マスコミ昨日今日(9)

2014年7〜8月

大和田 三郎


【「戦後70年へ」朝日新聞の果敢な挑戦】

 8月12日付朝日朝刊は、来年8月まで「戦後70年」シリーズを紙面化し続けるという読者へのメッセージだった。1面は、トップの大きな記事が<(戦後70年へ プロローグ:1)和解へ、虐殺の記憶共有>という見出し。左肩の「編集委員・三浦俊章」署名入りの記事は<(戦後70年へ)日本の歩み、世界史に問う>という見出し。この2本で1面の大半が埋まっている。

 さらに8、9面を<「あの戦争」を知りたくて>というタイトルの見開き特集としている。この特集は、スイス生まれ上智大新聞学科学生のタレント、春香(はるか)クリスティーンと、現代史家保阪正康の対談だ。
 この膨大なスペースと、長大な記事を通じて、朝日が読者に伝えたい内容は、三浦書名記事の末尾に付されている、以下の文章であろう。
<朝日新聞は来年8月まで「戦後70年」を連載や特集で報道します。政治・外交だけでなく、経済、社会、文化、科学、スポーツなど多角的にとりあげます。>
 三浦署名記事が、「戦後70年へ」シリーズ開始の「宣言」にあたる。さわりにあたる部分を紹介する。

<様々な流れがぶつかり合い、矛盾を内部にかかえたまま戦後日本ができた。
 経済成長は実現した。人権保障も進んだ。日本に関する限り平和も続いた。
 しかし、戦後が「成功」した分、歴史に対する見方にあいまいさが残った。
 周辺国との関係改善なしに国際社会への復帰が難しかったドイツと対照的に、日本は米国を向いていればよかった。保守政権も、戦争責任への対応は、必ずしも明確でなかった。
 その流れは今に残る。安倍晋三首相のとなえる「戦後レジームからの脱却」も、右派に根強い自主憲法制定論も、歴史の評価にかかわる主張である。
 「戦前」と「戦後」で何が続き、何が切れているのか。国民の間に、明確な合意といったものはない。>

 結びは以下の文章になっている。
<戦後70年は、過去をゆったりと回顧できる記念年ではない。世界はどのように変わりつつあるのか。なぜ歴史が再び問われるのか。ひとりよがりの一国史観ではなく、グローバルな世界史の文脈で、日本の歩みを見つめ直し、進むべき道を考える機会にしたい。>
 「戦後70年」はすでに中韓両国が強調している言葉である。韓国にとっては1945年8月15日が日本の植民地支配から独立した日である。現在でも光復節(独立記念日)として祝われている。中国にとっても紅軍(共産党軍)が抗日戦勝利の原動力となったことが、国共内戦勝利の原動力となった。その意味では抗日戦勝利から70年となる2015年は、歴史上の区切りの日であり、その年8・15を大きな記念日とするだろう。

 これに対してわが日本の首相・安倍晋三は「歴史認識を示すのは歴史家の仕事」と言い、政治家に歴史認識は不要だと言わんばかりの姿勢をとっている。意図的な「歴史無視」の姿勢を武器に、A級戦犯合祀をきっかけに昭和天皇が参拝を取りやめ、今上天皇もその姿勢を踏襲している靖国神社参拝さえ昨年末強行した。中国・韓国に対しては「未来志向の2国間関係」を政府の政策とし、日本の侵略戦争(対中国)植民地支配(対朝鮮半島)の歴史を無視するよう求めている。

 朝日の「戦後70年へ」シリーズ報道が、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」路線に「異議あり」という姿勢を示すことになることは間違いない。「戦後70年」を強調することは、中韓両国に近い姿勢といえる。しかし中国は、尖閣諸島(中国名・釣魚島)だけでなく、南シナ海の小島に対しても領有権を主張するなど、新たな「軍事大国」としてのエゴをむき出しにしているように見える。中韓両国と日本の関係の「あるべき姿」を、どう描いていくのか? この点だけでもおおいに注目されるというべきだろう。

