊で日米韓首脳会談が実現すると報じた。

 首脳会談の内容も異常なものだった。会談の内容を報じた「朝日」記事の見出しは<日韓復縁、霧の中 オバマ大統領仲介、3カ国首脳会談 対米改善を優先、残る不信>だった。会談内容の冒頭は
<「マンナソ パンガプスムニダ(お会いできてうれしいです)」。オランダ・ハーグでの日米韓首脳会談の冒頭、安倍氏は自らの発案で朴氏に韓国語でにこやかに語りかけたが、朴氏は硬い表情を崩さなかった>
<安倍首相のにこやかな顔と、朴槿恵(パククネ)大統領のこわばった表情が対照的だった>という文言もあった。互いの友好関係を確認することが首脳会談の前提条件なのだから、「硬い表情」「こわばった表情」は異常だ。

◆対話でなくポーズだけの内容
 朴槿恵大統領は韓国民向けに「安倍との同席は渋々やっているだけ」とアピールしたかったのだ。こわばった表情は意識的につくった。朴大統領はその前日、中国の習近平国家主席と会談。初代韓国統監を務めた伊藤博文を1909年に暗殺した安重根(アンジュングン)記念館が今年1月に中国・ハルビンに建設されたことを評価して、歴史問題での「反日共闘」を展開した。こちらの方がホンネだった。

 安倍首相の「にこやかな」表情・語調もタテマエにすぎなかった。会談直前の23日、安倍首相側近ナンバー1として知られる萩生田光一・自民党総裁特別補佐が、河野談話作成過程の検証について、「新たな事実が出てくれば、その時代の新たな政治談話を出すことはおかしなことではない」と語った。「新たな政治談話を出す」ことは、河野談話の見直しと同じことだ。

 萩生田はいつも、安倍首相のホンネを語る。昨年12月28日の靖国神社参拝のとき、政権中枢で賛否の論議があったことが明らかになっている。菅義偉官房長官らが「参拝すべきでない」と主張したのに対して、萩生田と衛藤晟一(首相補佐官)が「参拝すべきだ」と主張。安倍は菅の反対も無視して、参拝を断行した。

 萩生田の「新たな政治談話」発言は、安倍の指示をうけて行われたはずだ。河野談話こそ、典型的な「戦後レジーム」の産物だ。「戦後レジームからの脱却」路線をとりながら、河野談話を引き継ぐのは論理矛盾である。「戦後レジームからの脱却」こそが安倍政権のホンネであることを示すため、安倍は萩生田に対して「発言」を指示したのである。
 萩生田の口を通じたこのメッセージは、日本国民一般に向けたものだったかどうか、疑問だ。「戦後レジームからの脱却」路線を支持する人びとへのメッセージだったことは確実だった。その人たちこそ「安倍人気」の核心に位置する。国政選挙のたびに「明日投票」という日の、最後の演説会は秋葉原で開く。そこに集まってくる人びとの核となり、歓呼の声をあげる。フェースブックで安倍のメッセージを読み、「いいね」を発信する……。

 こうした極めて強い安倍支持層のそのまた中核には、在日朝鮮・韓国人に対してヘイトスピーチを繰り返している人びとがいる。その「強烈な支持層」を大切にしているのが、安倍の政治姿勢なのである。だからこそ、米国が強い懸念を表明していた靖国参拝もあえて断行した。

 各紙が報じた3カ国首脳会談の発言要旨を読むと「北朝鮮は危険な核兵器開発計画を推進している。3カ国は懸念を共有し、協力して行かなければならない」という主旨を、オバマ、朴、安倍の順で繰り返しただけ。「対話」はまさに形ばかりだったことが分かる。

 安重根記念館については、すでに中韓首脳会談についての記述で触れたが、従軍慰安婦を象徴する少女像の設置運動も米国で展開されている。カリフォルニア州の韓国系移民団体「加州韓米フォーラム(KAFC)」が組織として取り組んでいると報じられている。