◆1週間前の「慰安婦特集紙面」

 その1週間前、8月5日付朝日新聞朝刊もまた「特集」的な紙面だった。テーマは従軍慰安婦報道。1面左肩に「編集担当 杉浦信之」署名入りの「慰安婦問題の本質 直視を」という記事が掲載された。

 16、17ページは広告無しの見開き特集で「慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます」というのが、主見出し。▼強制連行▼「済州島で連行」証言▼「軍関与示す資料」▼「挺身隊」との混同▼「元慰安婦 初の証言」、という5項目のテーマを設定。それぞれ冒頭に「疑問」、末尾に「読者のみなさまへ」という文章を置いている。

 当然のことながら、一連の慰安婦報道が「すべて正しかった」ということにはならない。誤った資料や証言に基づく「誤報」めいたものがあったということを認める内容になっている。このため新聞各紙は、朝日がこの特集をつくったということを記事にした。読売、産経などの記事は「それ見たことか」という悪意に満ちたものだった。

 読売・産経は6日付社説テーマとした。読売は<朝日慰安婦報道 「吉田証言」ようやく取り消し>、産経(主張)は<朝日慰安婦報道 「強制連行」の根幹崩れた>が見出し。読売社説は書き出しが<日韓間の大きな棘(とげ)である、いわゆる従軍慰安婦問題について、朝日新聞が過去の報道を点検し、一部だが、誤りを認めて取り消した>。その誤った報道の影響がいかに大きかったかを強調し、誤りを認めるのも取り消しも「遅きに失した」という主張が全てであると言っていい。

 産経の「主張」はもっと手厳しい。
<朝日新聞が慰安婦問題の報道について、一部の記事が虚構だったことを認めた。だが、その中身は問題のすり替えと開き直りである。これでは、日本がいわれない非難を浴びている原因の解明には結び付かない。(中略)
 真偽が確認できない証言をこれまで訂正せず、虚偽の事実を独り歩きさせた罪は大きい>
と主張している。

 読売・産経のような悪意が感じられない東京新聞の記事(6日付朝刊3面)全文を紹介しよう。
<見出し=朝日、慰安婦報道を検証 「虚偽」と一部取り消し
 本文=朝日新聞は五日付の朝刊に、従軍慰安婦をめぐる同紙の過去の報道を検証する記事を掲載し「済州島(現・韓国)で強制連行した」とする日本人男性の証言を「虚偽だと判断し(関連の)記事を取り消す」とした。

 男性は「朝鮮人慰安婦と日本人」などの著書がある元山口県労務報国会下関支部動員部長の吉田清治(せいじ)氏(故人)。朝日新聞は、慰安婦にするため暴力を使って無理やり女性を連れ出したとする吉田氏の証言を、1980〜90年代に16回報じた。

 2ページを使った検証記事では「済州島で再取材したが、証言を裏付ける話は得られなかった。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾が明らかになった」としている。
 「慰安婦が女子挺身(ていしん)隊の名で戦場に動員された」とした記事があったが「誤用した」とも説明。挺身隊は勤労動員で「当時は研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも混同がみられた」とした。

 同紙は1面に「慰安婦問題の本質直視を」と題する見解も掲載した。「インターネット上などで『慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)』といわれなき批判が起きている」として「読者への説明責任を果たす」と強調。「戦時中、日本軍兵士らの性の相手を強いられた女性がいた事実を消すことはできない」とした。>

 誰が見ても5日付朝日朝刊「慰安婦特集」の眼目は、「(ニュースソースの一部を)虚偽だと判断」「(記事の一部を)取り消す」というところにある。
 東京新聞記事が末尾で紹介している部分は、朝日の編集担当署名入り記事では、以下の文章になっている。
<慰安婦問題が政治問題化する中で、安倍政権は河野談話の作成過程を検証し、報告書を6月に発表しました。一部の論壇やネット上には、「慰安婦問題は朝日新聞の捏造(ねつぞう)だ」といういわれなき批判が起きています。しかも、元慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者が名指しで中傷される事態になっています。読者の皆様からは「本当か」「なぜ反論しない」と問い合わせが寄せられるようになりました。>
   ×   ×   ×
 一部の論壇やネット上の「朝日の捏造」という中傷に答えるため、この大特集紙面がつくられたわけではあるまい。「一部の論壇」というのは、アンチ朝日で売ろうという雑誌などのことで、これまで朝日は無視し続けていた。ネット上の中傷についても同じことだ。ヘイトスピーチでさえ大手を振っているのがネットの世界である。いちいち答えることなど不要かつ不可能だといえる。