◆毎日連載「孤立する日本」に意義
 こうしたことを考えているうち、「毎日」が4月3日から連載「隣人:日中韓 孤立する日本」を始めた。第1回が1面掲載で、11日付の第8回まで3面で続けた。途中から気付いたのだが、これは第2シリーズで、第1シリーズは初回が昨年12月31日付。1月8日付まで8回だった。

 この第1シリーズはタイトルが「隣人:日中韓」だけ。しかも第1回から3面掲載だった。この「隣人:日中間」は今年の年間企画と位置づけられたと推察する。地味という印象の強い外交問題を年間企画とすることに、社内で賛否の論議があったのだろう。年間企画なら少なくとも初回は1面扱いというのは、毎日だけでなく、各紙共通の「常識」だろう。それが3面からスタートというあたりに、社内での賛否論議の激しさを推察する。

 しかし異常といえる3カ国首脳会談が実現し、従軍慰安婦像などの問題も出て、この年間企画は「成功」という社内評価が定着したのだろう。だからこそ第2シリーズで連載タイトルに「孤立する日本」を加え、第1回を1面扱いにした……。こう書くと二重の推測となるが、当たらずといえども遠からずであろう。

 第2シリーズ第1回の見出しは<日中首脳会談、靖国不参拝が条件 中国、首相に明言求める>だった。第2回は<安重根記念館 中国、苦肉の「新設」 民族問題波及恐れ>で、多民族国家・中国の事情も書いたりしてはいるが、逆に<「琉球独立」に中国便乗>(第6回)と、日本の内部事情に触れた記述もある。最終第8回の見出しは<アジア安保、枠組み模索>である。

 19世紀はもちろん20世紀も前半は、「国際政治」といえば、欧州各国間の力関係で動いていた。世界大戦の発火点は、第1次も第2次も、ともにヨーロッパだったのである。21世紀のいま、「世界の重心」はアジアへと動こうとしている。第2次大戦後の冷戦時代「ビッグ2」は米国とソ連であり、1991年末のソ連崩壊後も、米国とロシアだった。いまでは大半の人たちが、「米国と中国」と言うのではないか?

 19世紀の半ば、明治維新のころは「世界の辺境」でしかなかった東アジアが、世界の中心ともいえる地域に変わった。それだけに国際社会の安定と平和のために、日本の近隣外交は重要なのである。その意味で毎日の年間企画(?)「隣人:日中韓」はタイムリーだったといえる。第2シリーズはタイトル名に「孤立する日本」が付いたが、第3シリーズには、別の言葉が付くのだろうか? いつごろ始まるのだろうか? 楽しみにしたいと思うようになった。

【袴田事件=マスコミは謝罪しないで良いのか?】

 元プロボクサー袴田巌(いわお=78歳)の再審開始を認める決定が出たのは3月27日だった。袴田の身柄拘束は1966年8月18日逮捕されて以来で、48年半を超えた。半世紀近くという気の遠くなるような長期だ。逮捕された時、袴田は30歳。被害にあったみそ製造会社の住み込み従業員だった。いまは78歳。人生の3分の2以上が拘束された暮らしだったことになる。

◆半世紀近い長期拘置
 袴田は長引く拘置所生活によって、精神を病んでいると伝えられていた。姉ひで子らによると、死刑確定の1980年ごろから、「痛みの電波を出すやつがいる」「毒殺される」などと口にするようになった。静岡地裁で第1次再審請求が棄却された94年以降、精神状態はさらに悪化。2000年以降は「姉はいない」などと面会を拒否するようになった。10年8月を最後に、ひで子も面会できなくなっていた。

 袴田の「病(やまい)」は、長期拘禁がもたらしたものだ。確定した死刑囚は毎朝「今日こそ執行の日か」と恐れる。夕方になると「明日が……」である。その恐怖にさいなまれるよりも「痛みの電波」を感じた方が、心理的負担は軽いのかもしれない。こうした長期拘禁の「弊害」によって、袴田は、これまでの冤罪事件元被告とは比べものにならないほど深刻な、権力犯罪の被害者だといえる。

 再審決定が出たのは3月27日午前。NHKをはじめテレビ各局の昼ニュースも、新聞各紙の夕刊も、トップで報じた。翌28日付朝刊では、朝毎読に日経を含めた全国紙4紙とも、解説をまじえた記事(朝日時時刻刻、読売スキャナーなど)で詳報し、社説や1面コラム(朝日天声人語、読売編集手帳など)でもテーマとした。再審決定が捜査当局の証拠捏造の可能性に言及するものだったため、各紙の論調は手厳しいものとなった。

 社説の見出しは以下のとおりだ。
▼朝日=死刑囚の再審—過ちはすみやかに正せ
▼読売=袴田事件再審 科学鑑定が導いた「証拠捏造」
▼毎日=袴田事件決定 直ちに再審を開始せよ
▼日経=「捏造」疑った再審決定の重み
 それぞれ再審決定を高く評価する内容になっている。

 とくに読売が、「証拠捏造が行われた」という再審決定の内容を支持していることの意味は大きい。政治面では安倍晋三内閣の「戦後レジームからの脱却」路線支持を鮮明にうち出し、「反動」の旗振り役をしているのが読売論調のいまだ。

 さわりの部分を紹介しておこう。
<静岡県警の捜査を巡っては、当初から疑問点が多かった。
 問題の5点の衣類は、公判が始まってから9か月後、みそタンクから発見された。地裁が今回、発見の経緯が不自然で、血痕などの変色状況から、事件直後に隠されたものではない可能性が大きいと指摘したのはうなずける。

 県警が証拠をでっち上げたとすれば、許されない犯罪行為だ。
 1審に提出された自白調書の大半は、威圧的な取り調べなどを理由に証拠採用されなかった。袴田元被告を犯人と決めつける不当な捜査が行われた疑いがある。
 検察が衣類発見時の写真など多くの重要証拠を開示したのは、第2次再審請求審になってからだ。当初の公判や第1次再審請求の段階で開示していたら、審理結果に影響を与えたのではないか。>

 この文章を読ませたうえで、「どの新聞の社説と思うか?」と質問したら、100人中70人ぐらいは「朝日」と答えるのではないか。1960年代ごろ華やかだった読売社会部の「庶民感覚最優先」路線は、依然として崩れてはいないようだ、社会面ニュースに限り、読売を見直そうと考えた。

 ともあれ合計して8本もの「社論」的な記事を掲載しているのに、その中に、容疑者・被告のころの袴田を「真っ黒」であるかのような記事をつくり、掲載したことへの自己批判とみられる記事はない。自己批判、謝罪、お詫びといったことは一切しない。この姿勢で各社とも一致しているように見える。

◆「ボクサー崩れ」叩きも、「証拠捏造」批判も、ともに当然(?)
 おそらくは各社とも、論説室で論議したうえで、こういう姿勢をとることに決めたという経過ではないだろう。袴田が容疑者・被告であった時代、「ボクサー崩れ」をキーワードに、極悪非道の犯人であるかのような報道を展開したのは当然のことだった。いま再審決定が出て、警察・検察の「証拠捏造」を強く批判するのも当然だ。新聞は「客観報道」に徹する。警察・検察が情報の発信者である時期は、袴田が容疑者・被告だった。「犯人」と決めつけて「ボクサー崩れ」などと叩きまくる報道も、「当然」となる。新聞は発信源が提供するニュースを客観報道しているだけ。何も判断していないのだから、自己批判・謝罪・お詫び等は不要ということになる。

 地元県紙「静岡新聞」を見てみる(ホームページがあるから、手軽にできるようになった。私が記者だった1980年代まで、国会図書館に行って初めて、2−3日遅れの新聞を見ることができただけだった)。28日付の社説と1面コラム(「大自在」という名称)がともに袴田事件であることは全国紙と同じ。社説の見出しは<「袴田事件」— 一刻も早い再審開始を>である。1面コラム「大自在」の方は、29日付も袴田事件だった。2日続きというのも、その内容もともに手厳しい。ここで全文を紹介しておこう。