 安倍政権による河野談話作成過程検証報告書発表が「痛手」だったのであろうか? 報告書の全文は産経新聞が6月21日付朝刊に掲載しており、ネットでアクセスして読むこともできる。その中には、朝日新聞の報道などまったく出て来ない。当然のことながら河野談話作製・発表までの日本政府の検討経過と、日韓両国間の折衝経過が記述されているだけだ。

 こうして考えてみると、5日付朝日朝刊の「慰安婦特集」についての率直な感想は、「どうしてこんな記事が掲載されたのか? 理由が分からない」というものだった。その疑問を抱きながら、12日付の「戦後70年へ」宣言を読んで、ようやくその疑問への回答が推測できるようになった。

 「戦後70年へ」シリーズは、読者に対して大きな意味のあるメッセージを伝えようとするものである。過去に同じような大きなメッセージを伝えたものに「慰安婦」キャンペーンがある。慰安婦キャンペーンの中の一部にあった誤りや混同などについては、率直に認めておきたい……。以上のような主張が、「戦後70年へ」を展開するチームなどで強まったのではないか? これは100%推測であり、その根拠はゼロに等しい。

 いずれにせよこの「慰安婦特集」紙面によって、朝日と読売・産経の緊張関係は一段と強まった。朝日の「敵」は読売・産経だけではない。終戦記念日の15日夕、NHKが<慰安婦報道 自民議連が経緯調査へ>というニュースを放送した。ホームページで記事内容を確認すると以下のとおりだ。

<自民党の議員連盟は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡って朝日新聞が一部の記事を取り消したことを受けて緊急総会を開き、今後、朝日新聞の関係者から話を聞くなどして一連の報道の経緯を調査していくことを確認しました。

 朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡る自社のこれまでの報道を検証する特集記事を掲載し、この中で「慰安婦を強制連行した」とする日本人男性の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断した」として記事を取り消しました。

 これを受けて自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、党本部で緊急総会を開き、会長を務める古屋国家公安委員長や、下村文部科学大臣、稲田行政改革担当大臣らおよそ40人が出席しました。この中で、古屋氏は「議員連盟として、日本の名誉を回復するためにどう取り組むのかを考えたい」と述べました。

 また、出席者から「朝日新聞の関係者を国会に招致し、長年記事を取り消さなかった理由を問いただすべきだ」という意見や、「従軍慰安婦の問題を巡る河野官房長官談話を再検証すべきだ」という意見、それに「教科書から従軍慰安婦の記述を削除すべきだ」といった声が相次ぎました。 そして議員連盟は、今後、朝日新聞の関係者から話を聞くなどして一連の報道の経緯を調査していくことを確認しました。>

 国会議員にとって、テレビ画面での「出番」ほどありがたいものはない。「朝日新聞幹部を国会に呼べ」という主張は、今後さらに強まっていくのではないか。それもまた「戦後70年へ」向かう日本の情景の一つであろう。

(関連)【8・15社説】

 例年のことだが終戦記念日8・15の社説は、各紙の歴史観がにじみ出る力作となる。今年もまた同じことであった。タイトルだけ紹介しておきたい。

朝日=戦後69年の言葉—祈りと誓いのその先へ
読売=終戦の日 平和国家の歩みを堅持したい
毎日=8・15と戦争 記憶の継承の担い手に
日経=歴史に学んで昭和の惨禍を繰り返すな
産経(主張)=終戦の日と「靖国」 いつまで論争続けるのか
東京=平和主義を貫く 不戦の誓い 新たなれ
北海道=きょう終戦の日 平和守り抜く覚悟がいる
西日本=終戦の日 今こそ繰り返さぬ決意を

 全国紙レベルでは朝日・毎日対読売・産経という構図が一段と鮮明になり、定着したといえる。産経が首相・閣僚らに靖国参拝を促す主張を展開したのには驚かされた。これは日中・日韓両首脳会談が実現できない現状を是認し、永久固定化せよと主張するに等しい。

 この全国紙2分状況の下で、日経の主張に注目するのがいつもの習慣となってしまった。今回は朝日・毎日と同様の「反戦」姿勢で、胸をなで下ろす。

 東京の「平和主義を貫く」は、8・15だけでなく、13日からの3回シリーズだった。13日の第1回が<平和主義を貫く 普通の人々の戦争とは>、14日の第2回が<平和主義を貫く 旧軍引きずる人命軽視>に続けて15日の<平和主義を貫く 不戦の誓い 新たなれ>を読むと、読み応えは十分過ぎるほどだ。

【相撲報道に違和感】

 大相撲名古屋場所は7月27日、白鵬の30回目優勝で終わった。15日間の懸賞本数は1166本にのぼり、昨年の885本を大きく上回った。2012年の1048本も上回って名古屋場所としては最多を更新した。満員御礼は10日間で、昨年より3日多かった。終了後の30日、関脇豪栄道(28)の大関昇進が決まり、報道も含めてメデタシメデタシといったトーン。良いことずくめは当然のことかもしれないが、「それでいいのか?」という違和感を感じざるを得なかった。

 大関昇進の伝達式で、豪栄道は「これからも大和魂(やまとだましい)を貫いて参ります」と口上を述べた。「大和魂」登場の背景が知りたくなった。
 もはや記憶にない人が大半だろうが、1967年世界ジュニアウェルター級チャンピオンになった藤猛(ふじたけし)というボクサーがいた。ハワイ生まれの日系人で日本のジムに所属、けた外れのハードパンチでノックアウト勝ちを続けた。勝つたびにリング上で「ヤマトダマシイ」と叫ぶ。たどたどしい日本語だったので、奇妙な愛嬌があり、当時の人気者だった。
 日本最大の国語辞典は、全21巻の「小学館・日本国語大事典」。刊行は1972年から76年まで。5年間もかけた。「大和魂」の説明文の中に「天皇制における国粋主義思想の、なかんずく軍国主義思想のもとで喧伝された」と書かれている。こんなことは、豪栄道はもちろん、師匠の境川親方も知らないだろう。境川は元小結・両国で、1962年7月30日生まれ。伝達の日、ちょうど52歳になったばかりだ。

 北海道新聞の1面コラム「卓上四季」は31日付で<久々に「大和魂」という言葉を聞いた>と書き始めている。明治以降、<日本の優位性を強調するあまり他国を否定的に見たり、犠牲的精神を美化したりする時も使われた>と書き、<本紙も先の大戦中、特殊潜航艇による攻撃を「大和魂の体当たりを爆発させた」(1945年3月25日)と表現していた>と、触れられたくないはずの戦争賛美を自ら告白した。
 同じ日、読売の1面コラム「編集手帳」も<久しぶりにその言葉を聞いた>と書いている。しかしその前の文章は<吉田松陰は和歌一首から遺書「留魂録」の筆を起こしている。〈身はたとひ武蔵の野辺に朽(くち)ぬとも留置(とどめおか)まし大和魂〉。身は朽ち果てようとも、国を思う心だけは残そう、と>である。<豪栄道関の語る大和魂のなかに「次は自分が日本人横綱に」というひそやかな闘志が隠されているとすれば、その意気やよし、である>というあたりが、言いたかったところだろう。

 司馬遼太郎は学徒出陣で軍人にされ、配置されたポストは戦車隊の小隊長だった。<戦車・この憂鬱な乗物>と題したエッセーがある。旧日本陸軍の代表的戦車は「八九式中戦車」だが、ノモンハン事件(1939年)で、ソ連のBT戦車に粉砕されてしまった。それは必然だった……というのが、「司馬理論」だ。