 28日付
<前夜の雨が、開花を促したのか。駿府城公園の堀の桜がきのう、一気に色づき始めた。堀から道を挟んだ静岡地裁前は、袴田巌さん(78)を支援する人たちでいっぱいだった。地裁から駆け出してきた弁護団関係者が「再審開始」の幕を掲げると、どっと歓声が上がった▼静岡市清水区で1966年6月、みそ製造会社の専務一家4人が殺害された「袴田事件」。第2次再審請求で、地裁は犯行着衣とされた「5点の衣類」のDNA型鑑定結果を証拠と認定。刑の執行停止に加え、拘置停止を認める決定を下した

▼「良かった」「お疲れさま」。ねぎらう支援者に、袴田の姉秀子さん(81)は満面の笑みで応えた。「ただうれしい。それだけです」。逮捕・収監から48年、死刑確定からは33年。姉弟にとって、常人では想像できぬ長く苦しい日々だったに違いない▼事件発生から逮捕状執行までの本紙を見ると、早い段階で捜査当局は袴田に疑いの目を向けたようだ。だが、袴田は犯行を否認。「正しい調べで彼が犯人かどうか判定してもらうよりほかにない」。身元保証人のこんなコメントもあった▼「犯行着衣は、後日捏造[ねつぞう]された疑いがある」。決定理由で村山浩昭裁判長は、こう踏み込んだ。再審開始はまだ確定したわけではない。だが当局は真摯[しんし]に受け止め、「正しい調べ」だったのか検証すべきだ▼66年といえば、前の東京五輪の翌々年。高度成長期だった。きのう夕、釈放された袴田さんは半世紀ぶりに見る日本に、何を見つけるだろう。でもまずは、姉の笑顔と桜を堪能してほしい。>

 29日付
<「捏」の字は、手と日と土から成っている。「こねる」と読むように「粘り気のある土を手でこねる」という意味があるという。捏造[ねつぞう]は「土をこねて形を造る」「無から有を生ずる」。転じて「でっち上げ」を指すようになった▼密室の取り調べでうその「自白」をでっち上げる。典型的な冤罪[えんざい]の構図とされてきた。昨日も本欄に書いたが、半世紀ぶりに釈放された袴田巌さんの事件では、供述ではなく証拠物を「捜査機関が捏造した可能性がある」と静岡地裁が指摘した

▼にわかには信じがたい。しかし、検察が主張した「現実には到底あり得ない空想の産物」とも言えないことを、不幸にして私たちは知っている。将来を嘱望された検察官が証拠物を改ざんし、でっち上げを試みたのは、さほど古い話ではない▼事件は検察に改革を迫り、組織のあり方を問う有識者の検討会が法相の下に設けられた。指摘された課題の検討は公式の諮問機関に引き継がれたが、外国に例がある「取り調べの録音・録画」一つとっても議論が順調に深まっているとは言い難い

▼捜査当局が全面的な録音・録画に消極的で、対象限定の主張を譲らないからだ。今月上旬には業を煮やした委員が連名で「段階的な対象拡大でもやむを得ない」との妥協案を示した。村木厚子厚生労働事務次官らである▼議論の出発点は不祥事で失った信頼の回復と再発防止。それが、捜査機関側が抗弁をこねくり回し、契機となった事件の「被害者」に譲歩を迫るような展開となっている。果たして国民の目に、どう映っているだろう。>

 その他、再審決定の前後に、それぞれ5回の連載記事を掲載した。決定直前の3月21日から25日までの連載は<再審への焦点>、3月28日から4月1日までの連載は<開いた扉>がタイトルだった。他の記事も併せると膨大な分量になるのに、静岡新聞にもまた、「袴田は真っ黒」と書き立てていた時代の紙面づくり・記事づくりについて自己批判・謝罪といったものは皆無だった。

◆報道陣が促した(?)えん罪づくり
 「朝日新聞デジタル」は、電子書籍<WEB新書・死刑判決のグレーゾーン—正義を無視した「袴田事件48年」の不条理>を刊行している。奥付を見ると「4月4日発行」となっている。決定から1週間余で「本」をつくるのだから、その商売熱心さには驚嘆する。

 事件発生は66年6月30日午前2時ごろだった。みそ製造会社「こがね味噌」の敷地内に住んでいた専務・橋本藤雄さん(当時41)宅が全焼。焼け跡から藤雄さん本人と妻、次女、長男の4人の死体が見つかった。当然、直後は激しい報道合戦となる。

 「もの盗り、怨恨両面で捜査」をスタートに、当初は各紙の推測を交え、「強盗目的説」「怨恨説」などに別れる。そんな記述に続いて、以下の文章が出てくる。
<袴田巌が容疑者として報じられるのは、事件から4日後。この頃、血の付いたパジャマが押収されたとされる。名前は伏せられていたが、「H」と頭文字を記したり、「ボクシングの選手だった」と特定できるような情報を報じたりする新聞もあった。
 
朝日新聞をはじめ、当時、容疑者は呼び捨てで報じられるなど、事件報道では人権への配慮は重視されていなかった。報道各社の競走の中で、逮捕前から「袴田犯人説」は浸透していった。>

 事件発生当時は、私も地方支局で警察本部担当だった。大阪社会部と地方支局2カ所で合計5年余も「警察本部」担当だったから、事件取材・事件報道には詳しいという自負がある(抜かれてばかりだったから「強い」とは言わない。「詳しい」だけだ)。マスコミの取材・報道が捜査当局の動きを監視し、えん罪づくりを未然防止するかと問うと、「そんなことはない」と答えざるをえない。むしろ取材・報道はえん罪づくりを助長する側面がある。

 袴田事件のような場合、まず被害者と面識のない「流し」の犯行か?それとも面識のある犯人による事件か? の二者択一となる。捜査陣も報道側もともにこの二者択一を迫られる。報道側にとっては、「流し」ではなく、「面識あり」の方がありがたい。「流し」の場合、特定の人物の固有名詞をあげて「この人物は?」と問い質すことはできない。しかし「面識あり」なら、刑事への夜回りなどで、それができるのだ。

 プロボクサー崩れの従業員・袴田は、「犯人ではないか?」と質問するさい、名をあげやすい人物だっただろう。問われた方の刑事は、「イヤあの男は捜査の対象になっていない」と否定することは通常ない。アリバイがあるなど、犯行不可能の人物を除くなら、知人はすべて「捜査対象の容疑者」というのが事件直後の捜査の実態なのである。

 「ウン、ともかく調べている人物であることは間違いない」という答を聞いた記者は、「捜査線上にH」程度の記事は書くだろう。一紙が書くとすぐに、他紙も「H」「元ボクサーの従業員」などと書くはずだ。

 どの新聞もそろって、袴田を容疑者(といっても犯人同然の扱い)とする記事を掲載すると、裁判所の令状が必要な逮捕がやり易くなる。裁判官は判断するのにさいして「先入観を持ってはならない」と戒められている。だからこそ、新聞記事だけが「唯一の先入観」となりがちだ。県警本部から逮捕状の請求がある。その人物について、どの新聞も「容疑者」と書いている。それでも逮捕状を出さないという裁判官は、現在でも存在しないだろう。

 容疑者が逮捕された後、報道陣の競走は「自供」報道となる。「袴田が自供を始めた」という記事が早ければ、内容を問わず「勝ち」となる。捜査幹部に「供述は?」とただすと、「何もしゃべらないので困っている」などの答はあっても、「否認」「完全黙秘」などと答えることは少ない。「否認」はもちろん「完全黙秘」の場合も、「起訴できない」という決着になりかねない。そうなってしまうと、逮捕した県警の敗北である。順当に起訴するという決着にするためには、「自供」をニュースにさせる方が得策なのだ。取材競争に対する捜査幹部のあいまいな対応の中で、どこかの社が「自供」報道で先行し、他紙も追随する……。こうして自供報道も「各紙そろって」になってしまう。