 戦車は20世紀陸戦の主要兵器。攻撃・防御とも強いことが必要だ。攻撃面では強力な砲によって、敵の部隊や戦車を破壊する。防御面では分厚い鋼鉄で車体を覆い、敵の砲弾をはね返す。日本の八九式戦車は、この双方とも弱かった。57ミリ大砲が搭載されていたが、砲身が短すぎ威力に欠けた。車体を覆う鋼鉄も薄く、敵の砲弾を防ぐ力は皆無だった。だからこそ、BT戦車に対抗すべくもなかった。

 兵器や装備の欠陥などについては「大和魂で補え」というのが、旧陸軍の常套句だった。それは不可能だと言うと「戦意に欠ける」と非難される……というわけだ。

 この司馬理論を参考にしながら大相撲の現状を考えてみる。白鵬などモンゴル勢の優れた運動神経・バランス感覚でも、エジプト出身の大砂嵐などにみられる破壊的パワーでも、日本で育った力士は及ばない。それを大和魂で補うというのは、旧日本軍の考え方と同じような感じがする。読売「編集手帳」の筆者に訊ねたら「そのとおり」という答かもしれない。

 ネット百科「ウィキペディア」によると、大関昇進伝達式の場で、関取の側が四字熟語などを使った「口上」を述べるようになったのは、若貴兄弟から。貴乃花は「不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」(1993年初場所後)と言い、若乃花は「一意専心の気持ちを忘れず相撲道に精進します」(同夏場所後)と言った。2人は横綱昇進のときも「相撲道に不惜身命を貫く所存です」(94年九州場所後、貴ノ花)「堅忍不抜の精神で精進していきます」(98年夏場所後、若乃花)などと言った。たぶん2人の父であり、親方でもあった初代貴ノ花の影響による言動だろう。

 豪栄道の「大和魂」は誰が考え出したのだろうか? 豪栄道本人はもちろん、師匠の境川親方の辞書にも、載っていそうにない言葉だけに気になる。安倍政権支持一色になっている読売のコラムは賞賛し、安倍政権に批判的な道新のコラムは、疑問符を付けているだけになおさらだ。

 もう一つ、前頭2枚目の豊真将が、18日の名古屋場所6日目から休場した。前日の横綱・日馬富士との結びの一番で押し倒しで敗れたさい、右ひざを痛めた。歩けないというから、今場所だけでなく、9月の秋場所も全休だろう。3度目の十両陥落となる。それでもなお頑張って、奇跡的な復活を目指すのかどうか?

 豊真将は土俵に上がったときと、土俵を去るときの深々とした一礼が良い。相撲だけでなく日本の武道は「礼に始まり、礼に終わる」はずだ。それを地で行くようなパフォーマンスは、現役関取では豊真将だけだ。それが見られなくなると思うと、寂しい気がする。 もう記憶にない人が多いのかもしれないが、かつての大相撲には「公傷制度」があった。今回の豊真将の場合、今場所に6日目まで1勝5敗。それに休場の9日間は負けと同じ扱いになり、1勝14敗という計算で、番付がダウンする。しかし公傷制度があれば、9月場所については「公傷」による休場と扱い、全休でも番付は下がらない。

 大相撲が年6場所になったのは1958(昭和33)年。力士のケガが増え、本場所が1月おきだから、十分な治療期間を確保できないという問題が出てきた。このため公傷制度が提案され、72(昭和47)年1月場所から実施された。しかし平成に入ってからは、「たいしたケガでもないのに、公傷で休んでいる」とカゲ口されるケースが増え、2003(平成15)年11月場所を最後に廃止が決定した。当時は北の湖理事長で、公傷嫌いで知られていた。<北の湖理事長の「鶴の一声」によって廃止された>という報道もあった。

 北の湖の現役時代は、白鵬と同じように「憎らしいほど強い」と言われた。強い力士は当然ケガが少ないから、公傷制度の必要性など感じない。しかし理事長となったなら、相撲協会の経営トップなのだから、「力士は、協会の財産。大切にしなければ」という発想に切りかえなければならない。

 米大リーグの田中将大が、オールスター戦に欠場して肘の治療をするのと同様、関取も身体の健全さを最優先すべきなのである。北の湖は、相撲界を揺るがした八百長騒ぎの責任を取った形で、協会理事会から去ったが、現在また理事長に復活した。おそらく「公傷」を「ズル休み公認」と見るような関取根性が、親方衆の支持を得ているのだろう。理事となることは、一般企業の取締役に就任するのと同様で、以後は「経営者」の感覚にならなければならない。そうした初歩的な常識さえ持ち合わせない元力士が「経営者」になっている。これが日本相撲協会の大きな欠陥であろう。

【不可解すぎる理研・笹井芳樹の自殺報道】

 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター)の笹井芳樹副センター長(52)の自殺が、大ニュースとして報じられた。8月5日午前8時40分ごろ、神戸市中央区の先端医療センター内で首をつった状態で見つかり、同11時すぎ死亡が確認された。全国紙各紙は夕刊1面、社会面ともにトップで扱った。

 その1回だけならともかく、その後も笹井自殺がらみの報道・論評はあい次いだ。笹井が関わったSTAP細胞問題がどうなるかとか、遺書の内容がどうのこうのという記事がうるさいほど載っていた。おかしすぎるといってもいい現象だ。

 52歳という年齢にふさわしい働き盛り。研究だけでなく、あらゆる面で有能だったと報道されている。例えば理研再生科学研究センターの所在地・神戸市は、その地の利を生かし、関連するハイテク産業の誘致を目指していた。笹井はそのための支援活動も積極的に展開していたという。

 組織の中でこういう人が存在することは、珍しくない。「誰もが平等に働く」というのは理想像かもしれないが、組織の実態は、そんな姿にはならない。積極的な人は、どんな仕事にも取り組み、それなりに「成果」を生み出す。だからどの分野についても「有能」と評価される。

 あまり仕事をしたくない消極的組織人は、仕事に取り組みたくない。だから仕事することによって知識を増やし、能力を伸ばすといったこともない。そういう人物に仕事を頼もうとする人は組織の内外を問わず、どんどん減っていく。だから仕事をしないでもすむようになる。

 日本の雇用慣行である終身雇用制の下では、積極姿勢の人物と、消極姿勢の人物は、それぞれ姿勢を変えないまま数十年間、「勤務」を続ける。その落差は大きく、積極的組織人はあらゆる面で有能と評価される。その典型が笹井だったのだろう。逆に消極的な組織人は、能力などまったく伸ばさないまま同じように勤務し続ける。能力と仕事量の落差は大きくなるばかりだ。

 その激しい対照の下で、有能な人物の方が、ポキッと折れるように自殺する。これも珍しいことではない。日本の年間自殺者は1997年から、3万人を超えた。「年間自殺者3万人超の時代」は2012年まで16年間も続き、13年にようやく3万人を下回った。

 この時代をつくったのは、働き盛りの男たちの自殺だった。職場では中心になって働き、有能で熱心な会社人間と評価される。その給与が家計収入なのだから、家庭を支える存在でもある。そういう人たちこそが、「自殺予備軍」なのだ。「自殺者3万人超の時代」をつくったのは、有能な組織人たちだったのである。こうして考えてみると、笹井の自殺は、その時代の代表例だった。数字の上で、年間自殺者は3万人を下回ったが、「時代」はまだ続いていると言った方がいいのかもしれない。

 しかし笹井自殺の記事は、多くの有能な男たちとの共通点を描くのではなく、小保方晴子と並んでSTAP細胞問題の主役だったという特殊性だけを強調した。その点で、新聞・テレビの報道は決定的に歪んだものとなったと言える。

 新聞各紙の朝刊1面のコラムは、その日の「看板」的な意味を持っている。事件発生の翌6日北海道新聞の「卓上四季」が、1日遅れで7日、読売の「編集手帳」と毎日の「余録」が、それぞれテーマとした。