◆率直に評価したいボクシング界の「逆襲」
 起訴された時点で容疑者は、「極悪非道の残虐な犯行」を非難される人物になってしまう。私自身が調べたわけではないが「ボクサー崩れ」というのが、キーワードになっていたと言っている人も多い。

 今月6日、東京・大田区総合体育館で行われた世界ボクシング評議会(WBC)のダブルタイトルマッチの前に、マウリシオ・スライマン会長が袴田に「名誉チャンピオンベルト」を贈呈するというセレモニーがあったという。袴田が入院中だったため、姉ひで子が受け取った。これは公開の場の行事だったのに、全国紙各紙などにその報道はなかった。共同通信が6日20時すぎに配信しているので、ここで紹介できたのだ。

 このセレモニーに関連して「毎日」4月3日付朝刊10頁のコラム「発信箱」に以下の文章があった。全文を紹介する。
<タイトル=闘い続けて
 本文=リングの外でもファイティングポーズを崩さなかった人たちがいる。
 先週、袴田事件の再審開始決定によって元プロボクサーの袴田巌さん(78)が48年ぶりに釈放された。翌日、姉の秀子さんは東京・後楽園ホールのリングに立ち、ボクシング関係者による長年の支援に対して感謝の言葉を述べた。

 元ボクサーで支援委員会の委員長、新田渉世さん(日本プロボクシング協会事務局長)によると、1980年前後から「リングサイドの母」と呼ばれた記者の松永喜久(故人)、解説者の郡司信夫(故人)、ジム会長の金平正紀(故人)らが個人的な支援活動を始めていた。

 90年3月30日、ジム会長の佐々木隆雄さんらが「ボクサーには人が殺せない」と後楽園ホールで無実を訴え、翌年にはボクシング界が組織としての支援を決める。最高裁で上告が棄却され、死刑判決が確定してからすでに10年が経過していた。

 冤罪(えんざい)の確信があったとしても闘う相手は国家であり、勝算があったわけではない。再審などの請求が却下されて無力感が広がり、活動が停滞した時期もあった。それでも拳は下ろさなかった。

 袴田さんが逮捕された66年当時、ささやかれていた言葉がある。「ボクサー崩れ」だ。それが「不当な捜査につながった」と受け止めたボクシング関係者は少なくない。支援活動は偏見や差別との闘いという側面もあった。

 検察が即時抗告したため再審の開始時期は見えない。社会の出来事には態度を明確にしないスポーツ界にあって、問題や矛盾を見過ごせず、行動に移した人たちがいた。この事実をスポーツの歴史に書き留めておきたい。落合博(論説委員)>

 ここまで書くなら、一歩進めて新聞・テレビなどの報道がらみの真実に迫ってほしかった。「ボクサー崩れ」の言葉は、「66年当時、ささやかれていた」のではない。新聞・テレビが大声で叫んでいたのである。だからこそボクシング関係者たちがファイティングポーズを崩さなかったのだ。

 筆者の落合は、そのころまだ記者にはなっていなかっただろうが、「その後マスコミの世界で過ごした人間の一人として、袴田さんに率直にお詫びしたい」という一言があった方がより良いコラムになったように思う。

 自ら謝罪することはしない、という体質を持つ組織、集団さらには「世界」は多い。決して新聞各紙や、マスコミ界だけではない。例えば日本共産党は「無謬の歴史」を誇っている。財務省(旧大蔵省)を筆頭とした官庁も、率直に誤りを認め、国民にお詫びしたなどということは記憶にない。

 だからこそ袴田事件のような場合、個々の報道機関でも、あるいはマスコミ全体でも、率直に謝罪することに、大きな意義があると考えるがどうだろうか。

 (筆者は大手メデイア・元政治部デスク・仮名)


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