 「卓上四季」は、<STAP細胞に懸けていた>笹井が、<自らのハーモニー>を狂わせてしまったのかもしれないという言葉の遊びめいた内容だ。読売「編集手帳」はもっとひどく書き出しが<細川たかしさんが「心のこり」でデビューしたとき、曲名を見てつぶやいた人がいる。「肩だけでなく、心の凝りもあるんだ」>である。<心の凝りには、“時間”という名の再生医療もある>をはさんで、結びは<つらくとも生きてほしかった>である。この結びは良いとしても、細川の「心のこり」を誤解した「心の凝り」をキーワードにした文章は、あまりに軽い。毎日「余録」は<科学史に残る研究者の自殺といえば1926年にオーストリアの生物学者カンメラーが拳銃自殺した事件がある」と書き出し、「結局のところ事の真相は現在も謎のまま>と紹介している。結びは<若手研究者の異質な発想やチャレンジをもり立てながら、研究不正を許さぬ組織改革をどう果たすか。笹井がこの世に残していった問いである>だが、前半のカンメラーとやらの自殺事件の紹介が何故必要なのか? 理解不能に近い。

 何よりも、この3つのコラムをはじめ、笹井自殺報道のすべてに、「自殺はそれ自体が敗北だ。やってはいけない行動なのだ」という視点が皆無であることを指摘しなければならない。「死者をけなしてはいけない」という日本古来の伝統に沿って、素直に読むなら「笹井礼賛」に近い記事になっていることを指摘しなければならない。笹井という存在は、自殺したことを含めてはじめて全体となるのであって、自殺する以前だけの笹井などという「部分的笹井」などあり得ない。とくに笹井自殺の記事なのだから、笹井について何のことわりがなくても「自殺した笹井」であるはずなのだ。それなのに笹井礼賛トーンであるということは、即自殺礼賛ではないか? 

 「年間自殺者3万人時代」などという不名誉なものが出現し、長期にわたって続いたのも、こうした報道の姿勢が強く影響しているのではないか? 笹井の場合、STAP細胞の捏造という研究上の不正の「主犯」に近い存在だったというだけで一般人にとって無関係といえるかもしれない。

 しかし最近でいえば、安全管理上のずさんさなどがあい次ぎ、事故も起こしていたJR北海道の社長中島尚俊(当時64歳)の自殺(1911年9月)報道もあった。遺書が十数通もあり、社員あてのものには「全社をあげて企業風土の改善などに取り組んでいる時に、真っ先に戦線を離脱することをお詫びいたします」という記述があったと新聞記事になっている。まさにそのとおりで、企業風土を変えるための「戦い」の先頭に立つのが社長の使命だ。その逆の戦線離脱を選んだのは、しょせん社長の器(うつわ)でなかったことを示している。「自殺者3万人時代」を終わらせることを目指すなら、新聞論調はこの「戦線離脱」を批判・非難するものでなければならない。中島の場合も笹井と同様、「礼賛」トーンの記事ばかりが目立った。「マスコミの報道・論調が自殺者3万人時代をつくった」という批判も成り立つと言えるだろう。

 話題は変わるが、私自身はテレビをあまり見ない老人なのに、このSTAP細胞事件がらみのテレビ番組はよく見ていた。その理由は小保方晴子が若い美女だからではないか? と思っている。知人には最初から「小保方さんは銀座のクラブにふさわしい人材。どうして研究職などになったのか? その事情こそ知りたい」と言い続けていた。

 笹井自殺をうけた勝手な論評を執筆すると仮定するなら、書き出しは、「むかしから女は怖いという」で決まり。結びは「いまや失敗学の時代。笹井は、『STAP細胞では失敗したが、あの失敗で私は一段と賢くなった』と言ってカンラカラカラと高笑いすればいい」。

 さらに「笹井はたった一つの失敗で自殺してしまった。失敗学の時代なのに、あまりに時代遅れの行動パターンだ。これこそ、日本の学界が過去の遺物であることの証明ではないか」と続けたい。学界が時代遅れなだけではない。学問研究をテーマにしたマスコミの報道・論評も時代遅れにすぎるのである。

 (筆者は元大手新聞社・政治部デスク・匿名)

注)8月15日までの報道・論評を対象にしており原則として敬称略。引用は<>で囲んでおります。


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